ユートピアを使えば他人を踏みにじれる

 

ユートピアの発明    語句 古今東西 時空間

ユートピアを実現できると思ってしまった訳   知識人の陥った病い  聖書の書き換え ベター足るを知る

ユートピアから世界を見る人たち    基準から手段を合理的に考える人 マルクス 国連の世界人権の宣言

現実とユートピア批判         ガリバー旅行記

ユートピアで儲ける人たち

ユートピアと虐殺

 

苦しい時に人はユートピアを求めてきた。

不条理な世界、不平等な世界、不合理な世界、恵まれない世界、悲惨な世界、

そんな中で、確かにユートピアは希望の光となって私たちを照らしてくれた。

今日を生きる力を与えてくれた。

明日に向かって歩いて行けた。

しかしいつまでもユートピアに頼っているわけにはいかない。

ユートピアも科学や意識と同じように両刃の剣である。

 

頭の中で作られたユートピア

ユートピアutopiaとは現実には存在しない理想郷のこと。ギリシア語を手がかりとして〈どこにもない ou 場所topos〉と〈良い eu 場所 topos〉とを結びつけたトーマス・モアが造り出した語句。

しかし急に16世紀になってできた考えではない。

プラトンは著書「国家」Πολιτεία、ポリテイア、英: The Republic)で、哲人支配者によって厳格に統治される国家を理想とした。これも一種のユートピアだ。

また中国における桃源境や日本における常世国(とこよのくに)のような〈いま〉〈ここ〉にない世界に対する想像の場はあった。前者は地上の山間部にある田園的色彩をおびた平和郷で、後者は古代日本で海の彼方にあるとされた楽土である。欧米にも知られた例としてはシャンバラShambhala伝説(チベットの奥地に存在するといわれる仏教徒のユートピアで7世紀頃からチベットの仏教文献にその名が現れる)がある。

 

ユートピアの時間   過去・現在・未来

ユートピアをどのようにしてヒトは利用してきたのか?

いつ(過去、現在、未来)ユートピアがあるかによって、利用法は様々である。

過去にあった理想郷は

農村的なものとして、アルカディア的自然(田園、原野、森林)の中で、人間と環境との良好な関係を理想とする比較的小規模な集落が想定された。昔にあったろうユートピアを想像することを、時間的過去の回復を未来の空間で再現しようとして人を欺く運動に利用することは多い。例えば、マルクスの原始共産制や、エデンの園がこの地球歴史上に実際に形としてあった(形のない世界ではなく)とする宗教団体は原初(過去)に「ユートピア」を設定することで現状を変えることを他者に強要する根拠の一つにできる。 

現在にある謎の場所のユートピアとしては

空間的遠隔地なので行くことはできないが実在するものとされた。現在は人工衛星とグーグル・アースの影響ででそんな場所はないように感じてしまうが。

意外に思うかもしれないが「ロビンソン・クルーソー漂流記」も18世紀におけるユートピアの世界を作るための教科書となった。

主人公は綿密な計画をたてて、それに従って合理的に行動する。そしてまた、将来を合理的に予測しながら「今」を行動しようとする。経済的余剰の最大化を目指し、再生産の規模をますます大きくしていこうとするので、合理的思考の経営者として手本にされた。ルソーもそんな一人だ。

「すばらしい本とはどんな本なのか。アリストテレスか、プリニウスか、ビュフォンか。いや、ロビンソン・クルーソーだ。 中略  偏見にうちかち、事物のほんとうの関連にもとづいて判断を整理するもっとも確実な方法は、孤立した人間の地位に自分をおいて考えてみること、そして、なにごとにおいても、そういう人間が自己の利害を考えて自分で判断をくだすように判断することだ。」(ルソー『エミール』上巻、pp.324-6

 

未来の理想郷は

二つのパターンがある。

一つは未来都市で、高度な科学技術と組織化された人間社会が精緻に組みたてた秩序ある世界、 

もう一つは農村の素朴なコミューン型のユートピアだ。

この二つはお互いの存在によって、各自の結束力が弱まるので、相手を拒否する。実はこの二つには共通点が多いので反発し合ってしまうのだけど。

 

 

ユートピアを実現できると思ってしまった訳   知識人の陥った病い  聖書の書き換え ベター足るを知る

なぜユートピアを必要としたのか?

ユートピアがないと「今」を生きることがやっていけない人たちがいたからだ。

ユートピアがあることで生きていけると思ったり、それを実現することでこの世に生きる意味を見出したり、それを実現させることで自分の目的が達せたり、あると思わせることで儲けたり、あると思わせることで自分の居場所を見つけることができる者たちが大勢いたからだ。そして彼らの言葉を従順に聞き信じてしまう者たちがいたからだ。また彼らの子供たちは幼年期から教育(洗脳)されて、ユートピアは実現されるものだと何の疑いもなく育ってしまった者たちだ。

共通点はなんだろう?

大脳皮質を使ってのイメージ作成、囲まれた世界の中でのイメージ作成、現実体験のないことからくる想像力の不足。

ありえないことなのだから経験ができないのは仕方がないが、もしユートピアが完成すればどんな世界になるのか想像することはでき、結果的にどんな不都合と不便さと苦痛と苦悩があるのかを考えることはできる。しかしユートピアを実現しようとする人はそんなことは考えない。とんでもない理想郷があるので、それを目指せばいいと優秀に誠実に一生懸命に目標に向かっていってしまう。

これもまたもや大脳皮質の中で行われる合理性思考によって作り上げた理性を信念とする「理念」の産物です。

この「理念」を使っているうちはいいけれど、これに取り憑かれてしまって、「理念」を基準にしてこの世を見ようとするともうだめです。幽霊や悪霊に取り憑かれれるよりもタチが悪い。カッコ悪いです。お祓いをしてもダメですし、それ以前に自らが取り払おうとしませんから。

理念に取り憑かれた知識人たちは、脳幹や大脳辺縁系の働きを考慮に入れなかったり過小評価して、なんでも大脳皮質で判断できると勘違いしてしまっています。判断は無意識の領域でなされるもので、その判断を自分のためにより良いものにするためには、体の修練や無意識の操作法までも体験する必要があることには、目をつぶってしまうのは何故でしょうか?

書かれた人間の歴史もユートピアを援護します。理由は歴史は書いて欲しい人(組織)がいて、書くことによって生活が保障される人がいて、部屋の中で書かれ、書き人の自意識のラショナリティ(理性)によって文章が書かれているからです。

宗教について語る時、多くの場合は教組の語ったことではなく、団体や宗派や組織にとって都合の良い解釈に置き換わっていることにスポットライトを当てるのが大切です。ユートピアに関わるところでキリスト教会(イエスの教えではなく)の編纂した聖書で例を言うと、ギリシャ語で「神の宮殿」と書いてあるところを、ラテン語や英語や日本語では「神の国」と書き換えてしまうところです。

具体例

 「時は満てり。神の国は近づけり、汝ら悔い改めて福音を信ぜよ。」(マルコ1章15節)

 The time is fulfilled, and the kingdom of God is at hand: repent ye, and believe the gospel.

  kai legwn oti peplhrwtai o kairoV kai hggiken h basileia tou qeou metanoeite kai pisteuete en tw euaggeliw   
このイエスの最初の説教をどう解釈したのか?ということが大切な問題になっている。

 

ポイントはこのbasileia Basileiaとはどのような意味なのか?ということだ。  

紀元前のギリシャでは王の宮殿を意味していると解釈されている。 

Basileia (an Ancient Greek word meaning royal palace) may refer to:

The royal palace, or citadel, of Atlantis, as described by the Greek philosopher Plato in the Critias

The Kingdom of God (basileia tou theou), or Kingdom of Heaven, in Christian theology

Basileia Romaion, the Greek name for the Byzantine Empire, translated as 'Empire of the Romans'

A feminine form for Basileus

関連語 basilica バシリカ:古代ローマで,裁判や公の集会に用いた大建造物.

語源 ギリシャ語stoDbasilikI(王のポーチのある家)

 

ところが、16世紀の英訳ではこれがkingdomになる。A political or territorial unit ruled by a sovereignのことで、統治者による人たちと土地のことだ。日本語には王国と訳された。

古代ギリシャ語でTPOによって変化するBasileiaの用例を知っている方は、ぜひ教えてください。

王国と宮殿の違いは、この人類史を変えるほど大きな問題になった。正確に言うと、先にこの地球上にピューリタンの国を作りたいという動機があって、それが叶うように聖書を意図して誤訳した。翻訳にはいつも恐ろしい捏造がつきまとう。

ピューリタンたちの殺戮したイギリス国王、アメリカン・インディアン、アジア人、は数千万人の屍となった。

なぜピューリタンはそこまでして彼らの同胞の外にいる者たちを殺してしまうのだろうか?

