常在細菌の多様性喪失が現代の疫病を生む
『失われてゆく、我々の内なる細菌』(マーティン・J・ブレイザー 著・山本太郎 翻訳、いすず書房)
MISSING MICROBES How the Overuse of Antibiotic Is Fueling Our Modern Plagues
抗生物質による腸内細菌の撹乱は一過性ではない。何年も、場合によっては一生失ってしまう常在菌もあるという。
抗生物質の乱用が耐性菌を生み出し、いたちごっこのように強毒化が進んでいる、という警告は、かなり前からあった。したがって、社会全体として抗生物質の乱用を控えるべき、という認識は広まったと思う。しかし、個々人の問題となると、「念のため」「一応」という意識は、患者も医師も変わっていない。
抗生物質が仮に治療に役立たなくとも、患者に「害」はおよぼさない、という前提にもとづいているからなのだが、それが大きな間違いだとしたら・・・・・・。
本書は、抗生物質の導入以来、半世紀にわたり、「我々の内なる細菌」ともいうべきヒトの常在菌が撹乱され、その多様性が失われたことで、「現代の疫病」が生み出されている、と指摘する。
肥満、若年性(T型)糖尿病、喘息、花粉症、食物アレルギー、胃食道逆流症、がん、セリアック病、クローン病や潰瘍性大腸炎、自閉症、湿疹などである。
これらの世界的な急増や蔓延にはさまざまな要因が挙げられているが、アメリカの微生物学者で、ヒト・マイクロバイオーム研究の第一人者である著者、マーティン・J・ブレイザーは、動物実験や大規模疫学調査などを積み上げて、実証的に抗生物質と「内なる細菌」との関係をあぶりだしていく。
「内なる細菌」の喪失を憂える
「マイクロバイオーム」とは、訳者あとがきによると、ヒト体内の常在細菌とそれが発現する遺伝子群、および常在細菌とヒトの相互作用を含む広い概念を指す。
本書には、「マイクロバイオータ」という語も出てくる。細菌を含む微生物集団を「微生物相」(マイクロバイオータ)と呼ぶのだそうだ。
以前は、全生物をまとめた概念である「生物相」は「動物相」と「植物相」に二分され、細菌は植物相に含まれるという分類概念にもとづいて、細菌には「叢=フローラ」が用いられてきた。しかし、現在は「微生物相」に格上げされたので、細菌に「叢=フローラ」が用いられることはなくなったそうである。
日本では、私も含め、叢あるいはフローラという語をいまだに使っており、マイクロバイオータという語はあまり普及していない。こんなところにも、微生物をめぐる近年の急速な研究の進展がうかがえる。
とりわけ、”消えていく細菌やウイルス”が研究者のあいだで注目を集めている。これまでの感染症理解では、微生物の存在が病気の原因であると考えてきたのだが、今や、ある種の微生物が体内に”存在しない”ことが、人間の健康に負の影響を与えている可能性が指摘されているのである。
そもそもヒトの体は、約30兆個の細胞からなるが、目を凝らすと、ヒトとともに進化してきた約100兆個もの細菌や真菌の住処でもある。いいかえれば、私たちの体を構成する細胞の70〜80%は、ヒト以外の細胞なのである。
ハウスシェアをしているすべての細菌を合わせると、重さは数キログラム。脳に匹敵し、どの臓器よりも重い。種類は約1万におよび、遺伝子総数でいえば200〜800万個。ヒト遺伝子の百〜数百倍にもなる。
地球という惑星に目を向けると、細菌は、現在地球上に暮らす約70億人の人間の総重量の約千倍に匹敵する。そのなかの選ばれた一部がヒトに常在し、協調しながら「私」をかたちづくっているのである。
<ヒトとともに古代からある細菌には、そこにあるための理由があり、ヒトの進化にもかかわってきた。それらを変えることは何であれ、潜在的対価をもたらすことになる。私たちは今、それらを大幅に変えている。払うべき対価がそこにはある。>
