脳内のピューリタンを救え   文明都市生活者の苦悩

 

はじめに    

地上に理想の国を建設とは

特徴  内なる理念を創る ユートピア理想 純粋化 実現化 外にある権威の抹殺 

    父の喪失 父から母へ そして母から乙女へ(都市化)

社会主義 共産主義 資本主義 民主主義

 

自然を征服

到着点で次の旅の準備をする 

    権威ではなく話し合いの会議

    心理学 精神病 

 

思考構造      白血球 メタファー  悪(不都合)との付き合い方

優生学、自意識、理性との関係は?

神の国を建設したい潜在意識は何なのか?

 

自然の構造  救出方法   白血球から抗体システムへ  

 

付録 歴史  なぜ自意識中心主義が生まれてきたのか?

       魔女裁判、30年戦争、合理化、都市化、商工化、余剰、安全地帯、書斎、文字、実験室、大学

       情感と体を嫌う、

       嫌煙運動、潔癖症

 

はじめに

ピューリタンとはキリスト教だけの問題ではない、他の宗教や民主主義や都市生活者にもある共通の特徴がある。

また現代人の潔癖症やマニュアル信奉者やワクチン接種推進派にも同じ考え方が通底している。

それは、この地球上に理想の空間を必要とし、その領域を外に拡大させようとすることだ。

そして、この考え方がこの地球上の人間たちに大きな禍をもたらしたことにまだ気がついていない人たちのことでもある。

 

ピューリタンのやり方のパターン

ピューリタンは以下の決まりきったパターンで異物を排除しようとする。

 

1 まずは人工物のど真ん中に囲いを作って限定空間を作る。  大都市、無菌ハウス、実験室など。

2 そこの特殊な悲惨な状況にスポットライトを当てる。    911、菌に抵抗力のない結核の少女

3 美談を見つける                     消防団、少女の人徳

4 被害者を自分の一部としてとらえる            アメリカ合衆国、同じコミュニティーの住人

6 このストーリに感情移入させる              怒り、救い、行動せずにはいられない感情

7 正義の旗を立てる                    復讐、救済、騎士道、愛国、正当防衛、革命

8 この状況を作った外部を非難する             アルカイダ、結核菌

9 直接の関係ない目標に変えて壊滅させる          イラク侵攻、ワクチン接種の強制

 

だいたいこのパターンで

自分を被害者側の正義の中に勝手にはいりこんで弱者をよそおい、自分を含めた周りの士気を上げておいて、外側に悪を作り出して、それを叩きます。

 

どのステップもインチキの連続です。

はじめの限定空間は人工できた特殊なものの真ん中にしか、範囲を作らないのに意味があります。

次に特殊なケースを選んでおきながら、それが標準なように思わせます。

そして枠内に感情を移入させて煽るのが厭らしいです。純粋さ、可憐さ、勇気、怒りを際立てて理性判断がしにくいようにします。

また自分達がいかに正義であるかをアピールすることは忘れず、この状況を作ったのはもとの限定空間をつくったためだという間接関係については一切触れません。

最後に、被害にあった限定空間の原因と直接の関係のない、用意していた敵に目標をすりかえて攻撃します。

その時に正義がもっともらしくあればあるほど、外の世界を殲滅することに効果的に優秀で誠実に一生懸命にこなします。外側の声を聴くことはもうありません。

部分をたたくのではなく、全部を抹殺するために、外の範囲を小さなものから全部に変えるために理念を持ち出すのもいつもの手です。

 

キリスト教でいえば神の国です

 「時は満てり。神の国は近づけり、汝ら悔い改めて福音を信ぜよ。」(マルコ1章15節)

 The time is fulfilled, and the kingdom of God is at hand: repent ye, and believe the gospel.

  kai legwn oti peplhrwtai o kairoV kai hggiken h basileia tou qeou metanoeite kai pisteuete en tw euaggeliw   
このイエスの最初の説教をどう解釈したのか?ということが大切な問題になっている。

 

ポイントはこのbasileia Basileiaとはどのような意味なのか?ということだ。  

紀元前のギリシャでは王の宮殿を意味していると解釈されている。 

Basileia (an Ancient Greek word meaning royal palace) may refer to:

The royal palace, or citadel, of Atlantis, as described by the Greek philosopher Plato in the Critias

The Kingdom of God (basileia tou theou), or Kingdom of Heaven, in Christian theology

Basileia Romaion, the Greek name for the Byzantine Empire, translated as 'Empire of the Romans'

A feminine form for Basileus

ところが、16世紀の英訳ではこれがkingdomになる。A political or territorial unit ruled by a sovereignのことで、統治者による人たちと土地のことだ。日本語には王国と訳された。

歴史におけるBasileiaの意味の研究はまだ続けるが、古代ギリシャ語での用例などを知っている方は、教えてください。

王国と宮殿の違いは、この人類史を変えるほど大きな問題になった。正確に言うと、先にこの地球上にピューリタンの国を作りたいという動機があって、それが叶うように聖書を意図して誤訳した。翻訳にはいつも恐ろしい捏造がつきまとう。

ピューリタンたちの殺戮したイギリス国王、アメリカン・インディアン、アジア人、は数千万人の屍となった。

なぜピューリタンはそこまでして彼らの同胞の外にいる者たちを殺してしまうのだろうか?

 

 

ピューリタンは聖書を自分で読むことをよしとした。カトリック神父の口を通すよりも、直に聖書を読むことで神の言葉を直接に受け取ることができると思っていた。ここに一つ目の落とし穴があった。書かれた文字が正しいと思ってしまったのだ。伝えられないことをなんとか文字にして伝えようとするヒトの熱意とやるせなさを理解しようとはしなかった。話された言葉は他人の言葉なので、その人の解釈が口調や音声にも加わる。すると自然と話された言葉は固定化されず、動的になる。TPOに合わせて、話す人の息づかいも変わり、それを理解しようとする私たちも話し言葉の内容を話し手というバイアスがかかることを前提にして理解する。これがあると深みのある複層の意味が理解の仕方になる。が、書かれた文字だと、ただ自意識に単層でコミュニケートするにとどまってしまい、単一であるために比較や相対的にはならず、絶対となり、このコミュニケーションの仕方に終始すると原理主義に陥る危険性が高くなる。

 

次の落とし穴は翻訳だ。ピューリタンは英語の聖書を読んだので、the kingdom of Godと読み、神の国をこの世に創ることを使命とした。イエスはただ宮殿と言ったのに、いつの間にかこの世の全てと、勝手に意図的に翻訳してしまう。これも外部を全部同じ色に染めないと気がすまないピューリタンの特徴だ。

 

最後は解釈の問題だ。

「神の国」を地上で発展させらことができる救世主的王国ととらえ、地上と天上の生活はメシアの完成された業において、頂点に達することができ、あらゆる人間が神の支配を受け入れたとき、神の国は到来する、と解釈する。そして愛する父なる神は、地上に神の国を建設するように常に求め続けておられる、と理解した。

 

エドワード・スミス・パーソンズは、「博愛」「同胞愛」「兄弟愛」fraternityの精神を持ち、すべての生活諸関係を正義と善意とで満たし、そうすることによって、「20世紀に神の国を建設」しようではないかと呼びかけている。

各人は、神の国を建設しなくても、神のうちにあるかぎり、生活諸関係を兄弟愛の精神で満たすはずである。そのとき神の国は到来するであろうし、すでに到来している。そう、イエスは努力目標として、あらゆる人間が兄弟であるような社会を求めていた。正確に言うと、そのような時空を持つことが大切であると説いた。

ところが、パーソンズをはじめとする社会福音運動の目標は、この「地上における神の国建設」に向けられていたのである。

 

なぜ国王や先に住んでいる人たちを殺すのか?

頭の中のユートピアの純粋を外の世界で実践するのが、この世に生まれた意味だと思っているからです。

なぜ会議をするのか?

自分の行動を正当化するために、外側の人間も洗脳する必要があり、目的が達成できない場合でも、知らせたという言い訳ができればそれをまた正当化することができるからです。

なぜ「もっと」を追い求めるのか?

内側の純粋が完璧だから、それを追い求めているので終わりがありません。常にBetterである「もっと」を機械的に追い求め続けてしまいます。

なぜ到着点で次の旅の準備をするのか?

自意識過剰で他者の視線が自己をモノとしてとらえ変えてしまうと分裂症者であった人は、他者と交わりながら自分自身でありえるのは周囲が彼のことを何も知らない場合に限と思う傾向がある。新たな場所に行き「異邦人」となり転々と放浪者として暮らす。こうした条件のもとでは幸福を感じ、自由でありのびのびできた。このような状態では自意識は過剰でなくなり、関係観念を持たなくなった。身体と自己の内的離断も必要なくなった。匿名者であった場合は身体化された人間になることができた。

同僚から逃れ町を離れて新たに出発すればすべては上手くいくだろうと考える。転々と職を変え、場所を変える。

身分を明かさず、名前も芸名にする。

この分裂病質的防衛体系が自己滅亡の意図的計画となる。

 

 

 

ピューリタンができるまで

はじめに意識の内側に世界を創造した。

そこを至極の時空として、完全なる神の居場所とした。最高の善と美と正義が神から生まれた。理念というやつです。

つぎにこの内側のユートピアを大切にして、理想の状態を意識し続けた。すると理想主義が生まれた。

この内なる意識を基準の中心にすれば、外にある現実社会はいかにも不完全でひどいものに見える。

内側のユートピアが純粋であればあるほど、外側は不純になる。

意識と形はつながっている。意識されたものは形になろうとする。意識したことを形にしようとする。

この考え方を実生活に持ち込めば、外とは交流を控えるコミュニティになる。アーミッシュ、アラスカのロシア正教徒の村、クウェーカーをはじめとした宗教団体からはじまり、裾野を広げていけば、○○会といった趣味の人たちが集まるサークルも含まれる。 

しかしこれだけならば、ピューリタンたちのように外部を抹殺しようとはしない。

仮に閉鎖的なグループであれば、人口密度の低いところを見つけてそこの村をつくり、周囲との摩擦や軋轢を減らして、自分たちの村を存続させようとする。

また、開放的なグループであれば、人口密度の高いところでも、そこに集会の場を設けて、その中では特有のルールに則り、外に出れば社会ルールに基準を戻す。

 

しかし、内なる純粋な善を第一とし、それが外を含めた全てに拡げることを正義とすれば、外にある現実は抹殺してもよいものに変わってしまう。これが現実世界では権威の抹殺となる。

内なる純粋にとって、異なる外の世界は変えるべきものとしての対象でしかない。 変えることができなければ自分の存在が消滅してしまうと思い込む自己催眠に入ることで、外が変わらない状態を保つことは恐怖でしかなくなってしまう。

 

特徴はなんだろう?

内なる純粋を第一としたこと

外の自然や神よりもヒトの脳内を第一にしたこと

理性をベースにして、それ以外の世界(体や自然)の合理性を軽視すること

二分法で内と外や善と悪に分けたこと

内なるものを外部に形として表そうとしたこと

純粋ではない外側を変えることが正義だと思うこと そして不純な状態に恐怖を感じること

外との戦いになるので、内なる純粋を理論武装をして信じ込み、外側の声に耳を塞ぐ自己催眠をかけること。

塗りつぶす快楽を覚えること

働き続けないと自分の未来が約束されないと思い込むこと

そうしていないと落ち着けないマシーンとなること

 

どんな社会的な集団なのだろう?

国王を殺して社会を混乱させ、自分が権力を握るために、理想があると信じ込ませる集団

内側を作ることで、そこを実験室にしてそこを純粋培養させた意識を第一とし、そこに精神性があると勘違いしている集団。

内側に創り上げた純粋さに固執することで善悪を強調し、外側の悪を変革させることに始終する集団。

純粋さを弱者としてとらえ、それを守ることが騎士道だとばかり意気を高めて正当化し、外側の純粋ではない世界を非難することを正義とした集団。

 

この装置から色々なものが生まれてきた。

革命、コミンテルン、粛清、ファシズム。

はじめの一見ではこれらに、共通点はないように見えるかもしれないが、実は、フランス革命と共産主義と資本主義とファシズムは同じ根を持つ同類である。

欧米人が隠したいことは、ファシズムはピューリタンの「合一」回帰運動から生まれてきたという事実。

その他にも植民地福音主義、近代民主主義、現代の教育システムから潔癖症、ダイエット、拒食症に至るまで、このパターンの考え方が現代の生活の中に常識として深く浸透していて空気のようになって気がつかないほどまでになっている。

 

近代資本主義

ピューリタニズムは近代社会の骨組みのことで、その後の資本主義の発展の精神的根拠ともなっている。

私有財産の正当性

労働は無限の富を生み出すという考え方   cf.大地から得る農作物には限りがある

金儲けの肯定 労働の意味を確認して安心したい   神学、道徳、常識、生活

神との絶対に守る契約の概念を人との関係にも誤解して流用した。 またも先に方式をつくり、条件外のところに適用させるという、洗脳された思考方法だ。

 

現実の権威である父は殺され、残ったのは母なるものだ。

ここで生命本質にある「もっと」という本能が働く。

 

この内なる意識は人が創造したものだ。自然の法則ではなく人工の法則がそこを司る。

そこから生まれたものを人は形にした。絵、音楽、建築、文学。

どれも自然の摂理には頼らない、頼るどころから自然を拒絶した意識は次々と形を生み出し、ついにそこは都市となった。脳内意識を形にしたものが私たちの住む都市空間だ。そして人工意識空間の中で生まれ育つジェネレーションが育った。彼らの美学やカッコよさのイメージは母なるものから少年・少女に移っていく。母は子を産むので自然の一部でしかない。都会の人工美の中では自然美は尊ばれない。進んだ人工美の中に精神安定剤としての自然美を装飾するぐらいだ。アールヌーボー、盆栽、公園。

 

この内なる領域を第一とするのが理想主義である。外にある自然を無視する意識を中心とする考え方で、意識の快楽が体よりも優先される。そのためには体はできるだけぬるま湯に浸けておくのがいい。体から信号が脳幹や大脳辺縁系に送らなければ、大脳皮質は意識を発し続けて、意識の一部である内なる自己意識の中に留まっていられるからだ。

しかしその大脳さえも実は自然の象徴である生命体の一部である。ここで矛盾が生じる。内なる自己意識と生命体としての生物としての脳との間だ。理想と現実。人工と自然。自意識と体。自己意識がいくら頑張っても脳が生命体の一部であることは変わらない。内なる善が自己意識が自然の摂理を含まないという証拠に、理想である平和、自由、博愛は自然の中で見ることはできない。見れるのは私たちの意識であり、葛藤などの相反するものがそろってはじめて平穏であり満たされる状態だと意識が認識するときである。

この内なる自意識と外なる自然との間に矛盾を見つけ、外にある現実や自然や体を受け入れない者が、精神病になっていく。

自己意識に伝えてあげなければならない。自己意識が通用する領域を。何時?何処で?誰と?

それ以外では自己意識の世界は長期間にわたって現実化し続けることができない。現実化できるのは瞬く間でしかない。

自己意識を常に活動させるためには真面目で誠実で正しく一生懸命でなければならない。その状態が続かないと、すぐに体や心からの電気信号で、自己意識の外側の意識や情動に、関心が移ってしまうからだ。

無理をし続けなければいけない、そりゃあ苦しくなるのは当然だ。

 

陣地を広げる

内なる善を意思して、これをこの現実の世界で形にすることは自然の摂理も他人の好みにとっても問題がない。

ところが、その陣地を拡げることには多くの問題がある。宮殿を作るのは良いが、国を作るとなると必然的に他人の好みとぶつかってしまう。そしてそれは外である自然との戦いになってしまう。外が内の世界の拡大を拒むと、内は次々と外を抹殺していくしかない。自然界では共存はあるが、自己意識界ではあるかないかの二択を迫られ、あることしか存在するための選択がない。この陣地を拡げるということが、ピューリタンにとっては神の国の建設ということだ。それに反対する者にはまずこの内なる世界を創る方法を教えて、賛同させて、一緒に陣地を拡げるメンバーとした。これが宣教であり、布教であり、教育であり、洗脳であった。

この内なる自己意識から神の概念を引いて、押し拡げたのが社会主義国だった。どちらにしてもいつしか自己意識が生命体の一部であることに気がつけば、この運動は成り立たなくなる。情動や体の声を聴き始めると、自己意識のリーダーシップは薄れて、体の中から崩壊してしまう。

完全なる善である神がいない分だけ社会主義国の崩壊は早まった。ヒトの中の自然を理解しようとしなかったからだ。

ただ内側を作って外側を粛清する方法はあちこちに拡散した。マルクスはこの考え方をエンジンにして資本論を書き上げ、レーニンは本音の「世界中の金持ちとその政府を叩き潰さなければならない」という大義名分と知行合一を恐怖で結びつけて、実社会で形として実践することで、粛清の嵐を吹かせた。

 

抹殺の数々

内側を創る、知行合一、プラス外側の抹殺がピューリタンからコミンテルンにつながる系譜だ。

革命、コミンテルン、粛清、ファシズム。

粛清ではロベスピエールは3万人、レーニンは50万人、毛沢東は40万人、被害者1億人におよんだ。

 

他人を抹殺するためには基準と理由が必要だ。

そこで必要としたのが二分法と権威づけ。まずは二つに分けて、上下、左右、優劣をつくって、良い方法をとるように教育する。

平和な自由民主主義の中で実践されている、無意識の優生学だ。優生学はファシズムと一緒にタンスの奥におしこんでもうこの世にはないように振舞っている。ところが昔から何も変わらず、なんでも優生学でモノを判断しているくせにこれに気がつかないふりをしているだけのことだ。そして欺瞞が爆発するのは自然の法則だから、限界があるのは仕方がない。優生学との付き合い方は、ダンスの奥に隠すことではなく、ちゃんと向き合ってその良さを認め、そして同時に優生学の限界を知って、それが有効な範囲の内では重宝するが、範囲の外では逆に劣生学を生かし方を学ぶだけだ。

コミンテルンは、域内平和 :Burgfrieden  Second International)という考え方を持ち出して、域外を戦争状態にさせることを戦略とした。

 

1856年 イギリスが海を制覇したので、海賊の禁止をして、以降は海賊を捕虜と認めず殺害しても良いことにする。現代のテロリストもこの系譜の末裔になる。ピューリタンから派生した脳内純粋主義者が決めた内側の正義に反するものは殺してもよいとするのがこの装置だ。

 

どうすれば抹殺し続けることができるのだろうか?

