次元の混同
次元の混同
2次元で暮らす地球の表面の人々
私たちは3次元の地球で生きていても、地球の表面では緯度と経度という2個の数値があれば位置が決まるので、地球の表面は2次元で表示できないこともない。
しかし同じ緯度と経度でも都市部の高層ビルではこのような基準は通用しません。
次元の問題 並行した直線が交わるわけ
地球の赤道にいる観察者が赤道と垂直に交わる線を北に向けて指してみます。
次に赤道の東西のどちらかに100キロほどでも移動して、また同じように赤道と垂直に交わる線を北に向けて引いてみます。
中学校で習った平行線はどこまでいっても交わらないはずなのに、この2つの平行線は、ジャスト10000キロ先でなんと交差します。
cf.約ではなく正確に1万キロなのは赤道から北極までの距離の1000万分の1を1mと定義したため。
なぜ「平行線は交わらない」という学問の答えとは違うのでしょうか?
それは私たちは3次元の世界で生きているのに、2次元の経験を基準にして物事を判断したからです。
たとえば三角形の角度の和は180度でいうとのが数学という学問の基礎だが、この地球上の3点を結ぶと270度になることもあるように。
アラスカのプルドベイ(北極海)とタヒチ島とバリ島の3点を結んだときなど。
特異のTPOだけでしか成り立たない「理想状態」を基礎とし、それを実際にある他のTPOにも過剰一般化して適応させて判断してしまう傾向があります。
ここでエッセイの文頭の一節に戻ります。
「学問に問題があるのではなく、それを使う人に問題がある。」
人は自分で作った潜在意識によって操られているからです。
次元の定義
空間、平面、直線 ユークリッド
直線、平面、空間 ポアンカレ
次元とは、「位置を決めるために必要な数値の個数」と定義したのはデカルト
cf.相似次元では1次元と2次元や2次元と3次元の間も考えることができる。しかし、これまでのポアンカレの定義を変える必要がある。
「図形をx倍に拡大すると量がxn倍になるとき、その量をn次元と定義する。」
コッホ曲線 1.26次元
シェルピンスキーのガスケット1.58次元 メンガーのスポンジ 2.73次元
意識とは3次元なのか、4次元もしくは5次元なのか?
物理の問題は確かに3次元で解決できるが、私たちの意識は果たして3次元のものであるのか、それとも上次元のものであるのか?
もし上次元であるならば、平行線を引いたつもりが交差したように、私たちはこの世を常に間違って捉えている可能性がある。
道元や上部座仏教の認識の仕方は現代文明人とは違いがあった。
霊やエネルギー体を基準にする思考法を俯瞰してみたい。
仏教の認識の仕方
仏教では、意識と一言でいっても、その中身には多くの段階がある。
論蔵には心cittaに9段階の意識の変化がある、と記されている。
上座部仏教の9段階のcittaと宇宙創世
サーンキヤ |
サンスクリット |
内容 |
上座部仏教 |
説明 |
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プルシャ |
puruṣa |
霊我 観照だけ |
citta |
変化のない実体 涅槃 出世間界 |
プラクリティ |
prakṛti mahat |
自性 エネルギー |
manō無色界 |
puruṣaが観ることで平衡が崩れて「空」なる根本物質が「有」として展開する |
ブッディ |
buddhi |
「知る」根源状態 |
mānasam 阿羅漢はここまで |
全体性機能 paññā |
アハンカーラ |
ahaṇkāra |
自我、 認識 |
hadayaṃ |
様々な階層の認識に分離していく saññāの生成と、それへの執着 |
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jñānendriya |
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paṇḍaraṃ |
執着に多くのエネルギーを割当てる |
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manas |
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manōmanāyatanam |
対象に受容的or憎悪的になる心 |
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karmendriya |
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mānaindriyam |
レベルの範囲内で力を強化させる |
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tanmātrā |
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viññāna |
智慧は除去され世俗的な欲求・渇望 |
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bhūta |
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viññākkhandō |
愛着を強め、現在の状況を評価し、将来への新しい希望と計画 |
以下の意識の段階は、サンスクリット語による瞑想を体感して、それを現代日本語に書き換えたものである。
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真我puruṣa(ātman)
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真我意識 |
観照するだけだが、唯一の実体 |
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根本prakrit |
根本意識 |
変化はするがエネルギーはない |
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空prakriti (sattwa、jajas、tamas) |
真空意識 |
カタチはないがdhammāエネルギーの塊 3つの徳性のバランスが崩れてエネルギー創出 |
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心素chitta |
全体性意識 |
善性 精神性に抽象度を上げる、 |
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理智buddhi |
分別意識 |
動性 知を使って1を2にする |
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我執ahamkāra |
枠組意識 |
暗性 具象化することで抽象度を下げる dhammāの塊がgatiが構成される |
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微細知覚器官 jñānendriya
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直観意識 |
微細エネルギーのレベルで差異を知覚する 視覚と聴覚のみで、嗅覚、味覚、触覚はない |
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意思manas
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共通意識 |
2つをつなげるために共通点にスポットライトを当てる |