ブレイザーが「内なる細菌」の喪失を憂え、警鐘を鳴らすのもうなずける。
ピロリ菌は両刃の剣
本書では、ブレイザー自身の腸チフス感染や娘の食物アレルギーをはじめ、個別の症例を挙げつつ、私たち一人ひとりの体内で静かに進行している多様性の喪失が、実は地球規模の問題であることを説く。
失われていく細菌の象徴としてとりあげているのが、ヘリコバクター・ピロリである。ピロリ菌は、ヒトに病気を引き起こす。しかし同時に、健康にもする。一見、矛盾するようだが、こうした「両義的状態」あるいは「両義的性格」は、自然界ではよく見られる現象である、とブレイザーはいう。
すなわち、二つの生命体が状況に応じて共生的にも寄生的にもなる関係を築く「アンフィバイオーシス」で、「職場での人間関係や結婚にもあてはまるかもしれない」。
<私たちは、病原菌として発見されたピロリ菌が両刃の剣であるということを発見した。年をとれば、ピロリ菌は胃がんや胃潰瘍のリスクを上昇させる。一方で、それは胃食道逆流症を抑制し、結果として食道がんの発症を予防する。ピロリ菌保有率が低下すれば、胃がんの割合は低下するだろう。一方、食道腺がんの割合は上昇する。古典的な意味でのアンフィバイオーシスである。>
「常在菌が繁栄するにしたがい、ヒトはそれら細菌とともに、代謝、免疫、認識を含む集積回路を発達させ」てきたにもかかわらず、私たちは「常在菌へのこれまでにないほどの激しい攻撃に直面している」と、ブレイザー。その原因は、幼少の成長期における抗生物質の不必要な投与、不必要な帝王切開によって、マイクロバイオームの構成が変化を被るせいではないか、と述べている。
短期間の抗生物質治療でさえ、長期間の影響を常在菌に与える。本来の姿に回復できるかどうかはわからない。しかも、ある世代の変化は次の世代にも影響を与える。こうした変化により、「疫病をもたらす病原体に対して、打つ手がなくなる」時代が来る、と想像すると、戦慄する。
内部生態系の破壊が「抗生物質の冬」をもたらす、という著者の恐れが現実にならないよう、本書を読んで内なる生態系に目を向けることから始めたい。
人間はヒトの細胞と細菌から成る「超有機体」
人体を構成する細胞の数は数十兆程度だが、体内に生息する細菌の細胞数は100兆を超える。こうした体内微生物が、免疫系など人体の仕組みと密接な相互作用をしていることを考えると、人間とは、ヒトの細胞と微生物とが高度に絡み合った集合的有機体とみるのが適切だ――イギリスの研究者がこのような内容の論文をまとめた。「超有機体」というこの視点は、将来期待される「個人の特質に応じた投薬・医療」の開発に際して、重要な意味をもってくるだろう。
Rowan Hooper 2004年10月13日
あなたの体内に存在する細胞のかなりの部分は、あなた自身のものではない。それどころか、ヒトの細胞でさえない。それは細菌(バクテリア)の細胞なのだ。目には見えないが足の指の間で増殖の機会をうかがっている菌類から、腸の中の1キログラムにもおよぶ細菌類に至るまで、さまざまな要素を考えると、われわれ人間は歩く「超有機体」[superorganism: 通常はハチやアリなど社会性動物の集合体を指す]であり、ヒトの細胞と菌類、細菌、ウイルスが高度に絡み合った存在とみるのが、最も適切なとらえ方と言えるだろう。
以上のような見解を、ロンドン大学インペリアル・カレッジの科学者たちが『ネイチャー・バイオテクノロジー』誌10月号に発表した。この論文は、体内微生物と人体の相互関係のあり方を扱っている。個々人が抱える細菌の種類や分布によって、医薬品への反応が大幅に異なる可能性があるため、この超有機体の仕組みを理解することは、将来の「個人の特質に応じた投薬・医療」を発展させていくうえで不可欠だというのが、論文の主張だ。
