瞑想の危険性

 

はじめに 私の体験

過呼吸と胸のしびれ

白隠禅師の禅病

瞑想の精神医学  安藤治

精神疾患と洗脳

 

 

私の体験

瞑想にはいいことばかりではなく、危険なことも伴うので、ちゃんとした師のもとで修練を積むのがよい。

そのような環境がないのならば、まずは簡単な体操や呼吸法をまずはしっかりとすることが私の体験的オススメです。

たとえばちゃんとしたヨガでは次の8段階を基準にしており、

 

1.ヤマ(してはいけないこと)

2.ニヤマ(しなければならないこと)

3.アーサナ(ポーズ)

4.プラーナヤマ(生命エネルギーのコントロール)

5.プラッティアハーラ(五感のコントロール)

6.ダーラナ(集中)

7.ディアーナ(瞑想)

8.サマディ(三昧)

 

と瞑想にいたるまでに、5つのステップを終了した者がはじめて瞑想を試みることができる。

 

 

私の場合は近くの寺や知り合いのセンターや永平寺で体験的に座禅したことはあるが、10日にわたる瞑想を初めてした時には、

3日目に目をつぶっても太陽のような残像があり、

丹田のあたりにホカロンをいれたような暖かさがあり、

気が充実して力が漲るのはよかったが、

この日から11日目までの8日間も眠れなくなった。

またカラダのすべての部分の感覚の通りが悪いところを見詰めるようにしていたら、7日目の夜からは背中や腰に凝り固まるような痛みが7箇所できた。

これは寝返りがうてないほどの痛みで、これから2年ほどは深い瞑想をするたびに体の痛みはおさまらなかった。

また8日目には胸部の小胸筋の小刻みな痙攣が続き、大胸筋の締め付けによる尋常ではない収縮や狭心症のような心臓の不整脈が突如起こり、気分が落ち着くにつれてこの不整脈が続いたので、帰りの運転に支障をきたす可能性があると感じたので、3日ほどセンターに泊めてもらい、帰る時には鼻歌を歌ったりしてテンションを上げて心臓が止まる回数を減らすようにした程であった。

また後のミャンマーの僧院での瞑想では、過呼吸による胸全体のしびれが治まることがない日々を過ごした。

 

 

精神疾患と洗脳

瞑想は危険なことがふたつある、と言われている。

ひとつは精神疾患がひどくなることで、もうひとつは、洗脳される危険が大きいことである。

どちらも可能性ではあるが注意する必要がある。

 

瞑想指導者はこれらに気づいている方もいますが、気づかずに指導を続けている人も多くいます。

特に洗脳はそうと知らずに洗脳教育している指導者は少なからずいるとされています。

なぜ洗脳瞑想がそんなに多くいるかというと、瞑想指導者の多くはじつは他人を支配する傾向が強いからです。

ヴィパッサナー瞑想は、社会に居場所をなくした人たちや、DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害を持つものにこそ効果があります。

しかし宗教的指導や集団的指導には気をつけなければならないこともあります。

 

1精神疾患

昨今の瞑想ワークショップは洗脳に利用されるから、よき指導者のもとで習得されることが望ましい。

これまでの思考パターン回路を白紙にすることからはじめるので、そこに新たな回路をプリンティングをされたらどうなるか?

容易に想像できるように、信頼のおける人たちのもとでければ、集団洗脳にかかる可能性もある。

 

「ブッダ・釈尊・お釈迦様が弟子達に教えた瞑想の中にも、危険な瞑想がありますが、初心者には教えません。

また全く問題の無いものもあります。

 たとえば山に登る時に初心者でもよき指導者の下で安全な方法があります。 指導者もなく、地図だけで初心者が山に登るのは極めて危険です。では、誰がよき指導者なのでしょうか。

よき指導者であると誰が判断するのでしょうか。

タイで瞑想を習った人が言っていました。

 先生(タイ僧)に「たとえ先生と言えども信用するな。自分以外信用しては ならない」と。

 

「瞑想に興味がありいろいろ調べました、瞑想をやりすぎると精神病になるという話を聞いたのですが、どのくらいやると精神病になるのですか?」

「瞑想の種類によっては十分どころか三分でもなります。

 腹力禅と呼ばれるものはその代表ですが、効能としては胆力がつくなどといわれています。

 特徴としては息を吸った状態で息を止めて、腹に力を込めるものです。

この息の留めかたに特徴があって、その辺りを師に良く指導してもらわないと、脳梗塞やその他の副作用があります」

 

「精神病の友人が、瞑想カウンセリングに通い始めたら症状が悪化したように思うのですが。

よくなっていくのかと思ったら、かえって症状が頻発するようになったのです。

たとえば、すぐイライラして人に当たるなど。

また、病気だから仕方ないだろう、みたいなちょっと開き直ったような雰囲気になってきました。」

 

2瞑想合宿で洗脳される危険性

****氏のヴィパッサナー瞑想合宿(全12日間)は、お釈迦さんが悟りを啓くのに使われたと言われる瞑想法で、今でもテーラワーダ仏教で伝統的に行われています。」

「ミャンマーには多くの瞑想センターがあり、各自が自分にあったセンターを探し、そこで修行しているようです」

「マハーシ式のヴィパッサナー瞑想をやっていたのですが、友人はまた別の方法でやっていると聞いていたので、どんなものか楽しみに行きました。

 

***式は、10日間の合宿が前提です。

到着日と退出日を入れると12日間拘束されることになります。

10日間の合宿中は沈黙行です。

特に参加者同士の会話は全く無く、目を合わせることも、ボディランゲージも一切禁止、「聖なる沈黙」を守ります。

当然テレビなどはなく、音楽、携帯電話、雑誌、筆記、等はすべて禁止です。

食事は、朝と昼の2回のみ、これは伝統的な仏教の食事であり、瞑想に適した食事だと言われています」

こういう合宿の効果をインターネットで検索すると、とても素晴らしいと手放しでほめる方が多いことに気が付きます。

しかしこういう体験者の声が、「洗脳された結果」だとしたらどうでしょうか?

もともとこういう合宿体験したい人というのは、学生時代の運動部の楽しい合宿経験をベースに考えることが多いのです。

つまり無意識に学生時代の、楽しい合宿をしたいと考えています。

では「どうして学生時代の楽しい合宿をしたい」と思うか?というと、それは現在の生活に不満があり、それから逃れたいと調べるうちに合宿があったと!