それは2項目を作り上げ、その間を行ったり来たりすることで、永久に続けようとする装置を持つことである。

人間自身をどのように見るかがポイントだ。

人類愛と殺戮、性善説と性悪説、理想と現実、リベラルと保守、民主党と共和党、建前の綺麗ごとと本音の欲望、

哲学で言えば、ロックとホッブスの思想を繰り返すことで外側の抹殺をし続けることができる。

 

 

現代のピューリタン

 

生まれるところ

一言でいうと、理性を使うことが最も合理的であると感じられる時空間である。わかりやすく言うと体よりも頭の判断が優先される場所だ。例えば野外よりも屋内、ブルーカラーよりもホワイトカラー、農業よりもIT、田舎よりも都会、現場よりも会議、周辺よりも中心、台所よりも書斎、小学校よりも大学、実業者よりも公務員。

台風や荒野などの厳しい自然の環境が少なく、人工のものに囲まれた時空間で幼児期に育った者が多くなる。

場所では自然よりも人工で、時間では一瞬や長期よりも短期の範囲内で生活をして考えている人たちの集団だ。

でもこれだけではまだピューリタンは生まれてこない。ただの理性中心主義者でしかない。

ここに加わるのが自意識と感情である。すると信念のある生粋のピューリタンに改造できる。

自意識は自由、平等、博愛など、この自然界で常時あることがない理念を植えつけることで簡単に影響される。問題は感情の方だ。この現実で理念を実現しないといけないという熱い気持ちが必要なのだ。人に優しく、正義を愛し、騎士道の誠を大切にする心がある人たちだ。時にはコンプレックスやトラウマや復讐心から熱い気持ちを得ることもある。この感情を持続させるためには物語を体内に持ち続ける必要がある。例えば、理不尽にされ、義からも見放された「弱者を救え」というストーリーをこの感情を盛りあげるための武器にしているカルトは多い。私を救え、ではなく、弱者を救え、というからには本人は弱者ではなく強者である。経済的にも余裕があり、親もそれなりの時間とモノの余裕があるのだろう。

また、自意識が傷つけられた経験から、自分の自意識を救うことに熱情をもたせようとするビジネスが横行している。

これらの理性中心主義と理念と熱情が結びついた者が現代のピューリタンが生まれてくる土壌だ。

 

どんな人たち

現代では、場所では新興住宅地、高層ビル、団地などで生まれ育ち、大学に行き、それなりの経済的な余裕のある子供時代を過ごした者が多い。都会の一軒家の方が経済的な余裕はあるが、地縁や親族との関係性が高い場合が多く、理性だけではなく、地縁と血縁を考え大切にする時間が増える場合は、理性中心で生きていけないことを自覚するケースが多いのでピューリタンにはならない。

現代のピューリタンは、無自覚ながら自意識を第一にしているので、そのためならば自分のプライドや世間的な評価さえも犠牲にするほど、自意識を守るように条件反射づけられている。多くの行動が無意識でありながら自意識を守ることに終始しているのだ。

外から見れば、学問に深く、誠実で、一生懸命な性格であるのも特徴だ。

内面の共通点は「救済」だ。 

救う、誰を?何から?

口から出る言葉は「弱者」だ。子供、被害者、弱った自然環境。

実際はその人の自意識のプライドでしかない。そのためにはどんな嘘もつくし、自己催眠までもかけてしまう。

 

 

Cf. 戦前の社会党員や共産主義者にはインテリが多い。学習院、華族の子供や孫、大学、地主の子供。本当の貧乏人は党員にはならない。

 

理性中心主義

フリードリヒ・ハイエクは特にフランスに見られるような、「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

ハイエクの自由主義とは反合理主義であり、人間の理性には限界があり、慣行・慣習・マナーといったルールに従うべきであり、ルールに従わなければ、人間は不完全な理性しか持たないので、制度を設計したりすることはできないとする。つまり、理性を使い、国家や社会という複雑なものを合理的に設計できるというマルクス主義や全体主義は誤謬であるとし、彼らは自分たちの理論に従い世の中を設計し、その理論から外れたものについては弾圧する。ハイエクにとっての全体主義は合理主義で、反合理主義こそが自由主義であるとされる。

 

デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義 (constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な「進化論的[12]合理主義 (evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。

そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果ではあるが、その本質的な構造は特定の意志により設計されたものではなく、社会の試行錯誤を経て意図せず生じたものであり、そのはたらきの機序を人は充分に認識しえない。よってそこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。その本質において能力の乏しい理性に基づき「社会の設計(設計主義)」や「革命的な進歩」を目指した場合、認識しえない構造を基礎としている文明そのものを破壊する。人間社会に期待されるのは、所与の方向付けがされていない漸進的な自律変化である。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序 (a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配 (rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。

こうした考えから、計画経済と集産主義 (collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。また「合理主義」や「理性主義」に否定的であったのと同様、ケインジアン批判だけでなく新古典派経済学やシカゴ学派の多くが前提とする合理的な個人像に対しても疑問を投じている。基数的な効用に対しても否定的である。したがってハイエクの場合は強硬な新自由主義者であっても、オーストリアのキリスト教のカルヴァン主義と同じ流れを持つものの袂を分かった一部のプロテスタントの価値観から、合理主義者や理性主義者よりは自我や邪性については積極的に賞揚しない人物であった。

 

 

最高存在の祭典  理性(意識)から理念(自意識)へ

1794年6月8日、ロベスピエールが主催してに挙行されたフランス革命を祝う市民祭典。

ロベスピエールが構想し、画家ダヴィドがその演出にあたった。左派のエベールらが進めた「理性の崇拝」を否定したロベスピエールは、革命の共和政と自由の理念を「最高存在」、つまり神として崇拝し、祭典を挙行することを国民公会に提案し、採択された。祭典はパリを中心に全国で実施されたが、この祭典を強行したことでロベスピエールの独裁に対する反発が強まり、50日後のテルミドールのクーデタでの失脚となる。ダヴィドの演出は古代ギリシアの祭典を模範としたものであったが、シンボルの多用、音楽、マスゲームなど、大衆動員による集団芸術の先駆といえるものであった。

(引用)6月8日、最高存在の祭典は行われた。朝8時、パリのセクションはチュイルリにむかうように要請されていた。儀式は、画家でロベスピエールの心酔者ダヴィッドによって演出された。クライマックスでは、ロベスピエールが「心理の松明」を手に、「無神論」や「エゴイズム」などの偶像を燃やす。するとそのあとに「知恵」の女神があらわれる。ついで会場はシャン・ド・マルスに移される。セクションがアルファベット順に並んで進み、8頭の牛が曳く自由の凱旋車がつづく。広場の中心には「自由の木」のたつ人工の丘、その脇にはギリシア風寺院と、人民を象徴するヘラクレス像をいただく円柱。国民公会議員と市民とが讃歌をうたい、共和国への忠誠を誓った。

 

思考構造      白血球 メタファー   悪(不都合)との付き合い方

考え方というのは、その理解をどのように例えるかによって明白に分かることができる。メタファーというやつだ。解らない人に説明する時に、その人にとって分かり易い例を出す方法だ。

ピューリタンの系譜にあたる新教徒とも呼ばれるプロテスタントの人々は、どのようなメタファーで神のことを説明していたのだろうか?

 

私と関わりもある、賀川豊彦の場合はどうだったのだろうか? 昭和期に神戸を中心に活動したキリスト教の活動家である。

彼は、妾の子として生まれたこと、少年時代のいじめの経験、青年時代に罹った結核の病、神戸新川の貧民窟での経験から、社会悪や宇宙悪の意味について、思索を始めた。

「私の一生の研究題目は、宇宙悪の問題であるが、十六歳の頃からこの問題が私を執へた。そして私は、悪の方面から宇宙を研究したときに、悪を跳ね返して進む一つの力がその中にあることを発見したのである。宇宙に大きな秘密がある。私が弱者、貧者のために命を棄てる其中に、私は一つの宗教を発見したのである。十字架の精神! 即ちイエスは単に宇宙悪に対しての挑戦者であったのみでなく、苦しめる者は繃帯し、痛める者を癒す人格的白血球運動者として、自らの使命を自覚せられたのである。」(賀川豊彦、全集第1巻、「イエスの宗教とその真理」、192頁。)

「宇宙の法則中に一つの補償作用がある。宇宙意志のうちに 身体に異常が起こって有毒物が或箇所にできると、無数の白血球がその箇所に集合してきて、防禦線を張り、敵と戦ひ、自らを殺して身体の保全を図る一つの生理的救済作用があるが、それと同じように―苦痛を癒さんとする法則が実在することを発見して、救済宗教を確立されたのがイエスの宗教であった。」(同前、191頁。)

 

彼にとって、罪とは具体的には、生の否定、無気力、成長の停止、迷い、不完全、不徹底、病等なのである。社会悪もこの観点から、捉えられることになる。ここから、社会の不完全さを克服するため、社会運動により、完全な社会を作っていくという志向性が生まれることになったのである。(隅谷三喜男、189頁参照。)

「このような錯綜のあり得ることを初めから考えて、宇宙悪としての『ずれ』を認め、その『ずれ』の部分を修繕する修理、再生の原理も、宇宙に伏在しているのである。この信仰が宗教の領域である。しかし考えようによると、この『ずれ』があればこそ、変転自在な組み合わせを通して、新しき世界の創造も可能なのである。」(同前、413頁。)

この宇宙悪としてのずれを修復し再生させるものこそ、前述した十字架の贖罪愛の力なのである。この不完全を克服し、社会と宇宙の完成を目指す彼の目的論的思考には、キリスト教的社会主義の理想である「地上における神の国」思想となる。

 

この世の悪とこれに打ち勝つエスを、病原体と体内の白血球を例えとして、理解し説明している。

一見すると、確かに良い例えのように思えるが、ここにも外部を殺してしまうピューリタンの本性が隠されている。

 

神である内なる純粋さをヒトの体とし、それを自らの死で贖うことで命を守るイエスを白血球とし、宇宙悪を病原体と比較して説明している。

これのどこが悪いのだろうか? いい喩えではないか。イエスが身を挺して人類を生かしてくれるという。

問題は悪の扱い方である。病原体が体の中に必要であることを考慮していないことから起こる。病原体を外の不純物で、これを抹殺することがヒトの生命を守るために必要だと捉えてしまうメタファーを使うことによって間違いが肯定されてピューリタンの正義が始まってしまうのだ。

病原体は絶対の悪ではなく、体にとって必要なもので、多くの病原体はほんの少量ながらも体内の腸に生息している。

それによって抗体ができるのが生命体の生理システムなのだ。病原体が体内にないとその病原体と闘う白血球を作ることもできないのだ。

病原体を宇宙悪として、拒絶し、抹殺することは、実は自分自身の首を絞めていることになってしまう。

正しいことをしていると信じているのに、そこから外れる他の存在を否定することなのだ。

 

 

 

 

 

 

内外

内なる純粋

犠牲 贖罪

外の不純

 

宗教観

イエス

 

ヒト

白血球

病原体

 

 

 

普段の生活では人を救う善人だが、病原体から見ればいざという時は抹殺する悪人でしかない。病原体は本当に悪なのだろうか?

普段は世間に綺麗ごとを言って啓蒙しているだけに、この考え方を受け入れることは庶民にはできない。実はこの弱者を救うという元の動機こそが、同時にそれを認めないものを退けるという力と共存することによって成り立っている。

内なる純粋さを守るために、外なる不純さを抹殺することは一見には正しいことに思うだろう。しかし、もう一度よく周りの世界を見回して欲しい。 純粋さはそれほど素晴らしいものなのか?不純はそれほど悪いものなのか?

確かに多くの病原体が一度に体内で増殖するとヒトの命を奪う。しかし少量ならば他の菌と一緒に共存している。

また良いものであっても、ある一定の量を越すと、命は死んでしまう。乳酸菌であっても。水も一度に8リットル飲むと死に至る。

 

ピューリタンが生み出す優生学

プロテスタントの信者たちは、弱者の立場に立つといいながら、これらを抹殺しようとする優生学を支持してしまう。大きな矛盾だ。

 

賀川の「生命価値」に基づく目的論的進化論は、具体的には、当時主流を占めていた「優生学的発想」となって現れてきたのである。彼は、「優生学的見地」に立って、優種増殖、悪種淘汰の原則を提唱している。

「私は、産児制限という言葉をあまり好まない。産児調節という言葉を使いたい。天才の子供等はどしどし生んで貰ってそのたねを、社会が保存し、最大限度まで生んで貰う通い。

乳牛でも、小鳥でも、食用蛙でも乃至は鶏でもよい種になるほど高価なものであるが、人間においてもそうである。・・・・・しかし、その反対に、悪質遺伝者が、子を多く生むならば、それこそ大変である。米国で研究せられたカリカッタ家族の如き、低能の男が低能の女を娶り、その結果低能児が一家族に百人近くも増殖したという。こういう場合には、すべからく産児の制限をすべきである。」(賀川豊彦、全集第10巻、381頁。)

 

「最もよき産児制限の方法は、優生学的見地より出発して、優種増殖、悪種淘汰の原則をとることである。例えば男子輸精管を切断して、子孫が増殖しない様な方法は欧羅巴において昔からとられて居った産児制限の最もかしこき良き方法である。日本に於ても癩病患者の体内伝染を防ぐために、輸精管の切断を希望者に手術せられている光田健輔氏の様な篤志家もある。私はこうした産児制限には大賛成であって、同様のことが悪質を自覚する他の疾病患者にも行われるようになると非常に良いと思う。」(同前、383頁。)

 

賀川のこの発想は、現在の福祉論では、「予防福祉論」と呼ばれる立場である。障害児が生まれるのを不妊手術等の手段により未然に防止し、それでも生まれてきた障害児に対しては、社会が十分な福祉制度を整えてサポートしていくという発想である。優生結婚を奨励し、悪質遺伝者の結婚に反対しているのもその特徴である。

 

優生学、自意識、理性との関係は?

優生学は一つのものを二つに分けることから始まります。分けることにより何でも大小、高低、多少、優劣がついてしまいます。これが理性や自意識が生まれてくる根底にあります。命のない無機物にはこの分けるという発想は効果的で合理的です。しかし生命体をはじめ分けることができないものにはこの理性は通用しません。無理を重ねることでしかありません。便宜上の仮の姿として分けるのはいいですが、本当に分けてしまっては、死んでしまいます。そんなものはこの地球上には存在しません。

 

賀川はキリスト教と進化論的科学の結合を目指していたが、その思考は皮肉にも、「弱い者が最も大切にされる」というキリスト教の神髄を示すパウロの教えと深刻な矛盾を産む結果になってしまいました。

 

「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも格好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(コリントの信徒への手紙 12章22−26節。)

 

 

神の国を建設したい潜在意識は何なのか?

そんな気持ちはどこから生まれてくるのか?自然を見渡す限り、神の国はありません。生命体は時に闘い、時に住み分け、時に捕食し、時に朽ち果てて元の元素に戻っていきます。60兆あるといわれる人間を構成する細胞も一秒間に500万個が死に同時に500万個が生まれています。この状態こそが私たちがこの世に存在しているということなのです。生死が同時にあるからこそ、ここに私たちがいるのです。

ところが、ピューリタンのいう神の国は生を良しとし、死を悪として、常に善だけでこの世を埋め尽くそうとします。一つのものを二つに分けたからできた善でしかないのに。そして対の反対側である悪を抹殺しようとしてしまうのです。それが善が生まれてきた元自身を殺すことになってしまうことには気がついていません。

これも全部ヒトの脳内の自意識がなせる技です。新興住宅をはじめ、家の中や、ショッピングモールや、バーチャルゲームや、書斎や、図書館や、マスコミなど、どこも脳みそにとって快適で安全で幸福感の溢れる場所です。ここではだれも体内の奥から出てくる声を聞こうとはしません。

分けることに取り憑かれ、言葉に囚われてしまい、知識がないと安心することができなくなってしまった人たちが、それ以外の世界を体験すること忌み恐れて、必死になって自意識を肯定するために、周りの異物を内なる純粋の勢力下に置くために、外を抹殺し続け、永遠にベターを求め、どこまでも突き詰めることしか目標のない、心も精神も思いやりもない機械的運動です。

 

自然の構造  救出方法   白血球から抗体システムへ  

 

ヒトの内側の意識ではなく、外側に目を移した時に、ピューリタンの限界から次の世界である、異身同心の世界で生きることができます。

 

 

 

 

 

 

 

内外

内なる純粋

犠牲 贖罪

外の不純

 

宗教観

イエス

 

ヒト

白血球

病原体

 

 

メタファーは免疫システムです。

病原体を体内に取り入れ病原体を体内の一部とする、免疫の働きのことです。

病原体を宇宙悪として捉えるのではなく、命を存続させるための大切なパートとすることです。必要悪と呼べばいいのでしょうか。これがないと生きていけない大事なものとして捉えることです。

生命が存続するには、ある種の菌が一定以上に増えることが問題となり、場合によっては死に至ります。それに対抗するために、腸内に病原体の抗体を持つことで、その白血球をはじめとした免疫細胞を作り出して、異常な繁殖を防ぐという働きをすることによって、生命体は存続することができます。

病原体を抹殺するのではなく、体内にほんの少量取り入れてことにより生きるという、はじめから生命体が持っている自然の力です。

 

この体内で起きている事実を見つめることが、脳内のピューリタニズムを中心にしてモノを考え行動してしまう誤解から解消されるきっかけになります。

文明生活者が今まで悪いと思っていたことは、一つのものを二つづつに分けていくことずっと続けていくことから生まれてきます。そこから善玉菌や悪玉菌という考え方も生まれてしまっています。どの菌がいいとか悪いとかあるのではなく、一定の割合が崩れた時に病気は起こるのです。0か100の白黒ではなく、単なる割合の問題です。白と灰色が一杯あって黒がほんの少しあるのが、体が生きるためには必要なことなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抗体

 

 

 

 

病原体を体内の一部とする

 

 

 

 

病原体

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史

ピューリタンになった理由 ピューリタンの正義 そしてその正義でヒトを殺すことになった理由

カトリック

プロテスタント

聖公会

詳細は「:en:History of the Puritans under Elizabeth I」、「:en:History of the Puritans under James I」、「:en:History of the Puritans under Charles I」、「:en:History of the Puritans from 1649」、および「:en:History of the Puritans in North America」を参照

16世紀から17世紀にイングランド国教会の中にカルヴァンの影響を受けた改革派のピューリタンが勢力を持つようになった。その中には国教会から分離せずに教会内部を改革しようとする者(長老派)と、国教会から分離しようとする者(分離派:他の教派との相互聖餐を拒否)、その中間に位置する者(独立派(英語版))がいた。

分離派の中には祖国での弾圧を逃れ、1620年、メイフラワー号に乗りアメリカに移住した者もいる(ピルグリム・ファーザーズ)。清教徒革命(ピューリタン革命、1642年から議会と国王派の内乱)では、平等派がオリバー・クロムウェルのニューモデル軍(英語版)の母体にもなった。

参考文献

英米におけるピューリタンの伝統 A.シンプソン 大下尚一・秋山健共訳 未来社、1966年)

ピューリタン 近代化の精神構造 (大木英夫 中公新書、1968年)

イギリス革命とユートゥピア ピューリタン革命期のユートゥピア思想 (田村秀夫 創文社、1975年)