今回の研究では細菌に絞って調査が行なわれた。人体には500種を超える細菌が存在し、その細胞の数は合計で100兆以上になるという。人体を構成する細胞の数が数十兆程度であることを考えると、われわれ人間の身体は、数の上でよそ者にかなり劣っている。結果として、われわれの身体内に存在する遺伝子も、大部分が細菌のものだということになる。
だが、われわれ人間にとっては運のいいことに、こうした体内細菌は総じて共生生物(commensal)と呼ばれるもので、人間の食べたものをエネルギー源にしているものの、人体に実害を及ぼすものではない(commensalという英語は、食卓を共にするという意味のラテン語を語源としている)。それどころか、細菌には有益なものも多い。共生している細菌は、人体の免疫システムと緊密に連携し、人に危害をもたらす可能性がある感染症からわれわれを守ってくれるのだ。
今回の研究を率いたインペリアル・カレッジのジェレミー・ニコルソン教授(生化学)は、「多くの病気が遺伝的性質や環境要因など様々な要素の影響を受けていることは、かなり前から明らかになっていた。だが、今回の論文で提示した超有機体という概念は、病へと至る過程の理解に大きな影響を与える可能性がある」と語る。この手法の応用範囲は、インシュリン抵抗[肥満などによりインシュリンが十分に機能せず血糖値が上がる現象]、心臓病、一部のガン、さらには一部の神経疾患の研究にまで及ぶかもしれないと、ニコルソン教授は考えている。
ヒトゲノムの解読完了(日本語版記事)後、科学者たちはすぐに次の段階を考えた。すなわち、ヒトの遺伝子が環境要因と絡み合いながら、疾病の発現リスクや、加齢プロセス、薬の効能といったものに影響を与える仕組みの解明だ。だが、環境要因には、100兆もの体内細菌の遺伝子から生み出される物質も含まれるため、その仕組みは非常に複雑なものになっている。30億の塩基対からなるヒトゲノム情報自体も、けっしてその複雑さを軽減する助けにはならない。
「ヒトゲノムが与えてくれるのは、わずかな情報にすぎない。体内の微生物が病気に対する人体の反応に影響を与えていることが判明したからには、今後われわれはこの分野についてさらに研究を進めなくてはいけない」とニコルソン教授は指摘する。「体内微生物と人体の相互作用を理解すれば、ヒトに関する生物学や医学がヒトゲノムの領域を超えて発展することになり、遺伝子と環境との新種の相互作用の解明にも役立つ。こうした知見が得られれば、やがては病気の治療についても、新たな手法がとられるようになるだろう」
ニコルソン教授とともに今回の研究に参加したアストラゼネカ社所属のイアン・ウィルソン博士も、「ヒトを超有機体と考える」概念は「医薬品の開発に非常に大きな影響を与える可能性がある。医薬品の代謝や毒性に対する反応が、各個人で大きく異なるかもしれないからだ」と述べる。
「体内のpH値や免疫反応といった要素に、体内微生物は影響を及ぼしうる。薬の効き具合は、こうした要素によって変わってくる」とウィルソン博士。
今回のインペリアル・カレッジの研究は、『X-ファイル』の熱烈なファンからUFOマニアまで、多くの人が長い間主張していたこと――「人類は孤独ではない」――を裏付けている。もっと言えば、生物としての人間の最重要要素の特定には、ヒトゲノムの情報だけでは足りないということだ。
腸内細菌・口腔細菌・皮膚常在菌
ヒトなどの哺乳動物は、胎児のときには微生物が存在しない無菌の状態にいます。しかし、生まれた瞬間から、産道、母親などの近親者、食事など様々な外の環境との接触により、新生児の口や肛門を介して微生物が感染します。感染した微生物の一部は、皮膚表面、口腔内、消化管内などに定着して、その部位における常在細菌となります。