そういう人は「合宿に逃げたい人」また「依存性の強い人」の可能性もあります。

誰かにすがりたいとか、偉い瞑想の先生に指導されたいという潜在願望を持つ人の可能性です。

こういう人が12日間もの異常な体験をすることで、洗脳状態になりやすいことがあります。

 

3瞑想の秘密

 瞑想とは催眠術には共通性があります。

催眠術師は催眠術にかかる人(被験者)を特殊な心理状態にします。

この特殊な心理状態を、変性意識状態といいます。

変性意識状態になった被験者は、催眠術師のいうことをなんでも受け入れるようになります。

その状態で、催眠術師はいろいろな催眠暗示を被験者にします。

瞑想はこれを催眠術師なしで、つまり自分で自分に催眠術をかけるのと同じです。

瞑想も催眠術も手順は同じです。

つまり、「最初に行うこと」は変性意識状態の実現です。

インド式の瞑想は2種類あり、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想です。

ヴィパッサナー瞑想は気づきの瞑想とも呼ばれますが、催眠術でいうと暗示をかける部分に相当します。

当然、この前段階として催眠術と同じ「変性意識状態にする段階」があり、これがサマタ瞑想です。

サマタ瞑想の目的の1つは変性意識状態の生成で、多くの瞑想指導者もそのことに気が付いていません。

これが宗教的指導者の問題点です。

このような特殊な精神状態の時、依存性の強い瞑想体験者は指導者に対して強い依存性を持つ傾向があります。

これが宗教的帰依という現象の一部かもしれません。

 

 

4洗脳する指導者はやたらと高尚な物言いをする

「すべての人間は同じ病を患って苦しんでいます。誰の心にも怪物がいて、その怪物は何本もの腕を持っています。慢性的な緊張の腕、他人だけでなく一番親しい人にたいしても純粋な思いやりが持てないという腕、塞ぎ込んだ感情の腕、生気がない腕など、たくさんの腕を持っています。その怪物がいないという人はいません。

私たちは怪物のことを認めないかもしれません。抑えようとします。

怪物がいないふりをしたり、隠れたり、目的や計画、地位に関心を持つことで怪物から気を逸らし、教養や知識を身につけるのです。しかし、怪物が消えることはありません。

いつでもあらゆる妄想や認識の奥底に漠然といて、「まだ足りない、もっと欲しい、もっとよくしなければ、よくならなければ」とささやき続けるのです。これが怪物の声です。」

 

怪物とはなに?

心理学でわかるように説明してほしいと思う人もいますが、指導者はそういう指導はできないものです。

「私たちは、欲しいものすべてを手に入れることは、絶対にできません。不可能です。

幸いにも、別の選択があります。

それは自分の心を制御し、際限なく回転し続ける欲と怒りから離れることです。

欲しいものを欲しがらず、欲を理解し、欲に支配されないことを身につけることです。

しかしこれは、道路に横たわって、通行人が自分の身体の上を歩いていってもいい、というような極端な意味ではありません。

まったく普通の生活を送るのですが、今までとはまるっきり異なる新しい見方で生きるのです。

人としてすべきことは当然やりますが、欲に取り憑かれたような強迫はありません」

 

欲に取りつかれるのは良くないから⇒お金に執着するのはやめなさい⇒そのためお金は指導者に寄付しなさい

というような指導者も現れます。

 

実は怪物とは各自の中で作ってしまった自動反応回路のことなのですが、それは各自の成功体験から作られたものなので、簡単に解除することはできず、その回路を弱体化するには、心安らかな状態になる訓練から始める必要があります。

 

 

5お釈迦さまの姿からかけ離れた指導者

「仏教ができてから2500年以上たちました。その古くからある教えは、最高に価値あるものです。

仏教の基本的な姿勢はあくまでも実践によって立証できるものであり、また反権威主義的なものでもあります。

ゴータマ・ブッダはまったく型に嵌らない人物で、無意味な伝統やしきたりには真っ向から反対されました。」

 

かつて日本を震撼させた事件を起こしたオウム真理教も、仏教の教義をいいとこどりして信者に布教していました。

そしてそのオウム真理教の修行方法が、瞑想行だったのは有名です。

 

以下、ウイキペディアより引用

「マスメディアによりオウム真理教出家者が理系の高学歴者ばかりで構成されていたかのようなイメージで報道されたが、多くの宗教団体にありがちなことだが、実際は社会で普通に生きてゆくことに疑問を感じたり社会に居場所をなくした人たちや、DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害を持つものなども多く、こうした社会的弱者の受け皿にもなっていた」

 

その危険の正体は瞑想法そのものにあるのではありません。

ヴィパッサナー瞑想の指導者には指導者本人も気づいていない欠点がある場合があるので、

宗教的指導や集団的指導には気をつけなければなりません。

 

 

 

胸の痺れと瞑想

過呼吸状態になると、血液中の炭酸ガス濃度が低くなり、呼吸をつかさどる神経(呼吸中枢)により呼吸が抑制され、患者さんは呼吸ができない、息苦しさ(呼吸困難)を感じます。このために余計何度も呼吸しようとします。血液がアルカリ性に傾くことで血管の収縮が起き、手足のしびれや筋肉のけいれんや収縮も起きます。患者さんは、このような症状のためにさらに不安を感じて過呼吸状態が悪くなり、その結果症状が悪化する一種の悪循環状態になります。

 

 自覚症状には息をしにくい、息苦しい(呼吸困難)、呼吸がはやい、胸が痛い、めまいや動悸などがあります。テタニーと呼ばれる手足のしびれや筋肉がけいれんしたり、収縮して固まる(硬直)症状がでます。手をすぼめたような形になり“助産師の手”と呼ばれます。この所見は、血圧計のマンシェットを腕に巻いて手の血流を止めるとより出やすくなります(トルーソー徴候)。耳の前や顎の関節をたたくと顔面神経が刺激され、唇が上方にあがります(クボステック徴候)。

 呼吸がはやく、呼吸困難感を訴える患者さんで、上記の自覚症状や筋肉のけいれん、硬直などの所見があればこの病気を疑います。動脈血液ガスの検査では、炭酸ガス濃度が低く、アルカリ性になります。

 

