ガン治療  自然治癒力

 

治癒不能といわれたガンが自然治癒する現象が、実際の医療現場で話題になることはまずない。 しかし筆者が目を通した1000本以上の医学論文において、ガンが自然に治癒した事例を報告していた。医師は治すのが仕事なのでこうした事例を追跡研究することはなく、「たまたま」治ったという話は「偽りの希望」を与えるだけだとして積極的に口外することもなかったために、自然治癒事例は事実上放置されてきたのである。全く科学的にメスを入れられていないこのテーマを解明するために、「劇的な寛解」事例を報告した医学論文をくまなく分析し、日本を含む世界10カ国で寛解者と治療者のインタビューを行った結果、ガンの自然治癒を体験した人々には、「9つの共通する実践事項」があった。それらは、がんの治癒のみならず、予防としても役に立つものである。発売と同時に米アマゾン1位“がん部門”にランクイン、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーとなった話題の書『がんが自然に治る生き方』から抜粋してお届けする(全2回)。

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■「逸脱した事例」がわたしたちに教えること

 

がんと診断されたことのあるすべての人に

そして愛する人のがん治癒を支える人に

 

こんな話を聞いたことはありませんか。

 

進行がんと診断されて、手術や抗がん剤といった病院での治療はすべて試したけれども効果はなく、自宅にもどされた。ところが5年後に医者を訪ねたその元患者は、がんから解放されてすっかり元気になっていた。

 

わたしが初めてこうした事例に遭遇したのは、サンフランシスコのがん専門病院で患者のカウンセラーをしていたころでした。昼休みにわたしはアンドルー・ワイル博士の『癒す心、治る力――自発的治癒とはなにか』(角川文庫ソフィア、1998年)を読んでいました。そこには、医学的には手遅れだったはずのがん患者が、見事に回復を果たす事例が載っていたのです。わたしはのちにこうした事象を「がんの劇的寛解」(Radical Remission)と名付けました。

 

驚きのあまり、凍りつきました。こんなことがありうるの? 進行がんを現代医療を使わずに克服した? もしそうなら新聞の一面に載るような話じゃない? たとえ極端な事例だったとしても、画期的な出来事です。

 

その事例の当事者は、たまたま何かの方法に出合って、治癒に至ったのです。いったい、この人は何をしたのか。自分が担当しているがん患者の方々のためにも、なんとしてもこの現象について知りたいと思ったわたしは、劇的な寛解の症例を探し始めました。

 

そして衝撃的な事実を発見しました。

 

なんと、これまでに1000件以上の症例報告が、実際に医学雑誌には掲載されていたのです。けれどもわたしはそんな話を聞いたことがありませんでした。わたしの勤めていたのは有名ながんの研究機関ですが、こうした現象はまったく話題になっていませんでした。

 

調べれば調べるほど、いらだちが募っていきました。

 

実際、医師たちはこういった症例について調べることもなく、追跡さえしていなかったのです。

 

わたしは少しずつ、がんから劇的に寛解した人々を探して、直接話を聞きはじめました。彼らは言いました。主治医はよろこんではくれたけれど、どうやって回復したかについては一切関心を示しませんでした。それどころか、「ほかの患者には話さないでください」と主治医に頼まれた人さえいたのです。その理由は、「あらぬ希望を与えたくないから」。

もちろん医師が特殊な事例から得た情報で患者をミスリードしたくないと考えるのはもっともなことです。けれどもだからといって、現実に起きた回復の症例を黙殺すべきではないはずです。

 

■「治るためなら、何でもしたい」という最後の望み

がんが治った人たちから直接話を聞きはじめてしばらくしてからのことでした。抗がん剤治療を受けつつわたしのカウンセリングにやってきた女性がいました。31歳、双子の赤ちゃんがいながら、悪性度の高いステージ3(全4段階)の乳がんと診断されたばかりでした。わたしの目の前で、彼女は泣き出しました。

