マラパスクワ 腸からこの世を覗いてみる 小腸器官覚へのお誘い
目、耳、鼻、舌、肌、脳、の後は心肺と血管と小腸で、
この世界とつながってみる、というのがオモロイので、おすすめします。
脳が全部の司令塔となっているので、ここが意識の中心ですが、実はここが休んでいてもまあ生きていけるんですよね。
脳はあちこちからくる信号(メッセージ)の交通整理をしていると、意識が浮かび上がってきます。
でもこの脳の意識を休めないと入ってこないメッセージもあるんです。
例えば、味や匂いや音をいくら言葉で説明しても、伝えきれないように、その器官しか感じられないというものがあるんです。
試したことのない人には驚かれますが、実は誰もが循環器系と消化器系の器官を持ってるんです。
脳は区分したり名前をつけたり予測計画を立てたりできるのですが、大脳皮質には桜と梅の香りを嗅ぎ分ける細胞はありません。
鼻がなくなれば脳だけでは匂いの違いがわからないのです。
匂いの違いは鼻にしかできないように、腸にしかできないことがあるんです。
耳を澄ますように、一度、腸を澄ましてみませんか?
循環器系の器官は多くの生命体が毎日使ってます。
例えば心臓と肺臓は、自分以外のモノと同調する力を持っている器官で、同調することにより私と他人の壁を簡単に乗り越えたりします。私のものはみんなのもの、みんなのものは私のもの、という感覚です。
例えば近頃みんなが使う同情という言葉は、頭で他人を可哀想に思うことですが、もともとは字のごとく同じ情感(Emotional response)を持つということでした。ギリシャ語源のsympathyもラテン語語源のcompassionも同じ痛みを持つのが由来です。
Cf.. Sym‐同じ Pathy痛み Com同じ Passion受難
深い情愛だったり、昔の家族だったり、団体スポーツだったり、お祭りの時の神輿を担いでいる時のような体感です。
時間で言うと、過去と現在と未来がつながっている感覚です。記憶と目の前と想像(妄想)です。どれもが脳内では同じ電気信号が流れます。
そして今回の本丸が腸器官。
腸は、自分と宇宙を一つにつなげてしまう力を持ち、宇宙にあるものはみんなどれもが大事だとわかる器官です。
腸内の微生物が食物を分解しないと動物は生きていけません。自分の意識だけでは消化することもできないのです。微生物にお願いして任せるしかないのです。自分が細菌やウイルスになって、この世界と交感する感覚です。
これらが生きる感覚です。透明感があります。澄んでいます。粒子が微細です。揺れている感覚があります。
お釈迦さんが菩提樹の下でわかったことの一つはこの腸器官で感じたことだと推測します。
この世のありとあるゆるものは、生きとし生けるモノかりではなく、石や雲さえも、全てが「私」とそしてこの腸と繋がっていることを。
そしてあの世さえも。
頑張る、とは脳の傲慢からくる考え方です。
自然の力に抵抗する力で、これは意識の力です。
自然の原理の動きを感じることを妨げることがあまりに多すぎます。
大自然の原理に任せ切った感覚が命の力です。
これを生命体の霊力というのではないでしょうか?
腸の中の微生物にお願いして全てをまかせるように。
ヒトは自然の存在以外の何者でもないのですから。
任せきった動きが、「いのち」の始まったところで、そこから「今」が生まれた。
大和言葉の「ち」は地、血、気、息、乳、風、霊の意味です。
この「ち」「から」出るものが「ちから」なのではないでしょうか?