 治療ですが、意識的に呼吸を遅くするあるいは呼吸を止めることで症状は改善します。患者さんは不安が強くなかなか呼吸を遅くすることができませんので、まずは患者さんをできるだけ安心させゆっくり呼吸するように指示します。紙袋を口にあてていったん吐いた息を再度吸わせることで、血液中の炭酸ガス濃度を上昇させる方法(ペーパーバック法)がありますが、この方法では血液中の酸素濃度が低くなりすぎたり、炭酸ガス濃度が過度に上昇したりする可能性がありますので充分な注意が必要です。不安が強い患者さんでは、抗不安薬などの投与を行うことがあります。

 過去にこの病気にかかったことがある方は、過度の緊張や不安などが起きる状況をさけるように注意してください。またうつ病などの精神疾患や不安症、パニック障害などがある方は、それらに対する治療が発症防止に有用なことがあります。一般に予後は良好で、数時間で症状は改善します。

 

精神的不安や極度の緊張などにより過呼吸の状態となり、血液が正常よりもアルカリ性となることで様々な症状を出す状態です。神経質な人、不安症な傾向のある人、緊張しやすい人などで起きやすいとされます。

 

 

白隠禅師の禅病

白隠禅師が罹っていた病気は、「禅病」というものであったと言われています。若い頃、あまりにも熱心に修行に励んだ禅師は、修行を始めてからわずか三年で、「悟り」の境地を体験します。ところがその後、しばらくしてから次のような症状が現われたということです。

「 ----- 頭痛、胸痛がはなはだしく、肺と心臓がやけ焦げるようで、両手両足は氷雪のように凍え、耳はガンガン鳴りつづけ、なにごとに対しても臆病になり、神経過敏に、かつ恐怖に駆られ、心身困憊し、夜は眠ることもできず、夢と現(うつつ)の境を行き交い、両脇はつねに汗ばみ、両眼は涙が流れつづけるようになってしまったのである。
そこで名医という名医を訪ね、あらゆる治療をうけたが、すべての鍼灸医薬もなんら効果をしめさず、絶望の淵にしずんだのであった。」
『白隠禅師 健康法と逸話』直木公彦著 日本教文社 夜船閑話 本文(意訳) より

症状的には、一般的に言われるノイローゼの激しいものです。現代医学で使われる病名では、心身症、自律神経失調症といったところかもしれません。
そして、この症状が内観の秘法を毎日、時間を決めて行ったところ、
  『三年にもならぬあいだに、いままでの病気は芯から全快してしまった』というのです。
上のような症状の病気を現代医学で治すとしたら、果たしてどれくらいの年月がかかるでしょう。そもそも完治したというところまで、行き着くかどうかさえ怪しいところです。それが三年で、「完治した」という事実に注目する必要があります。


ところで、この呼吸法の効果を、さらに具体的に証明する資料がありますので、下に紹介しておきます。
 白隠禅師の寺では、かなり厳しい修行が行われたために、心身の均衡を崩す若い僧が続出したようです。それを治すために、この呼吸法が取り入れられたということです。その結果、どのような結果が生じたかが、下の引用文の中に記されています。

『夜船閑話』という書物は、わりに短い書き物です。その序文を、白隠禅師の弟子の一人であった窮乏庵主(きゅうぼうあんしゅ)、キトウセンという人が書いています。その中に、「内観の秘法」の実際のやり方や、その治療効果について、分かりやすく記されている部分があります。

 

これについて、禅師はつぎのように申しておられます。
 「もし、学問の道にすすみ、懸命に一心に真理の道をもとめ悟道にこころざすものが、勉学身に過ぎ、頭脳が逆上し、心身疲労はなはだしく、内臓の調和がみだれてきたならば、鍼灸や医薬などで、この病をなおそうとおもっても、癒るものではない。
/中略/
この秘法を実習しようとするときは、すべからく人間界の思いわずらいや工夫をすて、小智才覚の一切を放下し、かんがえること、見ること、話すこと、感ずること、一切の雑念など心の外部への活動を追いはらってしまい、からっぽになってこの『内観の秘法』をおこない、深く眠り込み、そのあとで、肉体の眼とともに心の目をさますというようでなければならない。すなわち、床に入り、眠りに入るまえに、両脚を長く踏みそろえ、一身の元気を臍(へそ)のまわりから気海丹田(きかいたんでん)、腰、股や両脚から足のうらに下し充して、つぎのように何回も繰り返し繰り返し内観するのである。

(1)
 わが気海丹田腰脚足心(きかいたんでんようきゃくそくしん)、まさに是()れわが本来の面目(めんもく)、面目なんの鼻孔(びくう)かある。
(2)
 わがこの気海丹田、まさに是()れわが本分(ほんぶん)の家郷(かきょう)、家郷なんの消息かある。
(3)
 わがこの気海丹田、まさに是()れわが唯心(ゆいしん)の浄土(じょうど)、浄土なんの荘厳かある。
(4)
 わがこの気海丹田、まさに是()れわが己身(こしん)の弥陀(みだ)、弥陀なんの法をか説く。

このようになんどもなんども打ち返し、繰り返し、想像し観念し、想像力を集中するがよい。観念想像力構造の効果がつもってあらわれてきたならば、一身の元気はいつしか、腰や脚部や足のうらに充ち満ちて下腹部の丹田はヒョウタンのように、かたくなってくるのである。
右のように『内観の秘法』を一心に、真剣に、切に修するときは、二、三週間にしていままでの苦悩、不快、神経衰弱、肺病、などあらゆる難治の病の症状が、底をはらったように全治するものである。もしも、これが偽りならば、この老僧の首を斬りとって持ち去るがよい」と。

そこで、弟子ら一同はたいへんよろこび、懸命に精進修行したところ、各人ことごとく不思議なる効果が現われ、ほとんど病の症状は消えて、やがて全快してしまったのであります。修行精進の深い浅いによって快復の遅い、早いはあったけれども、全員完治してしまったのであります。いまさらながら、この「内観の秘法」の効果の偉大さにおどろき、かつ賛嘆してやむところを知らなかったのであります。
同上 夜船閑話 序文(意訳) より

 

上の内容を読めば分かるように、この呼吸法を実践したところ、弟子たち全員の病気が治ってしまったということです。しかも『苦悩、不快、神経衰弱、肺病、などあらゆる難治の病の症状が』とあるように、一つの病気だけでなく、様々な種類の病気に対して効果があったということです。
これは先ほどの気功の場合と同様に、それらの病気を創り出すそもそもの原因が、自動的に取り除かれるためであろうと考えられます。つまり原始的なプログラムによって創り出される病気だからこそ、この方法で治せるのであるということです。ただしここに肺病とあるのが、結核をも含むとすると、もう少し別の角度からも考える必要があるかも知れません。