ここでもユートピアが大きな問題となる。

 

basileiaグーグルの翻訳ではreign 支配となり、英語の辞書では  具体例

basileia: kingdom, sovereignty, royal powerと王国、支配、王権となる

 

最後にこの「神の国」が実際にあるものではないことをイエス自身が言っている箇所の聖書を付け足しておく。

 

ルカによる福音書1720

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

eperwthqeiV de upo twn farisaiwn pote ercetai h basileia tou qeou apekriqh autoiV kai eipen ouk ercetai h basileia tou qeou meta parathrhsewV

Latin Vulgateでは

17:20 interrogatus autem a Pharisaeis quando venit regnum Dei respondit eis et dixit non venit regnum Dei cum observatione

King James Versionでは

17:20 And when he was demanded of the Pharisees, when the kingdom of God should come, he answered them and said, The kingdom of God cometh not with observation:

参照 一般的なキリスト教会の論理と解釈  もしくは言い訳

ギリシャ語では、「国」ということは、バシレイアであり、これはバシレウス(王)という言葉から作られていることからわかるように、「(王の)支配」といった意味なのである。そこから、その支配が及ぶ領域という意味も持つようになった。「ヘー・バシレイア」( βασιλεία)、英語では「ユア・キングダム」(Your kingdom)という言葉です。「バシレイア」、「キングダム」は「王国・統治・支配」という意味です。つまり、聖書の言う「御国」というのは「神が支配する王国」のことです。

 

ベター Vs 足るを知る

理性には次々と改良を重ねることによって、進化を続けベターの状態を達成できると思う力がある。確かにこの理性の力が進化させてきた領域がある。試行錯誤で結果の出る世界だ。例えばヘーゲルの弁証法のように。確かにエンジニアや物質の世界では改善と改良を果てしなく続けることはできる。この分野に限っては、この世は進化していくと思うことができる。

すると、この価値観の世界の中だけにいると、いつかはユートピアの世界がこの地球上に造ることができると思ってしまうのも当然である。

しかしなんでもこの理性で解決できるわけではない。この世は理性だけではなく、感性、智性、(霊性)の視点でもこの世界を理解することもできるからである。わかりやすく一言で言うとモノではない「いのち」は理性ではその一面しか理解できないためである。

 

ユートピアから世界を見る人たち   基準から手段を合理的に考える人 マルクス 国連の世界人権の宣言

目の前にあることを基準にして物事を考えていく人類史がある。そしてまた空想する世界を基準にして物事を考える人たちがいる。どちらも経験と言い分があり正しい。だが一つの視点に固執して、そこからしか社会を見なくなり、未来の設計図を作ると上手くいかないことを人類史は経験してきた。二つの相反する力を同時に実行できる能力を学ぶまでは、常にどちらかのやり方でこの世と接するしかない。

ユートピア派とは、まずは頭の中(大脳皮質)で現実にはない世界を創造する。そして次に、そのユートピア(過去・現在・未来)が存在することを前提にして、今の自分や未来の社会を見る。最後にその頭の中で創造した世界を形(現実化・具象化)にするために、最も効率よく合理的な方法を模索してこの世で実行する。

人類史上、エデンの園をはじめユートピアから世界を見る人たちは大勢いたが、この見解を歴史の真ん中に持ってきて政府の運営の一体化させて人類史の中で実現させたのは、フランス革命ではないか?このユートピアの地点から政治を運営するというパターンはいろいろな形で実行されてきた。その一つは共産主義であり、社会主義であり、民主主義だ。

民主主義はユートピア思想と関係がないと思われている人もいると思うが、語源のデモクラシーが「人民による支配」であるということは、この人民に善悪の両極端が含まれることは当然なのに、いつの間にかデモクラシーとい言えば良いことであり、理想的なこと(ユートピア)だと勘違いし続けている人がいる。王権政治の歴史の中では意味のある可能性であったが、人民の中に貴族階級とも言える先進国とその中の富裕層ができた今では、民主主義というユートピアの実態は、外から見るとこんなもんでしかない。

民主主義がユートピアであるかと勘違いされる一つの表現としての慣用句がある。

The government (which is) of the people (and is) by the people (and is) for the people

「人民の、人民による、人民のための政府」

これも人民というのが誰を指すのかによって、みんな(全体)にとって良いものなのか、それとも酷いものかは変化する。

一般的にこのフレーズが使われるのは、夢の視点から理想としての政府が語られている点で、ユートピアからの視点だ。

これは「奴隷解放の父」と呼ばれているリンカーンの言葉だが、インディアン民族に対しては弁護士時代から大統領時代にかけて、終始徹底排除の方針を採り続け、虐殺を指揮している。

黒人奴隷の解放令を出したリンカーンは、同じ日にインディアン民族の皆殺しを命令した。

1862年にはミネソタ州の狩猟民族ダコタ・スー族が政府が約束を守らないことから暴動をおこした。これに対し、リンカーン大統領はジョン・ポープに暴動鎮圧を命じた。

ジョン・ポープの声明。 「私の目的は、スー族をすべて皆殺しにすることだ。彼らは条約だとか妥協を結ぶべき人間としてなどでは決してなく、狂人、あるいは野獣として扱われることになるだろう。」

THE INDIANS』(Capps,Benjamin,TIMELIFE,1976

リンカーンはミネソタのダコタ族との連邦条約を破棄し、ミネソタ州にある彼らの保留地を強制没収し、彼らをノースダコタ等の他のスー族の保留地に強制連行させた。ミネソタにそれでも残っていたダコタ族に対しては、州を挙げての皆殺し政策が行われ、女子供を問わず賞金首とし、徹底絶滅が図られた。

これも民主主義がユートピアのひとつの形態でしかないという、この世の顕われ方の一つある。だからといって直ちに民主主義を否定するものではない。しょうがなく民主主義をやっているのなら理解できるが、両手を挙げて喜ぶようなものではないという距離感が必要だ。

リンカーンの民主主義では、インディアンは明らかにof the peopleの中に入っていない。By the peopleは実行権や選挙権のある人々だし、最後のfor the people は特権階級の人々だというのが実情だ。

現在の民主主義の実態は、インディアンの代わりに多くの民族たちが置き換わられているのは、毎朝に配信される新聞やインターネット・ニュースを見れば明らかだ。

 

社会主義や共産主義やマルクスや統一教会などの理論とユートピアの関係はとてもわかりやすい。始めにユートピアを設定することから始まるからだ。またそれを利用して権力を握る人たちの考え方も、その枠から外に出てみると明瞭だ。

レーニン、毛沢東などはまずは民衆にユートピアを提示して、そこに向かうためにどうすれば合理的であるか話し合っている。実利に聡い漢民族にもユートピアが有効であることは古代の歴史を紐解けばわかる。

 

最後は、まだあまり問題化されていない理性とユートピアと国連の関係だ。

1948年の国際連合の世界人権宣言を見てみよう。人権とは神権の対語として発明された語句である。

第一条

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

All human beings are born free and equal in dignity and rights. They are endowed by nature with reason and conscience, and should act towards one another in a spirit of brotherhood.

 

これのどこがユートピアからの視点だと言えるのだろう?ちゃんと当たり前の正しいことを言っているだけではないか、と思う人も多いと思う。

だが、この宣言に疑問を持つ人々は多かった。

実際にこの宣言に反対し、棄権や欠席をしたのがソ連、ウクライナ、白ロシア、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、サウジアラビア、南アフリカ)、欠席2(ホンジュラス、イエメン)あり、賛成したのは48カ国だけだった。(まだ独立国が少なったせいもあって)

 

反対した理由は様々であり、一つだけではない。

しかしユートピアの視点の違和感と怖さを知っている者は以下のように思うことがある。

「生まれながら自由にして、尊厳と権利において平等である」

不平等に苦しんでいる現実に目をつぶり、妄想に取り憑かれて、ありもしない生まれつきの権利があるかのように表記するのは、同じ人間としても見ている世界や感じている現実感があまりにも違いすぎるし、こんなことを前提とする者とは兄弟姉妹的感情が湧くわけがない。どうしてもこのように言いたいのならば、「すべきである」should be ぐらいにするのがいい。残念ながら現実はそうではないので達成はできないし、理念の実現へのショートカットは他者を踏みにじってしまうので、「急がば回れ」と、まずは人の痛みを共有することを目指すのが我々の務めである、ぐらいがいい。これでやっと、「原理」を脳内で勝手に妄想して狂信する集団から、自分たちだけの「理念」を他者に押しつけて踏みにじるワガママ集団に一段階だけではなるが成長して成熟できる。 

そして目の前の出来事に向き合い、ちゃんと生きて、脳内の勘違いを一つづつ試して、失敗して、修正していってください。すると「生まれてから死ぬまで不自由で、尊厳も権利も平等ではないが、各個が自分にふさわしい生き方を見つけるのを邪魔しない」ぐらいの標語ができるだろう。

産まれるとは具体的なことである、身体、環境、両親、時代、階級などすべてがセットのなのだ。頭の中の理念だけを勝手に語られても、こちらはそんな人たちは宇宙人みたいだと思ってビックして、口も心も自然と閉じてしまう。

この程度の理念の美学でみんながのっぺらぼうにされるのはたまったものではない。

これらのことをちゃんと向き合って深く考えて欲しい。これこそが普遍的で国際性のあることであるから。そしてもし人権があるというのならば、実はこの不公平こそが自然界の宝物で、これを共有して活かすのが智慧であり、公平なことではないだろうか?

理性と意識にスポットライトがあてて、大切な心情や身体はなおざりのままだ。相変わらず、西欧プロテスタント・キリスト教会と都会で暮らす自己愛で、こちら側で暮らしている人の気持ちのわからないエリートの思想だ。

これらの考え方はどれもが自分の頭の内側で作られたものを善だと決め付けて外部にそれを押し付けている。

はじめから人間の自由の権利が保証されているかのような考え方は人の分を弁(わきま)えぬ傲慢さに溢れている。

他者の配慮と自分の努力によって始めて為し得るものを、自分からの働きがけもせずに、ただ権利だけを要求する場合が多い。この他者と自己の努力なしで得た権利は権利を得ることがその本人の害となり、偽りの権利は後に崩れ落ちてしまい、こんなものを得たこと自体を悔やむ日が来るのでないだろうか?