アメリカ・ピューリタン研究 (柳生望 日本基督教団出版局、19813月)

千年王国を夢みた革命 17世紀英米のピューリタン (岩井淳 講談社選書メチエ、19956月)

アメリカの嘆き 米文学史の中のピューリタニズム (秋山健監修、宮脇俊文・高野一良編著 松柏社、19995月)

世俗的聖人たち ピューリタンの実像 Leland Ryken 森本真一訳 近代文芸社、200010月)

ピューリタン神権政治 初期のアメリカ植民地の実像 (山本周二 九州大学出版会、20023月)

ピューリタン牧師バクスター 教会改革と社会形成 (梅津順一 教文館、20051月)

ピューリタン神学総説 (ジェームズ・I.パッカー 松谷好明訳 一麦出版社、20118月)

 

 

 

 

参考文献

 

 

ピューリタニズムはたいへん妙な思想であり、運動である。その起源には王を殺した宗教運動があり、その後は、つねに父を喪失した状態の宗教思想でありつづけている。

 つねに移住先を求めるし、どこかに定着したらしたで、移住者の再編成を課題にせざるをえなくなっていく。ノーマッドな思想に似ていて、まったくノーマッドではない。脱出する地点が必要な旅立ちなのである。しかも旅先には目的地があって、そこに“建国”と“会議”が待っている。

 しかし、これがヨーロッパのキリスト教社会が「近代」を生むにあたってつくりあげた最も合理的な実験装置だったのである。その合理装置からは思いがけないほどの副産物がもたらされた。たとえば、ピューリタニズムこそが「霊的」(スピリチュアル)という言葉に対して、初めて「内的」(カーナル)という言葉を持ち出したのだったし、「自由」と「デモクラシー」と「信仰」とを矛盾なき状態で実践する前提を拵えたのだった。

 もうひとつ、われわれ日本人がピューリタニズムを正確に知っておくべき理由がある。

 それは日本の明治を動かした「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のキリスト教とは、まさにピューリタニズムだったということである。われわれはピューリタニズムをもうすこし惧れ畏れて、また怖れ懼れて、知るべきではあるまいか。

 

第1には、多様な「コングリゲーショナリズム」が生まれたことである。日本では「会衆派」と訳され、その活動は独立派とか組合教会となって、それが日本では新島襄の同志社系になっているなどと理解されている活動形態だが、ここにはもうすこし重要な意味が隠れている。

 かつてのカトリシズムが「回勅の宗教」であるとすると、コングリゲーショナリズムは新たに「会議の宗教」をつくったということなのだ。いまでも“the sence of meeting”とよばれて、アメリカ人やイギリス人と仕事をするとその思想が前面に躍り出る。日本人が欧米の真似をしてミーティングのルールやディベートのルールをおぼえようとしたのは、ほとんどコングリゲーショナリズムにもとづいている。

 

 第2に、このコングリゲーショナリズム(信者の集まり)の波及から、社会における“人間向上のプログラム”の変質が実質的におこっていったことがあげられる。

 それを簡潔にいえば、さしずめ「コンヴァージョン」(回心)から「エデュケーション」(教育)へという転換だ。

 これでだいたいのことの見当がつくだろうが、「信仰と会議と教育」はピューリタン精神のなかでは、ひとつながりのものなのであり、このひとつながりの途中にそれぞれ介入してくるのが「ディシジョン」というものなのだ。

 

 第3に、ピューリタン革命がまさにそうだったのであるが、ピューリタンたちがコモン・ロイヤーと結び、ピューリタニズムの社会のなかに契約社会をつくっていったことが特筆される。すでにメイフラワー契約にもそれはあらわれていたが、クロムウェルの革命そのものが契約革命の推進だったのである。このモデルをプロテスタンティズムに拡張し、さらにそれが資本主義の起源になっていると指摘したのがマックス・ウェーバーだった。

 

 

 

 

 

 

 

植民地時代アメリカにおけるピューリタン家族の母親像母子関係に関する社会史的研究

本研究は、17世紀ニュー・イングランドにおけるピューリタン家族の人間関係について「母親」を中心に再構成することによって、子育てをめぐる夫婦の分業、母子の情緒的繋がりなどを明らかにし、近代初期の親子関係や育児実践のありようについてアプローチしようとするものである。研究を進めるにあたって次の三つのカテゴリーに基づいて資料収集・分析を行った。(1)日記、自叙伝などの内的世界を記した私的資料(2)説教集、家政書、育児書のような公共性が強い、生活規範として機能していた文書資料(3)初婚年齢、出生率、子ども数、死亡率など、ライフサイクルに関わる人口動態学的資料。これらの資料を歴史心理学的手法に基づいて分析することによって、ピューリタン家族に関する以下の問題について検討した。(1)家族観、(2)結婚観、(3)夫婦関係、(4)理想的な家母のイメージ、(5)妊娠・出産に対する心性、(6)乳幼児保育の思想と実践。本研究の結論を要約するならば、以下の通りである。ピューリタン家族における母親は、家長の権威の下にありながら、子どもの養育に関して大きな影響力を有していた。彼女らは、授乳を通じて子どもとの間に密接な情愛関係を結び、子どもの霊的・精神的成長に大きな影響を及ぼした。母親たちは子どものうちに原罪を看取する点でピューリタン的子ども観を踏襲したが、出産という女性固有の経験により、父親(男性)とは異なった子ども理解を示していた。出産の危機に乗り越えて誕生した子どもは、神の祝福であり、母親の救いを確証するものであった。それ故、彼女らは神の賜物である子どもに対して特別な感情を抱くことになる。それは、神の支配と権威を象徴する父親の養育態度とは一線を画するものであり、いわば神の慈しみと愛とを顕現したものであった。母親のイメージは、子ども期の原体験として、ピューリタニズムにも投影され、神や福音が母親のメタファーで語られるようになるのである。

 

 

ピューリタン出自の社会思想家の比較研究

――マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・パーソンズ再論――(上)

川上周三1

The Comparative Study as to Social Thinker of Puritan Descent:

Second Paper of Max Weber, Toyohiko Kagawa, Talcott ParsonsFirst

KAWAKAMI, Shuzo

要旨:本論文は、ピューリタン出自の社会思想家の中から、マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・

パーソンズという代表的な社会思想家を選び、その思想と社会理論並びに社会的態度を比較研究することを目

的にしている。まず最初に、第1章では、本論文の目的と章別構成及び研究方法が、第2章では、この3者と

ピューリタン系の社会改革思想との関係が論じられている。第3章では、3者の社会科学の基礎理論が検討さ

れている。そこでは、主意主義的思考、目的論的思考、合理化論的思考と進化論的思考、及び、文化論的思考

が論じられている。第4章では、国内政治やグローバルな国際政治に対して、3者が取った態度について具体

的な分析が行われている。最後に、第5章では、彼らの思想の今日的意義について言及を行い、その論の結び

としている。研究方法としては、3者の置かれた社会状況が3者に与えた影響についての分析と、3者それぞ

れの個人に定位した状況が3者に与えた影響についての分析という両方の視点からの分析方法が用いられてい

る。ここで、社会状況というのは、歴史的状況、社会経済的状況、地政学的状況、社会生態学的状況、社会文

化的状況、人種的民族的状況のことである。個人的状況というのは、個人史的状況、心理状況と身体状況のこ

とを指している。この社会的並びに個人的状況の両側面の総合分析により、彼らの思想の解明に肉迫してい

る。本稿では、第1章から第3章までを論じている。

キーワード:キリスト教社会主義、進化論、合理化論、優生思想、全体主義

 

本論文は、ピューリタン出自の社会思想家の中から、マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・パーソ

ンズという代表的な社会思想家を選び、その思想と社会理論並びに社会的態度を比較研究することを目的にして

いる。この3者は、共時的並びに通時的理由により選定されている。共時的には、この3者がピューリタン系の

出自を持つ思想家であるのが、その選定理由である。通時的には、この3者を取り上げることにより、19世紀後半から20世紀後半までの時代のピューリタン系の典型的な社会思想を通観することができるからである。マックス・ヴェーバーは、19世紀の後半から20世紀の初頭まで、賀川豊彦は、19世紀の末から20世紀の後半まで、タルコット・パーソンズは、20世紀の初頭から後半までを生きて活動した社会思想家である。

上記の目的に接近するために、以下の課題を設定することにした。

まず最初に、第2章では、この3者とピューリタン系の社会改革思想との関係を論ずることにする。第3章で

は、3者の社会科学の基礎理論を検討する。そこでは、主意主義的思考、目的論的思考、合理化論的思考と進化

論的思考、及び、文化論的思考が論じられる。第4章では、彼らが国内政治やグローバルな国際政治に対して取

った態度について論じる。最後に、第5章では、彼らの思想の今日的意義について検討して結びとする。

研究方法としては、彼らの置かれた社会状況が彼らに与えた影響についての分析と彼ら個人に定位した状況が

彼らに与えた影響についての分析を行うことにする。ここで、社会状況というのは、歴史的状況、社会経済的状

況、地政学的状況、社会生態学的状況、社会文化的状況、人種的民族的状況のことである。個人的状況という

のは、個人史的状況、心理状況と身体状況のことを指している。この社会的並びに個人的状況の両側面の総合分

析により、彼らの思想の解明に肉迫する。では、以下、それについて見ていこう。

 

マックス・ヴェーバーの母方は、フランスにおける改革派教会、すなわち、ユグノー貴族の家柄である。曾祖

父は、フランス系改革派教会の牧師である。カトリックの勢力の強いフランスで、彼らユグノー達は迫害されていた。そのことは、サン・バルテルミの虐殺のようなカトリック教徒によるユグノー虐殺事件に典型的に示され

ている。こうした事情により、ヴェーバーの母方の先祖は、フランスからドイツに亡命したと言われている。

革派教会の特徴の一つは、キリスト教の愛の教えとその実行を迫る知行合一的な実践的性格にある。その気風を

反映して、ヴェーバー及びヴェーバーの母方の親族は、社会的な愛や社会的責任感及び社会正義を重んずる人達

であった。ヴェーバーの伯母イダ・バウムガルテンもその一人であった。ヴェーバーの母、ヘレーネ・ヴェー

バーもそうであった。そして、当のマックス・ヴェーバーもその傾向を持っていたのである。

マックス・ヴェーバーの妻マリアンネ・ヴェーバーによるヴェーバー伝には、そのことが、次のように記され

ている。

先ず、彼の伯母イダから見てみよう。

「当時バウムガルテン家の中心になっていたのは、きわめて卓越した女性であるイダだった。政治と学問への

興味にひたすら心を満たされていた彼女の夫は―みずから身につけたというよりもあきらかに親ゆずりの―プロ

テスタント教会信仰を持っていた。彼は牧師の息子だったのである。いずれにしてもこの信仰は彼の内面生活に

はもはやたいした意味を持っていなかった。イダは彼と知的興味を同じくはしていたものの、彼女の本来の生活

は深い内面性の中で、彼女の信ずる神の面前でおこなわれていたのである。彼女はあらゆる人間の行為をキリス

ト教倫理の峻厳な尺度によって判断した。それ故決して満足するということがなく、いつも意志を張りつめて生

きていた。自己充足的な学問というものと典型的な学者というものから彼女はますます疎隔した。考えることや

行うことの破綻は彼女にとっては衝撃であった。福音書の同胞愛の理想によって判断すれば、アカデミックな世

界は社会的な愛に欠け、傲慢で利己的で、その上人間的にも往々にして惨めなほど卑怯なものと彼女には映じ

た。虚栄心と猜疑からあくまで脱し得ないというのである。絶えず殖えていく書物の数もどれだけの価値を持っ

ていようか、もし知識が叡智や善をも高め、日常の行為が精神の高翔に支えられていないとすれば? 最大限の

教養に満たされたこのような生活形式のただなかで彼女は福音の精神を貫こうとし、それを実現し得ないことに

悩んだ。もっぱら山上の垂訓にしたがってこの世を一貫させることは実際に不可能なのであろうか? 決して衰えることのない痛切な社会的責任感に駆られて彼女は貧困者のために金を出さずにはいられなかった。夫はこれを見て非常な不安を感じたが、イダを心から愛し、非常に高く買っていたので、彼女はたいてい自分の良心の声にしたがうことを許された。その上また彼女は、他の人びとから見れば彼女自身にとっても家族にとっても過大な要求となるような仕事もいろいろ引き受けた。猩紅熱にかかった子供の姉妹を家に引き取ってやったために彼女は心から愛する一人の娘を失った。むずかしい気質のため自分の子供たちにとっても自分自身にとってもやりきれない重荷だったにかかわらず、身寄を失った一人の親戚の女を何年も家に置いてやった。華奢な体に閉じこめられた彼女の強い精神は底知れぬ憂悶のデーモンたちとただ一人でたたかった。しかし彼女は決して他の人びとをそのために苦しませることはなかった。他の人々に対しては彼女はほとんどいつも楽しげな暢気そうな様子をしていたのである。<克己>が彼女の格言だった。」(マリアンネ・ウェーバー、『マックス・ウェーバー』I、67−68頁。)

次に、彼の母ヘレーネについて、見てみよう。

「ヘレーネは自分の心を満足させることはめったにできなかったから、家の生活様式に対する一切の自信を徐々に失い、自分の安楽さのためにばかりあまりにも多くのことが為されて<他人のためには充分>してやっていないという気持ちに絶えず苛まれた。そこで彼女は出来る限り自分の出費は倹約しはじめ、今までならば人手を借りていたような或る種の家事をも自分で引き受けて余計な負担を増した―この<労賃>によってこっそりと貧者に施す資金を溜めようというのである。夜ベッドについても、あたたかい寝所を持たぬ大都会の数十万の人口を思うと彼女は肉体的に苦痛を感じた。―夫からちょっと大きな贈物をもらうたびに彼女は、むしろ貧者に施す金があったほうがどんなにいいかもしれないと思った。要するに、愛の活動が束縛されるように感じれば感じるほど彼女の性格にある慈悲憐憫の面が強く出て来たのである。彼女も今では姉イダと同じく、福音書の教えと大ブルジョワ的な生活様式との矛盾を絶え間ない疼きのように感じていた。彼女の心をこのように深く動かすすべてのものが、当時活に沸き立って来た彼女の周囲の人々の社会的関心の流れと今や合流したのである。一方では富が増大しているのに他方ではプロレタリア化が進展しているのはなぜかという若手の神学者や国民経済学者の設問も、同様にまた大衆のキリスト教からの背叛も、事実ずっと前からヘレーネの関心をかき立てていたのである―今やそういったことすべてが若い世代や自分の息子たちにも目に止まり、取上げられるのだ!

それを彼女は喜び、そして青年たちがその理由を認識することによって救治の方法をも発見することを、一切の

信仰の力を挙げて彼女は期待した。できることなら彼女はそのために一切を捧げたかった。」(マリアンネ・ウ

ェーバー、I、113頁。)

こうした社会的関心から、ヴェーバーの母ヘレーネは、長男のヴェーバーと共に、フリードリッヒ・ナウマンやパウル・ゲーレたちのキリスト教的社会改革運動である福音社会会議の運動に接近していくのである。最後に、ヴェーバーについて、見てみよう。

彼は、経済や技術や国家制度について、まず第一にそれらがどの程度まで国民国家ドイツの強国としての地位を支える目的に適うかを問題にしたが、同時にどのような制度によって、ドイツの人々は、人間らしい生活や幸福を保障されるかということを問題したのであった。その意味で、彼の関心は、一方では民族政治の理念の、他方では、社会的責任感と社会的正義感という二重の刻印を帯びていたのである。(マリアンネ・ウェーバー、I

100頁。)

彼は、この2重の関心から、以下に述べる講壇社会主義者が組織した「社会政策学会」に参加していくことになるのである。

労働者の奴隷状態に対する労働者の解放運動を目指したマルクス主義的な社会民主主義運動に刺激され、社会主義の社会批判の正しさを認め、見境のない利潤追求を批判し、倫理的理想に立ち返り、国家が自由な労働契約を規制することを主張する学派、彼らは、その敵対者から講壇社会主義者と呼ばれたが、彼らは、最初、言説と論文とにより、若い学徒に働きかけたが、その後、国家にも影響を及ぼそうとして、「社会政策学会」を設立し、商人、工業家、官吏もこれに加入した。ヴェーバーも、これに加入することとなった。この学会の関心は、労働問題に注がれた。当時は、農業労働が切実な問題であった。そのため、学会は、東部ドイツ地域の農業労働者事情の調査に取り組むことになり、ヴェーバーもこれに参加した。この調査の結論をヴェーバーは、次のように総括している。

「調査は東部地方の人口減少の最も重要な原因が、大規模農業経営のために古い共同同経済的な農業構造が解体したことにあるということをあきらかにした。地主たちはますます多くの土地を自分のものとし、小作農の権利や現物収益をやめて賃金を与えることにし、売るために経営し、こうして家父長的な支配階級から商業的な企業家階級に変貌し、それによって以前のような自分の下に働く労働者と利害を共にする体制を破棄した。もはや土地の収益からの割り前を持たず、自分の土地による独立も望み得ぬ小農は賦役をやめる―それも、一番いい報酬を得ていた連中が立去るのだから、物質的な理由からではなく、自由になりたいという精神的理由からなのだ。『彼らの幻想は、経済生活のなかにも糊口の問題よりも大きな力を持った理想が存在するのだということの例証である』―領主への人格的隷属は、個々の労働者への領主の人格的責任が消失してしまえば維持されるものではない。廉価で従順な労働力への地主貴族たちの関心がそこから出て来る。ポーランド人とロシア人が数千人もこの国に呼び入れられる。これはまさに東部に置いてゆゆしい国家的危険を意味し、外国人の流入はますます移住への欲求に拍車をかける。それのみかその地方のドイツ人住民の栄養状態や文化はそれより低い東方の文化段階の水準まで押下げられる。」(マリアンネ・ヴェーバー、I、103頁。)

ヴェーバーは、自分が解明したこの過程全体を峻烈な政治的観点から見渡し、次のような政策を提言している。

「農業政策を指導するものは生産への関心であってはならず、国家的関心、国民的国防力のプールとして、且またオストマルクを武力によらず防衛するために、郷土に忠実な稠密な強壮な地方住民を維持することへの関心でなければならぬ。結論、あらためて国境を封鎖すること、農民の土地が大土地所有者に吸収されるのを阻止すること、組織的な植民。『われわれは法律の鎖ではなく心理的な鎖を持って小農を祖国の土地に結びつけたいと思う。われわれは―私はあからさまに言うが―彼らを郷土に繋ぎ止めるために彼らの土地への渇望を利用しようと思う。そして国の未来を守るために一つの世代を土地に遮二無二押さえつけねばならないとすれば、われわれはその責任をも自分で引受けるだろう。』」(マリアンネ・ウェーバー、I、103−104頁。)