ところで、一口に呼吸法と言っても、ただ息をすることと、何が、どう違うのかが分からないと、せっかくの効果を導き出すことができません。『夜船閑話』の本文の中には、この呼吸法を行う際の要領や、コツのようなものが、過去の偉人たちの言葉として紹介されています。以下のようなものです。

八百歳?まで生きた有名なホウソはつぎのように説いている
『心をやわらげ、元気を全身に満たすようにみちびく方法は、はなれた密室に入り、床をのべて、その上にあおむけによこたわり、枕の高さ二寸五分のものをして正しく上をむいて身体をねかせ、しずかに目をつむり、心気を丹田におさめ、鼻孔の上にやわらかい鳥の羽毛をつけてあるものと想像し、この羽毛の動かぬようにしずかに息をすること三百回に至れば、耳にはなにも聞こえず、目はひらくともなにも見えないようになる。このようになったならば、いかなるはげしい寒暑をも身体を害することができず、熊蜂が刺してもいたみ毒することができず、 以下、略 』と。

またソナイカンはいっている。
『まさに空腹をおぼえて食し、つかれるまえにやすむ。なるべく散歩逍遥して、腹をすかせるようにつとめ、腹のすこしすいたときに、しずかなる小部屋に入り、端座し、無念無想に入り、呼吸する息の数を数えるがよい。一よりしずかにかぞえ出し、・・・十・・百・・千までかぞえれば、この身のこの心は寂然こつ然として、天地宇宙一切のものと溶けあって一体となり心身の清浄なることを感ずるであろう。このような状態になることひさしくして、呼吸はいつしかやみ、<息出でず、入らず、しずかにしてやむ>の境地に入るものである。このとき、体中の息は、八万四千の毛孔より雲霞のように、自然に蒸発していくように感じられて、いかなる難病もたちまち全快するのをはっきり自覚するであろう。以下、略』と。
同上  夜船閑話 本文(意訳) より

 

この技法は、呼吸法のコツを修得するまでが、けっこうたいへんなような気がします。私自身も試みに何度かやってみたのですが、さっぱり要領がつかめませんでした。なぜかすぐに眠ってしまいました。熱心さが足りないためかもしれません。ぜひ指導者が欲しいと思った次第です。しかし、一度コツさえつかめば、その効果が絶大であることは上のような弟子たちの事例からも、まず間違いないでしょう。
以上が、「内観の秘法」という呼吸法です。

白隠禅師は、この時いっしょに「軟ソの法」という呼吸法も伝授されました。これは白幽仙人自身がかつて様々な病気に苦しめられ、ついには医者からも見離されて、最後の手段として天地の神々に祈ったところ授けられたというものです。そして、これを熱心に実行したところ、それほどの大病が、一ヶ月ほどで治ってしまったというのです。
こちらはどうやら胃腸、内臓の諸機関の働きを活発にし、内分泌機能を盛んにさせ、心身を壮健にする呼吸法のようです。
まず、頭の上に、丸い仙薬が乗っている状態をイメージします。その仙薬が少しずつ溶け出して、全身の隅々にまで行き渡るように想像します。それを何度も繰り返すだけです。

興味のある方は、ぜひ一度、原典をお読みになることをおすすめします。「内観の秘法」と「軟ソの法」を組み合わせて行うことで、より効果が高まることもあるはずです。それにより現代の難病も治せるかも知れません。もしガンや糖尿病が治せたら、多くの医者がいらなくなりそうです。しかもそれだけでなく、もしかしたら仙人になれるかも知れません。21世紀の現代に生きる仙人というのも、なかなか存在感がありそうです。

 

 

ある人が内科から精神科までのあらゆる病院を渡り歩いたそうです。症状は、どうやら白隠禅師の場合と同じように、自律神経失調症か心身症のようなものであったと思われます。

原因は気功の「偏差」のようなもので、きちんとした指導者につかないで、自己流で気功の練習を行うと、一種の自律神経失調症か心身症のようなものが発生することが知られています。
そこで、この白隠禅師の呼吸法を紹介したところ、すぐに始めたそうです。間もなくして病気が、どんどん好くなって行くという書き込みがあました。そして、ついには病気が、ほとんど治ってしまったという報告がありました。そうなるまでに、一ヶ月ほどしか掛かりませんでした。医者も家族もびっくりだったようです。
とにかく医学の進歩した現代でも、すべての医者から見離される人がいるのです。

これは言うなれば、現代の難病です。そうした病気の人が、たった一ヶ月で完治してしまったのです。そのことを励みとして努力を続ければ、必ず活路が見出せるような気がします。

「気功」も、白隠禅師が伝えた「内観の秘法」「軟ソの法」も、ともに呼吸法の一種です。

呼吸法というのは通常、「気」を操作する技術・技法であると考えられています。もちろん、ヨーガ、太極拳も同様です。
そして、そうしたものの一つである気功には、様々な精神障害を治す効果があり、また白隠禅師が伝えた呼吸法も、同様に様々な精神障害に対して効果があるというのです。上に紹介した資料は、そのことを示しているわけです。


気功はきちんとした指導者につかないで、自己流で行うと、少々厄介なことが生じます。

「偏差」と呼ばれていますが、一種の自律神経失調症か心身症のようなものが発生することがあります。

禅も呼吸法の一種であると述べましたが、これからは「禅病」と言われるものが生じます。白隠禅師が罹った病気です。
呼吸法を自己流で行なったり過激に行ったりすると、なぜそうした障害が発生するのでしょう。きちんとした指導者についた場合と、そうでない場合とでは、何が違うのでしょうか。このあたりに、上の疑問を解く鍵がありそうです。
そして、この点に関しては、およそ次のように考えることが出来そうです。

きちんとした指導者がいる気功教室で気功を習うと、練習の最後に必ず「終功」というものを行います。

それによって、一度上がった気を降ろすといわれています。そのために腹部の丹田という部位に、気を降ろす動作を行います。

これは運動をした後の整理体操や、ストレッチ体操と同じ効果を持つと考えられます。
激しい運動をした後で翌日、筋肉痛を起こさないためには整理体操や、ストレッチ体操をやる必要があります。これは脳の興奮を、短時間で鎮める作用のあることが分かっています。脳波計で見ると、それまでは興奮状態であった脳が、急速に鎮まっていくのが分かります。つまり運動を止めてからも、脳の興奮状態はすぐには治まらないのです。その興奮状態が続くことで筋肉が休まらず、翌日の痛みの原因を創りだすのです。疲労が残る原因になります。