「治るためなら、何でもしたいの。子どもたちには母親が必要なんです」

彼女は疲労困憊し、最後の望みを求めてわたしに思いをぶつけてきたのです。泣きじゃくる彼女を前に、わたしの脳裏に浮かんだのは、医師たちから見向きもされずに放置されていた1000件以上の劇的な生還の症例のことでした。

わたしは一息つき、彼女を見つめて言いました。

「確かなことは言えない。でも、何か方法があるか探してみるわ」

がんの劇的寛解の研究のために、大学院博士課程に進み、人生を捧げると決意した瞬間でした。がんから劇的に生還した人々の症例を探し、分析し、この現象について語っていこう。そう決めたのです。

 

「がんとの闘い」に勝利するために、すでに勝利した人の体験談を聞く。もっともなことですよね。がんからの生還という驚異的な体験の裏には、どんな秘訣があったのか。それを解き明かすため、思いつくかぎりの質問をぶつけて、科学的な検証をしてみるべきでしょう。説明がつかないからといってその事実を黙殺したり、口封じしようとするのではなく、事実に向き合うのです。

 

「逸脱」した現象に目を向けた科学者といえば、アレクサンダー・フレミングを思い出します。1928年、フレミングがバカンスを終えて実験室にもどると、菌の培養皿の多くにカビが生えていました。長期休暇の後にはよくあることです。フレミングは皿を消毒して、実験をやり直そうとしました。けれども、ここが運命の分かれ道でした。ちょっと待てよと、彼はカビの生えた皿を注視しました。するとなかに一つだけ、皿の中の培養菌がすべて死んでいた皿があったのです。フレミングは、「たまたまだ」とその皿を放置したりはしませんでした。それが抗生物質の先駆け、ペニシリンの発見につながったのです。

 

本書では、わたしが手がけているがんからの劇的な寛解についての研究成果を、みなさんにお伝えします。アレクサンダー・フレミングに倣って、わたしは標準から逸脱した事象を無視することなく、より詳細に検討していきます。

本題に入る前に、まずは自己紹介をさせてください。わたしが何によって導かれ、このテーマに人生を捧げることになったのかお話しします。

 

■小児病棟でのボランティアで決意したこと

「がん」との最初の出合いは、3歳のときでした。叔父が白血病だと診断されたのです。叔父の闘病は5年におよびました。親族が集まるたびに、わたしたち子どもは「がん」という恐ろしい病について聞かされ、震え上がりました。わたしが8歳の時、叔父は亡くなり、いとこは父親を失いました。大人の男の人たちは、「がん」で死ぬかもしれない、とわたしは思いました。

14歳のとき、学年末の終業式の直後に、仲のよかった男の子が胃がんと診断されました。ウィスコンシン州の小さな町には衝撃が走りました。募金集めのためにパンケーキ朝食会を何度も開き、彼のお見舞いに行きました。大丈夫だよと言う友だちもいましたが、わたしには「あのときと同じことになるかもしれない」という、いやな予感がありました。男の子は副作用に2年も苦しんで、17歳で亡くなりました。町中が悲しみに暮れました。その後何年間か、わたしは友だちと彼のお墓に花を供えに行きました。

彼の死によってわたしは、がんは年齢に関係なく誰をも死に追いやる病なのだと悟ったのでした。

ハーバード大学の学生だったとき、わたしは代替医療やヨガ、瞑想と出合いました。それは初めて体験する不思議な世界でした。それまでのわたしは、心の世界と身体の状態とは別のものだとして、2つを切り離して考えていました。けれどもしだいにそうした考え方に違和感を覚えるようになりました。

ハーバードでの4年間はすばらしいものでした。卒業後の最初の仕事として、わたしは地球温暖化をテーマにした本を共同執筆する予定でした。ところが気がつくと、学生時代に謳歌していた人的なつながりを一切失い、ただコンピューターに向かうだけの生活をしていました。あるとき、その孤立感を友人に話したところ、彼女は、ボランティアをしたらとすすめてくれました。それで、がん患者の役に立つためのボランティアをしようと思い立ったのです。

