仙骨後頭骨調整法
「SOT調整法(仙骨後頭骨調整法)」を採用しています。安全・無痛な全身治療法であり、年間1億8000万人がカイロプラクティックをうける本場アメリカで、幅広い症状に効果が認められています。
骨盤の中心である仙骨と、頭蓋骨のかなめである後頭骨の、位置と動きを調整することで、ボキボキしないで、安全に背骨全体を矯正します。脳と神経の栄養循環が良くなり、自然治癒力が高まります。健康体への近道といえる治療法です。
SOT調整法は、1979年にデジャネット博士によって完成された、画期的な全身治療システムです。身体の「ゆがみのパターン」と、緊張のパターン、そして、筋肉や関節、神経や自律神経・内臓の状態の、相互の関連性を理論的に体系付け、独自の施術方法によって、身体全体のバランス・調和を取り戻します。ボキボキせず、痛みがなく、安全で、患者さんに無理をかけません。
今日、SOT調整法は、数多くの臨床応用と研究によって、幅広い症状に適用できること、きわめて安全で、しかも高い効果が期待できることが実証されています。 しばカイロプラクティックは、このSOT調整法(仙骨後頭骨調整法)を採用しています。
SOT調整法の施術の流れ
「ゆがみのパターン」を調べる
SOT調整法では、症状の原因となっている身体の「ゆがみのパターン」を、筋反射テストやその他の検査を使って調べていきます。
写真は、実際に、筋肉の反射テストを行っている様子です。機械を使ったり、痛みを伴ったりする検査はありません。
ブロックによる骨盤と背骨の調整
「ゆがみのパターン」が明らかになりますと、まずは、その内容を患者さんにご説明します。説明を聞いて、忘れていた身体の症状を思い出したり、気がつかれる方も多いです。
次に、「ゆがみのパターン」に応じて、骨盤や背骨、そして頭蓋骨をソフトに調整していきます。特別な機械は使いません。三角ブロックと手を使った、優しい調整です。
写真は、デジャネット博士の発見した法則に従って、判明した「ゆがみのパターン」に対応する三角ブロックを骨盤の下に配置し、骨盤と背骨を調整している様子です。
患者さんは、静かに寝ているだけで良く、身体に無理がかかりません。ソフトで安全、そして無痛です。
骨盤模型による矯正のイメージです。骨盤だけでなく、呼吸と反射によって、背骨全体も整っていきます。
ゆがみのパターンや、患者さんの体型に対応して、様々なブロック配置を使い分けます。
「ゆがみのパターン」の変化と症状の改善
SOT調整法では、施術のたびに、毎回「ゆがみのパターン」の検査をします。回復するにつれて、患者さんの身体の「ゆがみのパターン」は変化していくため、効果的で、無駄のない治療を進めるために検査が必要なのです。
一回、あるいは数回の施術で自覚症状が軽くなる場合が多いのですが、カイロの検査をしてみると、まだ身体のゆがみが解消されていないことがあります。
その場合は、身体が楽になったからと言って油断せず、続けて通院し、新しい身体のバランスを定着させ、良い体調を長続きさせることをお勧めします。ただし、強制は決していたしません。
あたらしい「ゆがみのない(小さい)パターン」が定着すると、今回の治療は完了です。後は、定期的にメンテナンスに来院され、症状の改善を長続きさせ、また、新しい症状が軽いうちに改善してしまうことをお勧めします。
SOT調整法では6回を1サイクルとして施術成果を評価し、無駄の無い治療計画を立て、身体の変化を定着させて行きます。
また、改善しないのにダラダラ通っていただくことはしません。カイロが害になることはほとんど無いのですが、まずは内科・外科などの医院にかかっていただいた方がよい場合もあるからです。
腰痛、坐骨神経痛、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症の激しい痛みのある方、手術を勧められている方
ボキボキするカイロプラクティック、整体は、激しい症状、特に、ヘルニアや狭窄症には大変危険です。
ボキボキしない、安全で優しいカイロ(SOT調整法)で、注射や手術無しに痛みが消え、薬やブロック注射が必要なくなったり、腰のヘルニアが小さくなったり、消えてしまったりした例がたくさんあります。ご相談ください。
特設ページ「椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、坐骨神経痛の施術について」も、ご覧ください。
頑固なコリや慢性の痛みでお悩みの方
カイロプラクティックで、痛みやコリの原因となっている、身体のゆがみを取り去り、コリの親玉「トリガーポイント」をやっつけて、シップのいらない身体を取り戻しましょう。姿勢や身体の使い方に問題のある方も多いので、そのこともご指導します。
「効果が期待できる症状」、「腰痛の施術について」も、ご覧ください。
胃腸の不調(便秘や下痢、胃弱、胸やけ)、めまいや冷え性、不眠や動悸、などでお悩みの方
胃腸の不調、自律神経失調症に悩まれている方、カイロプラクティックで自律神経のバランスを取り戻し、冷えを取り、身体の循環を良くして、元気で軽やかな身体を取り戻しましょう。自宅でできる簡単な体操も合わせて取り組んでいただくと、思いのほか早く回復される方が多いです。
特設ページ「胃腸の不調、自律神経失調の施術について」も、ご覧ください。
変形性膝関節症でひざが痛い方、リウマチで手足の痛みが厳しい方
変形性関節症、リウマチでお悩みの方、ボキボキしない優しいカイロプラクティック(SOT調整法)で、身体の緊張を取り、関節をゆるめると、症状が和らぐことがとても多いです。しばカイロプラクティックの安全な施術(SOT調整法)を、ぜひお試しください。
特設ページ「変形性関節症・ヘルニアの痛みの原因と施術について」も、ご覧ください。
改善の例(西東京市 Kさん、57歳 女性)
初回来院時、施術前
Kさん:「立っているだけでつらい。腕が上げられない。腰が痛い。このような状態が数年来続いている。左足が短い気がする。 160センチあった身長が149センチしかない。」
(姿勢分析器の一番上の水平基準線が150センチの高さです。)
カイロプラクティックの検査後、三角ブロックを使って、骨盤と背骨の矯正を行いました。
来院2回目、ブロック矯正後
