sanとはエネルギー
sanとは良いエネルギーと悪いエネルギーを意味し、その獲得、所有、維持している状態のことです。
パーリ語で数字は「sankhyā」ですが、これはsankhyā=「san」+「khyā」で、「加算と減算」も意味します。
このことから、「san」は「獲得または加算」、「khyā」(またはKhaya)は「除去または減算」を意味します。
これらの「san」は良い領域」での転生につながるpunna kamma とapayasでの転生につながるdasa akusalaの両方に使われるので、善悪に関わらず、エネルギーが追加されている状態を表します。
ここでいう善とは人、天、ブラーフマーの転生につながるエネルギー、悪とは下位4領域の転生につながるエネルギーを意味します。
具体的には、悪の貪・瞋・癡(三毒)と善の不貪・不瞋・不癡です。
涅槃Nibbānaは、汚れ(rāga[lobha]、dōsa、mōha)を削除することによって取得されるため、「rāgakkhaya 」「dōsakkhaya」「mōhakkhaya」です。
これらのアイデアを把握するだけで、sansāra, sankhāra, saññā, sammāなど、パーリ語で使用されている多くの単語の語源を理解することができます。
「転生プロセスの輪廻」を意味するsansāra(またはsamsāra)はsan エネルギー+sāra実りのあること、に由来します。「san」を実り(sāra)がある良いものと喜んでいるので、その後も、この転生プロセスを続けることになります。
「san」を善良で実りがあるものと認識することで、人はsankhāra(特にabhisansāra 強い+エネルギー+行為)を行うことによって、長い転生プロセスに閉じ込められる状態を維持することになります。
したがって、「san」(エネルギーの追加)は、sansāric(またはsamsāric)の旅を長くすることを意味します。
対して、「khyā」(エネルギーの除去)は、sansāricの旅を短縮することを意味します。
縁起説Paticca Samuppādaでは、すべての苦しみは「avijjā paccayā
sankhāra」で始まります。したがって、avijjāを完全に取り除くと、すべてのsankhāraが停止することで、Nibbānaに到達します。
「‘etaṃ santaṃ etaṃ paṇītaṃ、yadidaṃ sabba-saṅkhārasamatho sabbūpadhipaṭinissaggo taṇhākkhayo
virago nirodho nibbānan’ti」
「それは平和で、穏やかで、すべてのsankhāraを追放して拘束を破り、貪欲と憎悪を取り除くいたものがNibbānaである」
したがって、すべてのsankhāraを停止するのは、アラハン(阿羅漢)の段階で達成されます。
ここで、sankhāraとabhisankhāraは区別する必要があります。接頭辞「abhi」は「強い」または「粗い」を意味します。sankhāraには、「この31領域の世界」を保持するために私たちが行うすべてのことが含まれます。 31領域での宇宙エネルギーの流転
これらには、呼吸、歩行、食事など、ほとんどすべての行為が含まれます。 Arahantでさえ、Parinibbānaすなわち逝去まではsankhāraと関わる必要があります。
Sankhāraは、「閉じた輪のプロセス」と関わることでabhisankhāraになります。sansāricすなわち転生プロセスはabhisankhāraによって支えられています。
私たちが得る悪いもの、すなわちlōbha(貪欲)、dōsa(憎しみ)、mōha(妄想)は、下位4領域での転生につながるエネルギーになります。
これらはapunnābhisankhāra(すなわちapunna abhisankhāra)です。ここで「apunna」は「不道徳」を意味します。
不貪alōbha、不瞋adōsa、不癡amōhaを通じて獲得した良いものは、人間以上の領域での転生につながるエネルギーになります。
これらはpunnābhisankhāra(すなわちpunna abhisankhāra)です。ここで「punna」は「道徳的」を意味します。
したがって、どちらの種類も転生プロセスを長くすることに貢献しますが、次の2つの理由で私たちはpunnābhisankhāraを実行する必要があります。
@) 悪いことをすることを防ぐ
dasa akusala(10の悪)を行う傾向のあるgati(自動反応回路の束)がāsava, anusaya,