 

イスラムから言えば、神の創造の業、

仏教徒から言えば法  dhárma、ダルマの普遍性、

無神論者から言えば、いのちの素晴らしさ

哲学者から言えば身体の声、

これらを体感して毎日ちゃんと生きて実践している者だけが言葉にすることができる「権利」である。

こんな大切なものが、はじめから全員に保証されているわけがない。

 

現実とユートピア批判

18世紀に J. スウィフトが《ガリバー旅行記》(1726)において,極大と極小と科学と貴族と動物の架空社会を描いたときに,理想国家の冷厳な現実が間接的にとりあげた。S. バトラー《エレホン》(1872)もまた,一見理想的にみえる社会のうちに逆説的な暗黒面を見いだし,結果として未来の予測可能性を疑わしめることになった。

J. ロンドン《鉄のかかと》(1907)E. I. ザミャーチン《われら》(1924)A. L. ハクスリー《すばらしい新世界》(1932)G. オーウェル《1984年》(1949)どれもがそうだ。理想国家として建設されたはずのユートピアが、かえってその強大な支配力によって人間を不自由化するというモティーフにもとづいており、社会主義計画経済やケインズ主義政策などの定着の反面であらわになった矛盾に、反応した文学的表現だ。

反ユートピア論は,20世紀の終末に近い現代においては,社会と技術の発展が人間のコントロールの及ばないところにまでいたってしまう危惧が語られるとき,ますます説得力が増していく。

 

ユートピアで儲ける人たち

ユートピアを与えて儲ける人たちがいる。

叶えぬ夢や無理な計画や甘い言葉で人を惑わす。

人間のだらし無さや、いのちのはかなさや、悪の大切さを、考慮しないで良いことばかりを並べて「理想」を叩き売る。ありえない虚事を心地よく綺麗に並べて商売をしている。

ユートピアを買う人は、だれもが自分と向き合うのが嫌で逃げている人ばかり。

今の自分に言い知れぬ虚無を感じて、良いこと探しに夢中になりたがっている。

良いことをやっている間は不安を忘れることができるかのように、ユートピアに飛びつく。

それは単なる幻でしかないのに。

そしてその幻の分だけこの世が苦しくなるのに。

幻とは苦海に引き込むとんでもない道しるべなのに。

その先は切り立った絶壁しかないのに。

今日もその崖から次々と人が落ちていっているのに。

儲かるのはユートピアを掲げている人だけ。

そこは、はじめと終わりがつながっている場所

二元論を使って内側を善として、外側を非難する人たち

 

ユートピアは場所だけではなく、商売や、学問や、アートや、政治や、利権まで拡がっていった。

制度を作り続ける人たち

リベラル、革新、改革、と人の理性をくすぐる人たち

ニューエイジやカルトや宗教グループで現実とユートピアを結びつける人たち

環境問題を騒ぐ人 リサイクル パーマカルチャー バイオマス 

良いことをやっていると自分を信じ込ませて、今日も枠の外の人間を同情して見下す人たち。

 

ユートピアで人を殺す

民主主義や平等や自由などの夢を掲げ、それがない集団(共同体、地域、国、大陸)ならば殺しても良い。とする考え方が昔からずっとある。これが植民地時代から欧米のやり方だ。そしてアジアでも同じことをしている。

建前としては、まず始めに教育で未開人に理念を教えなければならない。

しかし教えても結果が出ないとなると、彼らは人間ではないとみなし、抹殺することをためらわなくなる。

南米を植民地にしていた時代の神父たちの書簡を覗いてみればいい。

16世紀から20世紀まで続けてきた欧州の植民地支配、そしていまだその土地を離さない英・仏。

16世紀から21世紀まで先住民を迫害し続けているアメリカ、今でも中近東をめちゃめちゃにしている。

 

ヨーロッパ中世の殺戮

ヨーロッパ中世においては,広義のユートピア待望の運動がとくに12世紀から14世紀にかけ,異端運動として激発した。社会的変動によって生存条件の急激な劣化をこうむった集団・階層や,異民族の侵入ないし疫病の流行におびえた人々によって支えられ,おびただしい終末の預言行為がなされたこれらの運動は,一般に千年王国運動の名で総称される。その精神は宗教改革さらにそれ以降も繰り返し分派活動の中に生き続けることになった。

 

近代の抹殺の数々

まずは、妄想して内側に「理念」を創る、そして次に知行合一とばかり、理念をこの世で実現させるために行動に移す。

そしてついにはこれらを受け入れない者たちを「外側」として抹殺するのがピューリタンからコミンテルンにつながる系譜だ。

革命、コミンテルン、粛清、ファシズム。

粛清ではロベスピエールは3万人、レーニンは50万人、

毛沢東は40万人、文化革命では1千万、被害者を含めると1億人におよんだ。

 

他人を抹殺するためには基準と理由が必要だ。

そこで必要としたのが二分法と権威づけ。まずは二つに分けて、上下、左右、優劣をつくって、良い方法をとるように教育する。

これらは現在でも平和な自由民主主義の中で実践されている「無意識の優生学」だ。優生学はファシズムと一緒にタンスの奥におしこんでもうこの世にはないかのように振舞っている。ところが昔から何も変わらず、なんでも優生学でモノを判断しているくせにこれに気がつかないふりをしているだけのことだ。そしてそのうちに欺瞞が爆発する。当然のことだ。そんな欺瞞が長続きしないのが自然の法則だから。欺瞞に限界があるのは仕方がない。優生学との付き合い方は、ダンスの奥に隠すことではなく、ちゃんと向き合ってその良さを認め、そして同時に優生学の限界を知って、それが有効な範囲の内では重宝するが、範囲の外では逆に劣生学の生かし方を学ぶだけだ。

コミンテルンは、域内平和 :Burgfrieden  Second International)という考え方を持ち出して、域外を戦争状態にさせることを戦略とした。ますます内と外の壁を厚くして、どちらも窒息死させてしまうのだ。

具体的には「大義」の現実化のためには「小義」を切り捨てるという判断と行動が、暴力革命主義となり、粛清を肯定する歴史を作ってきた。

 

原理主義者の国

「理性」の時代が、次の共同体である近代国家を生み出し続けます。

「理性」を利用する者が現れ、「理念」を武器にして、土地や所有物だけではなく、人そのものも奪い自分のものにしました。フランス革命です。

日本では廃藩置県です。アメリカでは先住民を殺し、オーストラリアではタスマニアの先住民を一人残らず抹殺しました。最近ではソ連崩壊の時に起こった現代のロシアやウクライナや文化革命の共産党幹部の有力者たちです。綺麗事を言って人のモノを奪っていきました。被害者の数は数億人です。桁がぶっ飛んでます。

この「理念」の博愛Fraternity(同胞愛)の意味とは、同胞でない者は粛清する、ということです。多くの犠牲者を出しました。まさか博愛が人の命を奪うものかと疑うのならば17世紀からの近代国家の国民が殺した人数をかぞえてみればわかります。それ以前の国と比べれば桁がいくつ違うか見ものです。

 

そしてこの近代国家は国内の粛清が終わると、次には国外の侵略を始めました。理念の名の下で。

書かれた文字を拠り所にして内なる理性の正義で、外の世界をなぎ倒していきました。原理主義者たちです。理念や原理原則を大切にして、その徹底をはかろうとする立場の人たちです。

ファンダメンタリストとはキリスト教の根本主義やイスラム原理主義者たちだけのことを言うのではありません。

イギリスやアメリカやフランスに代表される近代国家も理念を原理とする原理主義です。19世紀には地球全土が欧米の植民地になりました。正確に言うと風土病の激しかったエチオピア、イギリスとフランスの緩衝地域としてタイ、欧米から一番遠かった日本を除いては。中国は東北部と海岸部は植民地状態でした。

この内側だけを守り外を抹殺する原理主義が力を持ち、血縁や地域を大切にする共同体を殲滅し続けています。

 

現代ではこの西欧型理念主義と戦おうとしているのがイスラム国です。

シリアはフランスの植民地でした。イラクはイギリスの植民地でした。第一次大戦後に西欧ではうまくいっているかに見えるヴェストファーレン条約のやり方を中近東に押し付け、勝手にまっすぐな国境線を引いて近代国家にしました。政教の分離や自意識の教育など、理性から世界を見る方法を一挙に中近東の人たちに押し付け続けてきました。近代国家とは、部族や地域の繋がりを減らしながら、各自の自意識を発達させて国民になるように洗脳し、各国民が理念によってつながらなければ成り立たないシステムなのですが、こんなことを他の文化圏に西欧の成功例だと押し付けられても、それは西欧が外側の国を支配下に置くための罠でしかありません。好意的に見たとしても、他の文化圏の現場では通用しないやり方です。理念という普遍性は、現場という具体的なものには通用しないのです。そして、特に自然の厳しいところでは、普遍性や理性行動よりも、日々変化する自然と付き合うための特殊性と具体性と本能行動と情動行動にウエイトが多くなるのは当然のことです。都会にあるビルのオフィスや住宅の中にある管理された世界ではないのですから。