Kさん:「鏡を見ると、背骨がまっすぐになってきたのはわかるが、不自然な姿勢をしているように感じる。無理矢理まっすぐになっているような感じがある。」
背骨が、ほぼ正中線上に戻ってきた。骨盤がしまってきている。Kさん自身、「ズボンが緩くなってきた」と驚かれていました。
2回目の三角ブロックでの調整の後、腰や股関節、足を中心に、筋肉が強く固まっているために、カイロプラクティックで筋肉の長さや堅さを調整し関節の動きを良くし、バランスをとりました。
来院3回目、三角ブロックでの調整と、筋肉バランスの調整後
Kさん:「骨盤にまっすぐ背骨が乗っている感じがある。自然で嘘のように楽。まっすぐ立てるのは本当に久しぶり。治る実感がわいてきた。」
腰や股関節、足の筋肉のバランスが良くなり、背骨と骨盤が正しい位置に戻ってきた。足が長くなり、腰の位置が高くなり、背筋が伸びたので、背が高くなりました(149→158センチ)。元々の身長に近づいてきました。
頭蓋骨のゆがみ
「頭蓋骨はゆがむ」
こう聞くと、多くの方は驚くかもしれません。
何せ、この硬い頭の骨がゆがむというのですから信じられないと思ってもいたしかたありません。
しかし、頭蓋骨がゆがむのは本当です。
ゆがんだ頭蓋骨
それどころか頭蓋骨は動くのです。
うつ病・自律神経失調症に頭蓋骨矯正が必要な理由
頭蓋骨が動くといっても、腕や足のように動くのではなく、小さな不随意的(意識とは関係なく)に動くのです。
しかし、頭蓋骨の動きは小さすぎて目に見えませんから、最初は信じられなくてもいたしかたありません。
多くの方はご存じありませんが、頭蓋骨がきわめて小さな動きをするのは、カイロプラクティックやオステオパシーという手技療法の業界においては世界的に常識な知識です。
もちろん科学的な実験でも証明もされています。
頭蓋骨の動き
頭蓋骨は不随意的に動くとお伝えしましたが、その動き方は簡単にいうとまるで肺が呼吸をするかのように膨らんだり元に戻ったりする動きをするのです。
ちなみに、肺の呼吸は出産後から行われますが、この頭蓋骨の呼吸のような動きは胎児の時から行われております。
そのため頭蓋骨の動きを「第1次呼吸メカニズム(システム)」と呼びます。
(肺の呼吸は第2次呼吸システム)そして、うつ病や自律神経失調症の方のほとんどは頭蓋骨がゆがみ、この第1次呼吸メカニズムの動きが悪くなっています。
頭蓋骨の動きが悪くなっているために、脳の機能が低下して下記のような症状が出ているのです。
不眠症・目の奥が痛い・めまい・耳鳴り・頭痛・頭が重い感じ・のぼせ・ホルモン異常・やる気や意欲が出てこない・集中力がない・決断できない・頭にもやがかかった感じがする・他
当院の頭蓋骨矯正は、この第1次呼吸システムである頭蓋骨動きを元に戻すために行っているので、うつ病や自律神経失調症の方には必須の整体技法になります。
頭蓋骨矯正は、うつ病・自律神経失調症に必須の整体技法です。
通常、頭蓋骨は1分間に10回前後膨らんだり戻ったりしています。
この動きを見分けられるのは専門の訓練をしたものだけですので、一般の方が頭をさわってもおそらくわからないでしょう。
しかし、頭蓋骨の動きは肺呼吸を大きくすることにより同調します。
そのため、頭を触りながら大きく呼吸を行うことで一般の方でも感覚のいい方なら何となく頭蓋骨が膨らんだり元に戻ったりするのが感じられるかもしれません。
また、きつめの帽子や布のバンダナなどをかぶり大きく呼吸をすると、息を吸った時にきつくなる感じが分かる場合もあります。
また余談ですが、帽子や布のバンダナを右回しや左回しに回してみて、行きやすい方向に頭蓋骨のゆがみがあることも感じられることもあるでしょう。
注意:やっていて具合が悪くなったらすぐに中止して下さい。
頭蓋骨はなぜ動かせるのか。なぜ動くのか。
頭蓋骨はなぜ動かせるのかをお伝えします。
実は頭蓋骨は一つの骨ではなく22個の骨が立体パズルのように組み合わさってできています。
ですから、頭蓋骨は風船のように膨らんだりするのではなく、22個のそれぞれの骨が歯車のように絡み合っています。
当院の頭蓋骨矯正では、このロックをはずして頭蓋骨が正常に動くようにしています。
頭蓋骨の動き
こうすることで、うつ病や自律神経失調症の症状を改善させているのです。
頭蓋骨が動いている理由は、脳脊髄液(CSF)を循環させるためです。
脳脊髄液とは、脳と脊髄を包んでいる硬膜という膜の中にある半透明な液体です。
脳と脊髄はこの液体の中に浸っていると思っていただけると分かりやすいと思います。
頭蓋骨は、この脳脊髄液の循環をさせるために動いています。
血液は心臓というポンプの役割をする臓器がありますので留まることなく流れていますが、脳脊髄液の中にある脳と脊髄にはポンプ役をするための臓器がありません。
そのため、何かで循環させなければ、脳脊髄液は古くなり淀んでしまいます。
脳脊髄液が循環されないと脳の機能が低下していきます。
するとうつ病や自律神経失調症に特有な症状が出てくるのです。
そのため、頭蓋骨が膨らんだり元にもどったりして脳脊髄液をポンピングして循環させているのです。
それならばなぜ頭蓋骨は心臓みたいに脈打たないのかというと、それは血液のように激しく循環しないからです。
脳脊髄液はゆっくりと、しかし確実に循環させる必要があるので、第1次呼吸システムである頭蓋骨のゆっくりとした動きが適しているのです。
また、頭蓋骨は硬膜を通じて骨盤の真ん中の骨である仙骨にも付いており、仙骨と頭蓋骨とが共同して動いて脳脊髄液を循環させています。
しかし頭蓋骨がゆがむと頭蓋骨の動きがロックしてしまい、第1次呼吸システムが作用しなくなります。
そのため脳脊髄液の循環がうまく行われなくなってしまうのです。
また、頭蓋骨と仙骨は硬膜でつながっていることから、骨盤(特に仙骨)のゆがみがあることでも脳脊髄液の循環がうまく行われなくなることもあります。
このようなことから、うつ病や自律神経失調症の方には頭蓋骨と骨盤(特に仙骨)の調整は欠かせない施術になっております。
頭蓋骨と骨盤(特に仙骨)の調整は欠かせません。
頭蓋骨のゆがみは、顔やあごにもゆがみが表れていることも多く、左右の顔があまりにも違う場合は頭蓋骨も大きなゆがみを持っている場合が考えられます。
頭蓋骨のゆがみを見分けるポイント
以下は頭蓋骨のゆがみを見分けるポイントですからチェックしてみて下さい。
1.