皮膚常在菌、口腔細菌、腸内細菌はそれぞれ独自の細菌叢を形成しバリア機能を担っています。最近ではこれらの細菌叢が様々な生理機能や疾患に関与していることが分かってきました。MBLは、腸内細菌・口腔細菌・皮膚常在菌の研究開発に力を入れています。レクチンを用いた口腔ケア製品(食品、化粧品、医薬部外品)の開発を進めています。その他に腸内細菌に関連した製品(食品、サプリメント、化粧品)の開発や、新規の細菌検査・解析技術の開発を新たな事業領域として、社会の健康に貢献したいと考えています。
常在細菌の中で、最も重要な生体制御を行っているのが消化管の下部にあたる腸管内の常在細菌(腸内細菌)です。ヒトの腸内細菌は、種類にして400種、数にして100兆個以上と言われています。これは、ヒトの身体を構成する60兆個の細胞数よりも多く、腸内細菌の総重量は1kgにも及び、脳や肝臓と同じくらいの重さです。腸内細菌が集まり腸内フローラ(腸内細菌叢)を形成し、ヒトと共生しながらお互いに影響を与えています。
共生のメリットは、腸内細菌側はヒトが定期的に食べ物を摂取するので、自動的に食べ物が供給されます。また、腸内細菌のほとんどが嫌気性菌のため、酸素が無い腸管内は格好の住居です。ヒト側のメリットは主に3つあり、病原菌からの感染防御、免疫機能の向上、ヒトが消化できない食物の代謝です。しかし、腸内細菌との共生は良いことばかりではありません。ヒトの免疫系と腸内フローラの構成バランスが崩れると、病気の原因になることがあります。例えば、ヒトの免疫系が低下することで本来は腸管内にいる腸内細菌が体内に侵入し感染症を引き起こす敗血症、大腸炎、アレルギーなどを発症します。
腸内細菌は、乳酸菌などの善玉菌(有用菌)と大腸菌などの悪玉菌(有害菌) 並びにバクテロイデス、嫌気性レンサ球菌などの日和見菌に大きく分けられます。善玉菌が多いと健康を維持することができ、反対に悪玉菌が多いとO157などの食中毒、便秘や下痢を引きおこすことはもちろん、それ以外にがん、心臓病や脳卒中など大変な病気を引きおこす原因となります。日和見菌は悪玉菌が増えると有害物質の産生などで悪玉的な働きをしますが、正常な腸内環境下では大きな特徴はないとされています。日和見菌の腸内での機能は、今後研究が進むかもしれません。食生活、薬剤、アルコール摂取、ストレスや運動不足などの要因が腸内フローラの構成バランスを崩し病気へ繋がるため、健康を保つには腸内フローラの構成バランスを整えることが不可欠です。
腸内フローラは有害菌の増殖を抑え、また様々な物質を産生することでヒトの健康に寄与しています。そのひとつが短鎖脂肪酸の産生です。ヒトは食物から炭水化物を摂取していますが、哺乳類が保持する酵素だけではすべてを分解できず、食物繊維は腸内細菌の酵素を利用して発酵分解しています。食物繊維の代謝産物である短鎖脂肪酸には、酢酸、プロピオン酸、酪酸などが含まれます。またこの他にも乳酸、ギ酸、コハク酸などが腸内細菌の代謝産物として産生されます。これらはエネルギー源として利用される他に、様々な生物活性を有していることが近年判明してきています。
ヒトの腸内フローラの構成は乳児、成人、高齢者で大きく異なっています。ヒトの腸内フローラの形成は出生直後から始まり、数日で1011個/gの菌が棲息するようになります。母乳栄養児腸内フローラでは、ビフィズス菌が多いことが特徴で腸内細菌の95%を占めています。離乳と共にバクテロイデス、嫌気性レンサ球菌などの日和見菌が優勢になっていきます。また、出産方法の違いによって、乳児腸内フローラの構成に大きな影響を及ぼすことが明らかになっています。自然分娩は母親の産道を通過するため母親由来の細菌に始めに接触しますが、帝王切開は産道を通過しないため出産場所の周囲に棲息する細菌に始めに接触するので、腸内フローラの構成が皮膚の細菌叢に近いという報告があります。