ニューヨークにあるメモリアル・スローン・ケタリングがんセンター小児病棟で、最初にボランティアをした日のことは、いまもはっきりとおぼえています。わたしの仕事は、静脈注射による抗がん剤治療を受けている子どもたちと、ボードゲームのモノポリーで遊ぶ、というものでした。たったそれだけです。けれどもその数時間のあいだ、子どもたちは、病気のことをすっかり忘れて夢中になっていました。わたしにとっては、人生を変えるほどの意義のある出来事でした。

これが天職だと感じました。数週間のボランティアを通じて、わたしはカリフォルニア大学修士課程に進むことを決めました。腫瘍社会福祉学、なかでもがん患者へのカウンセリングを専門に学ぶことにしました。

大学院で学ぶうちに、わたしは改めて代替医療に関心を持ちました。多くの本を読み、ヨガのインストラクターの資格も取りました。日中はがん患者のカウンセリング、夜は勉強とヨガの時間に充てました。当時、わたしの夫は鍼(はり)や漢方など中国伝統医学の学位をとるため勉強をしつつ、身体エネルギーを活用した難解な治療法を学んでいました。代替医療の学習材料には事欠かない環境でした。

人生の転機となったアンドルー・ワイル博士の本に出合ったのはこの時期のことです。ワイル博士の説く「自発的治癒」という現象に興味を持ち、このテーマを追求するため博士課程へ進むことにしました。医学的には不可能だとみられた状態からがんを克服した人々は、いったい何をしていたのか。その探求に人生を捧げる決意をしたのです。

 

■がんの「劇的な寛解」とは何か

がんの劇的な寛解とは何を意味するのか。これを考えるにあたって、まずは「標準的な」寛解、あるいは「劇的ではない」寛解とは何なのかを考えてみましょう。

医師ならこう考えるでしょう。初期に発見された、治療しやすいタイプのがんなら、寛解は期待できる、と。たとえばステージ1の乳がんで、手術、抗がん剤と放射線という標準的な治療を受けた女性の場合、統計的にいえば、その後5年間はまず再発しないだろうという予測が成り立ちます。

でも、もし同じ女性が膵臓がんのステージ1だと診断されたら、同じく標準治療を受けたとしても、5年生存率はわずか14パーセントにすぎません。なぜなら現代医学には、ステージ1の乳がんほどの治療効果を上げる膵臓がんの治療法は、存在しないからです。

わたしは「がんからの劇的な寛解」の定義を、次のように定めました。

 

・がんの種類は問わず、「寛解」が統計的に極めて稀であること

・その統計とは、がんのタイプ、ステージ、受けた治療によって異なるものとする

 

さらに具体的に記しましょう。

「がんの劇的な寛解」とは、次のいずれかの事態が起きた状態を指します。

 

1 医学の標準治療(手術、抗がん剤、放射線)を一切用いずに、がんが検知できなくなった場合

2 標準治療を受けたががんは寛解せず、代替医療に切り替えてから寛解に至った場合

3 統計的にみて余命が極めて短い(5年生存率で25パーセント未満)がん患者が、現代医療と代替医療を併用したところ、統計を上回って生存している場合

 

統計的予測を覆してがんが寛解するのは、たしかに稀ではありますが、体験者は数多く存在します。

 

わたしは腫瘍内科医に会うたびに、「がんを劇的に寛解させた患者を診たことがありますか」と聞いています。これまでのところ、全員の答えが「イエス」でした。そこで「ではその症例について医学雑誌で報告しましたか」と聞くと、全員が「ノー」と言いました。

思ったとおりです。劇的な寛解の症例を追跡するシステムでもつくらないかぎり、こうした現象が実際にどのくらいの頻度で起きているのか、わたしたちには知る由もないのです。

 

この目標を実現するため、本書のウェブサイト(RadicalRemission.com)では、がんを克服した人、医師、治療者、読者の皆さんが手軽に劇的寛解の症例を投稿できるようにしました。データベースは無料で一般公開しています。データは研究者も自由に使えます。またがん患者やその家族にとっては、ほかの人がどうやって劇的な寛解を遂げたか、調べることができます。