耳の高さが左右で違う
2.
目の大きさが左右で違う
3.
目の高さが左右で違う
4.
鼻の穴の大きさが左右で違う
5.
顔の真ん中とあごの真ん中がずれている
6.
左右の顔の幅が違う
7.
顔がバナナのように曲がっているように見える
8.
頭を上から見た時に左右で形が違う
頭蓋骨のゆがみ具合をチェックしてみましょう。
この中で3つ以上あてはまれば頭蓋骨のゆがみが存在するでしょう。
しかし頭蓋骨がゆがんでいても、うつ病や自律神経失調症の症状が出ない方もおります。
なぜなら、ゆがんでいても頭蓋骨がきちんと動いていれば、脳脊髄液は循環しているので症状は非常に出にくくなります。
そのため、ゆがんだ顔や頭でも症状が出ない方もいるでしょう。
しかし明らかにゆがんでいる場合、症状に気づいていないだけで実は体がとても悪い状態の方もおりますので、症状がないからといっても注意が必要です。
人間の体は悪くなり過ぎると感覚がマヒしてしまい、症状に気づかなくなります。
このような患者さんが多くいますので、ゆがみがひどい場合にも注意が必要です。
逆に左右で違いがあまり見られなくても、頭蓋骨がロックしてしまっていると脳脊髄液の循環がうまくされませんのでうつ病や自律神経失調症の症状が出ます。
重要なのは頭蓋骨が動いているかなのです。
多くの場合、頭蓋骨がゆがむことで動きがロックしますので症状が出やすくなるのです。
また余談ですが、たまに小顔矯正など美容を謳った頭蓋骨の施術を受け、その後に不快の症状が出てきた方が当院に来院されます。
特に頭痛やめまいなどが出ることは多いです。
頭蓋骨は顔面コツも含めて絶妙のバランスで成り立っていますので、ある部分だけ小さくしようとしても、頭蓋骨の動きがロックしてしまうこともあります。
そのため、小顔矯正で顔は小さくなっても脳脊髄液の循環がうまく行われなくなることもありますから、美容や小顔だけの目的で頭蓋骨(顔面骨を含む)の矯正を安易に行うのは賛成できません。
人間の体で重要なのは「機能」です。
機能を無視した矯正は、体の機能障害を起こしかねませんので注意が必要です。
では引き続き次の「頭蓋骨のゆがみが脳に与える影響」のページで、頭蓋骨のゆがみが脳の機能にあたえる影響とうつ病・自律神経失調症の関係性について詳しく説明していきます。
吐故納新
古いものを捨て、新しいものを取り入れること。▽「吐故」は古いものを吐き出すこと。「納新」は新しいものを入れること。「故ふるきを吐はきて新あたらしき納いる」と訓読する。
吐故納新
出典『荘子』刻意
荘子の刻意篇に登場する、『吐故納新』という言葉。
「吐故」は古いものを吐き出す意で、
「納新」は新しいものを入れる意。
ここでのポイントは、
『吐故』が先だと言うことです。
古いモノを吐ききれば、
自ずと新しいモノが入ってくる。
という意味です。
これは、上手な呼吸法につながります。
呼吸というと、新鮮な空気をしっかりと吸わなくてはいけない。
というイメージもありますが、呼吸は字の順番通り、
〈呼(息を吐く)吸(息を吸う)〉
息を吐くことから始めて、その後、息を吸います。
吐故納新を表す吐ききる腹式呼吸は呼吸の基礎で、
精気をカラダの隅々にまで巡らせる呼吸法です。
鼻でゆっくり息を吐ききりながら、お腹を凹ます。
鼻で息を吸いながら、お腹を膨らます。
目安は、吐く10秒・吸う5秒強。
お腹を凹ませながら、息を吐ききることに集中した後、
お腹の緊張を解けば、勝手にお腹は膨らみ、息を吸うことになります。
吐故納新も呼吸も、以下のことを表しているのかも知れません。
新しいモノを求めるばかりでなく、
始めは、必要ないモノをしっかりと出し切る。
しっかりと出し切った後に、自然と新しいモノが作られる。
この考え方は、色々な場面で使えます。
たちまち老化を止める まさつ「経穴(ツボ)」健康法―内分泌刺激が特効をもたらす中国医学 (SEISHUN SUPER BOOKS) [単行本]
蔡 一藩
以下概略
簡略化しての引用ですので、正確な本文とは異なります。ご了承ください。詳しくは本書を直接お読みください。
P206〜222
初級レベル:吐故納新法(丹田呼吸法)
体内の汚れた空気を残らず吐き出す基本
腹式呼吸で息を吐き出せるだけ吐き出したら、ゆっくり吸うということを繰り返す。
息を吸うときは舌を上顎につけて鼻から吸う。吐くときは舌を下顎につけて口から吐く。中級も同じ。
息を吸っていくとき、呼気を臍の下に集まるようにイメージする。
慣れるまでは手を丹田に当てて行うと集中がしやすい。
いつも無意識のうちにこの呼吸ができるようになり、気が丹田に集まる感覚をマスターしてから、次の呼吸法に進むこと。
この呼吸をマスターすると、健康体を維持できるようになるし、疲れの回復が早くなる。また酸素を十分に吸収できるようになるので、頭痛になりにくくなる。