また、帝王切開で生まれた子どもは腸内細菌の種類が少ないため、自然分娩よりもアレルギーになるリスクが高いという報告もあります1)。乳児腸内フローラの構成は、ミルク(母乳および人工乳)や離乳食などの食事の栄養成分の違いや免疫成分の有無で異なってきます。そのため、腸内フローラは乳幼児期に正常に形成されることが、その後の人生において重要と考えられます。成人腸内フローラでは、バクテロイデス、ユウバクテリウム、嫌気性レンサ球菌などの嫌気性菌群の占有率が高いのが特徴です。成人腸内フローラの構成は、食事(特に食物繊維の摂取量)などの環境が影響を与える要因のひとつです。高齢者の腸内フローラでは、成人に比べてビフィズス菌が減少すること、大腸菌群、腸球菌が増加することが特徴です。一般的に加齢とともに食事量は減少し、食事内容も変化していきます。また、加齢に伴った腸管上皮細胞の粘液産生の変化や腸管運動などの腸管機能の低下によって、便秘症状を呈する割合が増えることも知られています。加齢に伴ったこれらの腸管の変化は、腸内フローラの構成に影響を与えると推測されます。2)
このように色々な要因から影響を受ける腸内フローラは、一度形成されると簡単には作りかえられません。病気に関係しがちな腸内フローラが形成されてしまった場合、それを根本から良いものに作りかえるのはとても困難です。腸内フローラの改善には、抗生物質の利用(治療医学)、プロバイオティクスやプレバイオティクスの利用(予防医学)があります。プロバイオティクスとは、宿主に有益な影響を与える細菌(有用菌)、またはそれを含む機能性食品と定義されます。例えば、乳酸菌・ビフィズス菌・桿菌・酵母などです。プロバイオティクスが活発に働いていれば、もし食中毒菌が体内に入っても腸管で防御され、菌は排泄されて食中毒になりません。また、抗ガン作用、免疫グロブリンA(IgA)の分泌促進、ウィルス性下痢からの回復促進、血圧低下、血中コレステロール低下、抗アレルギー作用、抗炎症作用などの効果もみられます。プレバイオティクスとは、宿主の腸内に棲息する有用菌の増殖・代謝活動の促進をもたらす難消化性食物成分と定義されます。例えば、発芽大麦は厚生労働省から潰瘍性大腸炎の患者用食品として認可を受けています。プロバイオティクスと異なり宿主の共生菌を利用することから、腸管での菌の定着性に優れています。
腸管免疫系における免疫応答として代表的なものがIgA抗体産生であり、粘膜組織の免疫応答の大きな特徴となっています。IgA抗体は、病原菌の腸管粘膜からの侵入阻止、毒素中和の作用が知られていますが、このIgA分泌に至るまでの腸管免疫系の細胞の関与、IgAと腸内細菌との関わりについて、最近新たな知見が得られています。マウスの実験において、腸内細菌を欠くとIgA産生が低下する一方で、IgAを欠くと腸内フローラの構成が崩れることが報告されています。また、IgA抗体産生に腸管特有の細胞(特に樹状細胞)が関与していることも明らかになってきました。その他に、腸管免疫細胞を介した腸内細菌によるIgA産生の制御や、腸内細菌とIgA抗体の相互制御に影響する因子として食品成分(乳酸菌やビフィズス菌)や幼少期の腸内フローラ定着の重要性についても報告されています。
悪玉菌を減らすのに抗生物質を投与することは有効ですが、多量に投与すると却って腸内フローラの構成バランスが崩れる恐れがあります。腸内フローラの乱れは様々な要因で起こり、遺伝的背景に加え、微生物や医療への曝露などが挙げられます。腸内フローラの構成は99%が細菌ですが、真菌もその一部を形成しています。健康な成人の70%から真菌が検出され、その真菌の多くはカンジダ類です。腸内フローラの乱れは、この腸管細菌の喪失と真菌の増殖によって生じることもあります。抗生物質の投与によって生じたカンジダの増殖がマウスの肺胞マクロファージを活性型(M2型)に変化させ、アレルギー性気道炎症を増強していることが報告されています。2)