 

 

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Dr. Kelly A. Turner ケリー・ターナー博士

腫瘍内科学領域の研究者。学士号を取得したハーバード大学時代に統合医療に関心を持ち、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号取得。博士論文研究では奇跡的な回復を遂げた1000件以上の症例報告論文を分析し、1年間かけて世界10カ国へ出かけ、奇跡的な生還を遂げたガン患者と代替治療者を対象に、治癒に至る過程についてのインタビューを行った。本書はそこから得られた知見を患者や家族、そして健やかに生きたいすべての人のためにわかりやすくまとめた著者初の書籍。

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ケリー・ターナー=文 長田美穂=訳

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月17日(日) 「自然との共生塾」 講座レジュメ <日曜講座> 講師 舟橋慶一

 

第一部(130014:30) 生活の中の千島学説・・・千島第6原理(遺伝学の盲点)

 

1.        遺伝と環境

*遺伝か環境か・・・メンデル・モルガン説、ルイセンコ説、千島喜久男説

 

*遺伝学の現状とは・・・二つの遺伝学の対立論争

 

*現代の遺伝学は遺伝の仕組みに重点をおき変異の面を軽く考えている

 

*環境の違いによる変異を一代限りのものとしている

 

*さらに、この環境による変異を遺伝とは関係のない個体変異として峻別、軽視している

 

*そして、生まれてからの環境による変異(後天性獲得遺伝)を否定している

 

*千島喜久男は、この考えを「理論的に矛盾を含み、事実とも一致しない」と論破

 

*千島は、生物の進化は、永年にわたる代々の遺伝と変異の積み重ねの結果であり・・・さらに

 

*現代遺伝学では生物の進化は生物の環境への適応の結果の蓄積であることを否定している

 

*現代遺伝学(生物学、医学、病理学、血液学)は、魔術的用語“突然変異”ですべて処理

 

2.        二つの遺伝学の対立

*「氏より育ち」「馬子にも衣装」「トンビが鷹を生む」・・・環境重視の諺

 

*「ウリの蔓になすびはならぬ」「蛙の子は蛙」・・・遺伝は遺伝という考え

 

*この矛盾する考え方をいまだに現代遺伝学は、いまだに説明出来ていない

 

*メンデル・モルガン説・・・いわゆる遺伝を重視する正統派遺伝学といわれる

 

*ルイセンコ遺伝学・・・環境の変化による変異の遺伝性、獲得性の遺伝を肯定する遺伝学

 

3.        メンデル・モルガン遺伝学の3大法則について

*メンデル・モルガン遺伝学は、メンデルの3大法則から成り立っている

 

*第一法則・・・優位の法則では

 

*二つの対立した2種類の形質(たとえばえんどう豆の種が@丸いタネA角ばっているタネ)を

掛け合わせて雑種を作る場合、雑種第一代には一方の親の形質だけが生ずる

 

*雑種第一代をF1と呼び、雑種第二代(孫の代)をF2と呼ぶ

 

*千島喜久男は、こう述べている・・・

 

*「エンドウの種子の対立形質として、丸いものと角ばったものを、はっきり区別することは困難」

 

*「必ず、中間のものも存在するはずだ」「それは、すべては連続的であるからだ・・・だから」

 

*「エンドウの種子のように、その形で区別しやすい場合には優位の法則が適用できても・・・」

 

*「一般生物の対立形式は、形式論理の排中立にしたがってYESNOで割り切れない・・・」

 

*「いわばメンデルの法則は、例外の法則にすぎない」「たとえば、黒人と白人の雑種F1では・・

子供は白人に近い白色のものから黒人に近いものまで様々な差異のある子供が生まれる」

 

*「オシロイバナの赤花と白花をかけあわせても中間の桃色の花が咲く」

 

*「このような場合、いわゆる正統遺伝学では例外的中間雑種と呼んでいる」

 

*「この場合、優性の法則に一致しないので説明がつかない」

 