samyōjanaのいずれかのタイプである限り、さらに「san」を積み上げる可能性があるので、良くて強いsankhāraで言動します。
A) 良い意図があるエネルギー(punna kamma)で言動することで、マインドの浄化を助けるkusala kammaになり、Nibbānaの4つの段階に進みます。
まずはエネルギーを悪から善に変換させてから、その後にエネルギーの除去に本格的に取り掛かることになります。
kammaもsanと同義語のエネルギーですが、sanは加えらた、という意味から推察できるように、本来は除去されるべきものを示唆する可能性があります。またsanは悪いエネルギーとして解釈される文脈が多いです。
対して、kammaはkammaの法則、因果関係(kamma kammavipākaという原因の結果)のようにこの世の根底にある宇宙法則を意味しています。
なにか決定的な違いを発見したら、また書き加えます。
sanを使った別の重要な用語は「sammā 」です。これは「san」+「mā」(〜から解放される)なので、「エネルギーから解放される」ことを意味します。
例えば、
「Māhoti jati、jati」は、「繰り返される誕生から解放されますように」という意味です。
「māmébālasamāgamō」は、「Dhammāを知らない人たちとは関係がありませんように」という意味です。
またよく使われる重要な用語にsaññāがあります。san +ñā(知っていること)=sanを知っていること、すなわちエネルギーを理解するという意味です。
また、sanがある「知っていること」、すなわちエネルギーを含んでいる認識なので一般化されてしまい、あるがままの状態から見ると歪んでしまった概念を意味します。
Nibbānaに到達するまでは、私たちは、この世界に対する「歪んだ認識(saññā)」の中で実際に暮らしていかなければなりません。
たとえば、人を見るとき、私たちはその人との親密さ(情報量と経験値の累積)に従って、つまり、その人に対する認識に基づいて、その人を評価して識別、認識します。こうして、Nibbānaが達成されるまで、私たちのエネルギーによって歪められた認識saññāによって、対象の真の性質や状態を「見る」ことはできません。
「san」の重要性を示す例に、Assaji師がUpatissa(釈尊の一番弟子であるSariputta師になる前の名前)に伝えた節があります。
「Ye dhammā hetu pabbavā、te san
hetun Tathagatho āha、Te san
ca yō nirodhō、evam vādi mahā Samanō」
Te = 3、hetu =原因、pabbava = pa + bhavaすなわち「繰り返す誕生」nirōdha= nir否定 + uda
=発生の停止。
「転生プロセスを引き起こすすべてのdhammāは、「san」から生じる3つの原因(rāga、dōsa 、mōha)によって発生します。釈尊は「san」を排除する方法を示し、こうしてそのようなdhammāの発生を止めました」
ここでいうdhammāとは、BuddhaDhamma(仏法)ではなく、kamma viññānaによって生成される物質的エネルギーを意味するdhammāを意味します。
このようにsanの正しい意味を知ることは、多くの用語の明確な理解につながります。
TipitakaのSamyuttaNikāyaとは「sanエネルギー」+「yutta」繋がるもの、について説明するsuttaのことです。
Samphassa = san
+ phassa(接触) =汚れた(エネルギーに満ちた)感覚の接触。
Sanyōga(または「samyoga」)= san +yōga(結合)=「san」を介して結合されたもの。
Sancetanā= san
+cetanā(意図)=汚された(エネルギーに満ちた)意図。
Sanvēga(または「samvega」)= san +vēga(速度)=「san」が原因で発生する強力で強い衝撃。
Sansun = san + sun(破壊)=「san」を取り除くと、マインドが落ち着き、穏やかになります。
sanditthikōはsan + ditthi(ビジョン、見解)、つまり「san」(エネルギー)を見る能力に由来しています。
Sōtapannaのステージで、sanditthikō(「san」をはっきりと見ることができる人)になります。
Sansindheema = san
+ sindheema(蒸発、取り除く)=エネルギーの除去。Sabbāsava Suttaでは7段階でsanを削除します。これはnirāmisa sukhaまたはNibbānaの至福につながります。