太平洋の小さな島
太平洋にマラパスクワという島がある。人口は5000人を越しているのに、自家発電の宿が浜沿いにあるだけで、後は電気も道路もない。それに掲載していない地図も多いという不思議な離島。 掘削された港はないので入島するには小さな船に乗って、浜についたら裸足になって上陸するしかない。波が高いと隣島からの船も途絶えてしまう。
何度か行って気に入ったので、ここでしばらく暮らしていたことがある。
ある時には南米から行ったので、体が急には対応しきれていなかったのか、熱さと湿気のためか、お祭りの豚の丸焼きにあたったのか、よくわからないが突然に腹が痛くなり、下痢になってしまった。
この島には絶対これを食べなきゃあ、という特産や、お気に入りの食堂がその頃はなかったこともあり、しばらく食べるのをやめることにした。
冬眠をしている熊だって、傷ついた野犬だって、体の調子が悪い時や必要な時には、餌も取らずにじっとしている。
そんな軽い気持ちと自然の当たり前の必然から、食事を取らない断食が始まった。はじめにびっくりしたのは、3日目から食欲がなくなったこと。口に入れるのは水だけで、それ以外のものはなにも取らなかった。
一週間たっても食欲がわかないのでだんだんと心配になり、日本の断食マスターに連絡を入れたほどだった。
結局10日間は何も食べず、それから10日間は重湯とお粥だけをとった。
こんなに長期の断食は初めてだったので、いつもお腹のことを気にしていた。
食べなくても平気な自分に驚き、不思議になり腸とは何か?とか、腸の長さとか、腸の構造とか、意識はしょっちゅう腸のあたりにいったのである。
これがよかったみたいで、はからずもこれが意識せずの瞑想となるのである。
どの古今東西のメディテーションも呼吸を整え、意識を丹田に置くことから始まる。
ある時に小腸が動き始めたのである。
勝手に。
何か食わせろと言っているのか、綺麗になって喜んでいるのか、知らないが、存在をこちらの意識に、伝えてきたのである。
はじめはなにをつぶやいているのか見当がつかなかった、今までにない感覚ということしかわからない。
その頃には、私のものはみんなのもの、みんなのものは私のもの、というのをよく感じるようになっていた。
というのも島の子供や大人の生活が、そうであったからである。
足りないものがあれば、すぐ隣に行って借りてきていた。
あちこちに派閥はあるのだけど、プライバシーと社会との関係は都会にはないものだった。
島では鶏といえば闘鶏しかおらず、卵を産ませるための採卵養鶏場はなく、波が高いと卵が不足する家庭も多い。
そんな時は卵がない人がある人に貰いに行くのだ。お互い様だ。
また自然もモノも人に足りないものを与えてくれる。ロウソクが買えない家の娘はビーチでどこからか流れついてビーチサンダルを海岸で拾う。
そしてそれをハサミで細く切り、夜になると火をつけるのだ。いろいろなモノがいろいろな場所と時間でつながっている。
そしてこの何でも繋がっていく腸感覚がだんだんとこれから開いていくのだけど、続きはまたの機会に。
それまでは私は、ヒトを肉体(flesh)と精神(spirit)の二つに分けて理解しようとしていた。
外の世界の情報は、肉体(flesh)の五感覚器官を通して伝わり、脳でこれを交通整理して、意識をするのだから、ヒトを肉体と脳の二つに分けて、精神(spirit)は脳にあるものだと思っていた。
ところが、断食をしている時に体感したことは、心臓や肺臓や血管を通じて(媒介の窓口として)魂(soul)とつながり、腸や消化系器官を通じて、霊(Spirit)につながっていることだった。
今まで頭で思っていた精神(spirit)と、体感した霊(Spirit)とは違ったもので、考えてもいないものだったのでショックだった。
また魂は霊なるものの一部で、体が死ぬと魂は霊の一部に戻っていくものなのか、と想像していたのに、自分のなかにも霊があり、魂は霊の一部ではなく、上位意識というような無意識のずっと奥にあるエネルギー体のようなものだったので驚いた。
意識と無意識と魂と霊は、各文化によって名称も実体も一致しないので、これらの関係性も異なるので理解するのには戸惑った。
エネルギーもない霊、エネルギーがある魂をどのように理解したらよいのかも分からなかった。