彼は、大地主の利害関心によって惹起された東部地域の外国人移民、特にスラブ人の増大とそれによるドイツ国家の国防的危機や文化的危機を、安い値段で土地をドイツ人小農に分け与える農地改革を断行する政策によって乗り切るべきだと国家に提言したのである。当時、ロシアは、凍らない港を求めて、南下政策を押し進め、隙あらば、ドイツに侵攻し、不凍港を獲得せんとしていたからである。この防波堤に祖国に忠実な小農がなれると考えたのである。現在の東部における外国人増大の状況は、敵を国内に抱えこむ国防的危機と彼には映じたのである。彼は、この社会政策学会に参加すると同時に、彼の社会的責任感と社会正義感に対する関心 知行合一からもう一つの運動にも参加していくことになった。彼の関心をかき立てたもう一つの運動とは、キリスト教的社会主義サークルの運動であった。既にヘレーネの箇所でも述べたように、その運動は、「福音社会会議」という運動形態を取って立ち現れてきたのである。それは、マルクス主義的な社会民主主義に対抗し、キリスト教会の側から社会改革に取り組もうという運動であった。彼らは、社会改革の政策として、労働者側に立つ強力なイニシアティブを政府に要求した。彼らは、牧師達に、社会問題の研究とキリスト教社会主義政党による連携を呼びかけたのである。社会問題と社会正義に対する関心から、この運動の第1回の会議に、ヴェーバーとその母ヘレーネは参加することになった。その会議の感想を、ヴェーバーは、次のように述べている。

「ときとしては少々素朴な、しかしたいていは独自なものを持った牧師たちの口論するのを聞くのは私の母にとってはいつも非常な喜びだった。それにまた、われわれの脳味噌を絞らせるような経済的問題を、彼らが以下にうらやましいほど軽々と、神様の良きご理解を信頼してかたづけるか(しかもその際事実上彼らの浅薄さをとがめることはできないのだが)を見るのは、何かすがすがしいものがある。」(マリアンネ・ウェーバー、I、106

頁。)

この会議を通じて、彼は、この運動の若き指導者、フリードリッヒ・ナウマン及びパウル・ゲーレと親交を結ぶことになった。ナウマンは、当時フランクフルト・マインの会員牧師であり、すでに「貧者の牧師」として、若い世代のキリスト教社会主義的傾向の指導者として知られていた。この運動の第3回の会議で登場し、この会議の若い人達を魅了した。彼が、この会議で果たした役割とその主張を、次に見てみよう。

彼はこのサークルの中で熱烈果敢な疾風怒濤的人物であり、その社会的なものへの感動は学識ある冷静な頭脳の人々の慎重な神学的決疑論を、社会的貧困とキリスト教界の責務との無条件の承認へ追いやった。彼は最初自分はもっぱらプロレタリアの代弁者であると感じていた。彼は、心から民主主義者であり、真に宗教的であったが、教義に拘束されず、教会政策には無関心であり、何等の個人的な、もしくは党派に結びついた権力的目的を追わなかった。彼はただ無産者が彼らの現世での権利を主張するのに力を貸そうとし、それと同時に彼らの心を新しい希望と信仰をもってみたそうとした。彼が社会民主主義の隊列に加わるのを引き止めたのは彼の宗教心だけであった。生き生きと自己形成を続けるキリスト教によるマルクス主義の内面的克服と、社会民主主義を改称させるキリスト教社会主義時代とに彼は期待をかけた。彼は、マルクス主義にも国際的結合にも拘束されないが同じだけの規律を持ったキリスト教的労働運動を打出すことが可能であろうという希望から出発する。イエスは民衆の一人としてよみがえらねばならず、キリスト教的心情は変革的に働かねばならぬ。彼は社会主義を至福千年説と形容した。至福千年は、人間の罪業によって妨げられているが、キリスト教徒は地上の至福の再建を目指す自分らの労働の進歩を信じねばならぬ。そうでなければ彼らの労働は何ら道徳的なものも人を感激させるものも持たないと主張した。彼は福音書の中に理想的な経済秩序への指針こそ見いださなかったが、基本的原則を確かに見いだしていた。彼は、貧困の克服は新約聖書によるキリスト教の第一の課題であると主張した。この解釈や主張に神学の権威者たちは頭を振って反対したが、この志向はとりわけ若手の連中を魅了したのである。年配の連中が階級間の深淵をそれで包み隠そうとした教化的方法を彼らはナウマンと共にしりぞけた。彼らは、ナウマンと共に、福音の強烈な明るい光をわれわれの経済状態の上に当て、その光の中でこの状態の改善とわれわれの道徳的疾患の快癒の道を探したいと主張した。ナウマンの支持にまわったのは、福音と社会の時事問題を発行していたオットー・バウムガルテン、プロレタリアの内的・外的宿命をそれ自身の見地から見ることを学んだパウル・ゲーレ等の若手の神学者たちだった。これらの神学者たちは、すべて高邁な意欲によって一致した感激的で純粋な一群の人々だったのである。(マリアンネ・ウェーバー、I、106−107頁。)

ナウマンは、自分より若いヴェーバーの中に彼自身には欠けている生来の政治的本能を感じ取り、この若い専門家ヴェーバーを、政治と経済の問題についての生きた知識供給源、道しるべとして選んだのである。こうして、第5回福音社会会議では、ゲーレとヴェーバーの発議によって、ヴェーバーが取り組んできた農業問題の討議が行われるように計画された。農業労働事情についての大規模な調査も行われることになった。その質問票は、社会政策学会のときとは違って、雇用者だけではなく、農村の牧師にも向けられたものだった。農村の牧師たちの方が判断を下すについて不偏不党であったし、のみならず牧師たちの目をこのようにして社会活動に開かせる意図もあったのである。今度の場合は、単に農業労働者の経済状態のみではなく、精神的・道徳的・宗教的状態、及びその両者の相互作用をも明らかにすることになっていた。この調査では、経済史観の限界が提示された。すなわち、賃金鉄則は農村では通用しないということであった。生活費の高いところでも低い賃金はあるし、地味の良いところでも労働者の生活水準の低さは見られる、そしてその逆の場合もある。農業労働者の運命や一般的状態を決定するものは、彼らを取り巻く世界の全般的な経済関係ではなく、歴史的に出来上がった社会的成層であり、この成層を農村で決定するものは技術的・経済的な条件ではなく、住民がどのような集団をなしているかということや、経営及び耕地の分け方、労働法の法律形態なのである。(マリアンネ・ヴェーバー、I、107−108頁。)

 

次に、賀川豊彦とキリスト教的社会改革の関係について見てみよう。

ロバート・シルジェンの賀川豊彦伝にも述べられているように、賀川豊彦は、「愛と社会正義」の実現を追い求めた思想家であった。彼は、愛と社会正義の実現を目指す自らの社会改革思想を「キリスト教社会主義」と呼んだ。当時、キリスト教社会主義は、イギリスのキングスレー等の運動があり、日本では木下尚江や安部磯雄等の運動があり、彼はそれらの運動に刺激を受け、思索と運動を続ける中で、彼独自の「キリスト教社会主義論」を展開することになった。その主張を次に見てみよう。彼は、彼の当時に起こった一時代のキリスト教社会主義の運動だけを、キリスト教社会主義の運動とは考えず、原始キリスト教の時代から今日に至るまで続いている運動として捉えている。その運動は、個人主義的な運動ではなく、神を中心にした愛の運動である。すなわち、それは、只単に経済運動だけではなく、生命の運動であり、自由への運動なのである。イエスの運動は、弱者を近づけ、貧民を救い、個人を解放しようとする社会再生を目指す社会改造運動なのである。そのことについて、賀川豊彦は次のように述べている。

「基督教社会主義と云えば、すぐ思い出されるのは、英国に於けるマウリスやキングスレーの運動であるけれども、私は基督教社会主義をたゞさうした一時代に於ける一地方の運動であるとは考えたくない。基督教の千九百年に渉る光栄ある歴史に於ては、政治的にもまた経済的にも、共産主義的生活を実現させた事実が、如何なる時代を通じても存在して居たのであって、その光栄或る歴史こそ基督教社会主義の本質であると言わねばならない。基督教の運動はその根本に於いて個人主義的な運動ではない。それは神を中心とした愛の運動である。それは只単に経済運動であるとは云へないであろう―然しそれは生命の運動であり、自由への運動であることだけは否定することができない。すなわち基督教の運動は、始めから一種の社会運動であった。その創始者大工イエスは、反逆者として死刑に処せられた人物である。もちろんそれが誤解に基づいた死刑であったとはいえ、彼の運動が社会的色彩を帯びて居たことだけは否定出来まい。大工イエスの運動は、その根本に於いて、一種の改造運動であった。即ち弱者を近づけ、貧民を救い、罪人を解放せんとする再生運動だったことは、福音書を見てもよく解る。それは凡てのものをいと高きところまで引き上げんとする真正の民衆運動であり、強力の支配せざる愛によって裏書きさせられる自由の国の建設運動であった。」(賀川豊彦、全集第10巻、「基督教社会主義論」、253

頁。)

他方で、彼は、イエスの宗教運動は、共産主義運動だけが目的ではなく、財産の分配や所有といったこと以上に、生理的に欠陥の或るもの、精神的な煩悶の或るものを救済し、生命のあらゆる方面に於いて、神の栄光が現れるために、あらゆる人間苦を修正し救済しまた発展することが根本動機であったと位置づけている。彼は、そのことについて、次のように述べている。

「然し誤解してならぬことは、イエスの宗教運動の根本的基礎は、決して共産運動だけがその目的ではなくして、財産の分配、あるいは所有といったこと以上に、生理的の欠陥あるもの、精神的の煩悶あるものを救済し、生命のあらゆる方面に於いて、彼の考えた『神』の栄のあらわれる為めに、あらゆる人間苦を修正し救済しまた発展することが、その根本動機であったと考へられる。経済的平等の運動は只その大運動の一局面として開展したものであって、全局の運動でなかったことだけは確かである。これは今日の社会主義運動が凡ての問題を経済運動に帰結せんとするなどゝ違って非常に重要な差のあるところである。」(同前、253−254頁。)

彼は、イエスの運動を、終始一貫、神の国運動であり、単に経済問題に限らないで、「永遠の社会正義」と「永遠の愛」を基礎とした人間運動であると結論づけている。(同前、254頁。)

賀川は、使徒行伝等の新約聖書を典拠に挙げて、イエスの死後の使徒達は共産生活を実行していたと述べている。「使徒行伝二章四章五章六章は、使徒時代に於ける共産生活の実行がいろいろな困難に出会した事実を物語っているのであって、一方に於ては土地を売って共産生活の資源に供するものがあり、他面に於ては、その財産の幾分を隠して、表面だけをつくろはんとするアナニヤとサツピラの如き、卑しい気持ちのものがあり、平等の分配に漏れて不平をいふ希臘人のクリスチャンがあり、その間の困難を切り抜けんが為に七人の執事が設けられたことが、使徒行伝には重要な事実として記載されている。」(同前、254頁。)

「ガラテヤ書第二章一〇節に記載せられて居るパウロの救済運動は、使徒行伝第二十四章に記載されて居るエ

ルサレムに於けるパウロの貧民救済運動まで連続して実行せられたことは、あらゆる書簡に、パウロの社会事業が記載されていることを見ても解る。ことにコリント後書は彼の社会運動の立場の辯明書であるとも云える。その第八章第九章は、貧しき者と富めるものとを均しくせんとするパウロの水平運動に関して、比較的詳しく彼の心持ちを記述している。テサロニケ前後書には、労働をせざるものが食ふ権利のないことを主張し、兄弟愛の完成をパウロは主張して居る。ソビエツトロシヤの憲法になっている働かざる者食ふべからずといふ名文句は、最初にテサロニケ前書に吾々が発見するものである。テモテ前書の第五章をみても、パウロは不具者に対して、その財産を分け与えて貧しき者を愛すべきことを徹底的に教えたことが解る。こうした運動は初代教会には猛烈に行われていたと見えて、原始的な自給自足の経済組織に於いて、遠く離れた兄弟達が互に相扶け合って居たことは、実に驚くべき事実として残って居る。その事実は新約聖書のヨハネ第三の書などを見るとよく解る。もちろん、その改造運動は暴力の加味したものではなかった。然し奴隷に対する態度などは明らかに観念的革命の精神を包蔵していた。使徒パウロが奴隷オネシモをその主人ピレモンに送り返した手紙などを見ると、単なる表面上の解放だけではなく、人間相互の関係に於いて、主従の関係と考えないで兄弟として相愛せよと教えている所をみると、其処に既に新時代の兆しがあったことに気附かれる。」(同前、254−255頁。)

中世においては、修道院において共産生活が行われていたと述べている。

「即ち修道院は高等なる道徳を保存するところであり、このところには共産主義が行われて、何人も自分の所有権を主張せず、凡ては神のものであることを考えて、祈りと労働に従事し、民間とは全然離れた道徳を保存したのであった。」(同前、255頁。)

また、小規模ではあったが、中世のギルドや労働組合の中にもこの道徳が保存されていたとも述べている。

「都会に於ても、此道徳が社会生活の中に適用せられ、伊太利の自由都市には、基督教的な各種の労働組合やギルドが組織せられ、弱者を保護し、道路を修繕し、橋梁を欠けるなどの運動が宗教的に行われたことは、教会歴史のうちに記載競られて居る。勿論それは小規模に行われたものである。」(同前、256頁。)

この愛の運動は、13世紀にもなると各方面に爆発し展開されていった。それは、兄弟団運動という形態をとり、共産生活を実行した。アナバプテストやモレビアの兄弟団がその例として挙げられている。これらの兄弟団は、自己が勤労によって得た所得は、すべて神の賜であることを確信し、財を惜しまず、社会の弱者貧民を救済するために金を使ったのであった。(同前、256−257頁。)

ただこの運動は、宗派の分裂や教権の圧迫や地方人の迫害によって大きな運動とはならず小さい運動になってしまった。世界的な大運動として展開されることになったのは、マルチン・ルターやジャン・カルヴァンの運動であった。ルターは、宗教的自由を叫び、近代における自由主義の先駆をなし、カルヴァンは、世界における近代的民衆的共和政治の基本を示すことになった。クロムウエルの英国革命、ワシントンの米国革命は、カルヴァンの信条を奉じたものがその中心人物となったと、賀川は述べている。(同前、257頁。)

産業革命期の英国の兄弟愛運動について、賀川は、以下のようにまとめている。

産業革命期の英国において、貧民救済事業を展開したジョン・ウエスレーの運動は、モレビアの兄弟団の兄弟愛運動に教えられたものであった。ロンドンの貧民窟の救済事業に最大の貢献をなした救世軍のブース大将も、元はこのモレビアの兄弟団の系統を引いたウエスレー主義者の一人であった。今日の英国の労働組合は、宗教的な色彩を帯びている。それ等のあるものは、ウエスレーの弟子達によって創立せられたものである。英国において最初に農民組合を設立したラレスはウエスレー派の説教者であった。労働党を作ったケヤハーディはウエスレー派の熱心な信者であった。(同前、258頁。)

産業革命期のフランスでは、教会の堕落に対して、改造運動を行うものは、反教会的、反基督教的精神を抱くようになり、その運動は、19世紀初頭の唯物主義の影響を受け、唯物的社会主義の運動となって現れてきた。産業革命と共に、ドイツにもこの唯物的社会主義が入ってきた。こうした動きがある中で、英国においてキリスト教社会主義の一団が出現してきた。その運動は、最初、ケンブリッジ大学の教授フレデリック・テニソン・マウリスの家庭において開かれた聖書研究会から開始された。その一団は、最初から最後まで知識階級の運動であった。そのため労働組合運動などには直接的には大きな原動力とはならなかった。しかし、そこで展開された運動は、労働教育と消費組合運動に大きな影響力を与えることになった。マウリスの開いた労働学校は今も存続している。彼が尽力した消費組合は、英国改造の一大原動力となっている。しかし、その運動は、基督教的発想の経済学の根本理論を提示出来なかったために、理論として唯物的社会主義に立ち後れ気味であった。その上に、教会の社会組織が、だんだん中産階級向きとなり、労働階級に適合した宗教団体が案出されなかったために、労働階級は、大工イエスの博愛的精神には共鳴しつつも、教会からは遠ざかることとなった。(同前、258−259頁。)

米国においては、奴隷解放の運動が展開された。その運動の中心人物であったアブラハム・リンカーンの精神は徹頭徹尾キリスト教的であった。そこで、最初は反対していた教会も、後にはこの運動を支持するようになった。米国におけるこの運動の後、ヨーロッパの産業革命は一層深刻なものとなった。労働階級は、長時間労働を強いられ、その作業は機械的で、かろうじてその日の暮らしを送り得るような悲惨な状態が続出した。キリスト教社会主義の運動も労働組合と絶縁していた。宗教の必要なことを知っている労働階級も、教会を中心とした宗教的社会組織だけでは、社会改造が全く不可能であることに気づき、教会外に宗教宗派を超越した労働組合と社会主義運動を始めるに至った。その間において、多年目覚めなかったカトリックの側から、多数の無産者を包容する教会中心のキリスト教労働組合が生まれることとなった。スペイン、フランス、イタリアのようなカトリック国においては、これらの教会中心の労働組合員は少なからぬ数となっている。米国においては、自由主義的資本主義の勢力が非常に膨大であるために、キリスト教的社会主義は微々たる勢力しか持たない状態である。近代的産業組織に対するキリスト教の勢力は、あまりにも分割したその宗派争いのために、統一的勢力として当たることが出来なくなった。あまりに分岐した宗教的感情は、日常生活とだんだん分離して、精神的であることと、日常生活を救済する運動とは相容れないかの如く考えられ、キリスト教会は益々機械工場と連絡を失うに至った。その間に機械文明の社会組織は一層進行し、兄弟愛を必要としない個人主義的宗教運動は、到底社会改造の指導的精神を握るに適しないものとなってしまった。(同前、259−260頁。)

賀川は、愛と社会正義の実践の面から、キリスト教の歴史をこのように概観している。近代産業組織の非人間的側面に対し、人間の人格を尊重した社会改造の指導精神に値する兄弟愛を中心にした運動は、如何なる条件を備えている必要があるのか。その条件として賀川が挙げているのが、イエスの運動が提示している生命価値・労働価値・人格価値の3条件である。

イエスは、「人もし全世界を得るともその生命を失わば何の益あらんや」と説いた。生命価値は、イエス運動の第1原則である。多くの労働階級の生命を無視して、ただ金儲けに熱中する資本主義は、福音書の精神に反するばかりでなく、あらゆる時代におけるキリスト教の精神に反するものである。生命の活動は労働となって現れるが、イエスは労働そのものを最も神聖なるものとして、所有権以上に神聖視した。それは、イエスの「わが父は今に至るまで働き給う、我もまた働くなり」に良く現れている。この精神は、キリスト教のあらゆる時代を通じて、高調されてきた精神であって、修道院においても、街頭においても、イエスの言葉はいつも労働階級を高めてきたのである。従って、労働価値が第2の原則となる。