筆者はこの呼吸をマスターするのに六年もかかった。この呼吸法を完全にマスターするだけでもとても大変なことなのだ。初級をマスターせず中級上級に進んでも、何の効果もないし逆効果にさえなり得るので注意が必要。
中級レベル:吸縮呼張法(逆式腹式呼吸)
気を全身に巡らせて集中力を生み出す
腹をへこませながら限界まで息を吸い、腹をいっぱいに膨らませながら息を吐き出す。腹式呼吸の逆をやればいい。一回三分を一日三回やることで、内臓が強化され、胃弱、便秘、食欲不振など、消化器に関する不調が一掃される。また全身の血行が良くなるので、頭痛、肩こり、背中の張り、疲労、倦怠感が取れ、集中力が格段にアップし過緊張することもなくなる。この呼吸法をマスターすれば以上のような効果がはっきり現れる。この呼吸法はマスターするまでに時間がかかるが、一度覚えると、その効力の素晴らしさに驚くことになる。ある程度まで初級の呼吸法をマスターしてからやらないと何の効果もないので、いきなりこの呼吸法からはじめないこと。
会議の前などの三分間にこの呼吸法をやれば、今までの自分と違った集中力や発想力が生まれる。
上級レベル:内視法
空気によって治癒の力をつくりだす
初級中級をマスターしてから行うこと。
吸縮呼張法を行いながら、精神を統一し、自分の体の隅々まで気が巡っていくのを眺めるつもりで行う方法。最初はイメージだが、そのうち、隅々まで行きわたる気が見えるようになる。気を送りつつ、自分の内部を見渡すことが内視法と呼ばれるゆえん。この内視法で体の隅々まで見渡せるようになれば、当然病のもとも発見できる。気の停滞や血の停滞が手に取るように見える。さらには自在に気を操れるようにある。内視法に習熟すると、人間の体内にある電気的エネルギーを自在に操れるようになるので、自分の病気を治したり、さらには他人にそのエネルギーを注入して病気を治してあげることもできるようになるという。しかし、この境地にまで達するのは至難である。日々の健康法として行うのがよい。
この「ブログ」においても「呼吸法」に関しての「テーマ」
は幾度も解説してまいりましたが、今回は、また違った
角度、すなわち「医学的」側面も踏まえて解説していきます。
「呼吸法」は「理解」し易い「医学的」効果の側面と
「身体、精神」に直結した「氣」の側面、その両面の
「効果」を併せ持っています。「ヨーガ」や「呼吸」に
関して、その「基礎」を「教える教室」や「場所」は、
稀には有るようですが、これらの「両面」の「効果」の
見地からの解説や、「正確」な「動作」を含めた「本格的」
なものを「教える」場所は、まだ皆無のようです。
「内丹法」を初め「太極門」に属する「門派」においては、
「呼吸法」は古くから「吐納法=とのうほう」として、
伝えられてきました。その「あらまし」については過去にも
このブログで書いてきました。「吐納」とは「吐故納新」
《古いものを吐き、新しいものを納める》という意味を持ち
我々「武当派」の使用する「呼吸法」は、通常、皆さんの
想像する「呼吸法」とはかなり違い、他派の「呼吸法」とも
異なります。「古式マスターヨーガ」においても同様ですが、
「基本形」として「息」を「最大限」に扱えるように、
「呼気」「吸気」共に「口」で行ないます。時間を掛けて
「ゆっくり」と行ないますが、
「目一杯」吸って、「目一杯」吐くのが「基本」です。
極初期においては、後程紹介いたします「順腹式呼吸」
「逆腹式呼吸」にとらわれずに、先ずは「沢山の息を
ゆっくりと吸い」「沢山の息を、少しずつ吐く」この事の
「練習」「慣れ」が「一番大切」になります。
外から見ますと、かなり「違和感」がありますので、
一人で「練習」されるのが、よろしいかと思います(笑)
先ずは、「正確」で大きな「しっかり」とした「動作」が
何より大切です。基本の「吐き吸い」を「中途半端」に
身体に馴染ませると、「効果」も「微妙」になり、先々の
「段階」に移った時に、苦労することになりますので、
「本格的」に始められたい方は、「氣塾」の門を叩いて
くださいませ。
では、次回は「呼吸法」の基礎展開を解説いたします。
更に、続けてまいります!!
《お知らせ》 今年も「氣塾」はパワーアップを重ねます!!
★京都「氣塾」新本部、京の山の手「北白川」に建設中!!
(6月完成予定です。)
★京都「氣塾」四条烏丸駅すぐ 新サロン 準備中!!
(5月からのご案内となります。)
★弟子たち主催の東京「トンレン部」盛況につき開催中!!
★神戸「氣塾」が主催する大阪「トンレン部」スタート!!
★東京「個人セッション」の初日に「マスターコース」を
新設いたします!「2段目」以上を対象に、哲学を
初めとした「座学」、実技としての「施術法」「点穴法」
「太極武術」の理論と実践法を学んで頂きます。
「氣塾」のプロ養成コースとなります。(1時間半)
(4月より個人セッションの日程を増やします。平日でも
よろしい方々(月曜日)は、お申し付けください!)