Sangāyanā= san
+gāyanā(列挙、朗唱)は、将来の世代に受け継がれるように「san」を列挙(およびそれらを削除する方法)を分類することを意味します。最初のSangāyanāは、釈尊のParinibbānaの3ヶ月後に行われました。
「san」が何であるかを知るだけで、特定の節の意味をすぐに理解できるような場合が多くあります。
多くのパーリ語には複雑な意味があり、詳細に説明する必要があります。それが多くの注釈がある理由です。ただし、ほとんどの初期の注釈は存在せず、最近の注釈には多くの間違いがあります。
良い例は、重要なパーリ語の「anicca」です。その言葉はサンスクリット語の「anitya」と混同されました。そのサンスクリット語は「非永続性、無常」を意味しますが、パーリ語の「anicca」の意味は大きく異なります。
「anicca」の実際の意味は、パーリ語の「icca」が「これが私が好きなもの」を意味することを理解すると、明らかになります。
したがって、anicca(「na」+「icca」)はiccaの反対の意味となるので、「好きなように保つことができない」ということになります。
一般に信じられていることとは逆に、釈尊と密接に関連しているのはサンスクリットではなく、釈尊が話したマガディ語māgadhi (“maga”道 + “adhi”聖なる = Noble path) です。
Tipitaka(三蔵)はサンスクリットではなく、シンハラ語文字で書かれたパーリ語です。パーリ語には独自のアルファベットはない、音声言語です。
パーリ語の節は、口頭伝承を容易にするために構成されており、Tipitakaは数百年の間忠実に口頭で伝えられました。
釈尊はサンスクリット語の使用を禁止したり、Tipitakaをサンスクリット語に翻訳することさえも禁止しました。
Vinayapiṭaka Cūḷavagga 15. Khuddakavatthukkhandhaka Chulavagga 5.33
パーリ語とサンスクリット語には多くの類似点があるにもかかわらず、翻訳されたサンスクリット語の多くは、パーリ語の語句に埋め込まれた意味に注意を払うことなく、より「印象的」に聞こえるように構成されていたためです。
たとえば、PratītyasamutpādaはPaticca Samuppādaのサンスクリット語です。 Pratītyasamutpādaは印象的に聞こえますが、意味はまったく明確ではありません。
一方で、パーリ語では「sama +uppādになると、pati + iccaつながる」と縁起の意味が明らかになります。
原語のPaticcasamuppādaとは「pati」+「icca」+「sama」+「uppāda」)のことで、
「pati」+「icca」とは、「pati」は拘束、結合、「icca」は好みを意味し、
「喜んで何かと結びついている」、または「それを好きになることで何かに愛着を持つ」という意味である。
それが起こると、Samuppāda=「sama」(同じまたは類似した同様なもの)+「uppāda」(生成、出生、誕生)する。
つまり、同様または類似した品質または種類のものが具象化するということで、一言でいうと「似たものが現れ出てくる」という意味である。
したがって、samuppādaとは、存在(具象化したもの)に導くことであり、言い換えれば、束縛を促進するためのパターン化(汚れ)の因果関係を作り上げることを意味する。
パーリ語は多くの場合、口頭の談話を書き留めるのに適したmāgadhiバージョンですが、要約形式で簡略に伝達できるように韻を踏んで組み合わさるように構成されることもあります。
そのような時に、結合語によって、語根が隠されてしまうこともありますが、埋め込まれた重要な語根ワードを見つけることにより、その意味を容易に理解することができます。
たとえば、「yadaniccam
tam dukkham、yam dukkham tadanattā」の節は多くのsuttaにありますが、これを理解するには、この節を「拡大」または「展開」する必要があります。
「yad aniccam tam dukkham、yam dukkham tadanattā」とすることで、「aniccaの性質はdukkhaにつながり、dukkhaの性質はanatta性質につながります」という意味が明らかになります。
以下は、詩の韻を口頭伝承に適したものにするための単語の組み合わせの例です。
Naidham = na idhamすなわちno the case 「そうではない」。
Ayamantimājāti= ayam