またイエスは、生命と労働を尊重したのみならず、人格をも尊重した。彼の人格運動は、愛と自由の二つの方向に現れていた。彼は、若き男女が両親を離れて結婚し得る自由を認め、宗教的戒律に縛られざる自由、居住の自由、その他自由なる精神の行くべきすべての道を理解していた。しかし彼は、その自由が一定の真理と、愛とを基礎にしなければならないことを教えたのであった。こうしてイエスは、生命と労働と人格的自由を基礎にした社会は、隣人愛の大きな網の中に包まれて、真の組織へと進むべきものであることを教えたのである。(同前、260−262頁。)

賀川によれば、生命価値・労働価値・人格価値の3条件を満たすキリスト教社会主義の運動こそ、人をも物として扱う商品主義と人を機械的奴隷制と賃金奴隷制に縛り付ける現代の資本主義の害悪に対抗する運動なのである。この運動こそ、愛と社会正義を実現させるのに不可欠の運動なのである。賀川の「神の国運動」は、このキリスト教社会主義運動の基軸となる運動であった。また、この運動は、貧しい者や労働者を中心に置いた運動でもあった。そのため、この運動は、盛んとなり、洗礼者数は激増し、1931年には頂点に達した。この運動は、賀川が、労働運動、農民運動の後に起こした運動であった。従来、労働運動、農民運動がマルクス主義の運動に傾斜し、それによって賀川の運動が軽視され、そこから放逐されたときに、彼は神の国運動に乗り出したと説明されてきたが、賀川はそうした経験も踏まえ、労働運動、農民運動だけでは限界があり、それを支える内的な精神運動、すなわち、「悔い改め」の運動が必要なことを痛感したので、神の国運動を始めたのである。だから、彼にとっては、この運動は、労働運動、農民運動とは別個のものではなく、それらが互いに相提携して推し進められていくことによって、力を発揮することができると考えられたのである。(隅谷三喜男、180−182頁。)

ところで、上記のようにキリスト教社会主義の歴史を概観した上で、彼は、自己のキリスト教社会主義をどのように展開していこうと考えていたのであろうか。私見では、キリスト教社会主義の運動として、賀川は、協同組合の原則を基礎にし、これに、イエスの神の国運動を模範とした内的な精神運動をも加えた社会運動を構想していたと推測する。

 

最後に、タルコット・パーソンズとキリスト教社会改革思想との関係について論究してみよう。パーソンズの父、エドワード・スミス・パーソンズが成長した19世紀後半のアメリカは、急速に工業化し、独占資本主義が確立した時代であった。科学技術の発展により、技術革新が進行し、巨大な富を蓄積した大企業の経営者層が出現する一方で、労働者層は、搾取され、その労働条件・生活条件は劣悪化し、貧民となってしまった。この体制を支えているのは、個人主義を基礎とした自由放任の思想である。こうした社会問題に対して、プロテスタンティズムは既成の体制を擁護する体制派と成り下がってしまっていた。社会福音運動は、このような体制派となってしまったプロテスタンティズムを批判し、悲惨な社会問題を解決しようとするプロテスタントの社会改革運動であった。父、エドワードは、この運動の代表的リーダーの一人であった。社会福音運動は組織的に統一された運動ではなく、慈善を重視するグループからキリスト教社会主義に至るまで、多様なグループからなる運動であった。父、エドワードは、その中で、左派のキリスト教社会主義に非常に接近した立場を取っている。この運動の展開により、教会の社会的影響力は増大し、その運動が最高潮に達した1910年代には、20年前と比べて、教会員数がほぼ倍増したのである。(高城和義、1992年、11−15頁。)彼が25歳の時に執筆した論文、「キリスト教徒の社会主義批判」にそれがよく表れている。父、エドワードは、労働者階級の利益にかなう方向に、国家を変えようとする思想が、社会主義であると考えている。従って、ここから、社会主義は、その理論的側面においては、労働者階級の正義の要求に基づいた理論であり、国家をすべての生産手段の所有者とし、国家を、すべての産業において開始され推進される協同の共和国に変えようとする理論であると定義している。この定義から、国家の破壊を目指すアナーキズムや国家の変革を考えないマウリスやチャールズ・キングスレーに代表されるイギリスのキリスト教社会主義者の主張する自発的協同組合も、社会主義から除かれることになる。社会主義は、こうした経済的利害にのみ限定されるものではなく、道徳的正義の諸原理に基礎づけられており、道徳的再生を含む社会の再生が可能であると主張している。このように、社会主義の国は、神の王国と概念上類似しているので、キリスト教と社会主義とを対比検討することが可能でありかつ妥当性を持つことになると、エドワードは主張している。エドワードは、まず社会主義者の現状診断を検討している。産業の巨大な発展とそれに伴う富の増大により、世界の貧困が緩和され、労働者の仕事が軽減され、かつ労働者の知的・道徳的文化の水準が大きく引き上げられるのが期待されるが、現実にはその逆のことが起こっている。すなわち、貧富の格差が増大し、労働者が商品として取り扱われことによって、貧者の富者への依存は、恐るべき賃金奴隷状態となっている。プランテーションの奴隷所有者は、自己の財産である奴隷の健康や生命に利害関心を持つのに対して、現代の雇用者は、労働者の死を悲しむ何等の理由も持っていないので、人身の所有よりさらに悪い状態となっている。労働者の賃金は、労働の需要・供給によって完全に規制されており、それは、飢餓の限界線上を上下している。そうした事態の結果として、社会の下層階級の間では、身体的機能の低下、知的発達の阻害、道徳的鈍感さと堕落がはびこり、他方、あらゆる手段を用いた富や権力の追求、激しい利己心の結果である性格と行動のひずみ、これらすべてが富者を特徴づけている。社会主義者は、このように現状を診断している。それ故社会主義者は、自由放任の前提となっている個人主義を批判し、産業の指導者達が行っている労働者達に対する搾取を告発している。このような組織的な搾取を行うことなしには、巨大な富が、数人の手に蓄積されることはありえなかったに違いない。社会主義者は、労働者の道徳的退廃の責任も、労働者自身にではなく、現代産業システムそのものにあるとみている。競争が、労働者の貧困と退化を生みだしているからである。次に、エドワードは、社会主義とキリスト教とを対比している。キリスト教倫理の基本原則によれば、人間は道徳的システムの中にいる存在であり、そのシステムによって、愛・同情・援助が要請される存在にほかならない。キリスト教は、社会の不安や闘争の中に、「汝の隣人を汝と同じように愛せ」という法を踏みにじった自己利益の結果をみる。すべての人間は、神の似姿につくられた神の子供である。それ故、人間を機械のごとく扱うものは、人間の中にある神のイメージを辱めるものである。工場の奴隷はプランテーションの奴隷と同様に、不道徳なものであり、奴隷所有者的な雇用者は、そうした奴隷を奨励しているシステムと共に、神の呪いを受けるであろうと、キリスト教徒は考える。社会主義の理想は、キリスト教の理想に表現されている。キリスト教が考える未来像では、愛が自己本位にとってかわり、正義が不正にとってかわるのであり、そこでは、人間のまったき本性が開花することになるのである。それ故、キリスト教の理想と社会主義の理想とは、顕著な点で類似している。こうしてエドワードは、キリスト教と社会主義とは矛盾するものではない、との判断を示している。社会主義とキリスト教とは、一定の明確な一致点を持っている。両者とも個人主義に異議を申し立て、労働者を人間以下のものとして取り扱うこと、労働者に帰属するものを盗むこと、産業システムの指導者達が不道徳の発展に好都合な諸条件をつくることに抗議する。両者とも、すべての人に公正な、協同・平和・豊かさ、知的道徳的成長と達成の存在する未来社会を望んでいる。両者とも、このような理想社会を実現する手段として、兄弟愛と協力との教えを、実際生活において実践するよう勧めている。しかしながら、両者には明確な違いがある。キリスト教の見解では、社会主義は、社会の無秩序の根絶をはかるものではない。社会主義は、貧困をおしなべて人間の富への利己的貪欲から説明し、不道徳の原因をほとんどすべて、貧困に帰している。それに対して、キリスト教は、人間関係の無秩序の基礎的原因を、人間の神からの離反にあると考える。もし人間が神を信仰しつつ生活しているならば、人は隣人を自らと同じように愛するであろう。人が自分のためだけに生きているのは、神を忘れてしまったからである。富者も貧者も神の目からみれば、罪人である。不道徳の原因も、魂が神から離反した結果であるとみなければならない。社会主義は、貧困がなくなった状態における「秩序の問題」を考えていないのである。

第二に、社会主義の国と「地上における神の国」とが類似しているとはいっても、社会主義の理想は、肉の慰めにとどまっている。だが、キリスト教の理想は、まっさきに「神の国」を求め、魂の救済を求める。キリスト教の理想は、「人格」そのものにほかならない。社会主義は、貧困という要因を排除することによって、災いとなる問題を解決しようとする。これに対して、キリスト教は、問題は罪の要因を排除することによってのみ、解決しうると宣言する。

第三に、社会主義の兄弟愛と協同とが労働者階級内に限定されているのに対して、キリスト教は、全人類の真の協同と兄弟愛とを追求する。社会主義の協同性は、相互の利害に基礎づけられている。そうだとすれば、相互の利害がなくなったとき、協同は不可能となる。神の思想こそが、真の共同にとって本質的なものであると考えなければならない。「汝の隣人を汝と同じように愛せ」という愛の法は、社会にとって唯一の合理的な法である。利己心は無秩序であり、愛は統一と平和にほかならない。それ故、キリスト教の高い水準から判断するならば、社会主義の教えは狭隘で表面的である。キリスト教は、社会主義の宗教である唯物論哲学を拒否する。人間に食料と衣料とを与えよ。そうすれば、人はまもなく正しい道徳的霊的心を持つであろうと主張する哲学は、日常生活の諸事実によって、誤りであることが実証されている。真の進歩は、すべてのものの成長の法則に従って、内部から展開してゆくものでなければならない。すなわち、魂の再生がその基礎におかれなければならない。社会主義は、人間の魂の変革を一貫して追求していないという点で、また暴力革命という点や、人間を革命の手段と考え個人の尊厳を重視しない点でも、キリスト教に比べて半分の真実しか伝えていない。エドワードは、このように考え、「社会主義は、キリスト教化されなければならない」と結論づけ、キリスト教化された社会主義を標榜するのである。エドワードの思想には、社会主義への積極的評価、自由放任的個人主義への批判、社会秩序を隣人愛に基礎づけようとする思考、及び、地上における神の国を目指す発想がみられるのである。(高城和義、1992年、15−19頁。)

エドワードは、萌芽的にしか述べていない最後の「地上における神の国」について、社会福音運動が頂点に達した1911年に、YWCAに委嘱されて執筆したテキスト、『イエスの社会的教え―12講』の中で展開している。これについて、次にみてみよう。今日、世界最大の関心は、社会問題である。われわれは、われわれの祖先とは異なり、すべての事柄に社会的側面があると考えているという事実認識からエドワードは論を開始する。このような事実認識は、正義や親切のより広範な支配と特権を持たない人々の時代とを求める根本的な願いへと結実してきた。社会問題の解決策は、一方の極の国家社会主義から、他方の極のアナーキズムに至るまで提示されているが、どれが最善の道なのであろうかという問いを立て、それに対して、エドワードは、「イエスの社会的教え」に従った社会問題の解決が、唯一可能な道であると主張する。イエスの目標は、社会のではなく、個人の再生であったとする理解が、広範に流布している。しかし、それはイエスの教えの一面的な解釈である。イエスの理想

は、「神の国の建設」であり、イエスは常に、正しい関係のうちに生きるよう最善をつくすことを求めていた。こうして、エドワードは、「イエスの社会的教え」の包括的テーマは、「神の国」の建設であったと主張する。「時は満てり。神の国は近づけり、汝ら悔い改めて福音を信ぜよ。」(マルコ1章15節)というイエスの最初の説教に、明確に表れている。イエスは彼の努力目標として、あらゆる人間が兄弟であるような社会の完成を求めていた。それは、地上ではじまり発展させられる救世主的王国を意味し、地上と天の生活とにおけるメシアの完成された業において、頂点に達するものである。あらゆる人間が神の支配を受け入れたとき、神の国は常に到来する。正しい愛する父は、地上に神の国を建設するよう求め続けておられる。こうして、エドワードは、「兄弟愛」の精神を持ち、すべての生活諸関係を正義と善意とで満たし、そうすることによって、「20世紀に神の国を建設」しようではないかと呼びかけている。兄弟愛を示すのは、一方的ではあり得ない。雇用者はそれを被雇用者に向けて示さなければならず、被雇用者は雇用者にそれを示さなければならない。もちろん強者のほうに、弱者の荷をわかちもつ大きな責任がある。すべての人は神のこどもであり、天上の父のこどもである。神は愛であり、愛の精神が神のこどものおのおのの生活全体をコントロールするはずである。各人は、神のうちにあるかぎり、生活諸関係を兄弟愛の精神で満たすはずである。そのとき神の国は到来するであろうし、すでに到来している。このように、エドワードは、結論づけている。社会福音運動の目標は、この「地上における神の国建設」に向けられていたのである。 こうして、エドワードは、貧困問題を解決することが今日的課題であると主張するに至る。貧困は、個人の浪費や邪悪に責任があるのではなく、主として社会がその責めを負うべきであり、もし社会的条件が変えられるならば、貧困を完全になくす希望があると、われわれは認識しているのである。そのためには、労働組合と教会とが力を合わせることが最善の道であると提言している。この提言からも、労働組合攻撃の激しかった時代に、パーソンズの父エドワードが、左翼的な政治的立場に身を置いていたことがよく分かるのである。(高城和義、1992年、20−23頁。)

タルコット・パーソンズも、この父の問題意識を継承し、社会正義の立場から、社会主義の近代資本主義批判、すなわち、「自由放任的で功利的な個人主義」とそれに基づく大企業指導者による労働者の搾取の批判の妥当性を認め、「自由な競争市場」を、経済的生産向上のための最も有効な制度的メカニズムであると主張し、自由放任的個人主義に基づく経済思想を説くシカゴ学派のミルトン・フリードマンやゲイリー・ベッカーらの「新自由主義経済学」を批判している。この経済学は、「自己利益の合理的追求」という功利的個人主義を前提にしており、現代産業経済において主体となっている「集合的行為者」を無視し、消費者であれ生産者であれ、市場における個人の自由と自由放任を擁護している。(高城和義、2003年、170頁参照。)この経済学は、自由放任な個人主義を認めることにより、全体的で包括的な救済を主張する「地上における神の国」の理想を否定することになるからである。この点でも、パーソンズは、父エドワードの思想を継承しているのである。また、父エドワードの説く「地上における神の国」とは、隣人愛に基礎づけを持った社会秩序の建設にほかならず、その観点から、ホッブス問題を提示して、社会秩序の問題を考え抜こうとしたのである。いずれにせよ、「地上における神の国」というエドワードの思想は、個人主義に立脚することを批判しているので、これを継承しているパーソンズの社会学もまた、社会全体を志向する「社会システム論」となったのである。最後に、キリスト教的社会改革思想と3者との関係をまとめておこう。

3者は、社会的責任と社会正義の立場から、資本主義を批判し、労働者の利益と福祉を擁護した点で一致している。これは、キリスト教的社会改革運動が強調した思想であり、その意味で、3者は、この系譜に属すると言える。「地上における神の国」という社会における全体的で包括的な救済を追求する思想は、賀川とパーソンズに共通する思想であり、これに基づき両者の論理思考は、個人主義的ではなく、「システム論的」になっているのである。ヴェーバーの友人ナウマンには、社会主義を「地上における至福千年」という立場から捉えているので、ナウマンには、「地上における神の国」という思想があったと言えるが、ヴェーバーがこの思想に依拠していたとまでは言えない。ヴェーバーは、国内における労働者や貧者の地位向上や大企業指導者層と労働者層の同権性という人権を強調する民主主義的立場に立っていたが、同時に、このことを実現可能なものにするためには、対外的にも国内的にも足腰の強い国民国家形成が不可欠であるとも考えていた。帝国主義という環境下において、この現実政治を特に強調するのが、ヴェーバーの特徴である。これは、キリスト教社会改革思想からの影響ではなく、彼固有の特徴と言える。ともあれ、国民国家の全体性を強調することから、彼の思考も全体的で包括的な「システム論的発想」になっており、その点では、3者は収斂しているのである。パーソンズは、価値絶対主義批判の立場から、このヴェーバーの「政治」を過度に重視する傾向性に対して懸念を表明し、道徳絶対主義・法絶対主義・経済絶対主義・政治絶対主義のいずれにも属さないでそれらのバランスを考慮するのが、自分の立場であると表明している。(高城和義、2003年、169頁参照。)

「社会主義」を積極的に評価し、それをキリスト教化することをパーソンズの父、エドワードと賀川は強調している。パーソンズは父のこの思想を継承しているので、社会主義の積極的評価という点で、賀川とパーソンズは一致しているのである。これに対して、ヴェーバーは、現実の社会主義は、プロレタリアートの独裁ではなく、官僚の独裁になり、この官僚支配の国家体制は、国家に対する親方日の丸的な依存体質を生み、効率的な経済発展を阻害し、そのため、資本主義に比べて生産力の点で劣っていると、「社会主義」を批判している。ヴェーバーにとっては、この官僚制は、資本主義にも社会主義にも同様に見られる現代の傾向であり、「個人主義的自由」を守るため、この官僚制を何ほどかコントロールする体制が必要であり、この体制として人民投票的指導者民主制という強力な政治指導者が官僚をコントロールする体制を構想している。ヴェーバーは、この体制により、官僚のコントロールが可能となり、また、企業家と労働者が同権的立場から闘争する自由を認めることにより、社会移動が可能となり、格差是正が行われると考えている。このヴェーバーに見られる個人主義擁護の立場は、賀川とパーソンズの個人主義批判の立場と鋭く対立している。私見では、これは、賀川とパーソンズには、「地上における神の国」という思想があるが、ヴェーバーには、この思想がないことによると推測している。

 

本章での目的は、3者の社会科学構築のための基礎理論を検討することにある。その目的に接近するために、本章では、まず最初に、主意主義的思考を取り上げ、次に、目的論的思考、合理化論的思考と進化論的思考を検討し、最後に、文化論的思考を論じることにする。では、主意主義的思考から見ていこう。

まず最初に、ヴェーバーの主意主義的思考から見ていこう。ヴェーバーは、彼の社会学を、主意主義を基盤して定義している。彼は、『経済と社会』の中の「社会学の基礎概念」において、社会学の定義とその基盤である主意主義ついて、以下のように述べている。