●日拝
太陽に左掌の労宮(ろうきゅう)が直接当たるようにして向け、この部分から太陽エネルギーを吸収する方法である。時間的には、日の出直前の頃の時間が最も良く、この時間帯を狙って行う事が肝腎である。
日の出直前の太陽に向かって直立した儘、大きく五十回深呼吸して、次に「鶴立調伏服気法」を遣って五回これを行う。これを行った後、眼を軽く閉じて、「閉眼鶴立法(へいがんりっかくほう)」で、心の中に太陽をイメージする。これを強くイメージしながら太陽を吾(わ)が躰(からだ)の中に取り込むイメージをする。これを行う事で躰全体が暖かくなり、輝いたような感覚を持つ。これが完了した後、静かに眼を開き、太陽を凝視する。
次に太陽に向かった儘、その場に静坐し左手を太陽に差し向ける。この時の静坐は肛門が地面に接するように座る。
左手の労宮を入り口として左労宮が強力な吸引力を以てそれを吸収しているようなイメージを持つ。
やがて左手から取り込まれた太陽エネルギーは、肘を通り、肩を通り、下に下がって下丹田の太陽神経叢たいようしんけいそう/真丹田)に到達する。太陽神経叢に強力な太陽エネルギーが蓄積されて行くところを想念する。 これを10〜15分程度行う事によって、この部分の意識と感覚がはっきりと自覚され、次に「内視法(ないしほう)」と「返聴法(へんちょうほう)」を行って、更に躰動的(たいどうてき)に意識と感覚を付け加える。
この「日拝秘術」は、西郷派大東流合気武術の特異な「気の養成法」であり、陽圧を高める為に行なわれる。
内視法=日拝を行った直後、静坐し眼を軽く閉じた儘、頭を少し裡側に曲げてその位置から下丹田を睨み、その睨みは更に奥まって真丹田に到達する。これを強くイメージする事で、この部分の意識が明確なものになっていく。やがてこの意識は感覚となり、陽気が発生する時と同じ感覚を得る。
内視法を行った後、続いて返聴法を行う。耳を以て真丹田の音を聴くのがこの目的である。内視法で得た意識と感覚を、音に変えてそれを自覚するのである。最初のうちは全く関係の無い腸などが動く音がするが、次第にそれが収まり、耳を澄ませると空白の音が迫ってくる。空白の音は物理的に耳で聞こえる分けではないが、その空白から音が迫っている事を自覚する。
日拝によって心的トレーニングを行なうと、心はプラスの磁性で覆(おお)われて来る為、陽圧が高くなり、術者の陽圧となった磁性は、これまで被術者が経路の逆のコースを辿って、右手から陽性の磁気流を放出される。人体はエネルギー波動としてのプラス・マイナスの磁性を帯びている為、陰陽の両磁性の作用によって、プラスに傾いたりマイナスに傾いたりの、その時の体調的状態によって変化する。気の流れは磁気流によって、上下左右に隈(くま)無く循環している。
この磁気流は、心の想念波によって変化するから、陰圧の強い想念である怒り、恐れ、不安、悩み、迷い、恨み、妬み等を生じさせると、その波動は磁気流に影響を与えて陰圧が高くなったり、また逆に、歓喜や感謝等のプラス想念で心を制御することが出来ば、それはプラスに傾いて陽圧が高くなる。日拝の修法は、自己の体内の陽圧を高める為に行うのであるから、常にプラス想念をもって体内に陽気を取り込む事にある。
●月拝</b></font><br>
<br>
<font color="black">これは月を凝視しする月想観である。古来より月は生物の、そして人間の身体、感覚、知性が持っている一定のリズムを左右する事で知られている。<br>
生命は海より誕生したと謂われる。その海に大きな影響を与えていたのが月である。また海の中の生物は月の規則に従い営みと続けたが、その一部は海を離れて陸性化し、陸地に住むようになっても依然月の影響下にあった。</font></p>
<div align="center">
<table width="460" border="0" cellspacing="5" cellpadding="0">
<tr>
<td width="450"><img src="http://daitouryu.com/dotnet_img/kumotsuki.jpg" alt="" height="304" width="450"></td>
</tr>
<tr>
<td width="450">
<div align="center">
<font size="-1" color="red">▲</font><font size="-1" color="#006262"> 月拝の月</font></div>
</td>
</tr>
</table>
</div>
<p><font color="black">
では何故、生き物の影響が及ぶのか。それは規則の因子が、地球磁場に対する月と太陽の影響下に組み込まれている為、あらゆる生体を取り囲む電磁波に、月がある種の信号を送りそれが変化を齎</font><font size="-6" color="#790000">(もたら)</font><font color="black">し、生物はそれを感受するからである。そして生物には生物場という生命体を支える電気の場の存在があり、この生物場は満月の時に「正」の最大値を示し、新月の時は負の最大値を示すのである。<br>
更に、満月の時には正に帯電するからマイナス・イオンを引き付け、新月の時には負に帯電してプラス・イオンを引き付ける。<br>
<br>
月拝は、正に帯電した時のマイナス・イオンが最大になる時機</font><font size="-6" color="#770003">(とき)</font><font color="black">を、その観月とし、生物場に干渉する満月</font><font size="-1" color="#0000be">(十五夜)</font><font color="black">に、人間は生物学上の引力を受ける訳である。つまり古来より生物は、その物質代謝速度を月の周期に委ねてきたのである。<br>
その周期を利用しながら、月のリズムと人体のリズムを同調させる事が月拝の目的であり、月の影響下に人間のエネルギーが同調する最大値に於てこれが可能となる。<br>
<br>
さて、月拝は中国明代の故事によると「男は月を拝まず、女は竈</font><font size="-6" color="#770003">(かま)</font><font color="black">を祭らず」というのがあり、これは仲秋の名月を観月するのは女の領域であり、歳末の「竈の神」を祭るのは男の領域であるという事を述べたものである。しかし大衆に向けられた故事には、覇者の隠匿的な心理が働き、一般に知られたくない秘密情報は「習わし」として俗世の風習の中に閉じ込め、門外不出として政治的な策謀があった。「観月の妙」はその最たるものであろう。<br>
<br>
その理由として『古事記』や『日本書紀』には、月読命という男神が登場している。また、アマテラスは「海照る」を現わし、海人の月神を意味しているのである。更に1972年以降に発掘されたとされる馬王堆漢墓</font><font size="-1" color="#0000be">(紀元前二世紀頃)</font><font color="black">から発見された絹に描かれた帛画には、左上には月が描かれ“ヒキガエル”と“兎”、右には“太陽”と“その中に烏”が描かれている。これは烏兎</font><font size="-6" color="#790000">(うと)</font><font color="black">を現わすのだ。<br>
烏兎は、金烏玉兎の略で、中国の伝説によれば、太陽には三本足の烏が、月には兎が棲</font><font size="-6" color="#790000">(す)</font><font color="black">むとされたことによるものである。<br>
<br>
殊に、左の月にヒキガエルと兎が描かれているのは実に興味深い。<br>
『抱朴子</font><font size="-6" color="#790000">(ほうぼくし)</font><font color="black">』の中には仙人の妙薬として「肉芝」という項目があり、そこには一万年生きた、頭に角があり、顎の下に赤い八の字が書かれた躰の重いヒキガエルを旧暦の五月五日に捕え、百日間陰干しにすれば仙薬が出来ると書かれている。これを仙薬と称する所以は、ヒキガエルの右足で地上に円を描けば忽</font><font size="-6" color="#790000">(たちま)</font><font color="black">ちそこは流水となり、またその左足を以て身に帯びれば、あらゆる武器の攻撃を避けられるとしている。<br>