腸内細菌の解析法は、従来の方法として分離培養法がありますが、この方法では培養可能な腸内細菌は全体の20〜30%にすぎません。残りの70〜80%の腸内細菌は嫌気性菌であるため、難培養性細菌です。近年、培養によらないその他の解析法として、糞便から抽出したDNAをPCRで増幅しクローンの16S リボソームRNA遺伝子の配列を読む16S リボソームRNA遺伝子解析法、次世代型シ−ケンス技術によるメタゲノム解析法が開発され、培養困難な菌も含めた網羅的な解析が可能となり、ほぼすべての腸内フローラを検出できるようになりました。培養に依存しないゲノム解析法の発達で、難培養性の腸内細菌の情報が得られるようになり、またメタゲノム解析により腸内フローラが宿主の健康や全身性の疾患発症に深く関わっていることが分かってきました。
腸内細菌は、肥満、炎症性腸疾患、過敏性腸症候群、非アルコール性脂肪性肝炎、大腸がん・肝がん、U型糖尿病、アレルギー疾患に関与しています。また、循環器疾患においても腸内細菌の病態への関与や、腸管免疫修飾による動脈硬化予防の報告もあります2)。最近、腸内細菌が自閉症に関与しているという研究が注目されています。疾患発症予防などを目的とした腸内細菌への治療的介入も視野に入れた研究が進められており、新たな疾患治療のターゲットとしても期待されています。
腸内フローラは宿主のエネルギーバランスの調節因子としても作用しています。特に肥満において密接に関連しており、肥満患者と健常人の腸内フローラの構成に大きな違いが認められています。肥満患者ではフィルミクテス門細菌が増加し、バクテロイデス属細菌が減少していることが報告されています3)。
肝がんは慢性炎症を基とする肝疾患から発生することが多いですが、最近腸内フローラの異常増殖が炎症の助長に加担し、肝発がんを促進していることが明らかになりつつあります。
アルコール摂取が腸内フローラを変化させる一方で、腸内フローラそのものがアルコールの産生や分解にも関与しています。腸内細菌で産生されたアルコールは、健常人では速やかに分解され、有害な作用は示しません。しかし、腸内フローラの構成バランスが崩れるとアルコールが分解されなくなります。非アルコール性脂肪性肝炎の症例においては、エタノールを産生する腸内細菌が増加し、血中のアルコール濃度が高値を示しています2)。
抗生物質の使用による菌交代現象の結果、腸内フローラの構成バランスが大きく変化し、腸管炎症(C. difficile 感染症や急性出血性大腸炎など)を発症することがあります。C. difficile 感染症の問題を解決するために、健常人からの糞便移植という新しい治療法が報告され、大きな成果を上げています。糞便移植は、腸内フローラの構成バランスが崩れている患者の腸に健康なヒトの糞便を移入する方法です。プロバイオティクスによる腸内細菌の変化は限定的ですが、糞便移植される腸内細菌量は多く、劇的に腸内細菌を変化させることができます。糞便を摂取することは動物では一般に見られるものであり、糞便を摂取することにより消化管の発達、病原菌の定着阻止、栄養素の吸収促進に働くと考えられています。糞便移植は、C. difficile 感染症の他にメタボリックシンドローム、炎症性腸疾患、過敏性大腸症候群、非アルコール性脂肪性肝炎、アレルギー疾患群、神経発達障害群、自己免疫性疾患への適応の可能性も示されています4)。
