気持ちよく生きる方法  統合失調症の概要と治療例

 

本人

 

呼吸法  

ゆっくりと静かに楽しく息を吐く15秒、息を吸う3秒、ためる2秒  

これを10回繰り返す

 

 

 血行をよくすること       体操、 風呂

 体をゆるませること       肩たたき、 マッサージ

 食べ過ぎないこと        少食

 体を動かすこと         掃除、洗濯、散歩 

 大脳の使用を減らすこと     音楽、庭の手入れ、瞑想

 

 

 

 

家族・同居者

本人の感じることを理解してあげる。

同居人には感じられないことでも、本人がそう感じているので、本人にとってはそうなんだ、と話を聞く。 本人の意見に同意することも拒否することも必要ありません。

言葉で説得しようとしても、本人はストレスと大脳の使いすぎで疲れているので、左脳の論理的な神経よりも間脳の感性や感情などの神経からの情報を大切にして、判断や認識をします。 

ですから言葉という大脳を使うコミュニケーション方法は減らして、一緒に散歩したり、体操したり、庭掃除をしたり、近所の人と共同作業をしたり、温泉に行ったり、この時期ならば山菜を取りに行ったりするのがよいでしょう。

テレビやラジオや新聞はダメです。これらはまた大脳を刺激するからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

統合失調症の概要と治療例

 

概要

自分の内部に生じたイメージや思考と、外界に実在する事物によって生じる知覚とを区別できない、ことから起きる症状です。これが幻覚、幻聴、妄想です。一時的な考えが、現実によって阻止されず、本格的な妄想になってしまいます。

日本の精神医療に分裂病を治療する方法論はドーパミン経路を抑制させる薬を投与することぐらいです。

ですから自分と家族で地域で向かい合うのが望まれます。

 

 分裂病とは、10年前から統合失調症と呼ばれるのもので、破瓜病、緊張病、妄想病、その他の総称で、本来は精神分裂症候群と訳されるべきもので、その症状は多様です。従って、個人の症状によって対応を変えていかなくてはなりません。

 一般に症状を二極に分けます。陽性症状(幻覚、妄想)と陰性症状(自閉、感情鈍磨)です。分裂病薬が奏効するのは陽性症状のみです。陰性症状にはほとんど奏効しません。 当該剤の副作用は強烈で、メカニズムは脳内の感情・運動調整回路(ドパミン経路)を抑制させてしまうもので、陰性症状のない者も動けない状態になります。

 

 さて、分裂病とはどのような障害かといえば、近年の生物学的・認知科学的研究を統合すると、そよそ以下のようになります。

 ・生後環境からのストレスのために神経配線の歪みが生じる。

 ・発達障害の神経網は、前頭葉の左側で諸感覚を統合する短期記憶の部位

 ・ここから、情動・運動調整回路に制御情報経路があるが、現況認知情報が適切に処理されない為、情動・運動回路にも障害が発生する。

 

前頭葉の障害は、時間単位あたりの情報処理量が少ないと理解でき、一時に多くの刺激入力があると容易にオーバーフローしてしまい環境に同調した協応行動がとれなくなる(短期記憶障害、思考中断、意志形成の不能、連想の不統一、自閉などの基礎障害)、さらに運動調整回路の破綻(極端な不器用、易疲労性)、情動記憶回路の破綻(知覚の歪み、幻覚・妄想)が生じる。

 

<対応方法>

一度に多くの情報を処理しなければならない環境あるいはストレス環境から遠ざける。これは、音や光刺激なども含む。これは、感覚ボリュームが大きくなっているということ。さらにフォーカスが広がっており、通常、気にならないような周辺情報も大きなストレスとなる。というよりフォーカシングが出来ない状態。ですから刺激を減らし、関心を一つにするのがいいです。

 

 一度、ストレスを蓄積すると脳は過覚醒状態が継続し不眠、昼夜逆転など生活リズムを乱しやすい。もともと、覚醒時は脳が無理をして情報処理をしているので、平均より長い睡眠を必要とする。睡眠不足が最もいけない、薬を使ってでも長時間睡眠をとる。

 代謝が悪くなると、身体が硬くだるく、重くなり、陰性症状の悪循環になる。海外の分裂病者の対処策は、

1、ホット・シャワー(風呂)

2、散歩(犬の散歩は自分ではない他とのコミュニケーションになるので良い)

3、ストレッチ(体幹部の硬直・緊張を蓄積させない)

 

良好なコミニュケーションがあると脳内では前頭葉に対しドパミンが分泌され、前頭葉が活性化される(興味を持つと集中度が上がることの脳生理学的説明)。欧州ではアルツハイマ患者に積極的語りかけをし、萎縮の抑止、まれに改善が行われている。

 カナダの当事者サイトで「意義ある活動」の重要性を記した記事があった。(米国では、公費でコミュニティーごとに、患者のCLUBがあり、勉強会、週に2、3日のセラピスト面談、週1日の保健婦面談その他活動が組織されている。 医師は月1日。3分診療、大量薬投与の日本と全く事情が違う。)

とにかく、共感を覚える機会を持つ、これが改善につながらないまでも進行の抑止につながることは間違いない。

 といっても、無理にコミニュケーションを強要しない。

 

 とにかく、易疲労性はどうしようもないので、絶対に無理をさせない。腹八分目の努力で気長に。

 連想の弛緩(不統一)には、作文の練習、短期記憶障害、思考障害には暗算の訓練など。米国の実験的治療では認知科学的トレーニングが劇的に奏効した報告もある。

 

参考

「分裂病がわかる本―私たちはなにができるか」(日本評論社)

「姿勢のふしぎ」成瀬悟策(講談社ブルーバックス)

「脳を知りたい!」野村進氏(新潮社)

なぜ「被害妄想」の罠に落ちるのか?

「妄想性人格障害(妄想パーソナリティ障害)」 - Wikipedia

 

治療者の考え方

全ての感じることはすでに本人の脳の中にあることです。

見えたり聞こえたり感じたりするものは本人が普段から持っている感覚のものです。 

持っていたり、経験していないことは意味がわからなかったり関心がありません。

例えば、見られている、ということは普段、見ることをしている人しかわかりません。

被害にあうというのは害を与える人にしかわかりません。

監視されているのは監視している人にしかわかりません。

油で汚されているのは、油で汚している人にしかわかりません。

ただ油というのはスーパーで売っている油ではなく、ヌルヌルしたもの全ての例えにしているのかもしれません。

本人が監視することをやめたり、油で汚すことを止めれば、逆に監視されたり油で汚されることもなくなります。

 

人間が一番不安に思うことはなんでしょうか?