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もし、敵が自分を射ようとすれば弓や弩</font><font size="-1" color="#0000be">(</font><font size="-6" color="#790000">ど</font><font size="-1" color="#0000be">/弩と謂われるもので矢の先に重い石がついた水平発射式の弓)</font><font color="black">の矢は向きを変えて敵自身に向かうと謂</font><font size="-6" color="#790000">(い)</font><font color="black">う。<br>
此処で注目される事は、《流水》《左》《円》《五月五日》等の文字であり、結局これらは月の意味に還元される。そして蟾光</font><font size="-6" color="#790000">(せんこう)</font><font color="black">と謂えば月光を意味し、蟾影</font><font size="-6" color="#790000">(せんえい)</font><font color="black">と謂えば月影を意味する。<br>
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また蟾宮</font><font size="-6" color="#790000">(せんきゅう)</font><font color="black">と謂えば月の宮殿を意味するのである。つまり月には人体と同じ様な名称を持ち、月と人体である小宇宙が月自体を同調する事が意味されている。従って観月とは、単に月を拝むだけではなく、月の中にある蟾宮という宮殿を観る事がその目的とされているのだ。此処に観月の妙がある。<br>
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では観月の妙とは何か。<br>
中国には「拝月」という習わしがある。これは「仲秋節</font><font size="-6" color="#790000">(ちゅうしゅうせつ)</font><font color="black">」と謂われるもので、旧暦の八月十五日に願を掛けるもので、平安時代陰陽道とともに日本に持ち込まれてきた。<br>
観月の妙は、この旧暦に八月十五日を頂点に毎月十五日が観月に当てられ、晴天の日は毎月丑満時に月を拝み、伊吹を行って吾が古き気を吐き出し、月の精気を体内に取り入れる。<br>
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さて、「望」は「もち」と言い、満月を現わす言葉であるが、十五夜が必ず満月に日とは限らない。旧暦の十五日から2〜3日ズレて満月に日があるので、月拝は十五夜を前後して約三日程が精気注入の時機となる。<br>
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</font> <font color="black">月拝は望の頂点を前後として行う月の精気注入法であるが、これに対峙して「朔</font><font size="-6" color="#790000">(さく)</font><font color="black">の妙」と謂うのがあり、これは新月の、朔という現象を用いて行う新月の妙で、この日を月拝に当てる事もある。但し、朔は一日の時間内のほんの瞬間な事で、夜半の時もあれば昼間の時もある。昼間の時はこれを用いず夜半のみにこれを行う。</font><font size="-1" color="#0000be">(</font><font size="-1" color="red"><b>【註】</b></font><font size="-1" color="#0000be">口伝「朔の妙」に特別な時刻割りあり)</font><br>
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<b><font size="+1" color="#a99457">●自分自身の中に曼荼羅の世界を観る</font></b><br>
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<font color="black">密教に注目したスイスの心理学者ユング</font><font size="-1" color="#0000be">(</font><font size="-6" color="#790000">Carl Gustav Jung</font><font size="-1" color="#0000be">/東洋の宗教を研究し、精神分析運動の中核的な指導者であったが、後フロイトの学説を批判し、独自の分析心理学を創始する)</font><font color="black">は、特にその中でも「瞑想法」に注目し、曼荼羅を「自分自身でも意識できない部分を含めた心の全域を現わした宇宙図」として、これを紹介している。<br>
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さて、人間の心の中には意識しない「意識」がある。自我意識の中には、感覚で感じ取る意識がありこれは眼、耳、舌、鼻、身</font><font size="-1" color="#0000be">(肉体)</font><font color="black">と、意識で感じ取る外見、声、味、匂、触覚を認識する機能が備わっている。人間はこの六つの識で生活をしているが、その奥には第七識という自我意識があって、更に奥には第八識というものがある。<br>
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私たちは日常生活の中で、多分に「無意識」という言葉を用いるが、これは密教で言う「阿頼耶識</font><font size="-6" color="#790000">(あらやしき)</font><font color="black">」というもので、この第八番目の意識は第七番目の自我意識の更に奥に存在している。</font></p>
<table border="0" cellspacing="5" cellpadding="0" align="left">
<tr>
<td width="255"><img src="http://daitouryu.com/dotnet_img/monjubosatsunoshingon.jpg" alt="" height="220" width="255"></td>
<td width="0"></td>
</tr>
<tr>
<td width="255">
<div align="center">
<font size="-1" color="red">▲</font><font size="-1" color="#006d6e">文殊菩薩の真言。宇宙の蔵を顕わす</font><font color="#006d6e">。</font><br>
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</div>
</td>
<td width="0"></td>
</tr>
</table>
<font color="black">この阿頼耶識は、外から持ち込まれた六つの情報を、自我意識を通じて分析し、これを吸収して更にその奥にある第八番目の意識の送り込み、これは瞑想を通じて宇宙観である曼荼羅</font><font size="-6" color="#790000">(まんだら)</font><font color="black">に反映される。<br>
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私たちが曼荼羅を見る時、その図から反射して返ってくる事は、その構造が複雑で難解であるという事より、こういうイメージが心の片隅に隠されているのではないかという、不思議な感覚に捕らわれてしまう。特に初めて曼荼羅</font><font size="-6" color="#790000">(まんだら)</font><font color="black">に対面する時、この感覚は非常に鮮明で、神秘的な共感を呼ぶのは決して著者だけではあるまい。<br>
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先ずこれを凝視する時、そこに描かれている仏のいくつかがゆっくりと揺れ始め、自分に問いかけてくるような感覚にかられるのである。この状態を、密教では瞑想法の観法の「入口」と称しているのである。<br>