出生直後の免疫反応は通常Th2型優位ですが、出生早期の腸内細菌曝露によりTh1型免疫反応の誘導や、制御性T細胞の活性化が起こります。アレルギー疾患のある子どもの腸内フローラはビフィズス菌が減少し、このシフトが起こらず発症に関与すると考えられています。アレルギー発症予防を目的にプロバイオティクスを乳幼児に投与すると、アトピー性皮膚炎の発症が部分的に抑制されることが報告されています5)。しかし、すでに発症しているアトピー性皮膚炎に対するプロバイオティクスの効果は認められていません。
食物アレルギーは、本来獲得するべき食物タンパクに対する免疫寛容が誘導できなかった状態です。この経口免疫寛容の成立には腸内フローラが重要な役割を果たします。マウスの実験において、腸内細菌を除去すると経口免疫寛容が誘導されなくなったことが報告されています6)。食物アレルギーについて、原因食物に対する感作の成立は主に経口摂取による耐性獲得の障害だと考えられていました。しかし、最近では皮膚バリア機能障害に関連した経皮感作の重要性が指摘されています。
婦人科疾患においても腸内細菌が関連しています。正常妊娠と切迫早産例で腸内フローラに大きな違いが認められています。腸内フローラの構成異常により、腸内での制御性T細胞が減少し機能が低下することで、膣からの少量の病原体の侵入による炎症反応が過剰に起こり、早産に繋がる可能性が報告されています2)。また最近、精液中の細菌叢が男性不妊に関わることが明らかとなり、正常男性ではラクトバシラス属細菌が約80%を占めるのに対して、不妊男性ではプレボテーラ属やシュードモナス属細菌が増加することが報告されています7)。
では、正常な腸内フローラとはどのようなものでしょうか。腸内フローラの構成は個人ごとに異なりますが、菌叢構成を指標として互いの類似度を計算し多変量解析およびクラスター解析を行うと、ヒトの腸内フローラは少なくとも3つの構成パターン“エンテロタイプ”に区別できます。エンテロタイプは、主にバクテロイデス属、プレボテーラ属、ルミノコッカス属細菌の占有率の違いによって規定されること、食物繊維の摂取量の影響を受けることが明らかになっています。そのため、ヒトそれぞれが自身の腸内フローラのエンテロタイプを知ることで健康を維持し、疾病の治療・予防に役立てられることが期待されます。
口腔は多くの病原菌の侵入口であるにも関わらず、多くの病原菌は定着できません。これは、口腔には常在細菌叢が形成されているために病原菌が排除されるためです。したがって、口腔の感染症の多くは口腔細菌が原因です。また、個々の細菌は病原性が弱いため、単独で疾患をおこすのではなく混合感染となり発症までに時間を要します。口腔細菌は、未同定の細菌を含め約700種類、1000億個以上あると言われていますが、ほとんどが数種類のレンサ球菌属で占められています。その中でミュータンス菌は歯垢によくみられ、虫歯の原因菌とされています。緑藻ミルに含まれるレクチンがミュータンス菌の歯面付着を抑制することが、これまでのMBLの研究で分かってきています8) 9)。また、嫌気性菌であるポルフィロモナス属細菌は歯と歯肉の間に棲息し、歯肉に侵入し歯周病をおこします。近年ではカンジダ菌も歯周病の進行に関与していることが分かってきました。
主にレンサ球菌により形成される初期プラークは、外来性の細菌の定着を阻害するため、レンサ球菌を中心とした細菌叢を保つことが口腔の健康維持に重要です。しかし、口腔ケアが不十分な状態が続くとプラーク量が増加し、歯や粘膜面に直接付着できない菌も初期プラーク形成菌に付着することで定着が可能となります。その結果、プラーク量の急激な増加に伴い、病原性プラークへ成熟し、歯石形成、歯肉の炎症や歯周病が発症しやすい環境となります。また、加齢や免疫系の低下なども歯周病の発症リスクを高める原因となります。