しかしイスラム国自身がこの西欧型理念主義に囚われてしまっています。戦いを始めたものは結局、自らの可能性を限定させてしまいます。ミイラ取りはミイラになってしまうのです。

 

ユートピアの正体

このあたりでユートピアの正体がいろいろわかってきたと思う。

ユートピアも言葉や概念と同じように、意識の働きによって生まれてきたものだ。意識の特徴は一つのものを分断して二つにして、これを続けることによって成り立つ世界の産物であるということだ。その力をラショナリティ(理性)と古代ローマは呼んだ。古代ギリシャのロゴスのことだ。

ここで理性とロゴスと科学と意識と二分法と機械と数学と大脳皮質と理念は一つの線でつながっている。

これらは意識が産みだした世界であり、自己の本質ではない。

ただの一部だ。

もっとはっきりと言うと意識は道具でしかない。

本末転倒してはいけない。

確かに、意識が分けることで「形のない力」が現実化して形になる。必要なことだ。

しかしこれだけにこだわっていると未来永劫に続く無限の作業をただ続けることでしかない。

「シーシュポスの岩(the stone of Sisyphus)」のように。

参照 シーシュポスは神々を二度までも欺いた罰として、タルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられた。あと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この果てしない苦行が永遠に繰り返される。

 

ユートピアは必要な時もあるが、こだわるものではない。形のあるこの世界ではユートピアがないことを理解して、ちゃんとこの世と向き合うことがユートピアの魔力に囚われない唯一の方法だ。

これができないと祖父の時代のナチスや、現代のイスラム国や、未来の新しい形のユートピアを産むことになる。

例えば未来の「ロボット科学中心の支配世界」のように。 

 

解決方法  異身同心          

生命の連続性

しかし悲しいかな、欧米近代国家の基本である「理念の原理主義」にアンチであっても、アンチである限り形は違っても同じ土俵の原理主義であることにはかわりがありません。「何か」に反対するということは、元の「何か」があってはじめて成り立つものなので、元の「何か」を越えることはできず、同じレベルのことでしかありません。

イギリスやフランスやアメリカの理性主義に対しての戦いに、イスラム国は反旗をひるがえしました。

アッラーの神の元に一つに戻る、という大義名分の旗です。これだけ聞けばイスラム国に義があるように思えます。だからこそ先進国の理性の原理主義に疑問を感じている者たちが今日でも多くこの戦いに身を投じています。

 

しかし、正しいことや義に惑わされてはいけません。正しいからといって自分たちの理屈を、歴史と風習と条件反射の違う相手に押し付けると、相手の全体性が分断されてしまい、ますます、相手は悲惨の状況になります。今まで欧米が中東やアジアやアフリカや南米でやってきたように。文明国が自然豊かな文明国の世界をかき乱してきたように。

「正しさ」の語源は征服の「征」です。(行人偏は歩くという意、正の一は囗で塀に囲まれている邑、止は足跡の形で行くの意味)これは、城邑に向かって人が進む形で、攻めて征服するという意味です。

個が二人の両親から生まれ、その両親もまた二人の両親から生まれたという連鎖に思いをやることが大切です。

10代さかのぼれば千人を超す血とつながっています。また自分の子供がまた他人と結婚して次々と拡がっていく連鎖の中にいることをもう一度おもいやることです。過去と未来の中に包まれていいることを再認識することです。

生命圏の連鎖から切り離されて孤立してしまった人間から、宇宙のはじまりからの連鎖している「伝統」の世界に回帰することです。自分より前があり、自分より後にも世界がずっとつながっている生命の連続性です。

 

順番が大切  理念の前にするべきこと

そして、ここで大切なのは順番です。素晴らしき理念を旗印に掲げるのは、人を騙したり鼓舞するには効果がありますが、これほど厄介なものはありません。その前にすることがあります。

 

それは17世紀に西欧が置いてきてしまった大きな正しさや理念ではなく、自分とは違う異端の立場に立つことです。部外者や異端者の条件反射まで理解し体感をして、同じ生命体が持つ体の喜びを共有することです。そうでなければオウム真理教のように、「一つ」に戻るという大義名分の下に他の命を抹殺してもかまわないという結末を迎えてしまいます。もし正しさを実行したいのならば、その前にしなければならないことがあるのです。これができた者だけが、正しさを語り実現することができるのです。このプロセスを踏まないものは偽者でしかありません。

また「絶対の正しさ」の旗を振りかざすものは、ピューリタンと同じ残虐性を併せ持ちます。この正義に知行合一、直接介入、神の国の思想が加わってしまうと、自分達の外側にいる者たちを踏みつけることに躊躇しないようになっていきます。

他人の間違った正しさをちゃんと大切にする者は、絶対の正義の旗は決してふりません。静かに胸の奥で抱きしめているだけです。

 

そんなに悲観的になることはありません。これを読んでくれているのならば、これだけの余裕があって、きっと今晩は食べるものも寝るところも心配がないのでしょう。こんな素晴らしい時空間なんて、そうそうあるものではありません。私たちは天からも恵まれていて、ちゃんと呼吸ができるほど幸せです。

これからは、異身同心、同じ痛みを感じるコンパッション、同じ苦しみを体感できるシンパシー、考え方が違っても相手の立場に立って行動することができる知性が、まずは必要です。

 

順番の階段を踏まないと、現実は生命にとって難しくなるだけです。

目の前に大義があるからといって、単純に飛びつこうとしても、奈落の底に落ちるだけです。

目の前にあるのに触れられないと、悔しく感じるでしょう、怒りもこみ上げ、時にあせりと不安から眠れない夜もあるでしょう。

それでも理念の正しさの前で踵を返し、理念中心の世界に背を向けて、一見では細いけれども確かで大きな道をゆったりと歩いいくのもいいものです。 

それは自分の一代では届かぬ道です。

でも血はつながっていなくても次の世代につながる道です。

それは結果のない道です。

でも歩いていることだけで楽しくなる道です。

 

そう、一緒に呑んで、食べて、踊りましょう。

まずは心の中にいる友人たちと祭りだ、祭りじゃー!!!

 

そうしたらきっと良いことがいっぱい起こってきますよ。

 

 

ユートピアは大脳から生まれる

自由・平等・平和は自然界にはない。

だが人間界にはある。

何故か?

実験室の中にあるアートだから。

偽物だから。

たしかに盆栽や金魚鉢は美しい。

だが、そのアートのためにどれだけのコストと労力と嘘が必要なのか?

その実験室のメンテナンスにどれだけの人間と動物と植物と自然を傷つけなければならないのか?

 

ユートピアとは風土病なのか?

大都市の近くの新興住宅地で生まれる考え方なのか?

それともお洒落な路線から外れた人間たちのパワーなのか?

彼らたちも日本人である

彼らの共通点を探してみる  

中心地の風上に住んでいる。  北半球の編成風の吹くところでは西側。

海に近い平野  豊かさ 街 文明の中心に対する憧憬と嫉妬 

 

(逆に風下の特徴は? 手に職、下町文化、五感に素直、欲望を承認)

 

主知主義や理性中心主義に侵されて、脳が体を食べてしまう人間の特徴なのか?

左翼と呼ばれる人たち、

反日(反国家)という皮膚感覚と歴史観

 

親との関係が問題がある人たちだからなのか?

現状がよいならば新しいことを試すよりもこのままの保守で十分ではないのか?

問題があるから革新が必要なのではないか?

もし親子関係に問題があるのならばそれはどうしてなのか?

親を一切否定する子、親と同体化している子

命よりも大切なものなんかあるのだろうか?

そしてまた自殺するのはなぜなのか?

自分がその他のモノと関係があると思えるかどうか

自分の居場所が全体の中にあるのかどうか

 

私の場合は、欠けているものがあった分だけこれからの病に対する処方箋を世間に知らせることができると妄想できている。これが大きな力となっている。

厳しい自然の中で生きること、そのことに関連する生き方、アート、悲しさ、サガ。

大脳皮質は利用するもので、利用されるものではない

大脳は単なる道具であって、主人ではない。

主人は自分の体、

極端に言うと小腸とそこで暮らす微生物たち。

 

大脳が優位になる時空

大脳皮質が大脳辺縁系や脳幹よりも優先順位が先に来る時空がある。

人口密度でみると10000/km2以上の都市で守られている環境で育つか、もしくは田舎に生まれ育ったが人口密度が増大する環境に移動して青年期を過ごした者は大脳皮質を優先して判断する傾向が強い。理由はこのようなライフスタイルでは、体や心の判断よりも頭の判断によって行動することが利益が多かったという成功体験を積み重ねたからである。

 

都会で叫ぶ平和主義者

この世を楽園にしようとする人たちへ

この世を平和で博愛で平等な世の中にしようとしている者は、自分の枠の外(想定外の領域)を考えたり体験したりしないから、頭の中にあるだけのユートピアを信じることができる。

「いのち」に必要な食料・水・空気・エネルギーを枠の外から取ってくる。

枠の外から利益を搾取して貪ってはじめて成り立っているのが自分の枠だ。

夢の中、本の中、伝説の中、アニメの中にある楽園、そしてもしかしたら遠い記憶の中での「村」

でも今いるのは、人の力で自然をねじ伏せた人工の街。

そこで「楽園」を叫ぶと、「いのち」が指の隙間から逃げていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考資料