人によって不安の原因はいろいろあります。

その中でも、大きな原因のひとつは「わからない」ということです。それも生存に関わる、未知のことです。

わからないことに慣れている人は良いのですが、それが習慣化されていない人は、わからいことがあると不安になり、大脳でその未知なるものをなんとか区分して既知なるものに変えようとします。例えば視線を感じるということは、他人か、もしくは動物か何かでしょう。そのほかには神話や民話やファンタジーを受け入れる人は、天使や森の精やトトロや座敷わらじや妖怪やカミサマや妖精に見られていると感じられるかもしれません。

いままでの経験や知識の中に当てはまらないと、次に脳は不安を解消させるために、脳内に因果関係を創りあげるアーティストになります。それが妄想です。

 

 

被害者になることでいろいろなメリットがあるので、人は被害者になるのが好きです。

・被害者のポジションを使うと相手を攻撃できそう。

・被害者になることで相手は加害者と主張できる。

・私が悪いと感じなくていい。

・同情を得れるような感じがある。

・被害者の立場を使って状況をコントロールできそうな感じがある。

(「こんなに傷ついたのはあなたのせいよ、この気持ちがなんとかなるようになんとかしてよ」という感じ)

 

 

そして被害者のポジションでいるかぎり傷ついた気持ち、嫌な気持ちをを感じ続けなければいけません。これはしんどいです。

そして、実際にはこのような行動をとると人は離れるので、メリットではなく辛いことが起こってしまいます。

 

なんでも自分以外のせいにすると、自分の感情をコントロールする権利を他のものに与えてしまうことと一緒です。

例えば、Aさんが「こんな腹が立つ気持ちになっているのは、Bさんのせいだ!」と思っているとします。

こんな感情になっているのは、まるっきりBさんのせいだと思っている時は、Bさんが態度を変えるとか、その場から立ち去るとか、Bさんが何らかの対応をしないと腹が立つ気持ちはどうにもなりません。

つまり、その感情がどうにかなる権利はAさんにはなく、Bさんにあることになってしまいます。

Aさんは自分の感情なのに、自分の感情のコントロール権が自分にはなく、Bさんにあることになるのです。

自分が感じている感情の原因を外に起因させる視点である時に私たちは被害者感覚がしてしまいます。こういう時は原因を外ではなく内に起因させる視点を持つのがスマートな解決法です。そのほか忘れてしまうとか、次の関心に意識を変えるとか。

 

起こった物事の受け止め方として「こんな腹が立つ気持ちになっているのは、Bさんのせいだ!」と考えることもできるのですが違う考え方もできます。

「Bさんと話していると私は腹が立つ。だけど他の人は仲良くやっている。この違いはなんだろう?」と考える試みです。

そう考えると私としては腹が立つと感じる理由が見つかるかもしれません。

 

「昔私をいじめた◯◯さんと似ているところをBさんに感じているから腹がたつんだ」

「腹をたているお父さんを投影していたんだ!」

「昔、私をふった彼を感じさせてる人だから腹がたってたんだ!」

「店員だったら私をいい気分にさせるべき!と私が思いすぎてたんだ!」

「上司なら、もっとしかりするべきだ!と私が期待しすぎてたんだ!」

「私がコンプレックスを持ってたんで、それを刺激されてしまってたんだ!」

などなど、なぜ私はそう感じてしまったのかのという理由が見えてくるかもしれません。

 

こう考えると感情のコントロール権利はAさんにあることになります。

自分の感じ方によって世界はなりたっているのがわかれば、その感じ方を何とかできる権利を自分自身に取り戻すことができます。

 

 

 

 

 

●言葉使いを変えてみる

 

私たちの思考は言葉によって縛られているところがあります。

言葉を変えることによって、被害者の視点での物の受け止めかたを変えていけることもあります。

 

被害者感覚がある時は、「傷つけられた」「悲しい思いをさせられた」「疲れているのにつきあわさせられた」というような「〜られた」「〜させられた」と相手が自分の感情や、行動の決定権を持っているような言葉になってしまいがちです。

 

「〜られた」「〜させられた」という言葉使いを手放そうと思ってみるんです。

 

「疲れているけど断りにくかったのでつきあった」というように変えれると、私が行動の最終決定をしたということになります。

 

相手が自分の感情や、行動の決定権を持っているわけではなく、自分自身が自分の感情や、行動の決定権を持っている形になりますね。

自分自身が感情や、行動の決定権を持っているという感覚を取り戻すんです!

 

『◯◯させられた』という被害者の立場から抜けだした視点で物事を受け止めれると、被害者感覚の時のしんどい感覚や感情から解放されてやすくなります。

 

 

 

●依存心が被害者感覚を生むとき

 

依存心が被害者感覚を生むことがあります。

依存心が強いと誰かに自分のニーズ(欲求)を満たしてもらいたいと相手に寄りかかりすぎたり、また誰かが自分を満たすべきだと思っています。

例えば、Aさんという女性が彼氏との関係で、『彼氏が私のことを好きなのか不安』という気持ちを持っていたとします。

特に彼氏は浮気をしているなどではないのですがAさんには不安がいつもあり、満たされている感覚がしません。

Aさんは自分が不安は彼氏のせいであり、『もっと好きだよとか言葉にだして愛情表現するなりなんなり彼氏が私のこの不安を解消してくれるべきだわ』と自分を満たすのは彼の役目だと思っていたとします。

自分の不安を解消するのも、自分が満たされるのも彼氏に全部頼りきっている感じです。依存度が高い感じです。

そうすると彼氏が上手いこと不安を解消してくれたり、満たしてくれない時に被害者感覚がしてしまうんです。

彼氏は私は不安を解消するべきだし満たす役目をはたすべきだ!

そうするべきにもかかわらず、そうしてくれないという論理が働き被害者感覚してしまうんです。

この感覚がする時はしんどいんです。

 

被害者感覚があると、時には『こんなに傷つけられたんだから私は何を言ってもいいでしょ!』的な論理が働き相手を攻撃してしまうことがあります。

本人にとっては正当性があるような気がしてしまうのですが、この論理がまた新たに自分を傷つける原因になってしまうことがあるんですね。

 

例えばAさんが自分が不安な気持ちで居続けるのは彼氏のせいだ!と思ったとします。

だから彼氏に文句を言ってもいい!!と思ったとします。

で、彼氏に言っちゃうんです。「こんなに不安な気持ちでいるのはあなたが安心させてくれないせいよ」と。「あなたのせい」ということを彼氏に何回も言っちゃうとどうなるのでしょう?

