森田治療法
森田療法は内観療法と共に日本で開発された精神療法です。一番の特徴は「治そうとすると治らない神経症」に対する、受け入れ療法です。
一人で行える精神療法です。
森田療法には「心理療法士」は居りません。一人で治す精神療法と言われています。そうは言っても最初から一人ではできませんから、何らかの方法でやり方を習得しなくてはなりません。症状の酷い人は入院して森田療法を指導して貰うことはできます最も一般的なお勧めは精神科医に掛る事だと思います。森田療法を実施する医師に指導して貰いながら実践すると良いと思います。医師の指導の元で確かな森田療法を行う事が早い治癒に至る事になると思います。
対応症状 下記のような神経症に対してとても有効とされています。
(1)対人障害
(2)パニック障害
(3)強迫神経症。
(4)心気性神経症
神経症の大半は、従来の「コントロールモデル(普通に治そうとする方法)の治療法では「非常に治り難い」ので、認知行動療法でも「受容」して治そうとする新しい方法が開発されています。
(5)適応障害
社会に出て様々なストレスにさらされて、多様な体と心の不調に悩む症状を「適応障害」として表現しています。
森田療法は現在の境遇や過去を問いません。
森田療法はあなたの考え方や生い立ちを分析的に解説して是正するやり方では有りません。
今のあなたのままで森田療法を始める事ができます。
又、当初は森田療法に疑問を持ったままでも結構です。
問題点
1.「受け入れて治す」事はどういう事なのか。それが難しい理由、又その時の治った状態とはどうなるのか?これらについて、はじめての人に理解して貰えるような具体的な説明が上手くできていない。
2、難しい言葉を使用しているケースが結構多く、分かり難い。又、「あるがまま」のように言葉の意味はやさしいのに、どのように理解すればよいのか難しいと言うような言い回しも多くあります。これらは多分、悩んでいる人にどのように役立てて貰えるのかの分かりやすい記述が不足しているためとも考えています。
3.森田療法は良く体得するのものです。と言われます。しかし、理論からこの体得の間が空白でただ「症状を持ちながら目の前の事をしなさい」と強調はしますが、(これも一つの方法では有ると思いますが)その他の心理学的な知見に基づく方法等により、体得への道程を具体的に示すことができないでいます。
4.森田療法は人間の再教育です。と言う場合もままあちこちの記述で見られます。これに良く似た表現は時々出てきます。これは間違いではないのですが、症状があることを人間として傷があるような意味合いにも受け取れ、純粋な精神療法とは異なる印象を与えるような気がします。
5.療法が上手くやれているかどうか、図る目安がないので、上手く治らないような場合にどのように軌道修正すれば良いのか、分かり難い。
森田療法
1919年(大正8年)に森田正馬により創始された神経質に対する精神療法。神経質は神経衰弱、神経症、不安障害と重なる部分が大きい。また近年はうつ病などの疾患に対して適用されることもある。
なお森田正馬は薬を使わなかったが、現代では薬を併用することが多い。さらに元来入院が基本だったが、最近では通院が中心になりつつある。そのため重度や長期の人は入院、軽度で短期の人は通院が基本になっている。
またそれ以外に自助グループ「生活の発見会」や会員制掲示板「体験フォーラム」などの利用方法もある。なお日本国内だけでなく、海外でも中国を中心に活動が展開されている。
森田学説
森田正馬は、病(神経質)=素質(ヒポコンドリー性基調)×機会×病因(精神交互作用)と考えた。その後の慈恵医大の治療者は、森田神経質の発症機制=素質(神経質性格)×病因(精神交互作用)×病因(思想の矛盾)と表現している。
ヒポコンドリー性基調:いたずらに病苦を気にする精神的基調のこと。
神経質性格:弱力性(内向性・心配性・過敏症・心気症・受動的 )と強力性(完全欲・優越欲求・自尊欲求・健康欲求・支配欲求)を合わせ持つ性格。