+ antima +jāti すなわち「私の最後の誕生」。
Nūppajjati= na + uppajjati:“will not arise”「発生しません」。
Cittappasāda= citta
+pasāda; 良い韻を踏むことを可能にするためにpが重なります。
同様に、Rupakkhandha = rupa khandha
Aveccappasāda= ava icca
pasādaすなわち「tanhā(付着)を克服することにつながる信仰」。
Buddha=
bhava + uddha(上に、根絶): 存在(bhava)の根絶する(発生を止める)方法を理解した人。
Bhavanga = bhava + anga;(部分) 本来のbhavaの側面。
Sakkāya= sath良い+kāya(コレクション、集合体): 通常は五蘊を指します。
Sakkāya ditthiは、五蘊を採用すべきだという見方、すなわち自分の感情や感覚を自分であると考えてしまうことです。
Anāpāna=āna+āpāna:「取り込み」と「出力」。
次の単語の発音は、韻を踏むために順序を逆に並べ替えています。
Anāgāmi=
na āgāmi:否定形+戻ってくる(NibbānaのAnāgāmiステージに到達した人はkāma lōkaに戻らない)。
Anatimāna= na +atimāna: atimānaは「高い志」であり、anatimānaは反義語となり、意味は「謙虚」です。
語根の「san」の意味を理解するだけで、多くのパーリ語が簡単に理解できます。
一部の単語は「n」ではなく「m」に重点を置いて記述および発音されるのは、その方がリズムが良いからです。
良い例はsamsāra(sansāra)で、どちらの方法でも記述および発音できます。
一方、sammāは「san」+「mā」に由来していますが、そのように韻を踏むのが簡単なため、常に「sammā」と発音されます。
たとえば、sammā ditthi、sammā sankappaなど。
「san」にはさまざまなレベルがあることを覚えておく必要があります。
最初に、apāyāsでの出生につながる不道徳な活動につながる「san」を削除する必要があります。
Sōtapannaになった後は、感覚の快楽にかかわる「san」を排除するよう努めるべきです。
Anāgāmiになった後の目標は、rupaおよびarupa jhānaに関連する「san」を削除することです。
語根にSanが含まれているパーリ語
Pāli |
語根Roots |
付加された単語の意味 |
言葉の意味 |
Sammā |
san + mā |
mā 削除する |
"san"を削除することに関連する |
sammāpaṭipatti |
san + mā +patipatti |
patipatti プロセス |
"san"を削除するための方法、または努力 |
sammāvimutti |
san + mā + vimutti |
vimutti 完全なる解放、離脱 |
アラハンの果実、すなわち涅槃Nibbana |
Sammanti |
san + mā |
gaccāがgaccantiに変化するように |
"san”の削除によって安穏に達すること |
samantanō |
san + anta; 韻を踏む |
anta 終わり |
"san"を削除するプロセス |
Sammā ditthi |
Sammā + ditthi |
ditthi ヴィジョン、見解 |
"san"の危険性と削除法を知る明解なヴィジョン |
Sammā sankappa |
Sammā + sankappa |
sankappa表層と深層の意識思考 |
"san"を除去した想い |
Sammā vācā |
Sammā + vācā |
vācā 表層意識の想いと言語作用 |
"san"を除去したスピーチ |
Sammā kammanta |
Sammā + kammanta |
kammanta 行動 |
"san"を削除した物理的行動 |
Sammā ajīva |
Sammā + ajīva |
ajīva 生活の仕方 |
"san"を削除したライフスタイル |
Sammā + vāyāma |
vāyāma 努力 |
"san"を除去する努力 |
|
Sammā sati |
Sammā + sati |
sati 三蔵のいうマインドフルネス |
"san"を除去するマインドフルネス |
Sammā samādhi |
Sammā + samādhi |
samādhi 寂静の状態 (sama 寂、静+ adhi聖なる) |