よほど屈強なパートナーか、もしくは何を言われても感じないよほど鈍感なパートナーでない限り相手はその関係を持つことに疲れていっちゃうんです。

時には、それが要因で気持ちが離れていってしまったというお話を聞かせていただくこともあります。

 

自分を満たすのは相手ではなく自分なんだという考えの割合を今より増やすんですね。

依存心を減らしていこうと意欲を持ってみることは勇気がいることであります。

この考え方を持てている時は、それ自体が依存心を減らしていき自分の足で立とうとしている現れだと思います。

 

例えば「本当は自信が無くて不安だったのを、彼氏に“私を安心させるべきだ”と彼のせいにしすぎちゃってたのかもしれないな」とか、「彼に自分の感情を満たすことを依存してたけど、本当は私自身が自信を持てれば彼に求めすぎなくてもいいのかもしれないな」というふうに気づきを得れるかもしれません。

気づきを得れると、どうすればいいかという課題も見つけやすくなります。

「この不安を解消するのは彼にもたれかかることじゃなくて、自信をつけていくことがいるんだな」というふうに。

 

まずは依存心が強くなっていることに気づくことが大切なんですね!

依存心を嫌っている人は、自分が依存心が強くなっていたということを受け入れがたくなり、自分の依存心が強かったんだと認めにくくなる時もあります。

ですので、依存心が強くなっていることに気づくというは成熟さがいることでもあるんですね。

 

それは依存が悪いからという意味ではなく、依存心が被害者感覚を作り、それが傷ついたと感じることを作ってたり、状況を悪化させているようならば、しんどい感情を感じることを減らしていくためや、良い状況を増やしていくために依存を減らしていくんですね。

 

不安を解消したり、自分を満たすのを外の何かに(誰かに)求める割合を減らして、自分の考え方や物の受け止め方、感じ方を変えることでできないかと自分の課題としてできることはないか?と探してみるんですね。

 

 

●満たされていない過去のニーズ

 

『彼氏(彼女)に寂しさを埋めて欲しい』と相手に寄りかかりすぎてた依存心と向かい合っていくと、実はその満たしてもらいたいというニーズは、本当は彼氏(彼女)に埋めて欲しいものではなく、過去の誰かとの関係で満たしたかったものだったということがわかることがあります。

 

例えば、子供の頃に両親との関係でさみしい思いをしており、両親にその寂しさを埋めてもらいたかったというニーズがあったということがカウンセリングでわかってくることがあります。

そのニーズは抑圧されており普段の意識上ではわからなくなってしまっていたものが、彼氏(彼女)との関係で『彼氏(彼女)に寂しさを埋めて欲しい』という形ででてきてしまっていたということがわかることがあります。

本当は両親にその寂しさを埋めてもらいたかったという感情ですから、彼氏(彼女)がいくら頑張っても埋まらず依存的になりすぎてしまってたんですね。

 

そういう時は、抑圧されていた感情を感じて解放してあげるといいんですね。

 

「私、小さい頃さみしかったんだな」「小さい頃、本当は両親にそばにいてもらいたかったんだな」という具合に抑圧されて感情を感じきって解放していくんです。

 

感情を感じきって解放していくと、その過去の満たされなかったニーズの代用品を彼氏(彼女)に求めようとする気持ちが小さくなるので、過度に依存することがなくなって相手との関係で感じる感情が楽になっていきます。

そうなると相手との関係も、よりよくなることが多いんですね。

『もしかしたら私が依存的になりすぎるのは、過去の満たされてない何かを求めているのかもしれない?』そんな視点を持ってみてみることで、もしかすると依存心の割合を減らしていく為の課題を見つけられるかもしれません。

 

依存心を減らしていくための、自分にとっての課題を見つけてみようと意欲を持ってみると、すぐには見つからなくても見つけていけるように思います。

 

被害者意識は、「自分は責められるべき人間」という意識がある場合に生じます。自分が責められる人間と思っているという事は、どこかで「悪い人間」とか「迷惑をかける存在」という加害者意識がある事にもなります。

この加害者の立場は、その人が持っている罪悪感がその元になっています、罪悪感を持つのは、子供の頃の誰かの一言であったり、置かれた環境によるなど、人によりそれぞれです。

罪悪感を持っている人は、罪悪感を人に感じさせる言動をとったり、本当に迷惑な存在になってしまったりする事がよくあります。

では、そのような人が周りにいた場合、どのように接していけばいいのでしょうか?

一つは、自分が悪いのではないか、と感じさせられたときに、「まてまて、これはその人の罪悪感だ」とその心理的な罠に引っかからない事です。

そして、その人の深刻さに引っ張られないで、力を抜いて接してあげる事です。

更に、その人をそんな状態から救い出したい場合ですが、その人は自分を信頼できていない状態なのですから、あなたがその人に替わって「信頼」のメッセージを送り続けてあげる事です。

被害者意識を持っている人は、必ず加害者の意識も併せ持っているという事になります。

 

 

脳の状態を理解する

「監視妄想の人が見ている世界を知る」での説明は、監視妄想の原理ですが、理屈が通用しない原理ではありません。

理屈が通用しない原理は別にあります。

それは、オレオレ詐欺に騙される人と同じ状態になっているのです。

オレオレ詐欺に騙される人には面白い傾向を示す人がいます。

銀行で「それは詐欺かもしれない」と注意されても、詐欺でも良いから振込みさせてくれと言う人もいるのです。

さて、それは何故そうした心理状態になるのでしょうか?

 

その原因は「前頭極」にあります。

前頭極は、前頭葉の活動を抑え、扁桃体主体の脳へと変えます。

つまり、思考力や理性が著しく低下し、感情に支配された脳へと変わるのです。

 

扁桃体主体の感情に支配された脳を、理性でコントロールする事は大変困難になります。

さて前頭極とはどんな役目をしている所なのでしょうか?