*第二法則・・・分離の法則では、雑種のF1同志を掛け合わせると・・・

 

*雑種第二代(孫の代)では・・・優性3:劣性1の割合に形質が分離するという

 

*千島喜久男は・・・

 

*「これも正確にF231に分離するわけではなく大体の数値を示すに過ぎない」

*「いわゆる正統遺伝学はメンデルの第1、第2の法則に合致しない場合が多いことが分かり・・

細胞質遺伝などと呼び、補足因子、条件因子、抑制因子、など各種の遺伝子を仮想して・・・

メンデルの法則につじつまを合わせようとして、遺伝学をますます複雑なものにしている」

 

*第三法則・・・各形質独立の法則では・・・

 

*遺伝的形質を支配する遺伝因子は染色体上に一列に規則正しく配列されていて

各因子は隣の因子の影響を受けることなく、まったく独立した性質を保っている

 

*そして、お互いに影響し合うことは絶対にないという考え方を譲ることはない

 

*「遺伝子は核酸(DNA)の微細な粒子と考えられているが、これはどこまでも仮説である」

 

*「実際に個々の遺伝子を見た人はいない」

 

4.        いわゆる現代正統派遺伝学の生殖細胞の見方は矛盾だらけである

*いわゆる正統遺伝学では、体細胞と生殖細胞は全く無縁なものとしている

 

*ルイセンコ説ではある程度関係はあるとしている

 

*しかし、千島喜久男は体細胞の原点である血球から生殖細胞を生ずることを実証している

 

*血管の内部で赤血球のAFD現象により生殖細胞ができることを実証している

 

*しかし、現代生物学者や遺伝学者、血液学者はこの事実を認めようとはしない

 

*なぜなら、これを認めれば現代のメンデル・モルニズムは根底から覆されることになり・・・

生物学や遺伝学はその第1ページから書き換えられなければならなくなる

 

*千島喜久男は言う・・・「しかるに、学会は正式に反対もできず黙殺の態度をとっている」

 

*「しかし私の生殖細胞は血球からできるという説を承認しなければならない時は迫っている」

 

*「遺伝学の根本であり出発点である生殖細胞の起源を正しく認識しないで・・・架空的な、

事実と一致しないワイズマンの“生殖質連続説”や”細胞分裂説“を信じている正統遺伝学は

次々と現れる矛盾に行きずまっている」

5.        生殖細胞は血球からできるのである

 

*人間や哺乳類の赤血球はも格であるからまだ細胞ではなく、細胞前段階のものである

 

*これらは生体内で核酸(DNA)を合成して、リンパ球やその他の白血球を造り・・・

 

*それらが融合して卵細胞となり、またオスでは精原細胞⇒精母細胞⇒精子となる

*この場合、細胞が分裂したような形で精子が生まれるが、これは分裂ではなく・・・

 

*精子が、細胞の腐敗によって生まれてくる

 

*つまり、細胞質中にバクテリアが新生するかのように性細胞中に精子を新生するのである

 

*これを、千島喜久男は“生理的腐敗現象”と呼んでいる・・・

 

*千島は言う・・・

*「これは奇怪な説とみられるかもしれないが“死は生の始まりである”という哲理を知る人には

理解できると思う」「しかも、血球や血液は全身を循環し、環境の影響を受けるから、

現代遺伝学では環境条件によっての影響は受けないとしているが実は大きく左右される」

 

*「だからこそ、正常な両親から奇形や白血病などの子供が生まれることは決して遺伝的なこと

ではなく、親の食生活やその他の不合理な条件による体内環境の悪化の結果である」

 

 

6.        獲得性遺伝について

*生理学的にみて、生物はその特性として、環境に適応する性質をもっている

 

*正統派遺伝学では環境の変化に適応して得た生物の形質を偶然変異または個体変異と

呼び、一時的な変化あるいは一代限りの変化だとしている

 

*そして子孫に対してなんら影響のない変異であるとして獲得性(後天性)遺伝を否定している

 

*たとえばカンガルーの子供は、生まれたばかりでも後肢が以上に発達している

 