精神交互作用:ある「感覚」に対する「注意」が強くなるとその「感覚」が強くなり、「感覚」が強くなるとさらにまた「注意」が強くなること。注意と感覚の悪循環。
思想の矛盾:理想の自分と現実の自分のギャップ。かくあるべしと思う「考え」とそうではない「事実」がある場合に考えを事実よりも優先すること。
生の欲望:向上・発展しようとする欲望。
あるがまま
森田療法では「あるがまま」という言葉が使われることが多い。
森田正馬はその著書で『治療の主眼については、言語では、いろいろと言い現わし方もあるけれども、詮じつめれば「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない」とかいうことになる。』と述べている。また同じ著書では『ことさらに、そのままになろうとか、心頭滅却しようとかすれば、それはすでにそのままでもなく、心頭滅却でもない。』『当然とも、不当然とも、また思い捨てるとも、捨てぬとも、何とも思わないからである。そのままである。あるがままである。』とも述べている。
さらに晩年は、『理屈をいってもわからないから、ただ働きさえすればよい』『暑さでも対人恐怖でも、皆受け入れるとか任せるとかあるがままとかいったら、その一言で苦しくなる。』『強迫観念の本を読んで、「あるがまま」とか、「なりきる」とかいう事を、なるほどと理解し承認すればよいけれども、一度自分が「あるがまま」になろうとしては、それは「求めんとすれば得られず」で、既に「あるがまま」ではない。』などともいっている。
なお森田療法で使われる「あるがまま」という言葉は「治療過程」と「治療目標」の2つの意味で用いられ、一般的な意味とは少し異なり「症状受容」と「生の欲望の発揮」の2つの側面があると考えられている。また北西憲二は「あるがまま」という言葉がさまざまに解釈され、理解の混乱を招いてきたことを指摘している。さらに鈴木知準のように、「あるがまま」という言葉は使わない方が良いと考えている人もいた。また立松一徳のように、とらわれの強い患者に「あるがまま」という言葉を使うのは禁忌で、『不安をあるがままには受けいれられない方が健全』と考える人もいる。
治療方法
入院
第一期 - 絶対臥褥(がじょく)期:患者を個室に隔離し、食事・洗面・トイレ以外の活動をさせずに布団で寝ているようにする。
第二期 - 軽作業期:外界に触れさせ軽作業をさせたりする。なおこの時期から主治医との「個人面談」と「日記指導」も行う。
第三期 - 作業期:睡眠時間以外はほとんど何かの活動をしているという生活にする。なお現代では適時休憩をとるように指導するところもある。
第四期 - 社会生活準備期:日常生活に戻れるよう社会生活の準備に当てられる。
上記の課程を40日〜3ヶ月程度行う。
通院
「個人面談」が中心だが「日記指導」を併用することもある。なお入院までの準備期間や退院後のアフターケアとして行われることもある。また並行して「生活の発見会」や「体験フォーラム」を利用することもある。
その他
生活の発見会 - 森田療法を相互に学習する自助グループ。
体験フォーラム - (財)メンタルヘルス岡本記念財団のホームページにあり、不安障害などに悩む人達のコミュニケーションの場。
全治と悟り
森田正馬は神経質が「全治」した状態に対して「悟り」という言葉を用いており、その体験者として釈迦や白隠の名前を挙げている。
また鈴木知準は神経質の「全治」と禅の「悟り」は同じ心理状態と考えており、宇佐玄雄は近い状態と考えていた。ただし森田正馬自身は神経質の「全治」と禅の「悟り」は全く違うと述べている。さらに宇佐晋一のように、神経質の「全治」は不安がありながらも働いている姿で瞬間、瞬間にしかなく、あるがままを「悟り」と考える人もいる。
なお北西憲二のように、神経質の「全治」と「悟り」は無関係と考える人もいる。また大原健士郎のように、神経質の「全治」と仏教の「悟り」は似て非なるものであり、治療者は森田療法を体験すると「悟り」を得られるなどという、おごった気持ちになるべきでないと考える人もいた。