前頭極は未来予測に関する役目があると考えられているのですが、同時に危険回避の役目も担っています。

つまり、自分に危険が及ぶ事が想定された時、その危険を回避する為の防衛本能なのです。

もう少し分かりやすく説明すれば、対岸の火事の時には前頭極は働きませんが、その火の粉が自分に降り注げば前頭極が働きます。

危険が身に及ぶ時、あれこれ考えていたのでは間に合いません。

つまり、瞬時の判断を要する「危険」に遭遇した時には理性が邪魔になるのです。

危険な所や危ない所は避けようとするのも、未来予測で「危険」と判断して「怖い」「不安」と言う感情が起きるからです。

その「不安」や「恐怖」と言った感情を感じる所が「扁桃体」なのです。

 

脳が不安に支配されていると、一つの不安が消えても、新たな不安が次々と湧き出して「不安の堂々巡り」や「際限のない不安の膨張」に陥って行きます。

つまり、脳が扁桃体主体になっている以上、前頭葉は扁桃体から来る感情を満足させる方向にしか働きません。

なので、監視妄想を持つ人に説得する事は無意味なのです。

 

不安を理解する

「脳の状態を理解する」で「扁桃体が不安や恐怖を感じる」と書きましたが、不安とはいったい何なのでしょうか?

「不安」と言う感情的な表現を、具体的な言葉にすれば「分からない事」なのです。

「見えない」「知らない」「予測できない」など全てが「分からない事」なのです。

分かっていれば、不安を覚える事もありませんよね。

人は誰でも心に不安を持っています。

しかし、その不安に苛まれる人と、不安に苛まれない人がいます。

その違いは何処にあるのでしょうか?

多層視点があるかどうかです。

一番大切なのは腸感覚と心肺感覚ですが、ここでは脳感覚の話にします。

脳感覚の視点の一つに「客観視」があります。

客観視とは「物事を自分の利害や感情などを除いた観点で考える」と言う意味です。

それを具体的な感覚的表現に言い換えると「高い所から何も考えずに全体を見渡す」と言い換える事が出来ます。

 

客観的に見ていれば「不安な事もあるけれど楽しい事もある」とか「不安もあるけれど、楽しい事はもっと一杯有る」とか、不安と同時に楽しい事も見られます。

この客観的視野を持ち続けていれば、不安要素が近付いてく来るのが分かりますし、何処に抜け道があるのか?それをどうやって通り抜けるか?等事前にシュミレーションすることが出来ますよね。

では不安に目を背ける人はどうなのでしょう?

客観的に見える不安から目をそらしていれば、いきなり目の前に不安が立ちはだかります。

いきなり目の前に大きな不安が立ちはだかり、立ち並んでいます。

こうなると、大きな不安に目が奪われ、他の楽しい事などは目に入りません。

つまり、不安を大きくしてしまう理由は、嫌な事や不安な事から目を背けたり、考えないようにする事なのです。

そして、目の前に立ちはだかった大きな不安について、あれこれ連想して考えてしまいます。

そうして連想して考えてしまった事を現実だと思ってしまう事で、不安から抜け出せなくなってしまいます。

 

不安はセロトニン不足でも起こります。

そのセロトニン不足を原因とする病気に鬱病があります。

鬱病に限らず、セロトニンが不足すると様々な症状が出てきます。

先ず要注意なのが片頭痛です。

片頭痛もセロトニン不足で起こります。

そしてセロトニンが不足するという事は、脳が興奮状態になり神経過敏になると言う事でもあるのです。

頭鳴(耳鳴り)が起きたり、目眩がしたり、視界が白っぽく見えたり、ゆがんで見えたり、視点の周囲にギザギザのような物が見えたり、太陽の光が異常に眩しく感じたり、頭皮が突っ張った様に感じたり、眠れなかったりします。

思春期に片頭痛に悩んでいたりすると、中年以降に耳鳴りや目眩に悩む事もしばしば有ります。

女性の場合は、生理の時に頭痛を伴ったりする場合、生理痛と思いがちですが、それもセロトニン不足による片頭痛なのです。

そうした片頭痛の時に、頭痛薬を使用すれば痛みは和らぎますが、原因物質までは取り除けません。

その為、原因物質が蓄積されて、脳の神経過敏状態が続きます。

 

スルー

人は目に映る物が全て見えている訳ではありません。

こんな経験は無いでしょうか?

どんなに探しても見付からなかった物が、探すのを止めたら目の前にあった。

不思議ですよね?

それは目から入ってくる映像としては網膜には映っていても、認識できなかったのです。

人は目に映っている物全てが見えている訳ではありません。

いや、見えていると言う表現は的確では有りません。

認識していると言い換えた方が良いでしょう。

 

見えていても認識していなければその時は意識できないのです。記憶には残っていることはあります。体験を一枚の写真のように記憶する人は後から、その写真を見てチェックするようなことがあるからです。

話を戻しますと、人は自分にとって重要な事、興味や関心のある事、意識している事以外はスルーしているのです。

例え毎日見ている物でも、スルーしている物は意識にのぼりません。

 

妄想と現実の違いを考えて見ましょう?

先ず妄想とは「根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。」と言う意味です。

では現実とは?

「現に存在し活動するもの。想像・虚構や可能性ではなく、現に成り立っている状態。実際の存在。実在。」です。

 

さて、学校で学んだ学問は、現実でしょうか?それとも妄想でしょうか?

「学校で学んだ事(学問)」と言う物を、妄想と言う意味と、現実と言う意味を踏まえて、今一度考え直してみましょう。

確かに学問は現実に存在する物です。そう言った意味では現実ですよね。

しかし、本当に現実なのでしょうか?

現実に存在すると信じているだけではないでしょうか?

自ら確認もしていない事を、「現実に存在する」と言えるのでしょうか?

 

ここが問題なのです。

自ら確認していない事と、妄想と何処が違うのでしょう?

誰もが「事実だ」「本当だ」と言っている事を信じているだけではないでしょうか?

その事と、誰かの妄言を信じる事と何処が違うのでしょう?