また、平衡を保つ力をもつ無意識と、すべての生命体にありながら全体性を特徴とする魂とは別のものであったので、これをどのように理解したらよいのかも分からなかった。
腸なんかミミズにもバクテリアにもある、ただの管じゃないの。
腸は昔から少しも進化していないようだし、脳みたいに高級じゃないので、記憶や学習や分析や推論できる理性や知性もないし。
それなのに、口から肛門までの一本の管(バクテリアにおいては穴ぼこ)の働きは、ただただ、すごかったのである。
どの生命体とも共通のこの管には、世界中のバクテリアがこの内で暮らし、常にお互いを行き来して交信しあっている。
そしてこの管を媒介にして、あの世?ともつながっているのである。
五感覚器官がなくても脳が機能していなくても胃がなくてもヒトは生きていけるが、小腸がないともうこの世にいることができない。
みなさん、今日は格別に腸を大切にしてあげましょう。
体と霊に基づく考えは、世界のどこでもいつの時代でも一緒だろう、というパッパラパーの考えで観てみると、仏教にも唯識派なるものがありました。
そこでは阿頼耶識なんて難しい言葉を使っていますが、これは簡単に言うと腸からこの世とあの世?がつながっている時の認識、ということなんじゃないのかな。
唯識体感実践者の方がいらっしゃれば、ご連絡お待ちしています。
「意識のはたらき」
八識説
↑ ┌ 眼 識(げんしき、視覚)
| | 耳 識(にしき、聴覚)
顕在心| 感覚| 鼻 識(びしき、嗅覚)
| | 舌 識(ぜつしき、味覚)
| └ 身 識(しんしき、触覚など)
|
↓ 思考 意 識 自覚的意識、表層意識
↑ 自我 個我意識 自覚のない意識
潜在心| 執着心 末那識 (まなしき) 潜在意識 寝ていても執着し続ける心
↓ 根本心 阿頼耶識(あらやしき) 根本の識 この識が前五識・意識・末那識を生み出し、
さらに身体を生み出し、他の識と相互作用してヒトが対象の「世界」であると思っているものも
生み出していると考えられている。
腸は第二の脳である
小腸は脳や脊髄から独立して営んでいるということです。その証拠に交通事故で脊髄を損傷しても、脳が働かなくなって植物人間のように脳死の状態になっても、腸は正常に働き続ける。
「腸にも脳がある」と言うと、誤解を受けるかもしれません。
小腸は半独立国だ、と言ったほうが事実に近いのかもしれません。
アメリカの神経生理学者のマイケル・D・ガーション医学博士が、「セカンド・ブレイン=第2の脳」と言う本の中で、この事実を発表し話題となりました。博士の専門は脳の研究でしたが、あるとき、脳に存在しているはずの神経伝達物質「セロトニン」が腸にも存在する事を発見しました。より研究を進めて行くと、何と体内のセロトニンの95%が腸で作られている事をつきとめました。
博士のこの本で「現在我々は腸に脳があることを知っている。とても信じられないことかもしれないが、あの醜い腸は心臓よりずっと賢く、豊かな感情を持っているのである。脳や脊髄からの指令がなくとも反射を起こさせる内在性神経系を持っている臓器は腸だけである。進化はうまい工夫をした。我々の先祖はアメーバの原生的生物から進化して脊椎を獲得した時、頭蓋と腸の両方にそれぞれ別の感情を持つ脳を発達させたのである。」と述べています。
はじめに腸をはじめとした消化器系の器官ができ、そして循環器系の器官ができ、最後に神経管系の器官ができ、そこが脳に進化ししていきました。
系統発生の順番です。
しかし脳が最後にできたからといって、脳がなんでもできるわけではありません。
豆知識
腸にはいろいろな不思議があります。
体全部で38兆個の細胞 2兆が免疫細胞 NaturalKiller細胞は50〜100億
毎日3000個のガンが生まれが、免疫細胞が駆除している、いや駆除ではなく馴れ合っている。
腸管に免疫細胞の60%以上が集まっている 1兆2000億以上
腸内には300種類以上の微生物がいる
肉食動物のライオンの腸は短く、草食動物の牛は長い
日本で大腸癌が増えたのは食生活が変わったあとだと言われるがどう思われますか?
腸内製造酵素
血流をよくするアセチルコリン、プロスタグランジン 脳神経伝達物質セロトニン、メラトニン
ヒートショックプロテイン 38度以上の熱が加わると、その熱から防御するためにできるタンパク質。
これが傷つき壊れた細胞を修復する。