呼吸法でも、それと同じことが起きると考えられます。つまり呼吸法を行ったあとの興奮が、脳の中でいつまでも持続している状態が、気が上がった状態と言われるものです。

放置すれば、その状態がいつまでも持続します。ストレッチ体操や整理体操のようなもので、興奮を鎮める必要があります。
運動終了後の整理体操やストレッチ体操は自己流で練習すると、最もおろそかになりやすい部分です。ですから偏差、禅病というのは、それをきちんとやらないための障害ではないかと考えられるわけです。

要するに気功の効果というのは、その終功によってもたらされるのではないかと考えられるわけです。これをやらないために偏差という精神障害が発生し、これをきちんとやることにより様々な精神障害を治すことが出来るというのは、この終功の効果の中に、すべての秘密が隠されていると考えるのが妥当です。

つまり、それによって、精神神経回路の中に創られた例のプログラムの活動を停止させることが出来るのではないかということです。
禅の場合は、それが非常にゆっくりと進行するために、大抵の場合は禅病にならずに済むわけです。

あまり過激に行うことがないように、危険防止のための機能が、座禅修行の行程の中に組み込まれているのです。

つまり掃除や食事などの日常的な作業ともに、座禅修行が定期的に行われるようになっているのです。

ここに古来よりの人々の知恵が取り入れられているわけです。


この「呼吸法」の効果を、もう少し原理的に説明すると、およそ次のように整理することができそうです。
気功も禅も呼吸法の一種です。呼吸というのは、意識的に自律神経系に働きかけることが出来る効果的な方法です。そもそも自律神経系の機能は、発汗や心臓の鼓動のように、人が意識的に操作することの出来ないものです。ただし呼吸だけは自分の意志によって、早くしたり遅くしたりすることが出来ます。その呼吸に連動させる形で、他の臓器の機能を調節することが出来れば、結果的には、自分の意志で自律神経系を操作することになります。
たとえばヨーガの達人は、呼吸数を減らし、心臓の鼓動を遅くして体温を低下させ、一種の冬眠状態を創り出すことができます。それを意識的に行っているのです。つまり自分の意志で、自律神経系を操作しているわけです。

従って、「呼吸法」というのは、本来古い脳の支配下にある自律神経系に、意識的に介入することの出来る技術・技法ということになります。

一方、精神障害を創りだすプログラムは、一種の「条件反射」のプログラムです。

そのプログラムが自律神経系を操作して、様々な障害を創り出しているわけです。
その自律神経系に意識的に働きかけることが出来るということは、結果的に、精神障害を創り出すプログラムの活動を押さえることが出来るということです。

きちんと終功を行うことで、自律神経系の興奮を鎮める作用が生じれば、病気は自然に治ることになります。

要するに原因を創り出すプログラムさえ働かなくなければ、病気は発生しないということです。

上に紹介した気功や、白隠禅師が伝えた呼吸法には、もともとそうした効果があると考えられるわけです。

つまり呼吸法というのは、自分の意思で病気を治す技術・技法であるということです。
ですから白隠禅師が、もしこれで病気が治らなかったら、私の首を差し上げますとまで言い切ったのは、それなりの根拠があったということです。


科学的な思考法の原点は、起きている現象を正確に捉えることです。

そして事実を事実として捉えて、正しく分析することです。そうした姿勢で臨めば、呼吸法の有効性が、科学的に証明されるはずです。
またこの方法を薬物療法と組み合わせて使えば、今までは完治させることのできなかった病気が、確実に治せるようになります。

そうすれば患者も、家族も大いに救われます。

精神医療に携わる人たちは、ぜひこうした観点に立って研究を進めて戴きたいものです。他の分野では、予防医療の一環として、気功を取り入れている病院があります。その効果も確認されています。従って、精神病院で気功や、白隠禅師の呼吸法を取り入れても、決しておかしくはありません。
それどころか、今までは治せなかった病気が治せれば、精神病院のあり方が変わります。患者を世間から隔離するための病院から、病人を治すための病院になります。それこそが本来の病院のあり方です

 

 

 

 

瞑想の精神医学   安藤治

 

第五章 瞑想はどのような精神状態をもたらすのか     瞑想体験の発達的諸段階のモデル

 

 

ダニエル・ブラウン1986の瞑想体験の発達的諸段階のモデル

準備期

論理的訓練

a 一般的準備 態度の変化

瞑想

 

b 特別な準備 内面的変化

 

 

c 進んだ段階での準備 行動変化

 

身心的訓練

a 身心への気づきの訓練

 

 

b 呼吸と思考の制御

 

 

c 意識の流れの再構成

集中的

介助対象あり

a 外部対象への集中

瞑想

 

b 内部対象への集中

 

 

c 種を認識する技術

 

 

d 精神を停止させる  知覚の統合

 

介助対象なし

a 光の流れをすばやくつかむ

 

 

b 光の流れの観察  過ぎゆくままにまかせる

 

 

c 光の流れのバランスをとる

洞察的

一般的瞑想

a 視点を繰り上げる

瞑想

 

b 技術  サマーディの変容

 

 

c 現れては過ぎゆくサマーディ

 

究極瞑想

a 通常の知覚と究極的意識の相互関連性

 

 

b 究極的意識の相互関連性と悟りとの関係

 

 

c 回顧

 

 

 

 

準備期瞑想

論理的訓練

a 一般的準備 態度の変化

  瞑想の時間を持つことで、日常生活に対する反省

 

 

b 特別な準備 内面的変化

  不快な感情や心地よい感情、思考、イメージ、記憶が現れるので、

それらに気づき、観察する。

 

 

c 進んだ段階での準備 行動変化

  戒律により習慣、仕事、遊び、食事、睡眠に注意深く吟味する

 

身心的訓練

姿勢の保続

体と意識の分離

a 身心への気づきの訓練

  身体に生じるランダムな活動をすばやく察知する

  安定した姿勢により活動は制御される

  身体をめぐるエネルギーの流れを感じとれるようになる  

 

 

b 呼吸と思考の制御

  乱れる呼吸や思考の流れに気づくだけで、落ち着くことを学ぶ

  日常の思考回路が減少し、黙想的思考回路が現れる

 