*これはカンガルーの習性が幾代も続けて同じような習性を繰り返してきた結果少しずつ後肢の発育のいいことが蓄積して、それが遺伝的となり、今日のカンガルーになったと考えられる

*人間にしても、進化の途上では鰓をもち水中生活をした時代があったことは人間の胎児の早期に鰓を持っていることでもわかる

 

*また、胎生2〜3か月のころには立派な尾をもっていることでも理解できるし、胎生6か月ごろには全身が被毛におおわれているが、その後、被毛は吸収され出産時には産毛しかない

 

*人間の祖先は野生時代、衣服もなく、全身被毛におおわれていた時代の名残である

 

7.        千島喜久男の遺伝に対する考え方とメンデル・モルガン説、ルイセンコ説の違い

 

 

第二部(14401600)生体内原子転換の健康への応用

 

1.        多くの科学者は生体内原子転換はあり得ないと言うが・・・

 

*生体における原子転換に関する米軍のレポート(1979年アメリカ軍レポートより引用)

 

「近年、ルイ・ケルブラン(仏)と小牧久時(日)という二人の科学者が、生体組織における原子転換が行われていることを実験で証明したことによって、ノーベル賞にノミネートされた。

彼らが原子転換を証明した元素は、ナトリウムからマグネシウムへの転換、カリウムからカルシウムへの転換、マンガンから鉄への転換である。・・・・・」

 

 

*ルイ・ケルブラン(仏:19011983)は、生体内に存在する酵素や腸内細菌、バクテリアなどがつくる酵素作用によって、一つの元素が別の元素に転換するという生物学的元素転換理論(Biological  Transmutations)を提唱した。

 

 

*小牧時久は1926年(大正15年)滋賀県大津市で生まれた(京都大学修士課程)

*松下幸之助の依頼で松下電工で研究を重ねた

*現在はほとんどアメリカとイギリスで研究をつづける

 

 

2.        フランスの生化学者ルイ・ケルブランの偉大なる発見

 

*ルイ・ケルブランは1901年フランスで生まれた  1983年没

 

*フランスの生化学者ルイ・ケルブランは、フランス政府の命を受けサハラ砂漠に赴き、現地の労働者たちの体調を調査するため、彼らの食物と排泄物を調査し、詳細な記録をとった

 

*食物として摂取した以上のカリウムが被験者たちの排泄物から検出された

 

*ケルブランはその原因を探るため、ナトリウムとカリウムの比についての研究を始めた

 

*ケルブランは被験者たちが、ナトリウムを排出量以上に摂取していながら、カリウムを摂取量以上に排出していることを突き止め、このことから、ケルブランは「ナトリウムが体内で、カリウムに変化している」という結論を導いた

*しかしケルブランもいわゆる伝統的な科学教育を受けてきた科学者であったので、彼は最初この発見は偶然であると考えた

 

*しかし、何回も実験と研究を重ねるうち、確信を持った

 

ナトリウム  原子番号 11  質量 23     カリウム  原子番号 19  質量 39

 

カリウムからナトリウムを引くと   

         原子番号 19−11=8      質量 39−23=16

 

         原子番号 8   質量 16   これは酸素

 

*ケルブランが調査した労働者たちは、塩というナトリウムを摂り、体をよく使い、呼吸が活発になったため、空気中の酸素を多く取り込んでいた

 

*そのためナトリウム(11)が酸素(8)と融合してカリウム(19)に変わった

 

 

 

3.        生体の中の原子転換と食生活

 

*私たちの体の中で、基礎となるミネラルは4種類

 

ナトリウム   カリウム  マグネシウム  カルシウム

 

*この4種類のミネラルは、赤血球、白血球、血小板とともに血液の中を流れている

 

*血管の中は、プラズマ状態でプラスとマイナスの電子が走っている

 

*常にほかのものに変われる(生体内原子転換)ように酸素を取り込んだり、ほかの原子を取り込んだりしている

 

4.        なぜ馬、牛、像のような草食動物があれだけの筋骨を造るのか

 