治療結果
「全治」に到るまでの期間は数十日から数年と個人差がある。なお治療結果で「全治」や「軽快」の率がかなり高いが、「全治」や「軽快」の定義がさまざまであるため注意が必要。また「治療結果がどのような方法で得られたものであるか」にも注意が必要。なお森田正馬は薬を使わなかったが、現代では薬を併用することが多い。しかし治療結果が「森田療法単独」のものか「森田療法+薬物療法」のものかを明記していないものがあるので注意が必要。
くさみ
森田療法で治った人の中には、専門家ではないのに自ら指導的立場に立ったり、禅や森田正馬の言葉をふんだんに引用したり、治ったことを自慢する者の存在が指摘されている。このような「くさみ」のある治癒者は、森田療法特有の現象ではないかと考えられている。
また岡本重慶は「症状へのとらわれ」が「森田療法へのとらわれ」に変化することがあると指摘している。一つ目のタイプは「狭義の森田療法へのとらわれ」であり、何十年森田療法をやっても駄目であるのに、いつまでも森田療法をやり続けることなどである。また二つ目のタイプは「広義の森田療法へのとらわれ」であり、客観的に治ってないのに自分は全治したと主観的な錯誤にとらわれることである。このような人は症状へのとらわれを放棄するだけでなく自己内省も放棄して、人間的成長がなく自分は全治したという勝ち誇ったような驕りにとらわれている擬似的な治癒像で、森田療法で治癒した人によくある特徴(くさみ)として、かなり古くから指摘されていた。
その他
森田正馬は自身の療法を「神経質療法」「神経質の特殊療法」「自覚療法」「自然療法」「体験療法」「体得療法」「訓練療法」「鍛錬療法」などと呼んでいた。また森田正馬は「神経質」を「病」「病的気質や変質者(現在のパーソナリティ障害)」「病ではない」などと表現していた。さらに森田正馬は「治療」と言わず「修養」「教育」「訓練」「しつけ」などの言葉をよく使っていた。
なお森田正馬は患者に対して、医者には「治らない」とは言い難いから、「大分良くなった」と言えばいいと述べており、医者に「少しも良くならない」と言う患者は、医者に愛想をつかされると述べている。また森田正馬の側近患者であった井上氏や山野井氏は、森田正馬の前では「治らない」と言い難かったと述べており、山野井氏は「治らない」と森田正馬に言って、よく叱られたと述べている。
なお岩田真理は森田正馬が使う言葉の多義性や曖昧さを指摘しており、例として「ものそのものになる」「恐怖突入」「あるがまま」「自然服従」という言葉が同じ意味で使われている場合があると述べている。また「なすべきをなす」ことがかえって悩みを深くする可能性を指摘しており、この言葉は恐怖で動けない人がそのまま実生活に取り組むための言葉であり、教条的でどんな状況でもやるべきことをやらなければならない、という押しつけの意味ではないと述べている。
なお立松一徳は「目的本位に」「なすべきことをなせ」「恐怖突入」という言葉を治療中に使うことは禁忌で、これらの言葉が患者の治療抵抗を強化したり副作用の原因になる可能性を指摘している。また以前日本森田療法学会には、神経症を克服した体験を持つ者しか治療を理解できない、などのやや狂信的な考えを持つ者によって議論が困難になる場合あり、このような学会内の神経症的態度を克服できず自閉的な体質があったと指摘している。しかし最近はさまざまな分野の若い専門家の参加により、学会の雰囲気はかなり変化していると述べている。
また森田療法では患者が治らなかった時、原因が患者側にあると考える場合があり、田代信維のように森田療法で治らなかった場合は、明らかに患者の理解と実行の不完全さが原因と考える専門家もいる。なお治療効果を得るには患者自身の「治したい」という意思が重要であり、このような心構えがないと治療の過程で脱落しやすい。他の療法と比べると厳しく感じられたり、「生き方」や「人生観」に関わってくる治療法であるため、一部の患者には敬遠される場合もある。