 

何事も、自分で経験して初めて現実になるのです。

経験もせずに得た知識は「知ったつもり」になっているだけで、本当の事は何も分かっていないのです。

 

つまり、実際に存在する同じ一つの事象でも、経験して「知っている」は現実で、経験もせずに「知っているつもり」は妄想と同じなのです。

「知っている」人から見れば、「知っているつもり」の人は幼稚に見えます。

幼稚に見られると子ども扱いされ、何事も任せて貰えません。

それが「知っているつもり」の人には「差別」に感じます。

「知ってるつもり」を「知っている」と勘違いし「自分は知っている」と思い込んでいる人は、思わぬ所で失敗します。

その失敗の積み重ねが「知っている」になって行くのです。

「知っているつもり」の人は、その知識を使う場面が来ると不安に駆られます。

不安になりあれこれ連想して考える事で、不安を増長させてしまいます。

不安が増長すれば、何かと理屈を付けてやろうとしなくなります。

やりたくもない事をやらされれば「強要」に感じます。

そして何時までもやらなければ「知ったつもり」から抜け出せないままです。

不安とは「分からない事」、つまり知らないのです。

妄想と現実を分ける物は「経験」の有無なのです。

そうしてもう一つの問題は現代の問題はその経験も「実験室」で行われたことということです。この実験室の中でしか通用しなかった経験を実験室の外でも通じると思い込む演繹法の生き方です。

 

 

イメージ

人は、経験も知識もない場合、類似する経験や知識を元にイメージで考えます。

そのイメージも、類似する経験や知識が無ければイメージする事すらできません。

このイメージと言う物が「かなりの曲者」なのです。

人気小説を読んだとします。

小説を読んだ人は、頭の中に自分なりのイメージを広げて行きます。

その小説が映画化されたとします。

映画を見てから小説を読むと、頭の中に浮かぶのは映画のイメージしか浮かばず、自分なりのイメージは浮かんできません。

つまり、映像を見るとイメージを刷り込まれてしまうのです。

我々の頭の中には、知らず知らずの内に、TVや映画等で様々なイメージが頭の中に刷り込まれているのです。

そしてTVや映画で刷り込まれたイメージで物事を考えてしまっているのです。

そのイメージもまた「自分では経験していない事」なのです。

 

怪しい事を探すとは

ここまでの事を踏まえて、「怪しい」と言う事を少し考えて見ましょう?

「怪しい」とは何か?

「怪しい」とは、不安と同じ様に「分からない事」であり、「見えない」「知らない」「予測できない」事を「怪しむ」のです。

人は不安になり警戒し始めると、「怪しい」と思える物を探そうとします。

それを言い換えれば「見えない」「知らない」「予測できない」事を探しているのです。

しかし、それまでの生活の中で「スルー」していた物は、認識していません。

元々有った物でも、認識していなかった物は、怪しい物に思えてしまいます。

不安を持つ人に、日常スルーしている事を「犯行の手口」と言う先入観を与えて探させるのが、集団ストーカーやガスライティングと言ったマインドコントロールです。

しかし、そうしたマインドコントロールに陥らなくても、不安を抱え警戒している人は、日常のスルーしていた物を探そうとします。

その顕著な例が「ネットに書き込まれている」と言う妄想です。

そうした妄想を持つ人は、自分に符合する書き込みを探そうとします。

そして自分に符合する書き込みを幾つも見つけていきます。

しかし、そこまでの過程でスルーした書き込みの量までスルーしています。

見つけた書き込みも、自分を特定するような物は何も無く、単に自分の行動に符合していると言うだけで、それも誰でもするようなことばかりです。

 

何故監視されているように感じてしまうのか?

その原理は「監視妄想の人が見ている世界を知る」の映像です。

つまり「逆遠近錯視」です。

さて「逆遠近錯視」は凹凸の逆転で、自分を見続けているように見えますが、監視妄想は何が逆転しているのでしょう。

それは「社会性」であり、社会性の根本原則である「信頼」であり、「コミュニケーション」なのです。

社会性は「信じる」事を基礎として成り立っています。

その「信じる」が「疑う」に変わる事が、凹凸の逆転と同じ様に感覚的な逆遠近錯視を引き起こします。

また他人を理解するには会話を重ねるしかありません。

そのために必要な物がコミュニケーション力です。

コミュニケーション力が低く、他人を理解していなければ、他人も「知らない物」になり、他人の存在自体が「不安要素」であり「怪しい存在」になります。

つまり、他人が自分の事をどう思っているか、どう見られているかを考えた時、全てが推測や憶測で考えていると言う事で、それは妄想と同じ事なのです。

さて、このコミュニケーション力ですが、単に会話ができると言うだけでは、真のコミュニケーション力とは言えません。

どれだけ自分の弱みをさらけ出せるか?が問われます。

社会性が正しく育っている相手なら、自分の悩みを打ち明ければ、相手も抱えている悩みを話してくれます。

お互いに悩みを話す事で、悩みを抱えているのは自分だけではないと言う事を知り、そうして打ち明けあう事で他人を理解して行くのです。

しかし、他人に悩みを打ち明けられない(弱みを見せない)人もいます。

それは相手を信じていないから。

つまり、社会性の基礎である「他人に対する信頼」が無いのです。

他人を信じない人は、自分も信じて貰えません。

つまり、上辺だけの関係なので、何時までも他人は未知の存在で「知っているつもり」になっているだけです。

そんな関係の中で、何かトラブルがあれば、相手から見た自分は想像に頼るしかありません。

しかし、「知っているつもり」の人は、その知識を使う場面が来ると不安に駆られ、人の目を意識したり、気にするようになります。

さて、その信頼はどの様にして作られるのでしょう?

それは、乳児期から幼年期にかけての親子の愛着によって作られます。

親子関係の「愛着」を他人に応用した物が「信頼」です。

他人に応用すべき親子関係の愛着が無ければ、他人に対する信頼も生まれないのです。

これも一つの経験による学習なのです。

親子の間で経験した事を他人に応用している訳で、経験していなければ不安で出来ないのです。

そしてもう一つ逆遠近錯視を引き起こす原因に「自責の念」と言う物があります。

何かをしてもらったが、返せない。

期待に応えられない。

礼や謝罪が言えない。

そうした事が「自責の念」を生みます。

その自責の念も「連想して考えてしまった事を現実だと思ってしまう」事の一つです。

その自責の念も、「相手にこう思われている」と思う事と、実際に相手が思っている事とは違います。

これも凹凸の逆転です。

 

能力とは失う事

子供の頃から受験勉強をすると言う事は、引き換えに何かを失うと言う事です。

時間は124時間と決まっています。

その24時間の中には睡眠時間もあります。

決まった時間の中で、何かに特化させる為に時間を使えば、他の能力の取得を犠牲にすると言う事になります。

受験勉強の場合、犠牲にされるのは「遊び」です。

人間が生きて行く上で必要な事を学ぶのが「遊び」なのです。

他人とのコミュニケーション、人間関係の構築や修復、社会性、学習能力 etc

それだけでは有りません。

外で遊べば、様々な自然や自然法則を身を持って経験します。

そして最も大切な事は、脳の神経細胞は五感からの刺激によって発達し、勉強では発達しないのです。

そして受験勉強には大きな欠点があります。

受験勉強は「早く答えを出す」為の勉強であって「考える力」を付ける勉強では有りません。

それが思考力の低下をもたらします。

その顕著な例が「ランキング」などの「評価」です。

何かを選ぶ時、ランキングや評価と言った物に頼る人、権威性を重視する人、そうした人を作るのが受験勉強でもあるのです。

このランキング等の評価や、権威性と言った物の何処がいけないのでしょうか?