*クロロフィルの中心のコア(核)はマグネシュウム

*マグネシュウムは、外側の軌道に炭素、水素、酸素を持つ

*クロロフィルは、緑の葉のように植物界に存在する

 

*ヘモグロビンのコア(核)は鉄

*鉄も、外側の軌道にマグネシュウムと同じように炭素、水素、酸素、を持っている

*ヘモグロビンは動物の血液に存在する

 

*動物も植物も、外側の軌道に同じ元素がある

*違うのはコア(核)だけ

  

 

クロロフィルの構造            ヘモグロビンの構造

*動物の多くは植物を食べる・・・肉食獣でも草食動物の内臓を好む

*動物は植物に依存している

*これは動物の体の中で原子転換が行われているから

*マグネシュウムは、元素番号は(12)原子量(24)

*鉄は、元素番号(26)原子量(56)

*マグネシュウムに酸素2分子を融合させると、鉄族が生まれる

 

 

*マグネシュウムは炭素二つの核融合でできている

*マグネシュウムがすぐに酸素を引きつけて融合し鉄をつくるのは、動物が呼吸するとき大気中から必要な酸素を取り入れるから

*酸素2分子は、呼吸によって間断なく茎中から体内に摂取される

*マグネシュウム(12)(24)+酸素2分子(16)(32)で鉄を生む

 

 

*この原子転換では、まず原子番号28にニッケルができ、次に27番のコバルトになり、

すぐに原子番号26の鉄を生み出す

*この変化のプロセスはきわめて速く、1秒以内に完成される

 

 

5.        千島喜久男の「結球と組織細胞の転換説」とルイ・ケルブラン 

 

           ケルブランは原子レベルの変換を説く

           千島喜久男は血液・細胞レベルの変化を説く

           千島喜久男はケルブランとの研究・情報の交換の中で様々なヒントを得た

           生体内原子転換は酵素の触媒作用による

           ルイ・ケルブランは1962年に発表した「生体による原子転換」では雲母とカルシウムの関係について“ニワトリに長い間  カルシウムを全く与えず、硬い殻の卵を産めない状態にしておいた後、アルミニウムとカリウムから成る「雲母」をエサとして与えた。すると、たちまち硬い殻(カルシウム入り)の卵を産むようになった。”と述べている。ケルブランは、これらの数々の実験から生体内で原子の転換が行なわれていることを発表した。

 

           K+H→Ca

 

           ケルブランは逆の関係に注目した。“昔から人は硝石を集めて火薬の製造に用いた。

硝石は湿った温かい石灰の壁にできる。なぜ石灰の壁に硝石ができるのか“それは

バクテリアが働いてカルシウムの原子核の中から水素の核を取り出すからだと考えた。

 

                     Ca−H→K  

 

 

*千島学説は窒素分を含む赤血球とそれを含まない脂肪との転換

           赤血球が脂肪に変わるときには窒素は変化する

           2N→C+O   への転換

           断食やカロリー制限、飢餓などのときは脂肪から赤血球に逆戻りする

           C+O→2N   への転換

 

 

*千島喜久男の考えた葉緑素からヘモグロビンへの転換

 

           ケルブランはMgからFeへの転換には触れていないがSi+4LiFeになるといっている

 

           千島喜久男はこの理論にヒントを得てクロロフィルからヘモグロビンへの転換を考えた

Mg+2H→Si          Si+4Li→Fe

 

           酸素と炭素はすぐ結びつく(COCO2)この核融合でC612)+O816)→Si(1428)になる

 

           珪素が生体内で原子転換される核融合はこのかたちのCO→Siが一般的である

 

           食物はCとHとOから成る(蛋白質はNを含む)つまり原子転換には様々な核融合が存在する

 

第三部(16051700)健康の知恵袋・・・危険な油が病気の元凶

 

1.       ヒトの体を不健康にする間違った油の摂り方

*リノール酸とαリノレン酸の摂り方(摂取比)が健康、長寿へのカギ

*「DHA EPA」もαリノレン酸からつくられる

*大量生産される油には気を付けなければならない

 