ユートピア   utopia

現実には存在しない,理想的な世界をいい,理想郷,無可有郷(むかうのさと)などと訳される。ギリシア語を手がかりとして〈どこにもない ou 場所topos〉と〈良い eu 場所 topos〉とを結びつけたT. モアの造語。ユートピアの観念は,人間の自然な感情として普遍的にいだかれうるものであるが,同時に特定の内実をもった思想的表明,もしくは運動をもうみだす。

[ユートピアの系譜]  ヨーロッパでは古代以来,ユートピア思想と運動の伝統が形成されている。最古のものは,プラトンの対話編《国家》にあらわれる。プラトンはここで,哲人支配者によって厳格に統治される国家を描き,現実のアテナイを暗に批判するとともに,人間と政治の本質が理想的に発現される形式を記述した。この《国家》はおなじプラトンが《ティマイオス》《クリティアス》の両対話編で描いた,往古の理想社会アトランティス(アトランティス伝説)の記述とあいまって,後世の思想家たちに決定的な影響を与えた。また,プラトンがある程度関連を求めたとおもわれる当時のスパルタが,後1世紀にギリシア人著作家プルタルコスによって理想化され,〈立法者リュクルゴスの政体〉として頻繁に論じられた。

 ヘブライズムは,これに対して明確な形ではユートピアを提供してはいない。しかし,旧約聖書の《創世記》にあらわれるエデンの楽園は,たんに失われた原罪以前の理想境を回顧しているばかりではなく,新約聖書にあらわれるような,終末におけるイエスの再臨とともに出現すべき新しいエルサレムの原型をもなしている。エデンは田園的,エルサレムは都市的楽園であるが,摂理によって支配される現世の全時代の両極外に,このようなユートピアの情景を導入したことは,後世への大きな遺産というべきである。ヨーロッパ中世は,明確な輪郭をもったものとしてはとりあげるべきユートピア像をもたなかったが,あえて例を挙げるとすれば,伝説上のキリスト教国プレスター・ジョンの国(プレスター・ジョン伝説)であろう。これは閉鎖された中世キリスト教世界が東方に想像した理想国であり,聖書にさかのぼる楽園思想を基調としている。ただし,ヨーロッパ中世においては,広義のユートピア待望の運動がとくに12世紀から14世紀にかけ,異端運動として激発した。社会的変動によって生存条件の急激な劣化をこうむった集団・階層や,異民族の侵入ないし疫病の流行におびえた人々によって支えられ,おびただしい終末の預言行為がなされたこれらの運動は,一般に千年王国運動の名で総称される。その精神は宗教改革さらにそれ以降も繰り返し分派活動の中に生き続けることになった。

 〈ユートピア〉の語をつくった T. モアの《ユートピア》(1516)は,古典古代文化とキリスト教を前提とはしつつも,時代の多様な刺激に対応するものであった。とりわけ中世末以来の政治的混迷に対しては,良好に統治された争闘なき国家を対置した。これに加えて,コロンブスの新大陸到達に始まった海の彼方の世界への期待と驚異が,直接的なかたちで投影されている。モアの〈ユートピア〉は,新世界に属する海洋中の島であり,腐朽した現実世界から隔絶されている。その住人は,穏当な理性に従い,社会的な平等のもとで,原初的な自由を享受している。人文主義や宗教改革など16世紀の精神と響和して,《ユートピア》は人間主義と原初志向とをうたいあげ,あわせて現実批判の鋭利な手段ともなりえたのである。同世紀にはほかに A. F. ドーニ《世界》(1552)F. パトリーツィ《至福の都》(1553)など,新世界情報をも盛りこんだユートピアが描かれた。17世紀初頭には著名な2例があらわれる。T. カンパネラ《太陽の都》(1623)F. ベーコン《ニュー・アトランティス》(1627)である。この両作品は,モアの《ユートピア》と同じく海を隔てた陸地もしくは島に場をさだめ,住民の明察とともに,素朴な自然性をも称揚している。プラトン以来の伝統に従って,哲人政治と財産共有のもとで,住民はおのずからなる調和のもとに生きている。しかし他方で,あらたに開発される科学と技術が人間社会に有効に利用されるさまを描き,進歩への信頼が表明されている点も軽視しえない。

 17世紀のユートピア論には,外見上,二つの対立する形式がある。第1はカンパネラ,ベーコンに引き続いて,科学上の技術や社会制度の改変によって達成しうるユートピアを描くものである。その場は特定されるにしても,原理上は普遍的に適用されうるものであり,17世紀の知的環境に適合している。知識の獲得,人知の向上はユートピアの必須条件とされているかのようだ。J. ハリントン《オシアナ共和国》(1656),シラノ・ド・ベルジュラック《別世界または月世界諸国諸帝国》(1657)G.de フォアニ《南の未知の国》(1676)などの例をあげられるが,いずれも構想の奇抜さにもかかわらず,内容的にはひじょうに現実的である。

 これにたいして第2の形式は,キリスト教的色彩の強いものである。カンパネラのものも,彼がカトリックを受けいれたのちの作品であるため,カトリックの秘教的性格を加えているが,キリスト教倫理と摂理とが前面に掲げられたユートピア論はほかにもあらわれる。J. V. アンドレーエ《クリスティアノポリス(キリスト教都市)(1619)S. ゴット《新エルサレム》(1648)が代表例。最も秘教的・セクト的傾向が明らかなのは,ピューリタン革命期のディガーズの指導者 G. ウィンスタンリーによる《自由の法》(1652)であり,強い求道的イメージで貫かれている。実際,16世紀の宗教改革以降,ことに改革派のなかには,強度な抑圧に抗して宗派共同体を建設し,ここに純粋な理想社会を実現しようとするユートピア運動が頻発した。共有財産,家族の解体から,さらに進んで未開荒地に新たに開墾農場を設け,自給自足して周辺社会から隔絶しようとするものもあった。再洗礼派諸派にこの例が多く,理想社会に依拠して世界終末を期待するものであった。旧ワルド派,フッター派,メノー派は,スイス山中や北アメリカの原野に集住地をもち,またクエーカー,バプティストなどもユートピア集団を構想した。中世末から1718世紀にかけて,異端派,少数派がユートピア運動にむかうケースが多いのは,正統派,多数派の組織的緊密化(非寛容化)と現実密着化傾向に敏感に対応したものと考えることができる。

 進歩と啓蒙の18世紀においては,一般に自由で計画的なユートピアが語られ,総じて未来への楽観的信頼が顕著である。モレリー《自然の法典》(1755),コンドルセ《人間精神進歩の歴史的素描》(1795)などは,厳密にはユートピア論とはいいがたいものの,理想社会の接近を読者に印象づけた。L. S. メルシエ《2440年,別名こよなき夢》(1770)はこの世紀の代表例である。同時代の啓蒙専制国家を母体とした,多数の上からの国家改造計画にもその傾向があらわれている。

 19世紀のユートピア論は,おおむね四つの系統に分かれる。第118世紀をうけつぎ,産業革命と近代科学の高揚によって現実化された科学技術文明のユートピアである。最も楽観的なものは,世紀の後半に続出し,技術と社会機構の発展によって現在の延長上に構想され,貧困,過重労働,凶作,不況から免れた豊かな社会が近い未来に描かれた。E. ベラミー《顧みれば》(1888)T.ヘルツカ《自由の地》(1890)は,ことにアメリカで熱狂をもってむかえられた。

 第2は,ロマン主義の影響のもとに成立したものであり,第1とは逆に高度な技術文明を嫌悪し,前産業化社会を背景として調和と協働,自然への回帰と人間性の回復を基調とする理想社会をもとめた。ブルワー・リットン《未来の人種》(1871)W. モリス《ユートピア便り》(1890)などが典型例で,これらは社会運動としてはギルド社会主義にも結びつき,近代社会批判として強い影響力をもった。

 第3は,党派的なユートピアであるが,かつて宗教的運動の中で主張されたような孤絶したユートピア構想とは異なった,新しい開放性をもっている。党派のユートピアは,理論上の要請であるとともに行動のプランでもあるが,19世紀については,とりわけイギリスの R. オーエンとフランスのサン・シモン,C. フーリエらの初期社会主義運動が注目される。オーエンは,協同組合を主体とする共産的村落を構想し,1825年からアメリカに〈ニューハーモニー New Harmony〉を建設して,この理想を現実に移そうと試みた。他方フランスの初期社会主義者にあっては,サン・シモンが経済主義の優位と新たな人類愛を説く〈新キリスト教〉をとなえた。⊇. カベはユートピア論《イカリア旅行記》(1840)を著すとともに,アメリカに〈ノーボーNauvoo〉と呼ばれる理想郷を建設すべく運動を興した。こののち《四運動の理論》(1808)などでさらに幻想的な世界調和の哲学を創案したフーリエは〈ファランステール phalanstre〉なる共同体住居の設置によるユートピア社会実現のなかに人類の理想達成の夢を託した。これらは一面では技術と産業の発達の成果にもとづきつつも,精神的な共同志向をもち,教育による小規模な協同社会の創出を必須とみなしている。

 第4に,文学的表現としての諧謔(かいぎやく)のユートピアがある。すでに18世紀に J. スウィフトが《ガリバー旅行記》(1726)において,極大と極小の架空社会を描いたときに,理想国家の冷厳な現実が間接的にとりあげられていた。S. バトラー《エレホン》(1872)もまた,一見理想的にみえる社会のうちに逆説的な暗黒面を見いだし,結果として未来の予測可能性を疑わしめることになった。

