キリマンジャロ  寒の神 

 

その一 序

胸のつかえと一緒に汽車に乗り山に向かう

山を見上げる

雲が守護霊のように山の姿を隠している

迷う

のぼればつっぱり

やめれば妥協

迷う、迷う

私は「ない」

あるのはどこか遠くにいるらしき『わたし』

と乙女のつっぱり、ぱり

毛虱がなく、痔がさわぐ、胃がきしむ

頭まで栄養失調ぎみでピーマンの中身のよう

やっぱりヤメチャエ

人生妥協も王道だ

リュックを背負い、町に向かって下る

歩き疲れて茶屋のバナナビールで喉を潤す

ところが

あの寒の神が雲の上で雄雄と遊んでいた

大きく、でっかく、立っていた

蒼空と一緒にあった

でも調和なんかしていない

寒の神は空の神よりもっと胡散(うさん)くさく立っている

熱いパトスを雪で包んでしたり顔で遊んでいる

 

突如、私は踵を返した

 

その二 破

 

のぼる

頂に向かって上がる

町から離れ密林への門をくぐる

深い緑の中の小道は薄暗く曲がりくねり

わたしは迷子、どこへ行くのかしらない

ただ道にかじりついて前へはうのみ

夜も歩く、どんどん進んでしまう

森の抜け道はステップ草原の入り口

鈍い銀光を頼りにサンダルをはいた爪先に

石をひっかけ、ぶっつけ、よたついていく

草原の闇で風が音を運んだ、あれは何だったんだろう

町という名の星が地底の雲下から青白く湧きあがる

背のかがみ、両手、両耳は凍結注意報を発している

ころがりこんだ山小屋の熱い茶を両手で抱き、山の薫の中で眠りこむ

 

朝日から逃げ出す蝙蝠を合図に

道は続く

荒野の瓦礫の間に線が続く

緑がもう頼りない、そのうち地から消えてしまった

荒野が沙漠にかわってなだらかにどこまでも蜿蜿蜿

聞こえてくるのはツーンとした沙漠の静寂音

ひきずるゴムサンダルの摩擦音

息切れ気味のアウンの呼吸音

そしてそのもう一つ内にある不思議音

砂も小石も斜面も不思議音

 

音の中に突如降ってきたのは『時間』

思っているのに触れなかった私の分身

親しんでいるのに気がつかなかった旧友

識っていたのに知らなかった蛇

今、たしかに『時間』をさかのぼっている

現在から過去へ 未来という過去へ

何処へ?

たんなる山頂へか

寒の神のもとへか

原初の闇へか

太初へか?

 

その三 急

真夜中に天に向かって歩きはじめる

一寸先は闇

星あかりは頼りなく

下界をかすかにしか照らせない

おびえる鳥は手さぐりで進む

砂の絶壁をよじのぼる

ところが力がでない

いつまでたっても呼吸はととのわず

目をうつろにさせて口をパクパクさせるだけ

やっとましになったのかと思い一尋のぼるがもとの木阿弥

胸の高鳴りを押さえるのに力がかかる

『時間』も思想もあとかたなく消えさる

胃袋がものを噛み締めるように

ただ同じことを繰り返すだけ、だけ、だけ

 

私はどうやら眠ってしまったらしい

あたりを見回しても誰もいない

もう天頂に昇った日と氷雪で真白に浮かびあがった空間が瞼の向うでゆらゆらとあった

 

声をきいた、幻聴を聞いた

幻も宙に漂う音色には違いない

それは導師のような太初の父のような声だった

 

−ここはまだおまえのくるところではない。下にいって闘ってくるがよい−

 

私はそれが何を意味するか見当もつかず、血豆だらけの足とついに切れてしまった痔を連れて山を下っていった

 

 

 

キリマンジャロの登山口に来てみると公園管理事務所のゲートがあって、ガイドをつけないと入山できないといわれた。 なぜかその時は植村直己氏の記録より速く登頂したいと思い、事務所の係員と交渉したがはじめは許可を出してくれなかったので、数日間、ゲートの前でテントを張って粘っていた。荷物も最軽量が良いと思い、食べ物もクラッカーとチョコレートだけだった。

たしかな幻聴を聴いたのはその時が生まれて初めてだった。 酸素不足と疲労が原因で多分これが登山病の一種なのかなと思った。この数ヶ月は私の体の状態はあちらこちらに異常だった。 西アフリカのアビジャンでは、ちゃんとものが考えられない症状になっていた。まず考えたことを言葉にすることができなくなった。 そのうち考えを整理したりまとめたりすることができなくなり、例えば、私はこれからバスで市場に行きたい、と考えたりしても、脳では、私、行く、バナナ、水、高い、市場、ハエがうるさい、タクシーはない、電車はわからない、バス、やっぱり歩いていけないかな、頭がボーとしている、俺、大丈夫かな? のようにしか頭が回らず、五感から入ってくることが次々と頭の中に入ってきてそれをまとめることができず、その音や香りや視覚や触覚が自由に脳内で動き回るのだ。 ああ、ずっとこれからはこんな頭で生きていくんだろうな、と諦めたのを覚えている。 ナイロビでは石の入った米をたべて、奥歯少し欠けてしまい、歯医者に行ったらヤットコで無理やり引っこ抜かれ、血が止まらなくなったが、歯医者が美人だったので、まあいいかと変な納得をした。 タンザニアに入ってからはマラリヤにやられ定期的に悪寒と関節痛に襲われ驚いた。 モシでは同じインド映画を一日ずっと見ていたこともあった。

いつの間にかアフリカの生活が始まっていた。