「いのち」に至る順番

 

理性から霊性に行っちゃったら、イスラム国やナチスやオウム真理教と同じ道になっちゃいます。

霊性に行くのなら智性を経由しないと自分の心と体を破壊してしまいます。

 

順番が大切  理念の前にするべきこと

そして、ここで大切なのは順番です。素晴らしき理念を旗印に掲げるのは、人を騙したり鼓舞するには効果がありますが、これほど厄介なものはありません。その前にすることがあります。

 

それは大きな正しさや理念ではなく、17世紀に西欧が置いてきてしまった自分とは違う異端の立場に立つことです。部外者や異端者の条件反射まで理解して、その前にある同じ生命体の体の喜びを共有することです。そうでなければオウム真理教のように、「一つ」に戻るという大義名分の下に他の命を抹殺してもかまわないという結末を迎えてしまいます。一番の正しさをする前にすることがあるのです。これができた者だけが、正しさを語り実現することができるのです。このプロセスを踏まないものは偽者でしかありません。

また絶対の正しさの旗を振りかざすものは、ピューリタンと同じ残虐性を併せ持ちます。知行合一、直接介入、神の国の思想が加わり、自分達の外側にいる者たちを抹殺するのに躊躇はしません。

他人の間違った正しさを大切にする者は、絶対の正しさの旗は決してふりません。静かに胸に抱きしめるだけです。

 

そんなに悲観的になることはありません。これを読んでくれているのならば、これだけ余裕があって、きっと今晩は食べるものも寝るところも心配がないのでしょう。こんな素晴らしい時空間なんて、そうそうあるものではありません。私たちは天からも恵まれていて、ちゃんと呼吸ができるほど幸せです。

これからは、異身同心、同じ痛みを感じるコンパッション、同じ苦しみを体感できるシンパシー、考え方が違っても相手の立場に立って行動することができる智性が、まずは必要です。

 

順番の階段を踏まないと、現実は生命にとって難しくなるだけです。

目の前に大義があるからといって、単純に飛びつこうとしても、奈落の底に落ちるだけです。

目の前にあるのに触れられないと、悔しく感じるでしょう、怒りもこみ上げ、時にあせりと不安から眠れない夜もあるでしょう。

それでも理念の正しさの前で踵を返し、理念に背を向けて、大きな道を歩いていきましょう。

それは自分の一代では届かぬ道です。

でも血はつながっていなくても次の世代につながる道です。

それは結果のない道です。

でも歩いていることだけで体の奥から楽しさが湧いてくる道です。

 

そう、一緒に呑んで、食べて、踊りましょう。

まずは心の中にいる友人たちと祭りだ、祭りじゃー!!!

 

そうしたらきっと良いことがいっぱい起こってくるかもしれませんよ。

一度だまされてみるのはどうでしょうか? 嫌だったら、元の道に戻ればいいだけだから。