瞑想の危険性

 

 

はじめに 私の体験  胸の痺れと過呼吸

精神疾患と洗脳

白隠禅師の禅病

自律神経の働き 筋肉痙攣、痛み

 

 

 

私の体験

瞑想にはいいことばかりではなく、危険なことも伴うので、ちゃんとした師のもとで修練を積むのがよい。

そうでなければ、簡単な体操や呼吸法をまずはしっかりとすることが私の体験的オススメである。

 

たとえば、ちゃんとしたヨーガでは次の8段階を基準にしている。

 

1.ヤマ(してはいけないこと)

2.ニヤマ(しなければならないこと)

3.アーサナ(ポーズ)

4.プラーナヤマ(生命エネルギーのコントロール)

5.プラッティアハーラ(五感のコントロール)

6.ダーラナ(集中)

7.ディアーナ(瞑想)

8.サマーディ(三昧)

 

と瞑想にいたるには、5つのステップを終了した者だけがはじめて試みることができる。

 

 

私の場合は近くの寺や知り合いのセンターや永平寺で体験的に座禅したことはあるが、10日にわたる瞑想を初めてした時には、

3日目に目をつぶっても太陽のような残像があり、

丹田のあたりにホカロンをいれたような暖かさがあり、

気が充実して力が漲るのはよかったが、

この日から10日目までの7日間も眠れなくなった。

またカラダのすべての部分の感覚の通りが悪いところを見詰めるようにしていたら、7日目の夜からは背中や腰に凝り固まるような痛みが7箇所できた。

これは寝返りがうてないほどの痛みで、これから2年ほどは深い瞑想をするたびに体の痛みはおさまらなかった。

また8日目には胸部の小胸筋の小刻みな痙攣が続き、大胸筋の締め付けによる尋常ではない収縮や狭心症のような心臓の不整脈が突如起こり、気分が落ち着くにつれてこの不整脈が続いたので、帰りの運転に支障をきたす可能性があると感じたので、3日ほどセンターに泊めてもらい、帰る時には鼻歌を歌ったりしてテンションを上げて心臓が止まる回数を減らすようにした程であった。

また後のミャンマーの僧院での瞑想では、過呼吸による胸全体のしびれが治まることがない日々を過ごした。

 

痛みやこれらの非日常的現象の原因を知りたいと思ったことから、瞑想を継続することになります。

不思議な縁です。

 

胸の痺れと瞑想

過呼吸状態になると、血液中の炭酸ガス濃度が低くなり、呼吸をつかさどる神経(呼吸中枢)により呼吸が抑制され、患者さんは呼吸ができない、息苦しさ(呼吸困難)を感じます。このために余計何度も呼吸しようとします。血液がアルカリ性に傾くことで血管の収縮が起き、手足のしびれや筋肉のけいれんや収縮も起きます。患者さんは、このような症状のためにさらに不安を感じて過呼吸状態が悪くなり、その結果症状が悪化する一種の悪循環状態になります。

 

 自覚症状には息をしにくい、息苦しい(呼吸困難)、呼吸がはやい、胸が痛い、めまいや動悸などがあります。テタニーと呼ばれる手足のしびれや筋肉が痙攣し、収縮して固まる(硬直)症状がでます。手をすぼめたような形になり“助産師の手”と呼ばれます。この所見は、血圧計のマンシェットを腕に巻いて手の血流を止めるとより出やすくなります(トルーソー徴候)。耳の前や顎の関節をたたくと顔面神経が刺激され、唇が上方にあがります(クボステック徴候)。

 呼吸がはやく、呼吸困難感を訴える患者さんで、上記の自覚症状や筋肉のけいれん、硬直などの所見があればこの病気を疑います。動脈血液ガスの検査では、炭酸ガス濃度が低く、アルカリ性になります。

 

治療は、意識的に呼吸を遅くするあるいは呼吸を止めることで症状は改善します。患者さんは不安が強くなかなか呼吸を遅くすることができませんので、まずは患者さんをできるだけ安心させゆっくり呼吸するように指示します。紙袋を口にあてていったん吐いた息を再度吸わせることで、血液中の炭酸ガス濃度を上昇させる方法(ペーパーバック法)がありますが、この方法では血液中の酸素濃度が低くなりすぎたり、炭酸ガス濃度が過度に上昇したりする可能性がありますので充分な注意が必要です。不安が強い患者さんでは、抗不安薬などの投与を行うことがあります。

 過去にこの病気にかかったことがある方は、過度の緊張や不安などが起きる状況をさけるように注意してください。またうつ病などの精神疾患や不安症、パニック障害などがある方は、それらに対する治療が発症防止に有用なことがあります。一般に予後は良好で、数時間で症状は改善します。