 

c 意識の流れの再構成   脱構築された思考

  対象の感覚的刺激を絶って、他の意識の顕れ方を学ぶ

  意識の内容ではなく、意識のプロセスへスポットライトを当てる

  内面的世界に深い関わりを持ち、外部的世界によって揺るがない

集中的瞑想

介助対象あり

a 外部対象への集中

  ある対象へ凝視を続ける  マントラ 経典 曼荼羅

  意味は剥ぎ取られ、色や形だけが映るようになる  

  カテゴリー化、識別化といった能力が取り払われる

 

 

b 内部対象への集中

  身体の微細なエネルギーの流れや、カミのイメージにスポットライト。

 

 

c 種ニミッタnimittaを認識する技術

  知覚属性の情報が集束したもの

 

 

d 精神を停止させる  知覚の統合

   認識プロセスをするマインドを停止させ、揺らぎが止まるまで続ける

  これがサマーディと呼ばれる新たな微細な感覚の扉

  知覚の底にある「光の流れ」を開いた

 

介助対象なし

a 光の流れをすばやくつかむ

  新たな意識である光の流れを掴み取る練習

  知覚のベースになっていた自己が次第に崩れ去っていく

  もはや「私」はなく代理の自己が残されているだけ

 

 

b 光の流れの観察  過ぎゆくままにまかせる

  「私」を作り上げていた「活動」が光の流れを認識するのを妨げる

  活動を「過ぎゆくままにまかせる」訓練をする

  光の流れは新しい仕方でそれ自身を現す

 

 

c 光の流れのバランスをとる

  見方を変えることによって、現象も変わる

  見方の切り替えによってバランスを取らなくてはならない

洞察的瞑想

一般的瞑想

光の詳細分析

a 視点を繰り上げる

  サマーディに影響を与えている偏見が是正されていく

  実体はない 相互に依存している 不変

 

 

b 技術  サマーディの変容

  サマーディをマインド?に戻す技術

  思考や感情にスポットライトを当てながら生起消滅する過程に気づく

 

 

c 現れては過ぎゆくサマーディ

  存在の生起と消滅の過程を目の当たりにして、これを宇宙にも適応する

  瞑想者と精神と宇宙の相互のつながりを知るに至る

  現象は個別の因果関係によってではなく、相互作用の網の目の中で生起消滅

 

究極瞑想

サマーディ保持

a 通常の知覚と究極的意識の相互関連性

  差異は相互関係性によってはじめて姿を現してくる

  モノの根底に隠されている相互活動と認識をつなげることを学ぶ

  サマーディの誘惑に溺れないで瞑想を続ける練習

  一つの世界(相互作用)が光の流れに変化を与えていることを知る

  これが意識に変化を生み出していることを知る

あらゆるものは因果関係・カルマの法則の中にいることを知る

カルマを断ち切ることも知る

 

 

b 究極的意識の相互関連性と悟りとの関係

  観察するものと観察されるものが不可分の状態である

  観察の目は観察することとそれ自身へと向けられる

  対象はありのままの姿を顕す

  妨害するのは期待、疑い、判断、カテゴリー化する思考、微細な精神活動

  悟りのはじまり  あらゆる現象や活動がなくなっていく「停止」

  残されたものは「無」

  不可分の観察者と現象によって生起していた状態は

変化した観察の目によって、永久にはっきりと分離される

何ものにも干渉を受けなくなったあるがままの状態が姿を現してくる

カルマは生じない 永久に揺らぐことのない変容、悟りの成就

瞑想者は宇宙との相互連関のなかにあり、干渉されない深い平穏と不動

 

 

c 回顧

  悟りの観点が失われることによって起こる認識の歪みを根絶していく

  日常生活の中で悟りをいかに安定させていくかを学び続ける

 

 

 

 

第六章 瞑想に危険はないのか?   副作用と落とし穴

 

準備期瞑想

1思考・感情の氾濫

内的意識に現れる強烈な衝撃、幻覚、大きな感情の揺れに引き込まれる瞑想者は瞑想を維持できなくなる。

妄想的思考、絶え間ない不安、頭痛や消化器系の不調などの身心的症状の現れ

2抑圧の解除

不快な体験や身体の痛みの浮上

精神病を体験した人の症状の再発

3現実からの疎隔

長期瞑想から日常生活に戻る時に、思考プロセスがとまり決断ができない状態になる。

自己、身体、環境に対する現実感の喪失を特徴とする離人症と類似している。

4魂の暗夜  ファン・デ・ラ・クルス1542-91

生の全てが意味を失い、苦悩や絶望や抑うつ感にさいなまれる。

自殺に追い込まれるものではない。

5スピリチュアル・アディクション

スピリチャリティへの強い欲求には、本質的に自己の責任の放棄という要素が含まれているために、外的対象に依存しがちになり、中毒に至る傾向が常に強く潜在している。

現実の社会生活からの逃避や魔術的な解決を求める傾向

6信心のはらむ罠

自分たちの信念こそが真実に近づく唯一の正しい道だと主張し、他の集団を排斥する傾向を強く持つ

特殊なプライドを持ってしまって自分を特別な人間だと思いこむ傾向

スピリチャリティは弱い自我が自己評価を高めるために用いる道具になる。

罪の意識や恐怖から実践された場合、罪から逃れるための形式的な儀式になってしまう。

 

集中的瞑想

1感情の激発

長期のリトリートにおいてはよく見られる。

身体の一部が突然に動き出す、急に脊髄が燃えるように感じる、身体の強烈な痛み、色の光に襲われる、喜悦を伴う体の震えなどが数日間から数年間にわたって持続する。

このような場合は、あわてることなく、エネルギーの発現に尊敬を持って接しながら、その体験に執着せずに正しい瞑想を続けることが重要とされる。

また瞑想をいったん離れ、適度な運動や、マッサージや、大地に触れる身体作業に精を出したりすることが推奨される。

クンダリーニの覚醒に相当するものだと考えられる。

 

2知覚の変容

瞑想者体験に不安を抱いて恐れて抵抗するたびに体験のなかに引き込まれてつかまってしまう。

 

3シュード・ニルヴァーナ 偽涅槃

強烈な幸福感

 

4禅病

白隠禅師「夜船閑話」

内観の法   大量の酸素の導入が可能な 丹田呼吸法  

軟酥の法   頭上のバターが溶け落ちることをイメージするヴィパッサナー瞑想

トランスパーソナルのケン・ウィルバーが発達論的精神病理論でFulkrum8として説明している。

統合・同一化の失敗が引き起こしたのが禅病であり、詳細は、微細レベルの構造が浮上しても、それを自己に統合できないまま解離している状態で、二元論的認識として対象として眼の前に現れることになる。

元型の断片が幻覚として出現し、これを不快と条件付けると嫌悪となる。

臨済宗の公案とは、非論理的な質問が師によって与えられ、その答えを探し出すという修行法である。

論理的思考を行き詰まらせて停止させることによって、微細レベルのの意識モードの浮上を促進させる。

ウィルバーの提唱する自己実現レベルを完全に通過せずとも霊的レベルに至る成長の過程が存在するのではないか?