 19世紀から20世紀にかけて,新たな都市計画運動が起こり,ユートピアの理想が社会計画のうちに投影されるようになった。だが,顧みると,すでにレオナルド・ダ・ビンチをはじめとする1516世紀のルネサンスの芸術家,建築家のうちには,理想都市の設計から,一部は着手にまでおよんだ者がいる。イタリアの新設都市には,幾何学的な空間構成をたもったものが現存している。このような社会の計画化は,18世紀の啓蒙思想のなかで〈計画のユートピア〉として,大々的にとりあげられた。啓蒙専制国家が経済的な振興をかけて,国家や社会の改造プランを理念的に提出したものである。19世紀末にイギリスで〈田園都市〉論を提唱(1898)した E. ハワードは,これらのユートピアの都市(社会)論の系譜上にあるが,彼は大都市の行詰りに対応して,調和に理想を求めたのである。この構想は現実に移されたばかりか,各国の都市計画者に刺激を与え,20世紀に大きな遺産を残すことになった。

 20世紀に新たに加わったユートピア思考のひとつは,SF 化されたユートピアの夢想である。宇宙や極地や海底の開発を通して,空想的な予言が真実味をおびるようになり,極端に発展した機械文明が,人間の物理的限界をこえて浮遊しうるような超越的ユートピア像が提出された。その一例が H. G. ウェルズのユートピア《モダン・ユートピア》(1905)でこの作品は冷静な社会分析をふくみつつも SF 世界を開示して多数の読者を獲得した。

 第2には,反ユートピア(ディストピア)論の登場である。J. ロンドン《鉄のかかと》(1907)E. I. ザミャーチン《われら》(1924)A. L. ハクスリー《すばらしい新世界》(1932)G. オーウェル《1984年》(1949)などの代表例が挙げられる。これらは,理想国家として建設されたはずのユートピアが,かえってその強大な支配力によって人間を不自由化する,というモティーフにもとづいており,社会主義計画経済やケインズ主義政策などの定着の反面であらわになった矛盾に,敏感に反応した文学的表現といえる。反ユートピア論は,20世紀の終末に近い現代においては,社会と技術の発展が人間のコントロールの及ばないところにまでいたってしまう危惧が語られるとき,ますます説得力を加えてゆくようにみえる。

[ユートピアの諸類型]  以上のように,ユートピア思想は,歴史的にみて,それぞれの時代の社会のあり方と,それにかかわる一般的な思想動向と密接に関連している。〈どこにもない場所〉をもとめながらも,その主張は現にある場所と強い緊張関係を保っていることを認識すべきである。それゆえに,ユートピア論は思想史研究の重要な分野とみなされてきた。しかし,ユートピア論を歴史的文脈に内在させてあつかうのみならず,歴史通貫的な類型論にもとづいて,これを分析することも可能である。その類型論としては,たとえばつぎのような対比軸を設定することができる。

 第1にはユートピアが時間の中で構想されるか,空間の中で構想されるか,という対比である。ユートピアは,いま nunc とここ hic の存在に対する異議の表明であって,その具体像は,時間的過去の回復としてか,もしくは空間的遠隔地での実在として描写される。アトランティスとモアのユートピアとは,その内実においては似ていながらも,発想の相違は明白である。第2にはユートピアは一般的に,都市的背景のもとか,もしくは農村的背景のもとかで描かれる。都市的なものは,人間社会の組織と秩序がきわめて巧妙かつ精緻に組みたてられたものを構想し,ある種の都市計画ユートピアにみるように,技術力の高い評価にむすびついている。他方,農村的なものは,アルカディア的自然のなかでの,人間と環境との良好な関係を理想としてかかげ,田園,原野,森林にかこまれた,比較的小規模な集落が想定される。都市と農村という対比軸は,文明(洗練)と未開(素朴)としても表されるが,いずれもユートピアの志向性の両極を占めている。第3に,ユートピア社会は,秩序の維持をその構成員の統制によるか,自発によるかという対比を含んでいる。前者では,スパルタのリュクルゴスの国制のように,強力な政治指導をかかげ,その統制のもとに秩序が抵抗をうけずに定着する。後者では,19世紀のコミューン型ユートピアにみられるように,財の共有などを通して,共同社会は自発性にもとづいて形成される。この対比は,いわゆる性悪説と性善説という二つの世界観照とも対応する。つまり,秩序は人間集団に外在して作為的に働くのか,内在しておのずから自己調和的に働くのか,という見解の相違にも一致する。そのほか,ユートピアの実現過程について,千年王国的な飛躍を前提とするか,あるいは漸進的な進歩の結果とするか,というような対比もあげられよう。以上は例としてのかぎりであり,今後研究の進展とともに,さまざまな類型論が提出されてゆくことであろう。

 なお,これまで取りあげたものは,ヨーロッパ思想圏に属するものだけであるが,非ヨーロッパ世界におけるユートピアについては,知られているところは多くはない。それはたんに研究の遅れに由来するのか,それともユートピア思想が本質的にヨーロッパ思想に特有なものなのかは目下のところ決しがたい。しかし,少なくとも,中国における桃源境や日本における常世国(とこよのくに)のような〈いま〉〈ここ〉にない世界に対する想像力の開花の事例は存在する。前者は地上の山間部にある田園的色彩をおびた平和郷であり,後者は古代日本で海の彼方に想定された楽土である。欧米にも知られた例としてはシャンバラ伝説がある。これらが,いかなる思想史上の文脈から発案されたか,どのような思想類型を構成しているかが検討されなければならないであろう。                  樺山 紘一

 

モア  Thomas More  14771535

イギリスの人文主義者,政治家。ロンドンの法律家の子として生まれ,国王の側近であったカンタベリー大司教ジョン・モートン家に小姓として生活するあいだに,カトリックの正統的教義の基本を習い,また訪問客を通じて政治の世界に眼を開かれた。オックスフォードに進学してルネサンス人文主義の新学問に触れたが,父の意志により中退してロンドンのリンカン法学院に移る。この時期にカルトゥジア会での修道生活も経験し,聖俗いずれの道に進むか悩むが,結局は弁護士の道を選び,エラスムスや J. コレットなどの人文主義者との交友も続ける。聖ローレンス教会でアウグスティヌスの《神の国》について連続講義も行って成功を収めた。ロンドンの司政官補,治安判事,下院議員に選ばれ,政治家として活躍し,ロンドン商人の利害を代表してヘンリー8世の外交使節となり,通商条約改訂交渉のため大陸に渡り,その余暇に《ユートピア》(1516)を書いた。その出版の翌年,国王の宮廷に出仕し,大法官にまで昇進した。ルターの宗教改革が起こると,これに反対して論争し,ヘンリー8世の〈国王至上法〉によるカトリック教会からの分離に従わず,反逆罪のかどで処刑され,殉教の道を歩んだ。のちローマ教皇から聖人に列せられた(1935)

[思想・主要著作]  モアには,イタリアの人文主義者,ピコ・デラ・ミランドラの伝記を翻訳した《ピコ伝》(1510)や,シェークスピアの史劇《リチャード3世》に影響を与えた《リチャード3世王史》(執筆1514),ルターやティンダルとの宗教改革をめぐる論争の書《慰めの対話》(執筆1534)をはじめとする宗教上の著作など多数があるが,最も有名なものは《ユートピア》である。1516年にルーバンでラテン語による初版が出版されて以来,世界各国で翻訳されている。ユートピア utopia という単語は,モアがギリシア語の ouno toposplace とを組み合わせて作った新造語であって,本来は〈どこにもない場所〉を意味している。この著作には〈社会の最善政体について〉という副題がついているように,理想国家像を示す用語として使われている。物語の主人公ラファエル・ヒュトロダエウスが新世界への探検家アメリゴ・ベスプッチの航海に参加したのち,過去の旧大陸から遠く離れたユートピア島を発見するという設定になっている。彼のイギリス訪問の印象が,まず第1部の社会批判として語られる。封建家臣団の解体による浮浪者や窃盗の横行と苛酷な刑罰の無力さが指摘されたのち,〈羊が人間を食い殺す〉という牧羊囲込み(エンクロージャー)が批判される。農業の復活や織物業の再建も問題の根本的解決とはならず,第2部の理想社会の叙述では,私有財産と貨幣の存在しないユートピア島の生活が紹介されることになる。

[評価]  モアがカトリックの信仰を貫き,ヘンリー8世の宗教改革に抵抗して処刑されて以後,古典的なモア伝は〈殉教者モア〉を描き出し,死後400年に彼が列聖されてからは決定的となる。《ユートピア》が共有社会を理想としたのは中世の修道院をモデルとしたからであり,この作品は〈戯作〉であってモアの真意を示すものではないとも解釈された。このような殉教者像に対決し,モアを〈近代社会主義の父〉とするのがマルクス主義の歴史家である。これに対し〈カトリック・モア〉と〈コミュニスト・モア〉との対極化は,一面的評価であって,〈キリスト教的人文主義者〉としてとらえれば,モア像の一面的解釈が避けられるという見解が第2次大戦後に現れた。たしかにモアはルネサンス人文主義者として一級の人物であり,有能な法律の実務家で政治家としても卓越しており,カトリックの信仰を貫き通しているし,その作品で社会主義社会を描いたことも事実である。それらを包括する全体像の構築がモア研究の今後の課題である。  田村 秀夫

 

 