それは、判断を自分でするのではなく、他人に委ねていると言う所なのです。

つまりそれは「自分で考えていない」と言う事なのです。

その権威性が、マインドコントロールに陥る要因の一つでもあるのです。

「遊び」と言う物を考えて見ましょう。

子供の遊びには4段階の遊びがあります。

 

1. 一人遊び

2. 傍観遊び

3. 平行遊び

4. 集団遊び

 

一人遊びは文字通り一人だけで遊ぶ遊びです。

傍観遊びは、他の子供が遊んでいるのを見ているだけ。

平行遊びは、他の子供の遊びのまねをします。

集団遊びは、皆と一緒に遊びます。

実はこの4つの遊びが、習得力の学習なのです。

見て、模倣して、実践する。

それを遊びの中で経験しているのです。

傍観遊びと平行遊びは、皆で遊ぶ集団遊びの準備段階です。

平行遊びから集団遊びへの移行とは、個から集団の中に入る最初の経験です。

こうした経験は、一度経験したらマスター出来る類の物ではありません。

何度も成功と失敗を繰り返し、微調整を繰り返しながらマスターして行きます。

 

そして、単純な経験を積み重ねながら高度な経験へと進んで行きます。

単純な経験の失敗や成功の積み重ねなくして、高度な事は出来ません。

受験勉強で遊ぶ時間が削られると、単純な経験を積み重ねが得られず、この習得力が身に付きません。

それはスポーツと同じ様な物と理解すれば分かりやすいでしょう。

経験していない事には誰もが不安を持ちます。

しかしその不安の大きさは人それぞれです。

その不安の大きさの違いは、経験の蓄積が多ければ不安は小さく、経験の蓄積が少なければ不安は大きくなります。

受験勉強など、何かに特化して育つと言う事は、こうした経験を積む時間が失われると言う事でもあるのです。

 

権威性

「妄想と現実の違いとは」で「妄想と現実を分ける物は経験の有無」と書きました。

つまり、自ら経験した事の無い物は妄想と同じです。

では他人の言動の真偽はどう判断するのでしょう?

他人の言動は、自分が経験していない事ですので、妄想と同じ類の物ですよね。

そこで重要になるのが、経験知なのです。

経験知とは、自分が経験で得た知識の事で、その経験知から導き出された経験則によって真偽を判断しているのです。

しかし、その経験知が無かったり少なかったりすれば、真偽の判断は出来ませんよね。

経験則による判断が出来ない時の判断材料が「権威性」なのです。

何かを選ぶ時にランキングや評価を気にする事も権威性ですし、ブランドや知名度、数の多さを気にするのも権威性です。

 

そうした権威性を判断材料にしている事が、経験知の低さの現われなのです。

つまり「経験知の低さ=事の真偽を見抜けない」と言う事になります。

それは「騙され易い」「扇動され易い」「影響され易い」「翻弄され易い」と言う事でもあるのです。

そうした特長を備えていれば、社会に対する「信頼」が揺らいで行きます。

それは「社会性の崩壊」へと繋がります。

 

インターネット

インターネットと言う世界は特異な世界です。

何故インターネットが特異な世界なのでしょう?

それは親和性と排他性を併せ持つ世界なのです。

現実世界の自分が属する集団には、異なる考えや価値観を持つ人がいて共存しています。

共存する為には、お互いの考えや価値観を理解し、尊重し、時には意見を戦わせながらも認め合う事が必要になります。

それが「相手を理解する」と言う事です。

 

しかしインターネットの世界では、同じ考え同じ価値観の人だけが集まる傾向があります。

同じ考え、同じ価値感の人同士であれば親和性により、直ぐに打ち溶け合えますが、その反面異なる考えや異なる価値観を持つ人には排他性を持ちます。

それは「相手を理解しようとしない」と言う事でもあるのです。

排他性を持ち異なる意見や価値観に対して排他性を持つ集団では「情報の非対称性」という現象が発生しやすくなります。

あるものを是とする意見が多数を占め、否とする情報が極端に少なければ、是とする意見を信じてしまいます。

しかし、インターネットの世界では、その是とする意見の多くが「伝聞」の場合が多いのです。

例えば、私の専門である「盗聴」についての質問が「相談掲示板」でなされたとします。

するとそれに答えようとして、何も知らない素人さんがネットで調べて解答を書きます。

回答しようとする人は、誰かの為に役に立ちたいと思う善意から回答をします。

 

その大半が噂や流言飛語の類で、現実の物はほとんどありません。

すると、質問者は噂や流言飛語を信じてしまいます。

これが情報の非対称性による「逆選択」と言われる現象です。

これも、妄想と同じ類の物を信じてしまう事によって起こります。

この親和性と排他性を併せ持つ集団が、カルト宗教なのです。

つまり、インターネットの世界は、カルト宗教と同じ体質を持っているのです。

また、インターネットの世界では気に入らない相手は切り捨てる事が出来ます。

現実世界で、経験知を積み重ねている人であれば問題は無いのですが、現実世界での経験知が少ない人が、コミュニケーションをインターネットに頼ればどうなるでしょう?