「社会学(この言葉はきわめて多義的に用いられているが、ここで理解される意味における)とは、社会的行為(soziales Handeln)を解明しつつ理解し、これによってその行為の経過とその結果とを因果的に説明しようとする一つの科学のことをいうべきである。『行為』とはここでは、行為者または諸行為者がそれに主観的な意味を結びつけるとき、かつその限りでの人間行動(それが外的または内的な行いであっても、不作為または忍容であっても問題ではない)のことをいうべきである。しかし『社会的』行為とは、行為者または諸行為者によって思念された意味(gemeinter Sinn)にしたがって他者の行動(Verhalten)に関係させられ、かつその経過においてこれに方向づけられている行為のことをいうべきである。」 Max Weber,Wirtschaft und Gesellschaft,1972,S.1.以 WuGと略記する。阿閉吉男・内藤莞爾訳、1969年、7頁。)

ここで、ヴェーバーは、人間行為の成立要件を、「主観的意味」と表現しているが、それは、「意識的」、「意図的」に対象に対することを指しているのである。ここには、ヴェーバーが、「主意主義」的視点から、社会学を構成しようとしていることが明確に表現されているのである

次に、賀川豊彦の主意主義についてみてみよう。賀川豊彦全集第11巻の「新協同組合要論」では、これについて、以下のように述べている。「即ち生理経済の時代から感覚経済の時代へ、更に意識経済の時代へ進展する。意識経済の時代は心理性を帯びるのである。意識経済の時代に入ると注意力は広告に表現され、聯想は門鑑、門標、名刺、徽章、土産もの、銅像というようなものに現れる。判断は、判事、検事、弁護士等を必要とし、検査場が求められる。推理は、兜町、茅場町、堂島等の取引所の出現となり「先もの」と称して「無い」ものを三年先の「物」として取り扱うのである。知識は学校経済を生む。この経済も大したものである。又各種の学術研究所を要するのである。」(賀川豊彦、全集第11巻、488頁。

賀川は、このように、経済行為の発展の歴史を、生理経済の時代・心理経済の時代・意識経済の時代の3段階に区分している。この3段階は、全集第11巻の「キリスト教兄弟愛と経済改造」では、次のように説明されている。生理経済の時代は、衣食住の最低限のものが満たされる原始的な時代であり、心理経済の時代になると、目・耳・鼻・口等の感覚官能に関心が向かうようになる。さらに、意識経済の時代にはいると、人間の意識が抽象的となり、経済学や広告や先物取引が盛んになり、判断のために検事や弁護士の職業が、美的感情のために芸術的職業家が、知的欲求を満足させるために新聞、雑誌や著述家が現れてくる。宗教意識も発達し、宗教団体やその指導者である宗教教師も出現するようになる。(同前、173−174頁。)

前述したように、賀川は、近現代が「意識性」の時代にはいったことを強調している。この点において、賀川にも、ヴェーバーと共通した主意主義的思考がみられるのである。

次に、パーソンズについてみてみよう。

パーソンズは、『社会的行為の構造』の中で、自然体系・行為体系・文化体系の区別を行っている。自然体系と行為体系が通常の意味での経験的な科学理論の体系であり、それに対して、文化体系は特殊な地位を占めている。その理由は、経験科学が対象としているのは「時間の中の過程」だからである。自然体系の準拠枠に含まれているのは、「空間」と関連するかぎりでの「時間」である。行為体系においては、「目的―手段図式」に関連するかぎりでの時間である。それに対して、文化体系は、「非空間的で無時間的」という二つの点で、自然体系や行為体系とは違うのである。それは、ホワイトヘッドの言葉を使うならば、「永続的客体」から構成されているのである。その意味で、時間という範疇が適用不能な客体なのである。そこには過程が含まれないのである。永続的客体である文化体系は、物として存在するのではなく、象徴として存在しているのである。それは、個々人の「精神の中に」おいてのみ、客体として存在するのである。それらはそれ自体として外的観察によっては見いだされず、象徴的表出を通じてはじめて見いだされるのである。それは、象徴の意味的体系における永続的客体の織りなす相互関係として把握できるのである。行為体系との関係からみると、文化体系は、一方では、行為の過程の産物であるが、他方では、「理念」のように行為を条件づけている要素でもある。自然・行為・文化という3種類の体系は、明確に区別されなければならないが、それらはすべて客観的知識の全体の一部を構成しているのである。自然体系との関係で行為体系をみれば、行為は物的世界によって条件づけられていると同時に、物的世界を変化させるものでもあるということになる。文化科学を別にすれば自然科学と行為の科学は、経験的な分析科学である。行為の科学は、空間の準拠枠との無関係性と目的手段図式の採用、及び「主観的観点の不可欠性」という点で、自然科学とは区別されるのである。行為の科学には、自然科学とは全く無縁な理解という方法が不可欠となるのである。(Talcott Parsons,TheStructure of Social Action Vol. II,1968, pp.762−765.以下TSoSAIIと略記する。T・パーソンズ、『社会的行為の構造』、5、稲上 毅・厚東洋輔・溝辺明男訳、182−186頁。)このように、パーソンズは論を展開しているのである。これまでのパーソンズの論の展開からみて、象徴の意味理解を追求する文化科学にも、「主観的意味理解の観点」は不可欠であるということになる。文化体系並びに行為体系の考究を行う社会学には、「主観的意味理解」が不可欠なのである。パーソンズの社会科学的思考にも、ヴェーバーや賀川と同様に、この「主意主義的思考」が通奏低音として鳴り響いているのである。

では、次に目を転じて、3者の目的論的思考についてみてみよう。まず始めに、ヴェーバーの目的論的思考から論じてみよう。

 

ヴェーバーの目的論的思考は、社会的行為の4類型に集約的に表現されているヴェーバーは、まず最初に、「伝統的行為」について、以下のように述べている。「厳密に伝統的な行動は 純粋に反射的な模倣と全く同様に―一般に『有意味的に』方向づけられた行為と呼ばれうるもののまったく限界に、かつしばしばその彼岸に立っている。なぜなら、このような行動は日常の刺激に対する、いつしかなじんだ定位の方向において無感覚に経過する反応にすぎないことがきわめて多いからである。あらゆる慣用的な日常行為についても、その多くはこの類型に近い。ところで、この類型がこうした体系に属するのは、ただ極限の場合としてだけではない。また、(後に述べるが)程度と意味とを異にしてはいるが、慣用的なものとの結びつきが意識的に保持されうるからでもある。そしてこの場合には、この類型は第二類型に近づいてくる。」(WuG,S.12. 阿閉吉男・内藤莞爾訳、40−41頁。)第二類型の感情的行為については、次のように述べられている。「厳密に感動的な行動もまた、意識的に『有意味的に』方向づけられている行動の限界に、かつしばしばその彼岸に立っている。それは、非日常的な刺激に対する無制限の反応でありうる。それは、感動的に制約された行為が感情状態の意識的な発動として起こる場合には、一つの昇華(Sublimerung)である。その場合には、たいてい(かならずというのではないが)、それはすでに価値合理化への、または目的行為への、またはその双方への途上にあるといえる。」(loc. cit. 同前、41頁。)第三類型の価値合理的行為については、以下のように述べられている。「行為の感動的な方向づけと価値合理的な方向づけとは、行為の究極目標の意識的な形成とこうした究極的なものへの行為の、一貫した計画的方向づけが後者にはみられるという点で、区別される。その他の点では、両者は共通したものを持つ。すなわち、両者にとって、行為の意味は現在の成果の彼岸にあるのではなく、或る一定の行為そのもののなかにある。現実の復讐、現実の快楽、現実の献身、現実の瞑想的な至福への自己の欲求、または現実の感情(それがいかにさもしいものであろうと、崇高なものであろうと)の鎮静への自己の欲求を満たす人は、感動的に行為する。予想される結果を顧慮することなく、義務、名誉、美、宗教的使命、敬虔、またはその種類を問わず或る『仕事』の重要性が彼に要求すると思われるものへの確信にしたがって行為する人は、純粋に価値合理的に行為する。(われわれの述語の意味における)価値合理的な行為とは、つねに、行為者が自らに向けられていると信ずる『命令』に対する、あるいは『要求』に従う行為のことである。」(WuG,S.12f. 同前、41−42頁。)第四類型は、目的合理的行為であり、これについては、以下のように述べられている。「自己の行為の目的、手段及び副次的な結果によって方向づけ、且つその際目的に対する手段や、副次的な結果に対する目的や、最後にまたさまざまの、可能な目的をも相互に合理的に考量する人、したがっていずれにしても、感動的(そして特に情緒的)にも伝統的にも行為しない人は目的合理的に行為する。相争い、かつ相矛盾する目的と結果との決定は、その場合、価値合理的に方向づけられてありうる。つまり、その場合には、行為は、その手段においてのみ目的合理的である。あるいは、行為者は、相争い、かつ相矛盾する目的を、命令と要求に価値合理的に方向づけることなく、ただ与えられた主観的な欲求活動として、かれによって意識的に考量されたその緊急性の枠内にもちこむことがありうる。そしてこれに向かって彼の行為は方向づけられるので、この可能性への序列において、目的は満足されることになる(『限界効用』の原理)。したがって、行為の価値合理的な方向づけは目的合理的な方向づけと様々な関係に立ちうるわけである。しかし、目的合理性の観点からすれば、「価値合理性」はつねに非合理的であり、しかも、それが行為の向かう価値を絶対的な価値に高めれば高めるほど、ますます非合理的となる。なぜなら、価値合理性にあっては、実際行為の固有の価値(純粋な心情、美、絶対善、絶対的義務)だけがそれ自体の目的のために無条件に考慮されればされるほど、行為の結果についてはますます反省されなくなるからである。」(WuG,S13. 同前、42頁。)これらの社会的行為は、合理性と非合理性、自足性と道具性という尺度を基準にして分類すると、価値合理的行為は、合理的で自足的な行為、目的合理的行為は、合理的で道具的な行為、伝統的行為は、非合理的で道具的な行為、感情的行為は、非合理的で自足的な行為に分類される。目的合理的行為は、「複数の目的」とそれを実現するための手段を考慮しながら計算を行い、複数の手段を選んだ場合の「結果」を比較考量し、その中から結果として最適のものを選択する最適化を志向する行為である。そのため、この行為は、合理的で道具的な側面を持っているのである。価値合理的行為は、「唯一の目的」とその実現手段を選択して行為するが、ここでは、唯一の価値に忠実に生きること自体が大切とされ、結果は問わないのである。その意味で、この行為は、自分の信ずる価値に対して合理的で、自足的な側面を持っているのである。伝統的行為は、端的には伝統的慣習を守るという形で現れる。しかし、この慣習をその根源で支えていた合理的根拠が忘却され、ただ伝統だからという理由で伝統的慣習が固定的に墨守されるのである。従って、この行為は、非合理的で道具的側面を持つのである。感情的行為は、怒りや悲しみ等の感情を表出する行為であり、感情を表出すること自体が優先され、合理的考量が行われないので、非合理的で自足的な側面を持つのである。パーソンズが主張するように、この4類型の基軸となっているのは、「目的―手段関係」の持つ合理的側面なのである。目的合理的行為は、複数の目的の中から最適の手段を選択する行為であり、価値合理的行為は、単一の目的に対応した手段を行使する行為である。伝統的行為も、その根拠が忘却されたとはいえ、その最初期においては、目的があり、その手段として慣習が作られたのであり、その意味では、この行為も、「目的―手段関係」を内包しているのである。感情的行為そのものは、非合理的で自足的であるが、この行為が、カリスマ的指導者への帰依と結びつくとき、価値合理的な側面を帯びるようになり、「目的―手段関係」を持つようになるのである。ヴェーバーは、この4類型を提示するとき、「4類型間の移動」という「流動的な側面」も指摘しているのである。パーソンズは、感情的行為は、行為の合理性の埒外にあると指摘しながらも、同時に他方で、この行為がヴェーバーのカリスマ的支配・伝統的支配・合法的支配の3類型の中の「カリスマ的支配」と結びつく場合があることに注意を促しているのである。(TSoSAIIpp.642−649.同前、6−17頁参照。)以上述べたことから、ヴェーバーの社会学には、この目的論的思考がその核心におかれていることが分かるのである。

 

次に、ヴェーバーの合理化論的思考をみていこう。ヴェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、資本主義が成立するための開始期には、勤勉・公正・節約の徳目を有するピューリタン的禁欲の精神が不可欠であるが、勝利を遂げ出来上がった資本主義システムは、もはやピューリタン的禁欲の精神を必要とせず、労働者に対して「労働意欲」を「強要できる」と述べている。なぜなら、資本主義経済システムは、労働意欲のない労働者を、資本主義に適していない者とみなし、失業させるという形で淘汰させてしまうからである。ヴェーバーのこの見解は、ダーウインの適者生存の論理を認めていると考えられる。以下に、ヴェーバーが、このことに言及している箇所を抜き出してみよう。「が、ともかく、禁欲は今や労働からこうした―今日では、資本主義によって永久に絶滅されている―現世的な世俗的な刺戟をとりさって、それを来世の方向にむけた。職業労働はそのものとして神の意志に適うものとなった。現今における労働の非人間性、つまり個々人の立場から見て喜びが少なく、意味のないことが、ここでは宗教的光明をさえ与えられるのである。発生期の資本主義は、自分の良心のために経済的搾取に甘んずるような労働者を必要とした。今日ではその基礎は固まっており、来世という刺戟なしでも、彼らの労働意欲を強要することができるのである。」(Gesammelte Aufsätze zurReligionssoziologie I,S.200f. 以下、GAzRIと略記する。梶山 力・大塚久雄訳、下巻、243頁。)「今日では禁欲の精神は―最終的にか否か、誰も知らない―この外枠から抜け出てしまっている。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としない。」(GAzRI,S.204. 同訳、246頁。)

 

ところで、『経済と社会』の「宗教社会学」では、原初的な宗教心から高度な宗教心までの説明が行われている。パーソンズは、これをヴェーバーの進化論であると考えている。しかし、ヴェーバーは、この宗教の発展を「進化」という言葉は使わないで、「合理化」という言葉で説明している。進化という言葉には、障碍の壁を乗り越え進んでいく「明るく楽観的」なイメージを感じるが、ヴェーバーは、『古代ユダヤ教』の中で、「預言の窒息」に言及している。預言者は、預言により、この世界に究極の意味を提示する存在とされ、それは、「合理化」の結果、死を余儀なくされるものと捉えられており、「進化」という言葉とは著しく違う響きを持っている。(Max Weber,Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie, III,S.399. 以下、GAzRIIIと略記する。)「合理化」は、近代社会を作り出す推進力となったという意味において、開明的な光の側面を持っているのであるが、それと共に、社会組織の全般的官僚制化という「鉄の檻」をも生み出すとされ、その影の側面をも浮き彫りにしているのである。(GAzRI,S.204.)これを要するに、ヴェーバーは、目的論的思考をしていると言えるが、その目的論的思考と進化論的思考を連動させることはしていないのである。ヴェーバーは、社会が進化を遂げているという一方的な価値付けの見方を避けるため、「進化」ではなく、「合理化」という用語を敢えて用いているのである。社会には、光と影という両義的な側面を帯びた多様な展開があるのであって、その明るい一面だけを強調するのは片手落ちであるというのが彼の根本的な思考なのである。その思考は、彼の代表作の一つである『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾に出てくる次の文章に如実に表現されている。この「価値留保的な叙述」の中に、彼の「価値自由論」の立場が鮮明に現れているのである。「将来この外枠の中に住むものが誰であるのか、そして、この巨大な発展がおわるときには、まったく新しい預言者たちが現れるのか、或いはかつての思想や理想の力強い復活がおこるのか、それとも―その何れでもないなら―一種異常な尊大さでもって粉飾された機械的化石化がおこるのか、それはまだ誰にもわからない。」(GAzRI,S.204.)

 

次に、賀川の目的論的思考についてみてみよう。

彼は、妾の子として生まれたこと、少年時代のいじめの経験、青年時代に罹った結核の病、神戸新川の貧民窟での経験から、社会悪や宇宙悪の意味について、思索を始めたが、晩年は、その思索を宇宙目的論として展開するに至った。その軌跡の概略について、次にみてみよう。まず、宇宙悪からみてみよう。「私の一生の研究題目は、宇宙悪の問題であるが、十六歳の頃からこの問題が私を執へた。そして私は、悪の方面から宇宙を研究したときに、悪を跳ね返して進む一つの力がその中にあることを発見したのである。宇宙に大きな秘密がある。私が弱者、貧者のために命を棄てる其中に、私は一つの宗教を発見したのである。十字架の精神! 即ちイエスは単に宇宙悪に対しての挑戦者であったのみでなく、苦しめる者は繃帯し、痛める者を癒す人格的白血球運動者として、自らの使命を自覚せられたのである。」(賀川豊彦、全集第1巻、「イエスの宗教とその真理」、192頁。)

「宇宙の法則中に一つの補償作用がある。宇宙意志のうちに 身体に異常が起こって有毒物が或箇所にできると、無数の白血球がその箇所に集合してきて、防禦線を張り、敵と戦ひ、自らを殺して身体の保全を図る一つの生理的救済作用があるが、それと同じように―苦痛を癒さんとする法則が実在することを発見して、救済宗教を確立されたのがイエスの宗教であった。」(同前、191頁。)

 

賀川は、イエスの十字架の精神の中に、人間の罪を赦し、苦しめる人や痛める人を癒し、修復する人格的白血球の力が働いていることを発見したのである。彼は、これにより、宇宙悪の力に打ち勝つことができるのを確信したのである。ところで、この贖罪愛との関係で、賀川は、罪について次のように述べている。「完成の道に向かってゐない者は罪人である。生命の側から考えて、迷と、病気と、不完全は罪である。我の方面から考えて、愛の不足、不法、不徹底は罪である。更に神の立場から見て、不敬虔、不柔順、不遜、不信は罪である。」(同前、165頁。)彼にとって、罪とは具体的には、生の否定、無気力、成長の停止、迷い、不完全、不徹底、病等なのである。社会悪もこの観点から、捉えられることになる。ここから、社会の不完全さを克服するため、社会運動により、完全な社会を作っていくという志向性が生まれることになったのである。(隅谷三喜男、189頁参照。)罪の不完全性の克服は、彼の進化論と結びついて、宇宙の進化、人間の完成として捉えられることになる。(同前、190頁参照。)「神を中心として宇宙が進化し、人間が完成すると考えたのが、イエスの弟子パウロの考えであった。」(賀川豊彦、全集第3巻、27頁。)宇宙悪の問題が完成の視点から俯瞰されたとき、彼の宇宙悪論は宇宙目的論へと展開していったのである。「成長、進化の世界に於ては、生命は合目的性を持って根本原理としている。しかし、この合目的性の世界は力、化、成、選、法の五つの次元が完全に一致しなければ、生まれ出でないものである。生命世界においては、さらにこれが複雑化し、加重化する。その結果、ただ一つの次元において変動があっても狂いが起り、目的の世界から見れば、偶然として映る事象を生ずるのである。」(賀川豊彦、全集第13巻、411−412頁。)「このような錯綜のあり得ることを初めから考えて、宇宙悪としての『ずれ』を認め、その『ずれ』の部分を修繕する修理、再生の原理も、宇宙に伏在しているのである。この信仰が宗教の領域である。しかし考えようによると、この『ずれ』があればこそ、変転自在な組み合わせを通して、新しき世界の創造も可能なのである。」(同前、413頁。)