"san"を除去して寂静の状態になるする |
Sambhava |
san + bhava |
bhava 心境、有、生成、存在 |
"san"のによって存在するもの |
Sambuddha |
san + bhava + uddha |
uddha 根絶 |
31領域のbhavaを根絶した者 |
Sambōdhi |
San+bōdhi |
bōdhi budhi 覚醒 |
sambuddhaの覚醒で到たるNibbanaの状態 |
Sambhūta |
san + bhūta |
bhūta 四大元素 |
心の"san"を経る元素bhūtaの創造 |
Sammapañña |
samma + pañña |
pañña 智慧 |
"san"を削除する方法を知る智慧 |
Samma-Sambodhi |
(Samma-Sambuddha) |
自身の涅槃達成の強調 |
Buddhasになるための予約 |
Sammatta |
san+mā+atta |
mā除去 atta道理、〜に導く真実 |
Sammatta niyamaとはSotapannaが得る知識. |
Sambojjanga |
san +bodhi+anga |
"anga" 要素、要因 |
Sambodhiに至る要素 |
Sampajāna |
san + pajāna |
pajāna 了解する、理解する |
汚れ (san)を了解する |
sammappadhāna |
san + mā+ padhāna |
mā 削除padhāna 最初に、優先して |
最初にすることは "san"を除去すること |
Sambandha |
san + bandha |
bandha 拘束する、関連する |
"san"と関連づけて拘束する |
sambhāvitā |
san + bhāvitā |
bhāvitā 使用すること |
"san"すなわち感覚の快楽と関わること |
Sambhēda |
san + bhēda |
bhēda 争い |
"san"すなわち快楽をめぐって争う |
Sambhīta |
san + bhīta |
bhīta 恐れ |
"san" が心や転生に導く恐怖 |
Sambhōga |
san + bhōga |
bhōga 快楽、特に食事、グルメ |
感覚の快楽 |
Sambhunjati |
san + bhunja |
bhunja 食する、消費する |
感覚の快楽に関わる |
sammoha |
san + moha |
moha 妄想 |
過剰な妄想 |
sampādesi / sampādeta |
san + pādēsi |
pādēsi 整理して見る |
"vaya dhammā
sankhāra, appamādēna sampādēta"と sanが何であるを明確にする |
sampahansēti |
san +pahāna |
pahāna 削除すること |
"san"を削除すること |
sampaññō |
san + paññō |
paññō 智慧と一緒に paññāの所有 |
'san"を見ることで智慧を得る |
Sampajāna |
san + pajāna |
pajāna 明確にする |
san"を明確にして解決する |
sampayōga |
san + payōga |
payōga 何かを成し遂げるための賢い計画 |
快楽に関わる計画 |
Samphassa |
san + phassa |
phassa 心のなかでsanとの接触 |
2種類のVedana (感覚)の生じ方 |
Sampassati |
san + passati |
passati 理解する |
"san'を理解する |
sankiliṭṭha or saṃkiliṭṭha |
san + kilittha |
kilittha 汚す |
"san"を得ることで心を汚すこと |
sankilesa or saṃkilesa |
san + kilesa |
kilesa 煩悩 |
心を汚すもの |
Samsāra (Sansāra) |
san + sāra |
sāra 良い |
この世のsanは良いものと評価すること |
Sansēva |
san + sēva |
sēva 関連する |
世俗的快楽にふける |
Samuccēda |
san + uccēda |
uccēda 根絶 pahāna 削除する |
samuccēda pahāna
永遠に削除する |
saṃyōga or sanyōga |
san + yōga |
yōga 結合、拘束する |
この世の "san"と結合する |