一日の時間は限られています。

コミュニケーションをネットに頼れば、現実世界での経験知を積み重ねる事はできません。

それは他人に対する理解力の低下となり、他人が理解出来ない物として「不安要素」になると言う事です。

「能力とは失う事」で「受験勉強」を取り上げたのは、受験勉強は友人とのコミュニケーションをメールに頼り傾向があるからです。

インターネットと言う世界はバーチャル空間なので、現実世界での経験知は得られないのです。

 

監視妄想を持つ人への接し方

監視妄想を持つ人への接し方の基本は、否定も肯定もせずです。

 

否定すれば反発を招き、肯定すれば妄想を深めてしまいます。

その為否定も肯定もせず、ただ相槌をする程度で話を聞くだけに留めると言うのが基本形なのです。

 

しかし「否定」の意味合い次第では、否定も可能なのです。

例えば技術的否定は経験と知識を兼ね備えた人が否定しても反発を招きませんが、経験も知識も無い人が技術的否定をすれば、反発を招きます。

 

これは「権威性」で考えれば理解できると思います。

つまり、監視妄想に陥っている人は「権威性」を重視するのです。

 

監視妄想を持っている人は、疑心暗鬼になっている為、疑問に感じた事に対して突っ込んできます。

その突っ込みに対して即座に返答できるだけの知識と経験が必要で、即座に答えられなければ疑われます。

権威とは「他の者を服従させる威力であり、ある分野において優れたものとして信頼されていること」です。

つまり、権威性を持っている者は、回答を与える物に権威を感じれば、従う傾向があるのです。

そして答えを与えるのではなく、自分で気付かせる様に持って行く事です。

決して意見や考えを押し付けてはいけません。

常に、相手の心理状態を把握しながら、その心理状態に添った話をして行くことです。

その心理状態を知るには、要因や原理を知らなければ把握する事もできません。

話しをする時は、必ず相手の目を見て話しましょう。

目を見て話しをする事で、前頭葉が活性化します。

つまり、目を見て話しをする事で、理解させやすい状態になるのです。

 

監視妄想から抜け出させる具体論 その1

さて監視妄想に関する原因の大まかな説明はここまでにして、具体的な方法論に入りましょう。

先ずは、生活が不規則であるのなら生活リズムから整えましょう。

朝起きて太陽の光を浴びてラジオ体操や散歩をさせる所から始めましょう。

朝起きてラジオ体操?と思う人もいると思いますが、これはかなり重要な事なのです。

不安を抑制する物質がセロトニンです。

そのセロトニンは朝日を浴びてリズミカルな運動をする事で作られます。

セロトニンが不足していては、どんな対策をしても効果は期待できませんよね。

更に言えば、そのセロトニンを原料にしてメラトニンが作られます。

そのメラトニンが睡眠ホルモンなのです。

 

脳の興奮を抑えるのがセロトニンで、興奮状態が続けば眠れなくなります。

そして眠れない事で昼に眠気を感じ、悪循環に陥ります。

まずは、その悪循環を断ち切ることです。

その方法として、朝起きてラジオ体操や散歩が有効なのです。

 

そして食事も見直しましょう。

基本はバランスの取れた食生活です。

セロトニンを作るのに必要な栄養素は「トリプトファン」と「ビタミンB6」です。

バランスの取れた食事の中に、トリプトファンやビタミンB6の摂取を心がけた食事を取らせましょう。

 

様々な物を触り、様々な臭いを嗅がせましょう。

脳神経は五感からの刺激によって発達します。

特に触覚からの刺激には多量の刺激が含まれています。

五感からの刺激を増やし、脳の活性化を図りましょう。

 

不安に襲われている時には手を握ってあげる事も効果的です。

家族や恋人など、心を許している人が手を握ると、不安を抑える効果があります。

そしてそれもまた五感からの刺激の一つなのです。

ハグでも構いません。

人の温もりを肌で感じさせてあげて下さい。

 

監視妄想から抜け出させる具体論 その2

前頭極が働き、前頭葉の機能が低下し扁桃体主体の脳になっている人に説得は無意味です。

しかし方法はあります。

前頭葉で理解させようとするから説得は無意味なのです。

前頭葉が駄目なら扁桃体に教え込めば良いのです。

扁桃体に教え込むって?と疑問に思われるかもしれませんが、前頭葉の発達していない犬や猫はどうやって学ぶのでしょう?

 

それは「経験」で学ぶのです。

例えば盗聴を疑うのであれば、調査をするより実際の盗聴器の音を聞かせ、盗聴発見器での反応を体験した後に、理論的説明をします。

色々な実験の後に、TV特集のビデオを見せて、間違い探しをさせます。

これだけで盗聴系の監視妄想が外れる割合は50%を超えます。

その他にも、GPSを体験させたり、盗撮カメラやコンクリートマイクの実験をしたり、尾行や張り込みの体験をさせたりするのです。

体験後には必ず理論説明をします。

この方法には、準備段階があります。

体験させる前に、想いの内を吐き出させるように、「どんな事があったのか?」を質問形式で聞き、喋り疲れた頃を見計らって、聞き出した内容に沿った実験や経験をさせていきます。

その理由は、想いの内を吐き出した後は、興奮状態が収まります。

興奮状態が収まった時は一時的とは言え冷静さを取り戻しています。

興奮状態の時には何を言っても無駄ですが、冷静になっている時には聞く耳を持ちます。

その時を逃さないようにします。

 

 

監視妄想から抜け出させる具体論 その3

不安から、色々と連想して考えてしまった事を現実だと思っている人には、思った事に「〜と思った」を付けて考えさせたり話すようにさせましょう。

「〜と思った」と付け加えて話す事で、現実と妄想の区別をさせましょう。

「思った」を付けることで、連想して考えて「現実」と思い込ませないようにしましょう。

それは「自分が思っているだけ」と言う認識を持たせるのです。

 

監視妄想から抜け出させる具体論 その4

「幸せ」と言う感覚を持たせられるようにしましょう。

 

人間には4つの幸せが有ります。

1.人に愛されること

2.人に褒められること

3.人の役に立つこと

4.人に必要とされること

 

損得に拘っていると、こうした幸福感は中々得られません。

社会性の第一歩は「与える事」から始まります。

例えば仕事をする時でも、先ずは労働者が会社に労働力を与え、その代償として対価を受け取ります。

得ようとするのではなく、与えようとする意識を持たせましょう。

この「与える」とは、物品や金品、労働力と言った物だけではありません。

「笑顔」も大切な誰でも与えられる物なのです。

他人を笑わせ笑顔を与える人には、人が集まり集まった人から笑顔を貰えます。

自分を笑ったと怒る人は、他人から笑顔を奪います。

そして誰も近寄ろうとはしなくなり、他人から笑顔を貰う事は出来ません。

 