歯周病原細菌や細菌由来の内毒素が歯肉から血管内に入り込むと、サイトカイン産生などに影響を及ぼし、全身疾患を進行させます。歯周病が糖尿病、動脈硬化、冠動脈疾患、低体重児出産、早産、関節リウマチなど多岐に渡って全身疾患と関連があることが近年の研究で明らかにされつつあります。
歯周病が糖尿病に及ぼす影響としては、炎症歯周組織で持続的に産生される炎症性サイトカイン・TNF-αにより筋肉細胞や脂肪細胞による糖の取り込みが阻害され、インスリン抵抗性が悪化するためと考えられます。
動脈硬化や冠動脈疾患への影響は、血液中に侵入した歯周病原細菌が血管壁に感染することで、防御反応により作られたメディエーターが動脈壁の硬化をおこします。また、歯周病原細菌の作用で血小板が塊となり、心冠動脈につまることもあります。
歯周病により早期低体重児の出産のリスクが著しく高くなることが報告されています10)。これも糖尿病などと同様に、歯周組織の炎症に伴って産生されるさまざまな炎症性サイトカインや菌体成分などの影響により子宮の収縮を誘発するためと考えられます。また、歯周病により早産になる可能性が6〜7倍高くなるという報告もされています。
歯周病と関節リウマチはともにTNF-αやIL-6などの炎症性サイトカインが関与して慢性炎症が持続した結果、破骨細胞が出現し骨吸収がおこるなど、発症メカニズムに共通点が多くみられます。歯周病原細菌が作り出すペプチジルアルギニン・ディミナーゼという酵素がある種のタンパク質に作用し、免疫システムの正常な働きを妨げ、自己を攻撃して関節リウマチを進行させます。歯周病は関節リウマチの発症リスクを高めるだけでなく、より重症化させることが示唆されています。
皮膚は外界に接しているため、その表層にはブドウ球菌属やミクロコッカス属などの好気性菌が棲息する一方、毛包や脂腺にはアクネ桿菌などの嫌気性菌が棲息しています。その他に、マラセチア菌、カンジダ菌、白癬菌もみられます。一般的に皮膚感染症は一過性菌がおこしますが、宿主側の条件により常在菌も感染症を発症させることがあります。皮膚常在菌は、200種以上の菌属が100万個棲息していると言われてます。
皮膚表層に常在するブドウ球菌属細菌には、黄色ブドウ球菌と表皮ブドウ球菌があります。黄色ブドウ球菌は代表的な食中毒菌ですが、表皮ブドウ球菌は病原性が低く、皮脂や汗を餌として弱酸性の脂肪酸を産生します。MBLはレクチンのプロファイリング技術を用いて、黄色ブドウ球菌と表皮ブドウ球菌を細菌表面の糖鎖の違いで見分けることができることを明らかにしました11)。表皮ブドウ球菌は、脂腺に棲息するアクネ桿菌から排出される脂肪酸と合わせて皮脂膜を作り、皮膚表面を弱酸性に保っています。皮膚を弱酸性に保つことは、弱アルカリ性を好む黄色ブドウ球菌やカビなどの増殖を抑制します。表皮ブドウ球菌がこれらの菌数を抑制することで、遊離脂肪酸、アンモニア、インドールなどの悪臭を抑えており、ヒトのスキンケアになくてはならない菌です。アクネ桿菌は、皮脂を分解してプロピオン酸と呼ばれる脂肪酸とグリセリンを作ります。この脂肪酸は皮脂膜を形成して、病原菌などの侵入や紫外線から皮膚を保護しています12)。このように、皮膚を保護する役割を果たす表皮ブドウ菌とアクネ桿菌ですが、それだけではなく感染症を引きおこすという二面性をもっています。表皮ブドウ球菌は医療現場において菌血症をおこす主要な感染症起因菌であり、アクネ桿菌は過剰に増殖すると化膿性皮膚炎症(ニキビ)をおこします。
最近、皮膚常在菌は外部からの病原体の侵入を妨げるだけでなく、宿主の免疫系の活性化に重要であることが明らかになりました。皮膚での免疫細胞の適切な機能に、皮膚常在菌からのシグナルが必要であることが報告されています13)。このように皮膚常在菌が腸内細菌と同様に免疫応答に影響を及ぼずことが明らかとなり、今後腸内細菌だけでなく皮膚常在菌も視野に入れた研究が期待されます。