この瞑想を通じて曼荼羅の世界に近づき、その呼吸の一つ一つが宇宙の玄理</font><font size="-6" color="#790000">(げんり)</font><font color="black">の波動となるのである。また吐く息、吸う息と共に仏のイメージが近づくのである。<br>
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<font size="+1" color="#a99457"><b>●勾玉発光体</b></font><br>
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<font color="black">《合気》というものは、呼吸法や室内練習だけでは絶対に身に付かないものである。山行が必要である。これを『旅の衣』後編より、探ってみよう。<br>
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「山岳信仰に身を置いていた先代の宗家・山下芳衛先生</font><font size="-1" color="#0000be">(当時は「先師」と尊敬の念で呼称)</font><font color="black">は、福智山</font><font size="-1" color="#0000be">(福岡県にある北九州市と直方市にまたがった標高999mの山)</font><font color="black">や、それに連なる山稜地帯を修行の場としていていた。それには著者自身が屡々同行した事がある。<br>
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この福智山という山は、ハイキングコースともなっており、そう高くもない山であるが、山頂まで後50mという処に急坂があり、そこに差し掛かる処から難所が続いている。著者も例外いなく、此処では度々息切れがしたり、急ぎ足で一気に登る故か、よく立ち眩みがして眩暈等を起しかけたものであった。しかし二十代の半、急ぎ足で登っても、今まで起っていた症状が、全くといっていい程消えてしまったのである。<br>
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ある登頂した時の事である。その日は、口に表現が出来ないような恍惚感があった。今まで四苦八苦して登った同じ道が、まるで山道にエスカレーターでも取り付けられたのかと間違う程楽だったのである。そして頂上に到達した時の、何とも謂えない清々しい充実感であった。<br>
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不思議と全身に、何か分けの分からない、地の底から吹き上げてくるような気吹のようなものが漲ってくるのである。それは気圧の関係かとも思われた。どうやら躰を暖めながら山頂に到達した時点で、毛細血管が開いたような感じだった。更に空を見上げて、澄み渡る大空に叫びたいような気持ちに駆られていた。そこには大空と融合する一体感があったのである。そこは天界と結び付く、融合の境地であったように思われる。<br>
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自然の清々しい精気に満ちた空気が、自ずと一つになる。そしてそれは喜びに満ちた体験であった。<br>
自然の精気を感じ、一体感を感じる事は、心と躰が解け合い、躰と魂が融和する事でもあるのだ。自分自身と宇宙との境目が消えていき、温かい熱感が感じられていくのである。呼吸は遅くなく早くなく、深くなく浅くなく、リズミカルな躰動に横隔膜・胸郭・咽喉・舌・鼻から静に繰り返されている。生物電流の発生が感じられるのである。そして何よりも安らぎを感じるのだった。<br>
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<font color="black">その時、著者は初めて、自分の手首が普段より大きくなっているのを感じ、右手で左手首を、そして左手で右手首を握った時に感じがいつもと違っている事に気付いた。<br>
この感覚を掴まない限り、《合気》という、「発気」の不思議な力は得る事が出来ないのではないか、という意外な体験を発見したのであった。<br>
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更に、この日の回想は続く。山頂で弁当を食べ終わった時、空には青空を箒でサッと掃いたような白い雲が幾筋か見えた。長の休憩はこれで終わりとなる。また今から想像も付かない山行が始まるのだ。 <br>
今度は下りに入る。登って来た道とは違う枝道を抜けて、田川</font><font size="-1" color="#0000be">(福岡県田川市)</font><font color="black">方面に向かった。<br>
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下りを進んで行くのであるが、この道は下ったかと思うと、再び登り始めるという高低の激しい道であった。その揺さぶりは苦痛の一語に尽きた。下りと甘く見たのが著者の誤算であった。かなり下まで降りたかと思うと、また再び登り始める。その登りが実に苦しいものであった。そしてこの道は石が露出したり、穴があいていたりして、歩き辛いものであった。<br>
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単にハイキング程度の山歩きであれば、ここまで苦痛は伴わないが、山下先師の後を蹤いて歩く事は、レクリエーションの感覚を遥かに上回っていた。先師は天狗のように足が速いのである。同時に著者の躰が、それだけ文明病の贅肉に冒されているという事であった。その為か疲れは甚だしかった。そして息苦しくもあった。<br>
それでも歩くしかなかった。しかし、その状態を我慢しながら歩いていると不思議な事が起り始めた。<br>
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急に呼吸が楽になったのである。一種の放心状態だった。足も軽く感じられた。肉体的に格闘したり、努力せずとも、一定のリズムを以て、自然に前へ前へと進んで行けるのである。歩いている事すら、意識していないのだ。まるで外界が万華鏡の中を覗き込んでいる時のように不思議な色彩となった。<br>
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やがて目の前が、黄金の光りを帯びてきたような錯覚に駆られ始めた。心身が陶酔をしているようにも思えた。<br>
そして今まで一度も見た事の無い不思議なものをまざまざと見てしまったのである。頭がおかしくなったのだろうか、という驚きと恐怖だった。<br>
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周りの景色も違った感じで見えていた。それは確かにすっきりとした覚醒を覚えるのだった。この陶酔状態で足を進めていると、再び不思議な事が起った。<br>
この陶酔状態の中で、眼の前に勾玉のような形をした紫色の発光体が現われ始めたのである。この発光体は眼を閉じても確認できた。この発光体は腎臓のような対になった形をしていて、紫色の勾玉の形を成した二対なるものは、金色の縁どりが成されていた。実に不思議なものを見てしまったと思った。同時に躰が実に軽かった。<br>
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<div align="center">
<table width="288" border="0" cellspacing="5" cellpadding="0">
<tr>
<td width="278"><img src="http://daitouryu.com/dotnet_img/magatamahakkoutai01.jpg" alt="" height="400" width="278"></td>
</tr>
<tr>
<td width="278">
<div align="center">
<font size="-1" color="red">▲</font><font size="-1" color="#006262"> 勾玉発光体の構造イメージ図</font><font size="-1"><br>
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<b><a href="http://daitouryu.com/dotnet_img/magatamahakkoutai02.jpg" target="_blank"><font color="#fd500c">拡大表示</font></a></b></div>