saṃyōjanā or sanyōjanā |
san + yō +ja |
"yo' 結合 "ja"生産 |
転生プロセスとの拘束に導く要素 |
samudaya |
san + udaya |
udaya 生じる |
"san"によって生じるもの |
Samutthāna |
san + utthāna |
utthāna 生じる場所 |
Samutthāna citta(cittaja) "san" が生まれる場所 |
samvāsa or sanvāsa |
san + vāsa |
vāsa 生活する |
共に生活する 接合 |
Samvara (Sanvara) |
san + vara |
vara 止める、避ける |
道徳的態度 |
Samvaddha |
san + vaddha |
vaddha 成長 |
"san"を加えること、すなわち煩悩 |
Samvannanā |
san + vannanā |
vannanā 賞賛する |
不道徳な行為を賞賛する |
Samvattana |
san + vattana |
vattana 落とす |
"san"の削除を助成する |
samvēdanā or sanvēdanā |
san + vēdanā |
vēdanā 感じる |
"san"による感覚 samphassa jā vēdanā |
saṃvidhāna or sanvidhāna |
san + vidhāna |
vidhāna 命令 |
(日常的に使用される)命令や組織化 |
saṃsaraṇa or sansaraṇa |
san + sarana |
sarana 動き回る、旅 |
samsaraの中をさまよう |
Samyutta |
san + yutta |
yutta 含む、抑制する |
Samyutta Nikāyaは "san"について説明している経 |
Sancetanā |
san + cetanā |
cetanā 想いの中にある意図 |
汚れた想い |
sanditthika |
san + ditthi |
ditthi 見解、ヴィジョン |
Buddha Dhammaで"san"を見る |
Sangāyanā |
san + gāyanā |
gāyanā 復唱、朗唱 |
"san"を説く経が読誦される仏教公会 |
Sanga |
san + ga |
ga 付着する |
"san"に付着する |
Sangati |
san + gati |
gati 性向、習慣 |
悪い性向や習慣 |
Sangha |
san + gha |
gha 除去 |
"san"を除去 した者たちがSanhga; 聖者、比丘 The
Critical Link Between “San” and Worshipping the Dogs参照 |
Sāṅghika |
possessive of Sangha |
Sanghaの所有物 |
Sanghaに対する供え物 |
Sangīta (Sangeetha) |
san + gīta |
gīta 詩歌 |
感覚的快楽に心が傾く音楽 |
sankalpana or sankappa |
san + kalpana |
kalpnana 意識的な想い |
汚れた想い |
sankhitta |
san + kitta |
kitta 行動 (kriya) |
'san' (煩悩)で何かすること |
Sansun |
san + sûn |
sûn 破壊 |
"san"の削除によって心を静めること |
Sanvara |
san + vara |
vara 〜から離れること |
"san"から離れる規律、つまり道徳的ふるまい |
sanvēga or samvēga |
san + vēga |
vēga 速度、速さ |
"san"のためjavana cittaが増進、つまり激情的になること |
sankhāra |
san + kāra |
kāra 行動 |
自動反応回路、想いによって発動するあらゆる言動 |
Sankata |
san + kata |
kata 結果 |
sankhāraによって生産されるもの、この世のすべて |
Sansāra (Samsāra) |
San + Sāra |
Sāra 良いもの、恩恵のあるもの |
sanを恩恵のあるものと評価する世界 |
Santāpa |
san + tāpa |
tāpa 熱 |
"san"のために心が熱くなること |
Santutti (or Santhutti) |
san + thutti |
thutti 削除 |
"san"を除去して心が安らかになること、通常は幸福のこと |