さて、この「与える」と言う事を理解した上で、4つの幸せを考えて見ましょう。

「他人に迷惑を掛け無い様に」とよく言われます。

しかし、4つの幸せとは、別の見方をすると「迷惑」でもあるのです。

誰かに頼られ、それに応えて喜ばれる。

誰かの為に何かをして、喜んでもらえる顔を見る事が「幸福感」を生みます。

「迷惑は掛けられない」と言って、誰にも頼らなければ、他人の幸せを奪うと言う事でもあるのです。

但し、許容を超える「迷惑」は断られますけどね。

 

「誰かを頼る」と言う事は、人を信じていなければ出来ない事ですし、弱みを見せられない人にも出来ない事です。

 

この「幸せ」を「与える」と言う観点からもう少し考えて見ましょう。

「感謝されたい」と思う気持ちは求めていますよね。

つまり「感謝されたい」を前提に何かをする事は「与える」のではなく「求める」なのです。

感謝や賞賛を求めて何かをして、感謝も賞賛もされなければ、不満が出てきます。

しかし、自分がやりたい事をやり、それで感謝や賞賛されなくても不満は出ません。

そして自分のやりたい事をやった結果、それは誰かの役に立ち、感謝や賞賛を受ければ満たされた気持ちになります。

 

つまり何かの「道」に日々精進する事です。

何かの「道」に精進していれば、求めずとも気が付けば人に頼られる様になっています。

頼られると言う事は、必要とされ、役に立っていると言う事でもあります。

つまり、何かに打ち込み精進する事が、4つの幸せを得られる事になるのです。

心が満たされていれば、監視妄想などに陥ることもありません。

 

監視妄想から抜け出させる具体論 その5

「役割を与える」これは特に痴呆系の被害妄想に有効な方法です。

親孝行で「楽をさせる」と言って、何もさせないと言う事は家族と言う最小単位の社会の中で「何の役割も与えられない」事であり、それは「必要とされていない」事と同じです。

つまり4つの幸せを奪っているのです。

先ずは家族の中で役割を与えましょう。

役割を与えて、家族(社会)の一員である事を認識させましょう。

また人には「返報性」があり、何かを与えられたら何かを返そうとします。

例えば、介護老人のように、介護されるだけの状態になった時、何も返せないと「自責の念」が生まれてしまいます。

その自責の念が被害妄想を生みます。

昔話を聞いたり、昔の遊びを教えてもらったり、「役に立っている」「必要とされている」と思わせてあげるようにしましょう。

何かをお願いしたり、頼んだりすると良いでしょう。

そしてお礼を言う事を忘れずに。

ちなみに、熱心に介護をする人ほど、犯人扱いされたりしますが、それは返報性の裏返しなのです。

被害妄想や監視妄想とは、社会から孤立する事への不安や、取り残される不安から生まれるのです。

つまり、社会の一員である事を感じさせられるようにすれば、被害妄想や監視妄想は自ずと消えていくのです。

 

監視妄想から抜け出させる具体論 その6

心の病の場合、先ずは集団ストーカーやガスライティング等のマインドコントロールの影響の有無を調べてください。

医師にはそうしたマインドコントロールの認識がありませんので、マインドコントロールの影響を受けていると、統合失調症の人の言動に類似してしまう為、誤診されてしまう危険性が出てきます。

誤診されてしまうと、処方も異なってしまうので、薬の副作用で悪化してしまう場合もあります。

また、マインドコントロールを外さずに治療しても効果は期待できません。

病気とマインドコントロールは別物として、個別に対応する事が必要です。

主な理由はその人自身の「未知なる者への恐怖心」

 

 

妄想性パーソナリティ障害 - Wikipedia

妄想性人格障害の診断基準

 

全般的な疑いの深さの傾向が成人期早期までに始まり、種々の

状況から明らかになる。人々の行為や出来事を故意に自分を

けなしたり脅かすものと不当に解釈する。

それは以下の7つの基準のうち、少なくとも4項目以上があてはまる。

 

1. 十分な根拠がないにもかかわらず、他人が自分を利用したり危害を

 加えようとしていると思い込む。

 

2. 友人などの誠実さを不当に疑い、その不信感に心を奪われている。

 

3. 何か情報を漏らすと自分に不利に用いられると恐れ、

 他人(友人)に秘密を打ち明けようとしない。

 

4. 悪意のない言葉や出来事の中に、自分をけなしたり脅かすような

 意味があると思い込む。

 

5. 侮辱されたり傷つけられるようなことがあると、深く根に持ち

 恨みを抱き続ける。

 

6. 自分の評判や噂話に過敏で、勝手に人から不当に攻撃されていると

 感じ取り、怒ったり逆恨みしたりする。

 

7. 根拠もないのに、配偶者や恋人に対して浮気や不倫の疑いを抱く。

出典

妄想性人格障害(Paranoid Personality Disorder)

嫉妬妄想の場合の例

浮気と決め付ける女性の妄想と、浮気しているのかしていないのか

ハッキリしない男性の現実は、全く別問題

 

 

 

霊的見解

肉体は人が死ぬと、肉体が無くなるので、霊魂などと同じように死後の世界である幽界に存在するが、生前、人を怨んだり、憎んだり、呪を掛けたり、あるいは死にたくない事情や、死に対して極度な恐怖を抱いて死んだ場合、その一念は「唸」となり、「死霊化」する。

厳密に言えば、物質界であるこの世と、霊的世界であるあの世との中間に、烈しい意識体としてそこに止まってしまうことである。

 

“この世”は“あの世”と隣接しているから、その中間に止まれば、不成仏になるだけではなく、地縛の状態でその意識体は、それを生きている人間へと暗い翳(かげ)りを投げかける。そして波長が合う人は、その意識体の多大な影響を受け、生きながらに苦しむことになる。精神異常などがこれであり、精神病で苦しんでいる人の大半は、こうした憑衣霊の仕業である。

 

この場合、取り憑いた幽体細胞と、取り憑かれた側の幽体細胞が、同調し共鳴するという形で癒着(ゆちゃく)したからである。幽体は、肉体の直ぐ下にあるから、両者の二つの細胞は癒着(ゆちゃく)により、取り憑かれた側の肉体は、これまでの幽体とは異なった影響を受け、肉体上に異変が顕れるのである。

これと同様に、取り憑いた憑衣霊の幽体も、取り憑いた側の幽体を癒着して、変化が生じ、取り憑かれた側の肉体は、取り憑いた側の影響を受けて、以前とは違ったものになる。その影響下の精神的外傷により、傷付けたれた状態がトラウマだった。