</td>
</tr>
</table>
</div>
<p> <font color="black">この陶酔状態は約15分程であったが、発光体は再び現われては消え、消えては現われるという状態を繰り返していた。これが合気統覚法で云う、「勾玉発光体」だったのである。<br>
著者はこの時、周囲に景色や心自体は筆舌に尽くせない程の快い幸福感と恍惚感に包まれた事を憶えている。<br>
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これはよく登山家が体験するという、ウォーキング・ハイ、あるいは長距離ランナーが体験するランニング・ハイという《ハイ体験》であった。<br>
肉体的なトレーニング中心の筋力・スポーツ体験では、殆ど体験できない状態を作り上げるものであった。<br>
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スポーツ鍛練法は、その呼吸法の多くが無気呼吸であり、極度な酸欠と極度な酸過多状態を交互に作り出している。それに比べて、呼吸法を古来より研究してきた古武術は、幽体修行を目的としている為、その呼吸法の中心は有気呼吸、つまり胎児が行っている「胎息」に入って行くものである。<br>
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この勾玉発光体が現われるのは苦しい肉体的無気呼吸から、無意識の陶酔状態に入る有気呼吸に切り替わる際に起るものである。このメカニズムは単純に言って、脳内の血液量が絶対的に少なくなった時に、人間は光を知覚したり気持ちよさを感じたり、浮遊感覚を覚えたりすると謂われている。人間の脳には、脳への酸素消費量を一定に維持しようとして、神経細胞は酸素を通常より多く摂取しようとする。</font><br>
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<font color="black">つまり血管を広げたり、酸素摂取量を向上させて、酸欠状態に陥らないように自動調節を行うのである。毛細血管の回路が通常より多く開かれるのはこの為であり、血液中の酸欠状態に伴って、βエンドルフィンの放出が増加するという働きを持っている。これが正しく作動された場合、万華鏡の中を覗くような感覚を味わったり、眩しいばかりの光の渦を凝視する事が出来る。<br>
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そしてその知覚が更に敏感になると、宇宙との一体が得られ、あたかも躰が黄金に取り巻かれているような感覚が得られる。恐らく合気道の植芝盛平翁が黄金体を体験したのも、このような感覚であったろう。<br>
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しかし武道スポーツの、スポーツ的鍛練法は呼吸の吐納が正しくない為、この状態に切り替わる事が出来ない。吐納法に無理が生じれば、時として極度な酸欠状態を起したり、あるいは酸過多状態を起して、殊に心臓と脳に負担を掛け易い。その為に心臓肥大症</font><font size="-1" color="#0000be">(心筋梗塞など)</font><font color="black">の病因となる。<br>
また無理にハイ状態を期待して、過激なトレーニングに励むと、神経系統に歪な幻覚症状が現われ、サイケデリックな極彩色の、万華鏡の世界とは違う、時間や空間の捻れた世界が現われる。<br>
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異次元空間</font><font size="-1" color="#0000be">(奇門、あるいは鬼門)</font><font color="black">に迷い込んだ為であり、内因性の幻覚が発生した証拠であり、この世界を奇界、あるいは鬼界という。<br>
この状態を放置すれば、死に至る事もあるのだ。従ってこれらのスポーツでは、競技を行う前に準備体操をしたり、終了時に整理体操をして、酸素摂取量の調節を行わなければならない。<br>
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これとは逆に、有気呼吸法を主体とする古武術は、一旦この方法を完成させてしまうと、行法が始まると同時に有気呼吸に切り替わり、無意識のうちに脳に酸素を適量分だけ送り込み、心臓への負担を和らげ、疲れを感じないばかりか、快い陶酔感すら感じられるのである。<br>
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<font color="black">古武術の奥儀は無声である。つまり気合いを発生させないのである。従って有声の呼吸法である無気呼吸とは異なり、ここに肉体中心の顕在意識と幽体中心の潜在意識の差がはっきりと現われてくるのである。勾玉発光体を体験したのは、著者が二十四歳の頃である」</font><font size="-1" color="#0000be">(以上『旅の衣』後編より)</font><font color="black"><br>
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さて、勾玉発光体を体験するには、日頃から歩く訓練を積み重ねておかねばならない。昔の武士や武芸者が「歩く」事に専念し、日々精進を目指したその目的は、この勾玉発光体を体験する事であった。<br>
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江戸中期以降、世の中が平穏になってくると、武士階級は行政的な役職が多くなり、日々を乱世に合わせて精進するという事を怠り始め、武術の稽古や戦に備えるといった考え方が遠のいて行った。しかしその一方で危機管理に対する考え方が生まれ、自らを修行するという、「日々に死を当てて生きる」という思想も起った。これらは山本常朝の口述書『葉隠』等に見られ、武士の精神構造を、日々の精進に置き換えたものであった。この頃の武士が、江戸から鎌倉まで歩くという行動に出たのも、日頃から足腰を鍛えておいて、いざという時の危機管理意識の現われであった。<br>
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また歩くという中には、体内に蓄積された余分な脂肪分を燃やし、新陳代謝を盛んにして、呼吸を自然に戻す働きを持っている。<br>
さて体験を得る為の方法としては、先ず一日1km</font><font size="-1" color="#0000be">(約15分間)</font><font color="black">程度の散歩から始めるとよい。慣れるに従い距離と時間を伸ばし、四km程度の距離が30分前後の早足で歩けるようになったら、次に山歩きへと切り替える。山の高さは差ほど高くない山でよく、標高1000m前後の山が適当であろう。<br>
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休みの日などを利用して日帰りの、最初は一日じっくりかけて登る事である。この山行を半年〜1年程度経験する事によって足が山道に馴染み、また歩く速度は次第に早さを増す。同時に自分自身でも、出来るだけ早く歩こうとするように心がける。<br>
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つまり一日掛かっていた上り降りの道のりを半日程度で行き来するように心がけるのである。しかし呼吸の乱れるような、息遣いの粗くなるような上り方をしてはならない。急ぎ足であっても、その呼吸法は深呼吸に近いような状態を維持しながら、早くもなく、遅くもなく、リズムミカルに、横隔膜・胸郭・咽喉・舌・鼻腔から、息を制御しながらゆっくりとした呼吸法で登山と下山を心がける。そして常に呼吸が整っていなければならない。<br>
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呼吸が整っていなければ、快い振動が脳に伝わらないからである。歩き方にも一定のリズムがなければならない。このリズム感がβエンドルフィンの放出を容易にするのである。<br>
注意点は、山行きの場合山頂で食事となるが、その食事の量は出来るだけ少なめにし、酒や煙草は禁物である。<br>
これを半年から一年間程度続ける事によって、勾玉発光体を体験する事が出来る。また体験者の報告によれば、その体験は登山と時よりも、下山の時の方が圧倒的に多いようである。<br>