宇宙には、力、化、成、選、法の5次元があるが、その進展過程でずれが起こり、それを修復しながら発展していくと捉えられている。この宇宙悪としてのずれを修復し再生させるものこそ、前述した十字架の贖罪愛の力なのである。この不完全を克服し、社会と宇宙の完成を目指す彼の目的論的思考には、キリスト教的社会主義の理想である「地上における神の国」思想がその一つの基調となっていると考えることができる。第二次大戦下で、思想弾圧が強まり、特高警察等の監視下で、身動きができなくなったとき、彼の思考は地上目的から宇宙目的へと向けられたのである。第二次大戦時、刑務所で囚われの身となったとき見たキリスト体験が、彼にやがて自由な社会がくる希望を抱かせ、その体験に基づいて、社会の完成と宇宙の完成を構想する宇宙目的論を展開したのである。(ロバート・シルジェン、267頁参照。)

 

次に、賀川の進化論的思考についてみてみよう。

先に、賀川の主意主義的思考で述べたように、賀川は、人間の歴史を、生理経済の時代・心理経済の時代・意識経済の時代の3段階の進化発展として捉えていた。この進化発展には、生命・力・変化・成長・選択・法則・合目的性の7要素の認識枠組みが必ず伴っていると考えている。歴史には、成長が伴う。インドのような輪廻転生の因果の世界は、同じことの繰り返される円環の世界であり、非歴史的な因果の世界であり、歴史を生むことができないのである。歴史は、心理的成長を伴うものであり、心理意識の目覚めにより生産の形式を生み出すのである。また、歴史には、選択性が伴う。知識も芸術も道徳も選択がなければ生まれない。機械文明は、心理的選択作用によって発明され発見されたものである。資本主義も利益払い戻しの心理的選択性を採用すれば、協同組合社会を創設できるのである。歴史は、生命の発展史である。生命には自由があり、この自然界の変化に適応する自在的変化力そのもののうちに生命が伸び上がり、発展していくのである。生命は、物質の持っているエネルギーを吸収して力を出すことができる。生命は、力を持つが、しかし、単なる力だけではない。歴史は、精神史なのである。歴史は、法則的傾向性があり、その傾向の方向に進化発展するのである。資本主義は、確かにその唯物性により、人間社会を賃金奴隷化する傾向があるが、その資本主義を打破して生命と労働と人格の尊厳に歴史を引き返そうとする努力は、唯物的ではなく、階級意識と階級意識による団結の精神的発展にまつものなのである。この精神的発展は、世界精神の把握による合目的性の努力によって達成されるのである。(賀川豊彦、全集第13巻、「人格社会主義の本質」、192−193頁参照。)

彼は、このように、3段階の区分と7要素の認識枠組みを用いて、人間歴史を進化論的に把握している。彼は、この進化論的思考を首尾一貫させ、人間のみならず、自然や宇宙にも適用している。「神を中心として宇宙が進化し、人間が完成すると考えたのが、イエスの弟子パウロの考えであった。」(同前、「神に就ての瞑想」、27頁。)「赤ん坊が成長して、花嫁になるまでに順序があるように、人類の成長にも歴史的階段がある。土にまかれた種は、茎を伸ばし、穂を出し、そして蕾が開いて花が受精するように、人間の歴史に一つの大きなみのりの時があった。」(同前、91頁。)自然も人間も進化の過程、完成の途上にあり、そこには不完全が伴い、矛盾や悪が存在する。自然のもつ不完全性は、宇宙悪として捉えられている。イエス・キリストにおける宇宙の大愛の結実により、不完全性は克服され、完成されるのである。(隅谷三喜男、190頁参照。)「十字架は自然律の真理を完成する。宇宙を完成するためには、人間を完成しなければならぬ。人間を完成するためには、愛を完成しなければならぬ。愛を完成するためには、十字架を完成しなければならぬ。」(同前、135頁。)これにより、彼は、自然・宇宙・人間をキリスト教信仰と関連づけた独自の進化論的世界を形成したのである。彼は、この進化論的思考をさらに推し進め、宇宙目的論にまで至ったのである。彼の進化論的思考で特徴的なのは、目的論的思考と進化論的思考をリンクさせて捉えている点にあるが、もう一つの特徴は、生存競争よりも相互扶助を強調する点にある。彼は、まずクロポトキンの『相互扶助論』やヘンリー・ドラモンドの『母性の進化』等を引用しながら、生存競争だけが唯一の生命進化の軌道ではなく、相互扶助もまた生命進化の軌道にあるとし、生存競争と相互扶助の両者は生命の大道に併存しているのであり、愛の力こそは、生存競争よりも根強いものなのであることを強調している。彼は、次のように述べている。「ウエルズは生存競争というものは、それほど甚だしいものではないといっているが、実際、進化の歴史から見るとダーヴヰンのいう優勝劣敗の原則は必ずしもあてはまらないで、母性の進化をもち、性の醇化したものがかえって進化の速やかなる事実を、私たちはヘンリー・ドラモンドの『母性の進化』から学ぶのである。また動物の中でも駒鳥の如き、みそさゞいの如き、或は蟻、猿、かに、馬の如き比較的闘争力に乏しい動物が、相互扶助の風習をもっているために生存をつづけているという事実を、私たちはクロポトキンの『相互扶助論』によって教えられる。その他、ファーブルやホイラーの書物を通して、私たちは小さい昆虫が、社会性をもつているために意外に強い存在となつている事実を、興味深く学ぶのである。つまり、社会性の進化した『友愛』をもつもの―言い換えれば、社会愛を把持したものが生存競争場裡に立つても、最も強者であるということを知るのである。」(賀川豊彦、全集第10巻、「世界国家」、39頁。)このように、彼は、相互扶助や愛こそが生物や生命の進化を根本において支えているものだと確信している。

 

最後に、パーソンズの目的論的思考と進化論的思考についてみてみよう。パーソンズは、『社会的行為の構造』の中で、「行為の準拠枠」について、次のように述べている。「まず第一に、構造的要素には、目的、手段、条件、そして規範という最小の区別がある。これら四つのすべてを特定化することのできないような行為の記述は意味がない。それはちょうど、質点を記述するには若干の最小属性があり、そのいずれを欠いてもその記述は不完全なものになるのと同様である。第二に、これら諸要素間の関係づけのなかに行為の規範的志向、つまり目的論的性格が含意されている。行為はいつでも規範的と条件的という二つの次元を異にする要素の緊張関係の中に置かれている、と考えなければならない。ある行為をその過程に注目してみれば、それは条件的的要素が規範に同調させられる方向に変化していくものとして捉えることができる。この規範的要素を排除することは行為概念そのものを排除することであり、そうなれば極端な実証主義の立場に行き着くしかない。条件の排除(これもまた上の緊張関係の排除を意味する)もまた、同様にして行為概念それ自体の排斥につながり、理想主義的な流出論に帰着せざるをえないことになる。このように、条件をその一方の端に置き、他の端には目的と規範的ルールを据え、そしてその両者を結びつけるものとして手段と努力が配置される。

第三に、本来この準拠枠には時間的要素が含まれている。行為は時間を含んだ過程である。行為の目的論的性

格に対応して、規範的要素と非規範的要素との間には時間軸が関わっている。目的の概念には将来への言及、つまり予期されてはいるが行為者の介在なしには存在し得ないだろう事態が含まれている。行為者の頭の中では、目的は状況と同時的に、しかも『手段の選択』に先立って存在している。そしてこの後者は、結果に先行していなければならない。こうした諸要素間の関係が記述されうるのも時間軸に沿ってのことである。最後に、その図式は、これまで議論してきたような意味で本来的に主観的なものである。このことはつぎの事実、すなわち規範的要素は行為者の心のなかにだけ『存在する』ものとして考えることができるという事実によってこの上なく明瞭に示されている。」(TSoSAII,pp.732−733. 稲上毅・厚東洋輔・溝辺明男訳、140−141頁。)

単位行為は、目的・手段・条件・規範によって構成される。この準拠枠により、行為者は、時間軸に沿って、将来実現してほしい目的を思い浮かべながら、特定の条件下で、目的実現のために最も適した手段を、何らかの規範に照らして選択し、目的達成を目指そうと努力する存在なのである。この目的―手段図式は、心の中に存在する規範的要素に依拠して手段を選択し、目的実現を図ろうとするのであるから、本来的に「主観的なもの」なのである。彼は、この主観性、すなわち主意主義の側面を強調し、そのために規範的要素を取り入れ、ある条件の中で、規範に依拠して、目的実現のための手段を選択するという行為図式を主張している。彼の目的論的思考は、目的・条件・手段・規範という行為構造を持つ行為図式に端的に示されている。彼の目的論的思考は、最晩

年には、サイバネティックス制御の発想を取り入れ、情報最大でエネルギー最小の究極目的システムであるテリックシステムを構想するに至った。このシステムは、最上位のシステムであり、行為システム・社会システム等を支え制御するメタシステムなのである。(Talcott Parsons, Action Theory and The Human Condition 以下、ATaTHCと略記する。)

この最晩年の目的論には、ピューリタンであるパーソンズのキリスト教的発想が色濃く表れていると言えよう。次に、パーソンズの進化論的思考についてみてみよう。

初期パーソンズは、進化論に関心を持っていた。それは、アマースト大学時代に生物学的進化論を学んだからであった。彼は、この当時、生物だけでなく、文化や社会についても進化論が適用できるのではないかと考えていた。しかし、同時に、単線的進化論を批判し、文化の相対性を主張する人類学分野の文化相対主義にも同意していたために、この時代には、文化相対主義の機能主義的思考が主軸をなし、進化論的思考はまだ展開されていなかった。彼の機能主義的思考と進化論的思考が連結し、進化論的展開が行われるのは、1960年代中葉になってからである。1966年出版の『諸社会―進化論的・比較論的展望』にその思考が良く現れている。彼の進化論は、文化的相対主義が批判した単線的進化論を乗り越えた「複線的社会進化論」であった。それは、生物の「多様性」と「適者生存性」を説明するために、生物進化論で提起されていた「適応」と「突然変異」の概念を結合したものであった。さらに、彼は、目的論的思考でも論じたように、「目的論的思考」を取っていたため、彼の進化論も偶然論を採用せず、「目的論的思考」を取り入れたものになった。彼の進化論は、目的論的進化論なのである。彼は、適応・突然変異・目的というキー諸概念を結合させ、統一的に説明するための理論を模索していた。生物の進化に多様性と統一性があるように、社会にも多様性と統一性があるはずであるというのが、彼の信念であった。その信念を説明するための理論として、彼の進化論的思考に取り入れたのが、ノーバート・ウイナーが提唱したサイバネティクスの考え方であった。サイバネティクスは、目的論を前提にし、フィードバック的制御により、目的を志向するように考えられた理論であった。サイバティクス理論と進化論の適応・突然変異概念が結合することにより、社会の目的性・適応性・変異性が統一的に説明可能となると、彼は考えたのである。変異性から社会の多様性、すなわち、諸社会の複線的進化が導き出され、サイバネティクス的制御により、社会の目的性・適応性・変異性が統一的に把握されることにより、社会の多様性と統一性が同時に説明可能となるのである。(高城和義、1992年、253−261頁、松岡雅裕、3−65頁参照。)パーソンズは、『社会的行為の構造』を出版していた当時から、目的論を前提にし、目的を達成するための手段を選択する基準として、規範を重視していた。もちろん、手段を選択する際には、その条件としての社会環境も考慮しなければならないと考えていた。この目的・手段・条件・規範という行為の準拠枠自体の中に、既に進化論の適応性や淘汰性としての選択性が内包されているのである。この行為の準拠枠とパターン変数的思考がさらに展開され、AGIL図式となって結実するのである。このAGIL図式に、サイバネティクス的思考を取り入れることによって、後期パーソンズは、進化論的かつ比較論的な社会理論を完成させることになったのである。後期には、彼は、彼の図式を、AGIL図式ではなく、LIGA図式と呼ぶことになった。初期パーソンズも規範の重要性を認識していたが、後期になってそれがいっそう前面に出てくることになったのである。それは、サイバネティクス的思考を取り入れ、エネルギー最小で情報最大のものが、エネルギー最大で情報最小のものを制御するというヒエラルキー的思考に良く具現されている。(Talcott Parsons,Social System andthe Evolution of Action Theory,p.120.)すなわち、究極的実在である神が最上位にあり、その下に文化体系、さらにその次にLである信託体系が位置しており、そ

れにより、規範的なものが社会を制御する正当性が与えられているのである。パーソンズの社会進化論的思考

は、ヴェーバーの目的論的思考である発想とサイバネティクス理論を結合したものとなっている。松岡雅裕が、『パーソンズの社会進化論』で、サイバネティクス的思考により、パーソンズは、反エントロピー的思考をしていると述べているのは示唆的である。(松岡雅裕、37頁。)

主意主義に立脚し、功利主義を否定して倫理的側面から社会科学を構想するヴェーバーに共鳴しつつも、「合

理化」の進展がもたらす「鉄の檻」というヴェーバーの暗い未来社会予想に生涯違和感を感じたパーソンズは、

「合理化」という言葉ではなく、「進化」という言葉を使用したのである。パーソンズが、『社会的行為の構造』

の中で、ヴェーバーの「合理化」の宿命論的な性格を取り上げ、それは、熱力学の第2法則と類似していると

し、その思考は、エントロピー増大の結果としての「破壊」という宿命論的帰結に行き着くとしているのは示唆

的である。パーソンズは、ヴェーバーの「合理化」という捉え方に対して、この発想は、「概念の実体化」に陥

っており、彼の理念型概念にはこの傾向があると批判している。(TSoSAII, pp.751−753.タルコット・パーソンズ、稲上 毅・厚東洋輔・溝辺明男訳、168−170頁。)両者のこの相違は何に由来するのであろうか。それは、ヴェーバーが、「地上における神の国」を信ずることができなかったのに対して、パーソンズがそれを信ずることができた点にあると考えられる。このように、パーソンズは、ヴェーバーの合理化論に、熱力学の第2法則であるエントロピー増大の法則と類似の思考を感じ取り、その思考は、宿命論的陥穽に陥ると考えていた。パーソンズは、それを克服するために、ウイナーのサイバネティクス理論を取り入れ、それによって、彼の進化論的思考を完成させたのである。          

 

次に、3者の文化論的思考についてみていこう。

まず最初に、ヴェーバーの文化論的思考からみてみよう。ヴェーバーは、彼の著書である『古代ユダヤ教』の中で、文化意義の観点の重要性を強調している。彼は、次のように述べている。

「ところで、ユダヤ民族の宗教発展が世界史的意義をもつのは、かれらがなかんずく旧約聖書を創造したことにもとづくのである。というわけは、パウロの伝道の最重要な事業の一つが〔一方においては〕このユダヤ人の聖書をキリスト教の聖書たらしめてこれを保存せしめながら、しかも〔他方では〕このばあい、この旧約聖書の中に教えこまれている倫理のなかで、あのほかならぬ賤民的存在状況というユダヤ人に独特なる遮断的姿勢と儀礼的に堅く結びついている倫理の諸特徴を、救済主キリストが無効を宣言したがゆえに、もはや拘束力なきものとして一切廃棄したということ、であったからである。・・・・・おもうに、神の子の贖罪死というキリスト教の教義が、外部的には類似した他のいくたの密儀教の教説と、ことなったその特異性において発展をとげることができたということは、まさにあの予言者的苦難の神義論Theodizee des Leidens(イザヤ書40章 −55章 )を書きしるした捕囚期の、無名の偉大な予言者の非常にユニークな約束があったればこそと思われるのであって、もしもこの神義論がなかったならば、ことに、教えをなし、罪なくしてしかもみずからの意志で罪の犠牲として悩みを負ひ、そうして死んでいく、という『ヤハウェの僕』の教義がなかったならば、人の子の奥義Menschensohn-Esoterikという後の教説にもかかわらず、そういう特異な発展はありえなかったと思われるからである。ところで他面では、ユダヤ教は、マホメットの告知を決定的に誘発し部分的にはその原型となったのである。かくして、われわれがユダヤ教の発展諸条件を考察するときに、われわれは西洋および近東の全文化発展の一主要点に立つのである。」(Max WeberGAzRIII,S.f.ウェーバー、『古代ユダヤ教』I、内田芳明訳、6−8頁。)

この文化意義の観点は、彼の理念と利害関心の定式では、エネルギーは持つが、方向性を持たず、そのままでは運動を展開できない民衆を導くものとして、思想家や宗教家等が理念を提示することにより、民衆がどこからどこへ向かったら良いのかという方向づけの進路が示され、運動を展開できるようになると表現されている。

Max Weber,GAzRI,S.252.