バッハオーフェンのユートピア  文化進化の4つの段階

エンゲルスは『家族・私有財産・国家の起源』の序文でバッハオーフェンについて大きく言及している。

バッハオーフェンは、文化進化の4つの段階を提案した

1) Hetairism。母権制前の乱婚の段階。バッハオーフェンは、プロトアプロディーテーを土着の支配的神と考えた。

2Das Mutterecht。母権制。農業に基づいて、常習的神秘的カルトと法律の出現とバッハオーフェンに特徴付けられた一夫一婦制で且つ女性支配の「月の」段階。バッハオーフェンは初期のデメテルを支配的神と考えた。

3Dionysian。家長制度が誕生し始めたので父権化する。オリジナルのディオニュソスを支配的神と考えた。

4Apollonian。過去のMatriarchalDionysianのすべての痕跡が消える、そして、現代の文明が出てきた父権的な「太陽の」段階。

このモデルは実証主義から反論が出されるまで影響力を持った(→地母神#母権制と女神の歴史、天空神#概念の歴史)。

キリスト教徒間俗説に倣ってアーリア概念を西洋に限定してしまうジョゼフ・キャンベルの「西洋の神話学」その他によって注意されたように---しかしその書でバッハオーフェンにもその著『母権制』にも触れていないし、『母権制』においてアーリアへの言及もないが---バッハオーフェンの理論は宗教、文化、社会についてのアーリア民族起源論への急進的な反対において立っている。

 

ロベスピエールとルソーのユートピア思想とその差異

 

 

 

 

 

 

 

ルソー

 

能動的市民による平等主義、民主主義

 

実在する共同体内の市民

 

一般意志の服従義務を求めるプロセスとして、共和主義による手続的正義

ピエール

 

生得的な平等主義、民主主義

 

人間存在の理性の主体的能動

 

人民の敵により正しくできない間は恐怖によって服従義務を履行させる

 

しかし結局は同じ思想である。

一般意志が個人意志よりも優先される。すなわち全体意志が個人意志を強制することができる、という考え方だ。

どちらも前提とするユートピアは、

「『異質』な『他者』のいない共同体」

「『在る人間』ではなく、『在るべき人間』の平等な『共和国』」

「全体主義思想統制の正当化」

だ。戦いを生むためのユートピアだといっていい。

 

 

理想主義、ユートピアニズムは20世紀のロシア革命など、様々な功罪を生み出してきましたが、ユートピアという単語自体は、トマス=モアの造語で、そこからがユートピア文学の始まりだといわれているかと思います。

しかし、思想としての理想主義、ユートピアニズムは、古くはプラトンの時代から存在しており、現在も継続中ではあります。その人類の長い歴史の中で、特に、ユートピアニズムの盛んになったのは、一つは社会契約説の誕生からの、民主主義思想の開花、そして、産業革命以後の社会主義思想の発達の2つが、少なくとも第二次世界大戦以前まではあったかと思います。

 その中で、社会契約説の論者として有名なジャン=ジャック=ルソーが政治思想史上で取り上げられますが、彼の影響を受けたとされる、フランス革命における「狂気の独裁者」として、少なくともあまり肯定的には評されておらず、フランス革命という歴史における登場人物としか描かれていない、マクシミリアン=ロベスピエールのユートピアニズムが、歴史的には存在していると思います。その両者の思想は、確かに類似する面がある一方、決定的な差異があり、それによって、フランス革命という思想の具現化において、ロベスピエールは過ちを犯し、そして人々を大量処刑にするという、「狂気の独裁者」へとなったのではないかと思います。

 しかし、否定的に描かれるロベスピエールの思想について、彼とルソーとの類似する面、そして、決定的に違う点について考察することは、現実政治におけるユートピアニズムのあり方を考える上で必要ではないか、と思います。

 

 ロベスピエールは1758年生まれの法曹家出身の政治家ですが、思想的にはルソーの影響を色濃く受けた人物で、そのルソーの人権、民主主義、なにより「自由」と「平等」を、求めていて、実際、ロベスピエールが後に志向した事は、ルソーの「政治的共同体は同時に道徳的共同体でなければならない」という思想に極めて一見類似したものではありましたが、実際のところは、ルソーの自由概念、平等概念とは、ある意味では類似し、ある意味では似て非なる、彼の独自的解釈と独自的思想がありました。

 

 ルソーのテクストでは、確かにロベスピエールのように、自然権は生来のものとしても、実際の市民的自由は、共同体の法によって規定されると考えていました。しかし、それと同時に、それは、その共同体、「共和国」においての市民の「道徳的自由」に基づく市民による法の自己決定によらねばならない、という、「共和主義」、というよりも、「市民が『道徳的自由』に基づく共同体の『法の自己決定』を前提とした上での共同体主義」という、能動的市民による平等主義、民主主義がその内容でした。

 そして、ロベスピエールが確実に影響を受け、かつ間違った解釈をしたであろうものとして、「カソリックを主とした、キリスト教思想の批判」がありました。それは、一見、ロベスピエールの主張に似ていて、まったく非なるものなのですが、つまり、「人間は『原罪』を負う故に、人間は不完全な存在であり、ゆえに人間の不完全さを矯正するため、神の目的への奉仕をすべきであり、それでしか、人間は救われず、政治などでは決して人間は根本的には救われない」という当時のカソリックを主としたキリスト教思想に対し、ルソーは「原罪」を否定して、人間の自然的善性の存在を信頼し、ゆえに人間はキリスト教を通した受動的救済ではなく、道徳的自由により自然的善性の発露に基づく人間の共同体の法の自己決定での、人間の能動的な、具体的には共同体という、政治に基づく人間の『自由』と『平等』」をなにより訴えていました。その結果としての、ルソーの「市民宗教」という、既存の受動的救済というキリスト教思想に対抗した、「人間の自然的善性を信じ、それによる自由と平等を達成する、道徳的自由に基づいた市民による自己決定による、倫理的信仰の確立」を提唱しました。

 翻ってロベスピエールの主張はどうだったか、といえば、確かにロベスピエールは、初期には確かにルソーの思想を信念とし、人間の自然的善性を信じていました。そのため、元々判事、弁護士であった法曹家の時や、国民公会での初期の主張は、人権派として、死刑廃止法案の提出、それまでのフランス刑法において行われていた、犯罪者の家族も罰するという事を廃止し禁止する法案の提出や、当時行っていたフランス政府の対外戦争への反戦の主張など、「人権への信念」「人々を救いたいという気持ち」は確かにありました。

 しかし、ロベスピエールは、自らの理想、「自由」と「平等」のために、市民の自己決定の間接的方法としての、国民代表制に基づく国民公会から、自らの「理想」に異議を唱え反対する議員、会派を、「公安委員会」や「保安委員会」による大量逮捕と、「革命裁判所」による大量処刑を行い、「自分が人民のための政治を行うためには、市民の自己決定としての国民代表であった反対派議員や、もしくは反対派そのものは『人民の敵』であり、排除しても、人民のための政治を私は行うのだから、これは必要な事だ」という、「『大義』のための小義として、『大義が達成されるまで』の民主主義の否定や『人民の敵』という『悪』に対する処刑、そして『悪』の思想や宗教の禁止の正当性の信念」を持ち、自らの行っている恐怖政治の「恐怖」を「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」として、『人民のために』必要な大義であると信じ込んでいました。

 そして、先ほど申し上げた、「キリスト教など宗教の否定」ですが、これはルソーの「市民宗教」に一見似ていて、まったく非なるもので、「人間の理性が、能動的に主体として構築した、『至高の存在』への信仰」、言い換えれば、「理性中心主義に基づいた『倫理』『正義』への信仰」を主張しました。この、理性中心主義とは、一見ルソーに似ていますが、それとは異なるのは、ルソーが「人間の自然的善性に基づく、自己決定による能動的な『道徳律、共同体倫理としての法』」としていたのに対し、ロベスピエールの「至高の存在」への信仰という「世界宗教」という概念は、あくまで「『人間存在』の理性」の主体的能動によるものであり、「『実在する共同体内の市民』の自然的善性を信じた道徳的自由による能動的な倫理、道徳の確立」ではなかった、という決定的な違いがあります。

 しかしながら、残念ながら、ロベスピエールがルソーを誤解していたか、というと、実際のところ、ルソー自身は、「共同体の市民の自然的善性への信頼による、道徳的自由での法の自己決定」だとして、何度も断りを入れているのにも関わらず、「社会契約論」を始めとしたルソーのテクストの中においては、市民個々人の持つ、「個別意思」に対し、自然的善性を持つ市民たちが作る共同体の法とは、人間の持つ自然的善性の平等性がゆえに、「一般意志」として一致し、ゆえに「共同体の一般意志は、個別意思に優越し、市民は、『自由であるようにするために、(一般意志を)強制される』として、結局は「一般意志」という、ロベスピエールの信じていた「理性中心主義に基づき、人間理性というものがたどり着く倫理的帰結としての全体意思への人民の服従義務」という思想と、結局は一致するという意味で、ある意味では確かにディテールや論証自体は似て非なるものなのですが、「結論」は極めて似通っている、という、事になるかと思います。

 両者に共通しているのは、「『異質』な『他者』のいない共同体」、もっといえば、「『在る人間』ではなく、『在るべき人間』の平等な『共和国』」という、「在るがままの人間」ではなく、「在るべき人間」に基づく政治とは、