 

精神的不安や極度の緊張などにより過呼吸の状態となり、血液が正常よりもアルカリ性となることで様々な症状を出す状態です。神経質な人、不安症な傾向のある人、緊張しやすい人などで起きやすいとされます。

 

 

 

 

精神疾患と洗脳

瞑想は危険なことが2つある、と言われています。

ひとつは精神疾患がひどくなることで、もうひとつは洗脳される危険があることです。

 

洗脳

瞑想は自分の内側に関心を向けるので、これまでの習慣、判断基準、評価基準の修正が伴うことがあるので、これは社会から見れば洗脳の一種であると言われるのは当然です。

たとえば「教育」も価値観の修正につながるので、広義の意味では洗脳の一種と言うことも可能です。

洗脳瞑想は指導者と参加者の関係性から生じます。

瞑想は、社会に居場所をなくした人たちや、DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害を持つものにこそ効果があり、参加者自身が自己改革や自己啓発を目的にしている場合があります。

そして、瞑想指導者の中には他人を支配することを好む傾向がある人がいるからです。

瞑想指導者はこれらに気づいている方もいますが、気づかずに指導を続けている人も多くいます。

 

瞑想と催眠術

瞑想と催眠術とは共通性があります。

催眠術師は催眠術にかかる人(被験者)をまず、変性意識状態と呼ばれる特殊な心理状態にします。

変性意識状態になった被験者は、催眠術師のいうことを否定するのではなく、受容する傾向が生じます。

その状態になってから、催眠術師はいろいろな催眠暗示を被験者に入れます。

こういう手順が催眠術の方法です。

瞑想はこれを催眠術師なしで、つまり自分で自分に催眠術をかける自己催眠を行います。

瞑想も催眠術も手順は同じです。

つまり、最初に行うことは変性意識状態になることです。

 

インド伝統の瞑想ではサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の2種類があると説明されることがあります。

催眠術のメカニズムから見ると、サマタ瞑想が変性意識状態に導く役割をし、ヴィパッサナー瞑想が暗示をかける役割を担当します。瞑想指導者がそのことに気が付いていないのが問題点です。

このような特殊な精神状態の時、依存性の強い瞑想体験者は指導者に対して強い依存性を持つ傾向があります。

これが宗教的帰依という現象の一つの側面になっている場合もあります。

 

 

 

 

精神疾患

精神疾患には多くの種類がありますが、主な15種は

@依存症、Aうつ病、B解離性障害、C強迫性障害、D睡眠障害、E摂食障害、F双極性障害(躁そううつ病)、G適応障害、H統合失調症、I認知症、Jパーソナリティー障害、K発達障害、Lパニック障害・不安障害、MPTSD(心的外傷後ストレス障害)、Nてんかん、です。

このような症状の人が、瞑想カウンセリングに通い始めたら症状が頻発して悪化する場合があります。

 

なぜなのでしょうか?

それは瞑想のメカニズムが、変性意識状態に入って、過去に作成した自動反応回路を上書きする作用があるからです。

これは、これまでの基準だった単位からより微細な単位に移行することで、これまでの回路を変化させることを意味します。

物理学の原子レベルで譬えると、H2Oをこれまで水として捉えていたものを、より微細な原子レベルで原子(1×26)中性子(1×26)原子(1×26)として捉え直すことで、各8つの原子と中性子と電子の集合体となり、これまでの水の性質(温度による固体、液体、気体の変化、他の分子との相性など)がなくなるプロセスです。

このように意識エネルギーを使うことで、より微細な領域に気づき続け、そこにある回路の構成とその機能を知ることになります。

そして大事な点は、この時に心身が緊張していると、この回路が強化されて機能が増大し、逆に心身が緩和していると回路が弱体化して機能が低下することです。したがって、精神疾患という回路を持つ人が瞑想をするときに心身が安らいでいる状態を維持できていなければ、回路がより強固されて、症状が頻発したり、大きくなったりする傾向がある、ということです。

 

 

白隠禅師の禅病

白隠禅師が罹っていた病気は、「禅病」というものであったと言われています。若い頃、あまりにも熱心に修行に励んだ禅師は、修行を始めてからわずか三年で、「悟り」の境地を体験します。ところがその後、しばらくしてから次のような症状が現われたということです。

「頭痛、胸痛がはなはだしく、肺と心臓がやけ焦げるようで、両手両足は氷雪のように凍え、耳はガンガン鳴りつづけ、なにごとに対しても臆病になり、神経過敏に、かつ恐怖に駆られ、心身困憊し、夜は眠ることもできず、夢と現(うつつ)の境を行き交い、両脇はつねに汗ばみ、両眼は涙が流れつづけるようになってしまったのである。
そこで名医という名医を訪ね、あらゆる治療をうけたが、すべての鍼灸医薬もなんら効果をしめさず、絶望の淵にしずんだのであった。」
『白隠禅師 健康法と逸話』直木公彦著 日本教文社 夜船閑話 本文(意訳) より