物的経済的利害と内的心理的利害を持つ民衆が、その利害関心を満たしてくれる理念に出会い、その理念を受け入れることによって、その理念が民衆の中に浸透し血肉化して定着したものを、ヴェーバーは、エートスと表現した。(GAzRI,S.238.)ヴェーバーの文化意義の観点は、理念と利害関心の関係を巡って展開されている。それは、具体的には、理念や利害関心の担い手としての社会層とそのエートスの分析という形を取っている。その文化論的思考は、比較と関係性に着目し、世界文明の比較宗教社会学的分析となって結実したのである。その比較宗教社会学の中で、文化意義の観点から特に注目されるのは、「苦難の神義論」である。「幸福の神義論」は、自分たちが幸福であるのは、自分たちが真面目に行動してきたから、そのご褒美として、現在、幸福な状態にあるのだと説明できるし、また説明しやすいのであるが、それに対して、「苦難」を正当化するのは、はるかに困難なのである。「苦難の神義論」は、苦難をどのように正当化しているのであろうか。それは、苦難の状況の只中にある民衆に対して、その意味づけを与え、苦難の正当化をすることによって、民衆の自信を回復させ、民衆がこの苦難を乗り切ることを可能にする思想なのである。それにより、民衆は生きる勇気を取り戻し、彼らの置かれた苦難の社会状況を受容することになるのである。それにより、民衆は、彼らの苦難の状況定義ができるようになるのである。ヴェーバーの『古代ユダヤ教』では、イスラエルの民が亡国状態に置かれたときに出現したとされる第2イザヤの思想が、苦難の神義論の典型として挙げられている。この思想は、「苦難の僕」と表現されている。この「苦難の僕」は、見るべき見栄えなく、罪科もないのに、人々に棄てられ、嘲られ、むち打たれ、軽蔑され、死んでいくと第2イザヤは述べ伝えるのである。この苦難の意義は、何か。それは、この「苦難の僕」がこのように苦しむことによって、人類の罪をあがないこの世界を救済するのだと意義づけられるのである。この苦難の僕は、亡国状態の中で塗炭の苦しみを余儀なくされている敬虔なイスラエルの民を象徴的に表しているのである。(Max Weber,GAzRIII,SS.381−392.)この思想は、後の時代に、パウロによって、イエスをキリストとして把握する解釈を生み出すことになったのである。すなわち、パウロは、イエスの十字架上での死を、世界の人々の罪を贖い救済する苦難の僕と解釈し、それによって、イエスをキリストと捉えるキリスト論を生み出すことになったのである。ヴェーバーは、「幸福の神義論」と対比させながら、この「苦難の僕」の神義論の出現とその継承を説明しているが、この彼の比較宗教社会学的分析には、文化意義を比較と関係性の側面から捉える文化論的思考が良く現れていると言える。ヴェーバーの「苦難の僕」は、『古代ユダヤ教』の中で亡国の苦しみの只中にあるユダヤの民を分析の対象とした「苦難の神議論」であったが、それは現代社会の問題を鋭く照射する論議でもある。広島、長崎の原爆死とその後遺症に苦しむ人たち、東日本大震災と福島原発の災害に苦しむ人たち、水俣病等の公害の後遺症に苦しむ人たち、薬害に苦しむ人たち、シリヤ等の戦火の中で苦しむ人たち、これらの人たちは、「現代の苦難の僕」なのである。

 

次に、賀川の文化論的思考についてみてみよう。

賀川は、その出生から青少年期に至るまで、「苦難」の連続であった。彼は、妾の子として生まれ、幼児期には、父の死、その後母の死と相次いで肉親の死に直面することとなった。両親の死後、存命中に父が戸籍上の手続きをしていたこともあり、徳島の賀川家に跡取り息子として引き取られることになったが、義母である正妻みちに冷たく扱われたのであった。そのため、彼は家族の愛を知らない孤独な境遇下に育った。妾の子であるがゆえに、村の中でいじめられもした。彼の兄の店、賀川廻漕店が倒産し、その借金返済のため、賀川家の土地や屋敷を手放すことになり、彼の実家は没落の憂き目にあったのである。また、彼は、徳島中学の時に、結核に感染した。こうした苦難を背負った彼は、青年時代に人生の矛盾に悩み、絶望の底を味わい、そのことを日記に矛盾録として書き留めたのである。彼は、このようにニヒリズムに悩まされるが、その虚無の心境をぎりぎりの所で克服させたのは、彼の師であるアメリカ南長老派教会宣教師のマヤスによる家族のような愛とマヤスやローガン宣教師から伝えられたキリストの贖罪愛の教えであった。彼は、マヤスの自分に対する愛の行為と愛の運動について、次のように述べている。「私が肺病で教会からも嫌われてゐたとき、一人の西洋人が三晩私を抱いて寝てくれた。それで私は感じた。一西洋人の暖かい親切が、私をして宗教とはこんなものだと思はしめた。私は人殺しとも火つけした人間とも一緒に寝る。人に愛せられた覚えのない人は人を愛することを知らない。キリストは、我我が人を愛するのは、神から愛せられたからだと云った。もしも我我の中に足らぬと思ふ人は、まだ愛の実例を見てゐないのである。幸ひに私は病気してゐたとき、人に愛せられた。その時愛することを教へられたのである。私が人のいゝ処を見て愛していけば、その人も亦愛することを覚えてしまふ。愛の運動は伝染する。我々が神に愛せられている気持ちが濃厚でないと、愛の運動はうつって行かない。人に愛せられてゐると愛が解って来る。私はさういふ神の愛に感激することがある。」(賀川豊彦、全集第2巻、「神と苦難の克服」、409頁。)

上述の苦難の体験は、彼の攻撃衝動を増加させたが、マヤス宣教師の愛の体験とキリスト教の贖罪愛の教えが結びつくことによって、その攻撃衝動は、肯定的な愛の運動へと変化していったのである。彼の攻撃衝動は、マヤスによる愛の体験とキリストの贖罪愛信仰により、憎しみがその反対のものである愛に変化する「反動形成」をもたらしたのである。さらに、十字架のイエスの贖罪死と自己との一体化は、彼に、攻撃衝動や虚無からの脱出の道を切り開かせたのだった。また、彼は、資本主義的搾取による労働者や農民等の劣悪な社会状態の変革を主張し、こうした社会悪と戦う愛の運動を組織したが、それは、社会正義を掲げ、人々の「良心」に訴える運動でもあった。それは、彼の攻撃衝動を相手の良心に訴える形に変化させたものであり、その意味で、「攻撃衝動の転化」と見ることができる。イエス・キリストの教えは、彼の宗教体験により、さらに揺るぎないものとなった。それは、結核が悪化し死にそうになった時と第2次大戦中に憲兵隊に逮捕され、留置場に入れられた時に体験したものだった。(ロバート・シルジェン、54頁、266−267頁参照。)マヤス体験や宗教体験に裏打ちされて、彼は、彼の宗教運動を「価値」の運動であり、「生命」の神髄に達する運動であると主張する。「宗教は一種の価値運動である。人生の目的を決定し、社会律法を定め、選民の自覚に這入り、その歴史の中に神の力が加わってゐることを信じ、凡てを神から力づけられんとする価値上進の運動である。」(賀川豊彦、同前、403頁。)「要するに、人間に対する最後の神殿は、生活そのものの価値運動の上に築かねばならないのである。生活即宗教! 辻の失業者と淫売婦を救済し、物質の心の奥にまで徹する科学的活動を宗教内容にするまで、宗教と宗教家の煩悶は永遠に続くのである。神聖なる煩悶、科学世界に於けるゲッセマネの園の宗教そのものを磔柱にかけてしまふ日に、まことの神が、拝せられるであろう。さうだ、宗教とか科学とか、さうした部分的の名を全部取り消してしまって、生命そのものの中に神を発見する日―その日に神は、生命の衷にあることを発見するであらう。宗教が宗教と呼ばれる間、永遠に宗教の煩悶は続く、うんと煩悶するがいゝ。宗教のあらゆる符号と形式をみ破って、生命の神髄に徹するまで、宗教と宗教家は煩悶すべきである。

表象的な神は何度でも葬式するがいゝ。唯、生命の神は永遠より永遠に、私のために存在していてくれる。」(賀川豊彦、同前、405頁。)

苦難と愛の体験及び贖罪愛の教えが三位一体となり、そこから彼の「生命価値論」という文化論的思考が発出してくることになったのである。賀川の「生命価値」に基づく目的論的進化論は、具体的には、当時主流を占めていた「優生学的発想」となって現れてきたのである。彼は、「優生学的見地」に立って、優種増殖、悪種淘汰の原則を提唱している。このことについて、彼は、以下のように論じている。

「私は、産児制限という言葉をあまり好まない。産児調節という言葉を使いたい。天才の子供等はどしどし生んで貰ってそのたねを、社会が保存し、最大限度まで生んで貰う通い。

乳牛でも、小鳥でも、食用蛙でも乃至は鶏でもよい種になるほど高価なものであるが、人間においてもそうである。・・・・・しかし、その反対に、悪質遺伝者が、子を多く生むならば、それこそ大変である。米国で研究せられたカリカッタ家族の如き、低能の男が低能の女を娶り、その結果低能児が一家族に百人近くも増殖したという。こういう場合には、すべからく産児の制限をすべきである。」(賀川豊彦、全集第10巻、381頁。)

 

「最もよき産児制限の方法は、優生学的見地より出発して、優種増殖、悪種淘汰の原則をとることである。例えば男子輸精管を切断して、子孫が増殖しない様な方法は欧羅巴において昔からとられて居った産児制限の最もかしこき良き方法である。日本に於ても癩病患者の体内伝染を防ぐために、輸精管の切断を希望者に手術せられている光田健輔氏の様な篤志家もある。私はこうした産児制限には大賛成であって、同様のことが悪質を自覚する他の疾病患者にも行われるようになると非常に良いと思う。」(同前、383頁。)

 

「妊婦保護の場合にも、妊婦が出産した時には乳児の問題になるから、産児制限の必要なものはその前にしなければならぬ。私は近頃の産児制限に就てはこんな考へを持っている。貧民窟の子供ほど悪質遺伝が多い。第一に後天的毒質遺伝である。毒性のものは凡て生殖腺に影響する。梅毒、アルコール、コカイン、モルヒネ、阿片、カルモチンなどはみな遺伝する。・・・・・先天的遺伝と云ふのは白痴、低能、発狂変人である。この両方が遺伝するものは生れても駄目だから、産児制限をする必要がある。だから、私の云ふ産児制限は、優生学的産児制限である。」(賀川豊彦、全集第12巻、30頁。)「日本の農村の同族結婚を打破し、聾唖者、発狂者、低能児の数を絶滅しなければ、社会福祉法や、社会保障法を実施しても、結果に於て、民族の生産資本を消耗することになる。そこで、この優生保護の意味に於て、劣性を抑圧し、日本の優等種を保護する為めには、『ミス・ニッポン』『ミス何々』を奨励すると共に、それに精神的レコードをも附加する必要があると思う。そして、この種レコードホールダーを国家が大切にし、之を全国母子衛生組合に登簿し、遺伝学的に之を優等種として、国家は之を保護することに奨励金を出す必要があると思う。文化財保存委員会があるならば、優生保存基金があつてしかる可きだと私は考えている。」(同前、430頁。)

賀川のこの発想は、現在の福祉論では、「予防福祉論」と呼ばれる立場である。障害児が生まれるのを不妊手術等の手段により未然に防止し、それでも生まれてきた障害児に対しては、社会が十分な福祉制度を整えてサポートしていくという発想である。優生結婚を奨励し、悪質遺伝者の結婚に反対しているのもその特徴である。

賀川がこれほどまでに優生思想にこだわる理由を、藤野 豊は、当時の日本の世界的状況、すなわち、第一次世界大戦後、日本が世界の「五大国」の一国になったという彼の自負心に求めている。そして、その典拠として、「新日本の証言」(『火の柱』、第12号、1927年2月、1−2頁、『火の柱』、第1巻[大正15年〜昭和8年]、第12号、緑蔭書房、1990年、71−72頁。)での賀川の主張を挙げている。そこでは、アルコール依存症や性病や発狂者等の増加を阻止しなければ、「我等は優良民族として、得々白人と対決することが出来ない」ということが強調されているからである。(藤野 豊、「近代日本のキリスト教と優生思想」、『日本ファシズムと優生思想』、426−427頁。)

それに対して、同時代の生物学者の山本宣治は、悪質遺伝者の結婚を認め、また、他者からの統制や抑制を受けることのない自由な自己決定を奨励し、その自由な自己決定こそが、人類の生存と進化に繋がると考えていた。(岡部美香、「大正期の思想家に見る優生学・優生思想へのアプローチ―山本宣治における他者を〈他者〉として承認するまなざし―」、『教育学における優生思想の展開』、61−65頁参照。)

山本宣治は、以下のように述べている。「遺伝学上好ましくない素質を有して居る事を自覚して居る場合に、それでも結婚したものであろうかといふ問題である。成程多くの優生学者は生物学の名によって斯様な結婚の禁止を命じて居る。之は結婚の唯一目的を産児と見るならば、・・・・・さうも云へるだらう。併し乍ら我々は人間であって牧場の牛や馬ではないのだ、人間である以上、恋愛の自由、結婚の自由を主張するのは当然である。結婚に始まる家庭生活を、ひたすら生殖産児を目的とする一種の合名会社と見做し、生殖性交のみを是認し、『子無きは去る』などと臆面も無くいふ事は、・・・・・以て人間の家庭を直ちに種馬種牛の牧舎と見做さんと試みる冒涜である。」(山本宣治、全集第3巻、126−127頁。)

山本は産児の自由(障害児を産む自由/産まない自由)、恋愛・結婚の自由(恋愛・結婚をする自由/しない自由)等の自由な自己決定の承認を主張している。この主張は、彼の生物進化に関する次のような考え方に基づいているのである。(岡部美香、同前、62−65頁参照。)

「我等が進化論からする説明はたゞ『かういふ風になった』其道筋を明らかにすればよい。併し『かういふ風に落着く』迄に『あゝした風にも其外の方法にも』試みがあったけれ共、皆淘汰を受けて結局『かうした筋道をとって来た』ことが、其生物の個体の生命を維持し、種族の保存をなすのに『都合がよい』Zweckmässigのであつたことが判る。」(山本宣治、全集第3巻、653頁。)彼は、生物進化には本来様々な可能性があり、その時々の自由な選択の中で、その一時の環境に適していた選択が生き残ることになると考えていたので、自由な選択こそが生物進化のための淘汰の前提になると考え、統制や抑制のない自由な自己決定を強調したのである。賀川と山本の両者を比較するとき、賀川は、優生と悪質の2項対立図式的で固定的な進化論であるという印象を拭えないのに対し、山本は、優生と悪質という2項対立図式ではなく、自由で融通無碍な進化論的発想に立っていると言えよう。賀川の目的論的進化論の箇所で言及したように、賀川は、宇宙における「ズレ」が多様な可能性を生み出すことにも気づいていた。賀川の宇宙目的的進化論の準拠枠に立脚するならば、この「ズレ論」と「修復論」の程よい調節的統合の中に、山本の自己決定自由進化論が位置づくのではないかと考えられる。

賀川のもう一つの問題点は、彼の「予防福祉論」的発想が、弱者である障害者抹殺に繋がる恐れのある発想であるという点である。賀川の時代には、出生前診断という医療技術は存在しなかったが、現在は妊婦の羊水検査を行うことにより、胎児に染色体異常があるか否かが判るようになっている。現在では、この医療技術を使って、染色体異常のある胎児を中絶し、障害児が生まれるのを防ぐことができるようになっているのである。この出生前診断を行うか否かは、その当事者の判断に任されている。現在の予防福祉論は、こうした医療技術を使うことも含まれている。この医療技術を使って子どもを産む産まないを決める行為は、障害児が生まれるのを未然に防ぐ行為であり、この行為が障害者抹殺に繋がるのではないかという議論があるのである。障害者は生まれてきてはいけないということを前提にした発想だからである。何故なら、「優生思想」とは、「生まれてきてほしい人間の生命と、そうでないものとを区別し、生まれてきてほしくない人間の生命は人工的に生まれないようにしてもかまわないとする考え方」(森岡正博、「障害者と『内なる優生思想』」、『生命学に何ができるか 脳死・フェミニズム・優生思想』、286頁。)だからなのである。障害児が生まれることが、たとえ社会にとって効率的でなくても、それを承知で障害者と共生していく「障害者共生論」も選択肢としてあるのであって、この両方の選択肢を認めるのが山本の発想なのである。(森岡正博、同前、323−354頁参照。)賀川はキリスト教と進化論的科学の結合を目指していたが、その思考は皮肉にも、以下に述べる「弱い者が最も大切にされる」というキリスト教の神髄を示すパウロの教えと深刻な齟齬をきたしている結果になっているのである。

 

「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも格好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(コリントの信徒への手紙 12章22−26節。)

 

最後に、パーソンズの文化論的思考についてみてみよう。

パーソンズは、初期から文化の重要性を認識していたが、後期になると、それはいっそう重要視されることに

なった。そのため、図式もAGIL図式ではなく、LIGA図式と呼ばれることになった。このLIGA図式は、ヴ

ェーバーの理念と利害関心の相互関係のパーソンズ版であり、パーソンズでは、理念が利害関心に与える作用は、LIGAの矢印の方向に沿った作用として、利害関心が理念に与える作用は、AGILの矢印の方向に沿った作用として説明されている。(高城和義、2002年、206頁。)後期では、統御の視点から、情報最大でエネルギー最小のものから情報最小でエネルギー最大ものへとハイラーキーが形成されている。究極実在がその頂点にあり、その下にLのパターン維持に対応する文化システムが置かれている。この点に、彼の文化重視の姿勢が如実に示されている。彼の文化論的思考は、最晩年の著作『行為理論と人間の条件』に良く現れている。彼は、その著作の中で、脳死と臓器移植の問題について論じている。この著作が書かれていた時期は、その当時の最先端医療の現場でその問題が医療従事者に突きつけられていた時であった。彼は、人間を、有機体としての側面とパーソナリティの側面の両側面から把握しており、その立場から、脳死は、パーソナリティの死であると述べている。代謝的には、人工呼吸器や栄養点滴で心臓は動いていて、代謝的には死んでいなくても、脳死は、パーソナリティの死なのである。彼によれば、人間の死は、有機体としての種からみても、また、社会・文化体系の持続性を持った超世代的母型からみても、正常なのものとして捉えられている。また、ジグムント・フロイトの「客体喪失」概念に依拠しつつ、「客体喪失」が予期されることから、それについての空想と不安が生まれると、死を「客体喪失の予期」の側面から捉えている。彼は、人間の生と死に言及し、生と死を「神からの贈り物」として捉え、「生と死の贈与論」を展開している。誕生は、神が人間に与えた贈り物である。人間は、その死の際に、その神の贈り物に対して神に返答するのである。キリスト教では、イエス・キリストの十字架の贖罪死は、神がその御子の生命を捧げものとして、人間に与えることであり、その意味で、それは、神から人間への贈り物なのである。それは、神から人間への贈り物であるので全きものであり、問題が発生しないのである。ところで、「臓器移植」は、人間が他者に対して与える「贈り物」であるが、人間間の贈り物であるがゆえに、人間関係の側面等で問題が発生するのである。神からの贈り物のようには上手くいかないのである。(ATaTHC, pp.264−299,pp.331−351.参照。パーソンズ、『人間の条件パラダイム』、「西洋世界における死」、富永健一訳、11−50頁、パーソンズ、『宗教の社会学』、「『生という贈り物』とその返礼」油井清光訳、173−240頁参照。)

彼は、脳死と臓器移植という最先端医療の問題を引き合いに出しながら、「人間の生と死の意味づけ」問題という「文化問題」をこの著作で検討しているのである。ところで、彼の医療社会学では、社会における罹病率が高くなると、社会システムの機能を阻害するので、病気は、社会システムにおける逸脱行動として捉えられている。また、医師―患者関係では、患者の役割は医師と協力して病気から回復するように努めることにあるとされる。他方、医師の役割は、感情中立的にその専門的知識を駆使して、患者の福祉のために、病気の回復に努めることにあるとされ、実業家のように利潤動機で動くことは厳禁とされている。(タルコット・パーソンズ、佐藤 勉訳、『社会体系論』、1974年、青木書店、424−475頁参照。)しかし、現実の医療現場では、医師のパターナリズム(paternalism)や医原病の問題が指摘されており、現実に照らし合わせてみると、あまりにも理想主義的で楽観主義的な捉え方となっているのが問題点であると言える。

 

 

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神の国建設の潜在意識は何か?

優生学 自意識 理性 との関係は?

 

他人の正しさを認めない  殺人

自意識の中に創り上げた内的な信仰 神 意識の作り上げた神

内なる絶対を基準にして、外の世界を抹殺して変えていく。