2.       遺伝子を狂わせるトランス型脂肪酸の恐怖

*トランス型脂肪酸は欧米ではこれを多く含んだ油脂製品の販売は禁止されている

*トランス型脂肪酸は自然界には存在しない不自然な分子構造をしている

*トランス型脂肪酸は、自然な形の脂肪酸で構成されている細胞膜の場所を横取りする

*横取りしても、自然な脂肪酸とは形が違っているためその場所にフィットしない

*そのため、細胞膜のカタチは歪み、穴が開き、細胞の働きを病的にする

*細胞膜が不自然になれば、細胞の中で本来必要なものも流失してしまう

*逆に細胞の外に追い出さなければならないものもどんどん侵入してくる

 

*これが、全身で起これば健康な生活はおぼつかない

 

*トランス型脂肪酸は自然な脂肪酸と違うため、溶解温度も違っている

 

*たとえば、自然なオレイン酸の場合は、13度を境に、それよりも高温で液体、低温で個体

 

*トランス型脂肪酸に変化したオレイン酸(オメガ9)は44度以上で液体、それ以下で個体

 

44度は私たちの体温よりはるかに高い・・・牛、馬、豚、鶏の脂肪

 

*米国心臓病学会は1999年「心臓病の予防にはマーガリンなどを摂らないように」と指針

 

*トランス型脂肪酸の法規制(販売禁止)はオランダ、デンマークから始まった

 

*トランス型脂肪酸は家庭や外食の調理の中でも発生している

 

*脂肪酸研究の世界的権威、カナダのウド・エスラム博士は「不飽和脂肪酸が150度以上に熱せられると、その分子構造は急激に変化する」「10度まで熱せられると確実にトランス型になり、200度を超えるとトランス型脂肪の発生率は異常を極める」

 

*油に関するNHK「ためしてガッテン」が解説した誤った報道

 

 

 

「病は気から」と言う。心の持ちようで、脳の自己治癒に関わる回路が活性化する。その結果、免疫系の働きが高まり、病気にかかりにくくなり、がんの発生の確率も下がる。そんな健康への道筋が、科学的研究から見えてきているのである。

 

ここで押さえておくべき点は、「心」を生み出しているのはすなわち脳であり、心の持ちようの背後には、脳内の活動があるということである。どのような気持ちで日々を送るかは、そのまま脳の物質的な活動へとつながり、健康にも反映される。だとしたら、健康につながるような心の習慣を持ちたいものである。

 

自己治癒能力を高めるうえで、最大の敵がストレス。自分がコントロールできないことまでなんとかしようとしてイライラすることがストレスのもとになる。

 

自分ができることについてはベストを尽くすが、結果は運に任せるくらいの余裕のある態度がよいのである。

 

近年、チクセントミハイやセリグマンといった米国の研究者を中心として、前向きに生きるための心理的条件や、性格の類型を研究する「ポジティブ心理学」という新しい分野が立ち上がりつつある。

 

忙しくても、「フロー」と呼ばれる、時間が経つのを忘れるような集中状態に入ることができれば、仕事自体が喜びとなり、報酬となる。そのような心がけを持つ人は、脳活動も調整され、自己治癒能力を通して健康にもなる。

 

たかが心の持ちようと言うなかれ。心は脳と等価であり、脳は体と結びついている。ぜひ、健康になる心の習慣を身につけたい。

 

 

筋を通す人はガンにかかりやすくなる

筋というのは意識の一貫性

意識なんかいい加減なもの 非意識を理解していないんだから

それなのに筋なんていう無理を体に他人におしつけようとする。

あれとこれで言うことを変わっているヒトはひどいかもしれないけれどガンにはなりにくい

吐く時と吸う時では状況がちがうんだから。

そこでこの二つの問題を一つにしなければならない。

抽象度をあげて共通点を探す。

条件に対応した柔らかい筋だ。

あれこれに統一性がなく、自分は嫌だけど、人のことは踏みつけるのはたまったものではない。