マルカパタ 村はいつでも共産主義 1990年3月
アマゾンとアンデスの間にあるペルーの小さな村、マルカパタ。
村人はみんなで数千人。いろんな人が暮らしている。
では村人の自己紹介の声をどうぞ。
おいらは川魚をとるのが得意なんだよね、みんなも川鱒のトゥルーチャは大好きだからな。
あたしの焼くパンは美味しいのよ、 みんなの体はあたしがつくってるのよ。
俺はトラックの運転がなりわい、街のビールも家の建材もこの荷台に乗っけてやってくるんだぞ。
あたいは温泉の浴槽をきれいにするのが仕事、 みんなに気持ちよく入浴してもらいたいからよ。
わしはクランデーロと呼ばれる者、ヒトの意識を薬草で山と大地の精霊に再会させるのがこの世での仕事。
おらは酔っ払い、働くのはどうも苦手だ、すべては初めからあるからな、これでいいのだ。
わたいの踊りと唄はいいよ、男どもは瞳孔を拡げてもう夢中だもん。
あたくしは婦人会の会長をやらせていただいております、ご婦人と子供の教育の向上に努めてますのよ。
こちとら、生まれも育ちもこの丘の上、曾じいちゃんの代から秋の祭りは仕切らせてもらってます。
ぼくはおばあちゃんのお手伝いでいつもジャガイモ畑にいくよ、みんなで唄って踊って遊ぶのがすき。
あっしはリャマ使いでござんす、みんなの荷物や野菜を車道ないところまで運ぶんだったらお任せあれ。
おおきな街からくる駐在所のお巡りさんと小学校の先生と教会の神父とは付き合うにはちょこっとコツがあるそうな。
共産主義はマルクスが作ったものだと思っている人がいる。資本制社会や国民国家や地主や人種差別に対しての頭でっかちの共産主義は19世紀に発明されたものだが、ヒトがこの地球に登場してから、現在そして未来にいたるまで、共産の暮らしを中心とする主義はずっと人間社会の一つのシステムとしてあり続けている。 主義やイズムという言葉は信仰なので正確ではないというならば、共産の暮らし方や共に生きる共同体といっちゃおう。山や森や離島など人口の少ない集落では、共に道を作ったり、家を直したり、水を引いたり、資材を分けたりして暮らしているところがある。平等の旗印のもとで義務や収入を同じにし、全てを分け合っているわけではない。仕事や家族構成によって個人や家族で差はあるが、お互いに関わることが多い生活をしている。困っているものがあれば手を貸すし、余ったものは近所に配る。そこでは共に暮らしていると思うことが、無理のない、効率の良い、合理的で、一番自然にしっくりいくやり方だからだ。
人が縦に重なっているようなビルに住む人口密度の多いところでは、成り立たないやり方だ。人口の多い社会では、誰は何が必要で、何をしたいのか、どんな気持ちでいるのか、と相手の気持ちが分かることは難しい。ヒトがつき合っていける人数は限られている。人口密度によって、人との付き合い、社会のありかた、仕事の仕方、遊びの仕方、交換の仕方も変わってくるからだ。
人口密度の高い都市では、資本主義
人口密度が普通の田舎では、社会主義
人口密度の低い森や荒野では、共産主義
人口密度が殆ど無い山や沙漠では、無政府主義 (アナーキズム 政府どころか人がいないんだから)
が今までも、これからも実践されている。
人口密度によって、みんなの求めるもの、みんなのしたいこと、しなくてはいけないこと、してはいけないこと、とルールもいろいろ変わってくる。 主義に固まるのは、あまりに硬すぎる。 その場のありのままの姿をしっかりみつめて、理解して、実践して、その中で生きるのが、ちゃんとした柔らかいやり方。
この場所によるやり方の違いをないがしろにして大声でワメくお方たちは、やらねばならぬことをしない「お子ちゃま」が多い。
実はみんな、意識していなくても、このどれものやり方をTPOに合わせて取り入れてもう生活をしている。会社では資本主義、帰宅して近所の人と挨拶する時は社会主義、家族で食事する時は共産主義、寝る時は一人でアナーキズムというように。
家から出なくたって、玄関は資本主義、リビングは社会主義、台所は共産主義、寝室は無政府主義だ。
家が一間しかない場合は、時間帯によってルールを無意識に変えている。朝は社会主義から始まって、夕方までは資本主義、それからは寛ぐ社会主義と夕食の共産主義を経て布団を敷けば後は朝まで無政府主義。
一つの考え方に縛られる必要はない、頭を柔らかくすれば私達の体や心にあったやり方を体が勝手に楽しく生きている。