 

 

洞察的瞑想

スピリチュアル・エマージェンシー

ホトロピック・ブレスワーク       グロフ夫妻

 

1シャーマン的危機

シャーマンの旅  シャーマンが病気の治療やその共同体への奉仕として行う儀式の中で行う、変性意識状態のことで、さまざまな悪魔や霊たちと出会い、試練をくぐり抜けながら死と再生を体験し、洞察と力を携えて、再び共同体の人々の前に戻ってくる。

 

2クンダリニーの覚醒

エクスタシー的感覚や恐怖を伴った肉体的、精神的、霊的体験に次々と襲われ、日常生活に支障をきたす。

 

3合一意識(統一意識)のエピソード

エイブラハム・マズローの至高体験Peak Experience

カミとの融合による永遠性の感覚や深々とした精神の落ち着き、強烈な喜び

 

4刷新プロセス renewal process

ジョン・ペリーは実験で破壊や死のイメージを与えるとやがてそれは終息し、続いて復活のイメージが現れることを観察した。

 

5憑依状態

体験した本人に大きな治療的効果をもたらすことがある。

 

6サイキック・オープニング

体外離脱体験

チャネリングなどの霊媒的行為

テレパシーや予知能力

 

 

 

瞑想の弊害 神経障害や筋肉痙攣

気づきがすすめば、瞑想以外の日常生活でも自分のピクピクした動きにきづくようになることがあります。

そこに気づきをいれれば、日常の状況でもそういったピクピクがでてくることになるでしょう。

どうも、気づきの対象の「固有振動数」というものがあるようで、かつて心拍に気づきをいれて不整脈みたいになる人もいます。

 

マハーシのやり方の本にも瞑想の経験が書かれています。ですから心配することはありませんし、また気づいている以外に何かできることがあるわけでもありません。元々そういうモノであることに気づいたに過ぎないわけですから。

 

そういう意味では瞑想は進んではいるのでしょうが、気持ちのよさに囚われているとなかなかそこから抜けにくいかもしれません。集中力が上がってお腹の動きに止まれるようになれば、その「固有振動数」は少ないですので自然にピクピクは減ってくるでしょう。

瞑想中にしばしば起きる現象で「何も不思議はありません。」

こういう意識しない運動は錘体路(大脳皮質から延髄を通る随意運動を支配する神経の主要経路)を抜きにして起きるので「錘体外路系運動」と呼ばれます。

これは手や身体が自然に動き出し、リラックスすることにより意識の抑圧が除かれ無意識層(タオでいう不識神)が目覚め、それが肉体の中枢に刺激を与えて身体を動かすわけです。

それは心の奥底からの催しによって起きるものです。

 

動き方は人それぞれですが長年の間に積み重ねられてきたその人のもつ精神的、肉体的な不自然な癖による歪みを修正して自然に戻そうという運動のケースもあります。

私たちは眠っている間にも盛んに体を動かして寝返りをうちこの運動をしています。

 

その日の体の歪みを取っているわけです。

悪いものを摂取したりするとすぐ吐き気や下痢を催す精巧な体にもしてくれます。

またこの動きは比較的浅い境地から起き始め2~3分すると動きを止めまた動き始めるという段階を踏むことが多いようです。

そのたびに境地が深まっていきますが意識を介入させればいつでも止めることができます。

 

自律性解放現象は、瞑想や自律訓練法などをある程度行っていると起こる反応で、自律神経の歪みを正し、交感神経と副交感神経のバランスを整え、精神的、肉体的に悪いものをデトックスし心身共に綺麗にしようとする現象です。

作用があれば必ず反作用があるので、 筋トレの筋肉痛みたいな普通の反応です。

 

 

自律性解放現象の症状

・今まで忘れていたような嫌な思い出やトラウマ、身体の痛みが出て来る

・身体の部分的な痙攣

・不安感、不快感、悪心、胸焼け感を感じる

・離人感を感じる

・身体のだるさ、無気力感

 

自律訓練法や瞑想をしている間、自分でも驚くような昔の忘れていた出来事を思い出すこともあります。

たとえば、自律訓練法を始めて身体の痛みを感じることもあります。

身体の部分的な痙攣に関しては他の症状と比べると実害はないケースもあります。

 

瞑想や自律訓練法により、不安感、不快感、悪心、胸焼け感、離人感、身体のだるさ、無気力感が日常生活に支障が出るレベル人もいますので、重篤な精神疾患の場合は慎重な注意が必要となります。

 

「瞑想が鬱病や精神疾患の引き金になる」というメカニズムを今度、考えてみたいと思います。

瞑想をするまでは、自動反応回路によって行動していたので、とくに動機を必要としていなかったが、瞑想することで回路に操作されるのではなく、主体的に行動する動機を必要するようになったが、それがみつからないので鬱になりやすくなるということなのだろうか?

 

 

自律性解放現象を軽減する方法

食生活を整え、規則正しい生活を送る

出来ることならこれが一番です。

仕事の関係などでこれが難しい場合は…

次の2つを試してみて下さい。

 

水をたくさん飲む 目安として1日に2L3Lほどです。

自律性解放現象というのは自律神経の歪みを正し、交感神経と副交感神経のバランスを整えるために起こるものです。

ならば、自律神経の歪を正すことを促進するためにはどうしたらいいかと考えた結果、体内の循環を良くすればいいのではないかと思い至ったのです。

そういう意味では先に上げた、食生活を整え、規則正しい生活を送るのが一番だと思いますが、仕事柄なかなか難しく色々模索した中で特に効果があったのが水をたくさん飲むというものです。

 

次が、地に足をつけ現実を生きるグラウンディングです。

地に足がついていないとふわふわと夢や理想を語り、それを実現するための努力はしない習慣をつくりだします。

グラウンディングをすることで、自律神経の歪み、過去の悔恨を克服し、現実的に向き合う覚悟を持つことが出来ます。

自律性解放現象というのは次の段階へ進むために必要なものでもあるので、少しずつでも時間を掛けて克服していって下さい

 