実際のユートピア思想、もしくはユートピア思想に名を借りた、「全体主義思想統制の正当化」において、見られてきたようなものかと思います。

 ルソーとロベスピエール決定的な違いがあるとすれば、ルソーは、「一般意志は市民が最終的に合意できるもので、かつ、一般意志には服従しなければならないが、その一般意志と服従義務を求める決定の政治プロセスとしての、民主主義、もしくは共和主義による手続的正義がなければならない」という、自由主義的民主主義ではないにしろ、全体主義的民主主義という意味での民主主義者であったということがありますが、ロベスピエールの場合は、「人間理性の帰結としての正義、倫理があり、それを規定する事は『今現在は』人民は『人民の敵』による惑わしなどによって『正しい』政治判断を行えないので、恐怖政治によって服従義務を履行させる」という、理性中心主義による独裁の正当化という、フランス革命のこのロベスピエール自身の行った、「『大義』のための非民主的手段によるユートピアの実現」という政治志向は、その後の、大きな例ではロシア革命とその後の暴力革命主義的な一部の共産主義運動や、もしくは、極左の例がわかりやすかったですが、極右では、古典的には「小義の切り捨て」とは違いますが、もっと原始的な、「『大義』は大衆は理解できず、衆愚政になる、という、専制君主や君主への服従義務による強権的保守主義によるパターナリズム運動」から、それに似ていますが、「『大義』が絶対的であり、民主主義などは『小義』どころが害悪でしかない」という、現代ファシズム運動があるかと思います。

 お話が逸れましたが、そのように「自分の主張、ないし、支持している思想や掲げられている体制が、今は大衆は理解できないだろうが、最終的には全員が帰結し全員に正しい倫理であるのだ」という、独善主義、ないし、「多元主義の否定」というものは、右翼左翼の問題というよりも、自由主義的民主主義、もっといえば、散々お話が逸れて、ようやく戻らせて頂きますが、「人間の『多様性』と、個人の自由な『人間性』の尊重」という、民主主義の根源的思想の欠如によるものであり、そのような、「個人の自由意思を無視したパターナリズム」に基づく、「多様な人間存在の否定」とその結果としての「多様、多元的な文化の否定」の恐怖と、そのために「個人の自由な人間性の尊重」の意味を考えずにユートピアを求める事は、極めて危険なことではないかと思います。そのような、「非原子論的個人概念」の尊重の欠如こそが、近代ユートピアニズムにおける問題点であり、私たち現代は、だからといってユートピアニズムは危険だと否定をするのではなく、それを乗り越えた、新たなユートピアニズムを模索することが大事なのではないかと個人的には思います。

 

○後書き

  確かに、「非原子論的個人概念」での「自由」と「平等」の対立はあり、それがあるからこそ、平等主義を志向するユートピアニズムは「自由」に対して制限的になりがちなのかもしれませんが、しかし正確に言えば、その「自由」と「平等」とは「経済的自由」と「社会的平等」の対立であり、その点で、本来は「自由」とは、「経済的自由」や「精神的自由」のような、古典的な「国家からの自由」だけではなく、現代自由主義においては、参政権が主ですが現代では政治に限らず社会一般への参加など「国家への自由」や、いわゆる累進課税と福祉政策による経済的格差の『縮小、緩和』などが例の、パターナリズムでない意味の範囲内に限りますが、「国家による自由」が「自由」だからといって否定されるべきではないのは、「国家からの自由」や「国家への自由」など、形式的平等や形式的自由が認められていても、社会的不平等があると、空虚な形式的平等や形式的自由にしかならず、実質的に社会的に自由に平等で生きるというためには、実質的平等や実質的自由が必要だという事があります。

 例えば貧乏な家庭環境に生まれた子供は、そのままの形式的自由や形式的平等なら、理論上は公立学校に通い、図書館で本を借りて自学で勉強して、学費はアルバイトなどでお金を貯めるか、『努力』して勉強をして特待生になればいいじゃないか、という人も新自由主義者の中などでいまだにいますが、他方、裕福な家庭の子供は、進学塾に通って私立学校で恵まれた教育を受け、学費を気にせず私立大学に入る、極端な例では、お金を積んで一流私立大学の付属である幼稚園や小学校にお金を積んで入学して、あとはエスカレーターでたいして勉強せず一流私立大学を卒業する、という不正、ないし不公正な現状がある例などがわかりやすいかと思います。その他、単位あたりの賃金の安い労働者は長時間労働をしなければ生活できず、「参政権」などあっても、生活に手一杯で政治を考える余裕もなく、またその政治的判断を行うための情報を得る手段が、時間的、経済的に限られる、ということなどが例、要は「機会の平等など実質的平等」による「実質的自由」の必要性の例としてあるかと思います。

最高存在の祭典は、革命的宗教における無神論である理性の崇拝から、神(最高存在)への回帰であり、非キリスト教化政策の終わりを公式につげる、ロベスピエール派の政策ですが、これはカトリックとの和解を意図したものと解釈されます。革命は革命以前の信仰を迷信にみちた不毛のものとみなしましたから、無神論から理神論への移行ということです。ただこれはロベスピエール派の理想に深く根ざすもので、彼のユートピアの一端を示していると見なされることが多いですが、内容については後世の識者で意見が極端に分かれます。しかしともかく、ロベスピエールと最高存在の祭典は関係が深すぎるため、1回きりで、以後は開かれません。

テルミドール後、最高存在の祭典に代わって行われた革命的宗教は、「敬神博愛教」というもので、催しがシュマンというフリーメイソンを主体にして行われましたが、政治家の賛同はあまり得られませんでした。総裁政府期には、右派と左派が活発になり、右派は王党派でカトリック、左派はジャコバン残党で無神論者でしたから、中間的あるいは中立的な革命的宗教を形成する意義がだんだん薄れていたからです。カトリック習慣の復権が徐々に進み、統領政府の時代になると国内宥和ということで、もはや信仰の創造は必要なくなり、革命的宗教は終わりを告げたというわけです。

 

悲観から生まれる楽観主義

ハルトマンの宇宙的無意識 「無意識の哲学」

人間は無意識に支配され、その無意識が三つの幻想を人間に抱かせる。

1人間は現世で幸福になる   この世にユートピアが作れると思っている。

2人間は来世で幸福になる   この世に救済があることを信じる

3科学の発展によって少なくても人間世界は改善されている

この三つが欲望を生み出す。

人間は苦悩するために存在しているので、こんな世界で生きていく必要はないのですが、個人が自殺しても、いや全人類が自殺しても、数億年すれば、再び「宇宙的無意識」は新たな生命体を地球上に生み出して、次は彼らが再び苦悩しなければなりません。仮に地球を破壊したとしても、「宇宙的無意識」はどこか別の惑星上に「盲目的意思」に支配される知的生命を生み出し、彼らが人間と似たような苦悩を背負わなければならない。では人間はどうすればよいのか?科学を発展させるべきだ、なぜなら宇宙が二度と生命を生み出したりしないように、絶対的に宇宙そのものを消滅させる方法を見つけるために。

 

独善主義

「自分の主張、ないし、支持している思想や掲げられている体制が、今は大衆は理解できないだろうが、最終的には全員が帰結し全員に正しい倫理であるのだ」

「多元主義の否定」「多様な人間存在の否定」 「多様、多元的な文化の否定」

「人間の『多様性』と、個人の自由な『人間性』の尊重」「非原子論的個人概念」の尊重

「個人の自由意思を無視したパターナリズム」

 

 

 

他者を踏みにじることによって成り立っている欧米哲学

マズロー心理学、コトラーのマーケティング

どうしてこんな考え方ができるのか不思議だった。

誰にも各自の「正しさ」があるので、きっとこんなことを言い切れる立場があるのだろうと思った。

これだけはっきりと言い切った人のTPOを考えることにした。

その人の「正しさ」はどのような環境で、どのような状況の時に機能するのかを考えてみた。

また、言い切っているということは、本人は、TPOを不変なものとしているはずなので、本人が気がついていない「守られた環境(TPO)」とは何なのかについて考えてみた。

すると、・・・

あまりに多くのことが視えてしまった。

ひとことで言うと、論者の立つTPOであり、生命体の法則(社会学、心理学、法律学、経済学、など)を作り上げる人に共通している思考パターンであった。先進国の一般教育、後進国のインテリ、エリート、書斎(電脳空間・インターネット)に長時間いる者の共通点でもある。

どれも他者を踏みにじってきた者の観点で作り上げた考え方、というのが共通事項だ。

彼らの考え方をしている間は自分のえげつなさを見なくてすむようになり、その上、これからもずっと他者を踏みにじり搾取することで食べていける本人たちにとっては都合の良い理論である。

具体的には、ビジネス・スクールの立地条件に象徴される、都市の安全性を活かし、住みやすい都市ランキングに選ばれ、治安が非常によく安全な学生生活を送ることができる場所である。

 

ではどんな考え方なのか具体的に見てみることにしよう。

・城の中にすむお姫様

・安全は「じい」の仕事なので、勝手にやってくれる。

・収入は「庶民」の税収入なので、考えなくても城内でバイトするだけで食べていける。

・ライフラインは「下僕」の仕事なので、勝手に空気・水・エネルギーの供給は任せておけばいい

・収奪は「兵士」の城外での仕事なので、姫は何も知らなくても大丈夫。

 

 

 

小田実、土井たか子、辻元清美 田嶋陽子