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微細運動器官 karmendriya
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運動意識 |
微細エネルギーと身体の連動を体感 |
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個我jīva |
統合意識 |
アイデンティ 分類をまとめて統合する |
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微細元素tanmātrā
仏教でいうbhūtaのレベル |
概念意識 |
一般化、概念化、シンボル化する |
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粗雑元素
rūpaの中の細かいdhātu |
潜在意識 |
パターン認識する |
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物質 rūpaの中の粗いdhātu |
表層意識 |
差異にスポットライトを当てる5感覚器官と心の認識 |
道元や上部座仏教と、日常社会で暮らす人の認識の仕方の違いは、この世の対象物の構成要素の基準が異なることに由来する。
上座部仏教では、可視化できるdhātuよりもより微細な細かいdhātu、粗いbhūta、細かいbhūta、gati、dhammāといったレベルのもので構成されており、その因果関係によって、この宇宙や輪廻転生が成り立っているとする。
瞑想することで、より微細な構成要素を体感し、その因果関係を理解することができる、とする。
これらの微細物質と次元が対応するとなると
3次元、可視化できるdhātu
4次元 細かいdhātu、
5次元 粗いbhūta、
6次元 細かいbhūta、
7次元 gati、
8次元 dhammā
9次元 nāma gotta
とまずはたたき台を作って、これからの瞑想と経典の読解により修正を加えていきたい。
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dhammā |
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メンタルと物質のリンク |
エネルギー kammicエネルギーのパケットである。 kamma beeja(manō lōka内)がdhammāになる kamma
bijaはdhammāの一部である、とも言える kamma bija以外にも多くの Dhammāがある。 dhammāは概念、さらには仏法も含む dhammāにはaniccaやdukkhaの特性はない。 しかし、dhammā にはanattaの特性はあるので、本質的に必要な重要なものは何もない。 |
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gati |
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arūpalōka 28〜31 |
「性向、キャラクター、性質、特質、偏向」になる rūpaのgati段階、 すなわちrūpaの起源は、「manō rūpa」とも呼ばれます。 これらはマインドで視覚化するもの。 過去のシーンを視覚化がmanō rūpa gathiを作成するプロセスにおいて、関連する物質的なものについて私たちは常に考えます。それらがmanō rūpa hadaya vatthuだけがある。 |
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bhūta |
suddhāshtaka dhammā |
rūpalōkas 12〜19 |
gathiが育まれるとbhūtaになり、これがsuddhāshtaka のステージ カルパの複合体である八元素suddhātthakaになり、 すなわち物質を生成する。 物質の最小単位bhūtaで作られたhadaya vatthu mana indriyaはdhātuではなく、bhūtaで hadaya vatthuは上位3種はdhammāで 構成されているのではないか? マインドで経験するrūpaがdhamma manañca
paṭicca
dhammē ca uppajjati manōviññāṇaṃ dhammāとmana
indriyaの接触がmanō
viññāna anidassan appatighan dhammāyatana
pariyā pannarūpan anidassanaは「見えない」ことを意味し、 appatighaは「最高の器官でさえ感知できない」 dhammāyatanaはmana
indriyaのこと Pariyā
[pari+yā] winding round,転回 pannarūpanはrupaとの唯一の接触を意味する。 |
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mahā bhūta |
4大元素 色、音 |
rūpalōkas 20〜27 |
bhūtaがさらに密を増したもの rūpi
brahmasが住む 16段階 brahmasの体はmahā bhūtaで構成されている gandhabbasの微細体はmahā
bhūtaで構成。 hadaya vatthuにcakkhuとsōta pasāda rūpaがある BakaBrahmāが到達し、普遍世界と勘違いしていた領域 Brahmanimantanika Sutta (MN 49)では、釈尊と彼の弟子たちがこの領域を訪れ、Bakaを諭した。 |
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微細なdhātu |
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kāma
lōka 6〜11 |
mahā bhūtaがさらに凝縮する devaは人には不可視の繊細なdhātuで構成 cakkhuñca paṭicca
rūpē ca uppajjati cakkhuviññāṇaṃ、 sōtañca
paṭicca
saddēca uppajjati sōtaviññāṇaṃ、 (vanna) rūpa すなわち光とcakku indriya(眼)が接触 するとcakku viññānaが起こる。 視覚には光の粒子(光子)と肉眼との相互交流がある。 アインシュタインまでは光は粒子だとは考えられて おらず、Comptonたちが証明したのは1920年代 sadda
rūpa(音波)が sōta indriya(耳)と接触 するとsōta viññānaが起こる。 |
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粗いdhātu |
香、 味、 体(触感) |
欲界 kāma
lōka 1〜5 |
私たちの体は、密度の高いdhātuで構成されている。 ghānañca paṭicca
gandhē ca uppajjati ghānaviññāṇaṃ jivhañca paṭicca
rasē ca uppajjati jivhāviññāṇaṃ kāyañca
paṭicca
phōṭṭhabbē
ca uppajjati kāyaviññāṇaṃ kāya
viññānaは最も粗いpottabbaすなわちdhātu との接触に起因する。 身体の接触(感触)、味、匂いは粗い接触です。 それらは直接の接触(pottabba)を伴い、 それらは固体粒子(味と匂い)を伴います。 |
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