 

瞑想の弊害・危険性

瞑想のもたらす心理学的作用が報告されるようになり、健康管理、心理治療、教育などの分野に応用されるようになったが、研究が進み、その弊害も報告されるようになった。

安藤治は、臨床場面で安易に瞑想を適用ないし「処方」することが孕む大きな危険性を直接的に示すものであり、非常に重要な臨床的報告であると述べている。

弊害としては、時折起こるめまい、現実との疎外感、それまでになじみのなかった思考とイメージと感情などが引き出され、それらに敏感になることによってもたらされる苦痛(妄想的な思考にとらわれる、不安に付きまとわれる頭痛、消化器系の不調など)、また、不安、退屈、憂鬱感、不快感、落ち着きのなさの増大などが報告されている。

それまで保たれてきた防衛のメカニズムが瞑想によって崩され、普段は意識にのぼってこない幼児期の体験や不快な体験の記憶、身体の痛みが浮上することがよくある。

またかつて精神病を体験した人の場合、その原因の記憶が浮かび上がることによって症状が再発する可能性があり、心理学的な知識のない瞑想指導者がさらに集中的な瞑想をするようにすすめ、症状が一層悪化する可能性もある。

心理学的知識のない指導者・熟練していない指導者の指導を受ける場合には大きな危険性がある。

本人が受け止められない記憶の場合はそこから回避するために、記憶の喪失、逃避、逃げ道を作ることを原因とする多重人格の創出、分け続けることにより分裂症、氣エネルギーが頭部に保留することによる神経衰弱など色々なケースがある。

 

長期のリトリート(集中合宿)の場合、瞑想体験が進化し内面への意識の集中が深まり、日常生活から意識が遠ざけられることになるが、そこから日常生活に戻る際に障害がみられることがある。

その症状は精神医学で離人症と呼ばれる症状に酷似しており、長期瞑想者のほとんどがこの離人症を体験しているともいわれ、実際に精神科を受診せざるをえなくなったケースもある。

 

臨床的見地から、瞑想は精神病や境界例、慢性のうつ病、片頭痛やレイノー病などには安易に適用すべきではないことを示す研究もある。

これらの研究は、少なくとも瞑想には不向きな人がいること、瞑想を治療として処方することは安易にはできないこと、様々な瞑想伝統が示すように瞑想には十分な準備が必要である可能性などを研究者たちに示した。

 

瞑想修行においては、生のすべてが意味を失い、深い苦痛や絶望、重苦しい抑うつ感にさいなまれる「魂の暗夜」という状態がある。(通常のうつ病的状態とは異なり、決して自殺に追い込まれることはないという)

スピリチュアリティへの強い欲求や志は、本質的に自己の責任の放棄という要素があるため、外的対象に依存しがちになり、スピリチュアル・アディクション(中毒)に陥る可能性が常に強くある。

特に現実逃避の傾向のある人が瞑想などのスピリチュアルな実践を行う場合、安易に中毒が起きやすく、また抜け出しにくい。

自己がしっかりと確立される前の人が行う場合も、現実逃避の温床になりやすく、スピリチュアル・アディクションを招きかねない。

 

瞑想修行がすすみ、集中的瞑想の段階に入ると、通常では体験しないさまざまな心的要素が次々現れる。

多くの瞑想伝統では、悟りに至る過程の一現象であり、「副作用」に過ぎないものとされるが、瞑想者に非常に大きな衝撃を与える体験であり、道を踏み外したり病理的な事態に陥るといったことが知られている。

欧米ではまだこの段階に達している瞑想者は少ないため、研究にも混乱が見られるが、感情的・身体的エネルギーの激発(体の一部が突然動く、急に脊髄が燃えるように感じられて体中が熱くなる、身体各部に強烈な痛みを感じる、身体各部の緊張が急に解き放たれる、様々な色の光に襲われる、強いエクスタシーを伴って身体全体が震える、複雑で劇的な身体の動きが数日〜数年続く、など)があり、ヒンドゥー教で「クンダリニーの覚醒」と言われる状態と思われる。

また瞑想集中期には、身体が大きくなったように感じたり重く感じる、また体外離脱や幻聴などの知覚の変容、急に強い絶望感、喜び、深い悲しみ、恐怖に襲われるといったこともある。

感情が大きく揺れて制御できなくなる、過去世のようなヴィジョン、見たことのない情景が現れるなど、古代的・元型的イメージが浮かび上がり、これに伴う強烈な光や色に圧倒されて、精神のコントロールができなくなることさえあるという。

瞑想熟練者によるきめ細やかな指導がない場合、病理的な状態に陥る可能性もある。指導を無視したり正しい瞑想法を行わずに、完全に精神病的状態になり、薬物治療が必要になったケースも知られている。

 

集中的瞑想が深まると、すばらしい喜び、至福の感情、魅惑的な恍惚感、強烈な解放感が湧き上がることがあり、これを瞑想の最終的ゴールと間違えることが多い。

シュード・ニルヴァーナ(偽涅槃)と呼ばれており、強烈な幸福感を呼び覚ますため、一度体験するとそれにしがみついて手放そうとしなくなったり、悟りの境地に達したと感じて有頂天になることがあるという。

多くの瞑想伝統には、こうした体験を評価する洗練されたシステムがあり、シュード・ニルヴァーナには距離を持って接するよう指導される。

 

また日本の禅にも、修行の途中で様々な精神的・身体的不調をきたす状態が修行者たちに知られ、「禅病」と呼ばれてきたが、詳細な記録は少ない。江戸時代の名僧白隠は、若い時に過酷な修行で禅病に悩まされ、経緯や症状、その克服法「内観の法」「軟酥の法」を『夜船閑話』に書き残している

 

 

瞑想は、日常の意識をいったん封鎖し新たな情報を入らなくなるので、過去の記憶や過去の体験により作り上げた自動反応回路が表層意識に浮上し、それが意識の中でリピートされて占領してしまうことがある。

瞑想を長期にわたり続ける場合は、4日目ぐらいから非日常的な意識に入って行くが、人によっては自分が心の中に抑圧していたものにいきなり直面して怖れを体感する場合もある。

その場合は、心を安定させる心構えや体操や呼吸法を常に保持することで、突発的な恐れや不安が起きないように準備して、自動反応回路の強度や頻度を弱体化させる。