症状的には、一般的に言われるノイローゼの激しいものです。現代医学で使われる病名では、心身症、自律神経失調症といったところかもしれません。
そして、この症状が内観の秘法を毎日、時間を決めて行ったところ、
  『三年にもならぬあいだに、いままでの病気は芯から全快してしまった』というのです。
上のような症状の病気を現代医学で治すとしたら、果たしてどれくらいの年月がかかるでしょう。それが三年で、「完治した」という事実に注目する必要があります。


ところで、この呼吸法の効果を、さらに具体的に証明する資料があります。白隠禅師の寺では、かなり厳しい修行が行われたために、心身の均衡を崩す若い僧が続出したようです。それを治すために、この呼吸法が取り入れられたということです。その結果、どのような結果が生じたかが、『夜船閑話』に記されています。その序文を、白隠禅師の弟子の一人であった窮乏庵主(きゅうぼうあんしゅ)、キトウセンという人が書いています。その中に、「内観の秘法」の実際のやり方や、その治療効果について、分かりやすく記されている部分があります。

 

「これについて、禅師はつぎのように申しておられます。
 「もし、学問の道にすすみ、懸命に一心に真理の道をもとめ悟道にこころざすものが、勉学身に過ぎ、頭脳が逆上し、心身疲労はなはだしく、内臓の調和がみだれてきたならば、鍼灸や医薬などで、この病をなおそうとおもっても、癒るものではない。
/中略/
この秘法を実習しようとするときは、すべからく人間界の思いわずらいや工夫をすて、小智才覚の一切を放下し、かんがえること、見ること、話すこと、感ずること、一切の雑念など心の外部への活動を追いはらってしまい、からっぽになってこの『内観の秘法』をおこない、深く眠り込み、そのあとで、肉体の眼とともに心の目をさますというようでなければならない。すなわち、床に入り、眠りに入るまえに、両脚を長く踏みそろえ、一身の元気を臍(へそ)のまわりから気海丹田(きかいたんでん)、腰、股や両脚から足のうらに下し充して、つぎのように何回も繰り返し繰り返し内観するのである。

(1)
 わが気海丹田腰脚足心(きかいたんでんようきゃくそくしん)、まさに是()れわが本来の面目(めんもく)、面目なんの鼻孔(びくう)かある。
(2)
 わがこの気海丹田、まさに是()れわが本分(ほんぶん)の家郷(かきょう)、家郷なんの消息かある。
(3)
 わがこの気海丹田、まさに是()れわが唯心(ゆいしん)の浄土(じょうど)、浄土なんの荘厳かある。
(4)
 わがこの気海丹田、まさに是()れわが己身(こしん)の弥陀(みだ)、弥陀なんの法をか説く。

このようになんどもなんども打ち返し、繰り返し、想像し観念し、想像力を集中するがよい。観念想像力構造の効果がつもってあらわれてきたならば、一身の元気はいつしか、腰や脚部や足のうらに充ち満ちて下腹部の丹田はヒョウタンのように、かたくなってくるのである。
右のように『内観の秘法』を一心に、真剣に、切に修するときは、二、三週間にしていままでの苦悩、不快、神経衰弱、肺病、などあらゆる難治の病の症状が、底をはらったように全治するものである。もしも、これが偽りならば、この老僧の首を斬りとって持ち去るがよい」と。

そこで、弟子ら一同はたいへんよろこび、懸命に精進修行したところ、各人ことごとく不思議なる効果が現われ、ほとんど病の症状は消えて、やがて全快してしまったのであります。修行精進の深い浅いによって快復の遅い、早いはあったけれども、全員完治してしまったのであります。いまさらながら、この「内観の秘法」の効果の偉大さにおどろき、かつ賛嘆してやむところを知らなかったのであります。
同上 夜船閑話 序文(意訳) より

 

 

上の内容を読めば分かるように、この呼吸法を実践したところ、弟子たち全員の病気が治ってしまったということです。しかも『苦悩、不快、神経衰弱、肺病、などあらゆる難治の病の症状が』とあるように、一つの病気だけでなく、様々な種類の病気に対して効果があったということです。
それらの病気を創り出すそもそもの原因が、自動的に取り除かれるためであろうと考えられます。つまり自動反応回路(感覚・感情・思考の回路)によって創り出された病気だからこそ、それを上書きすることで治せるということです。ただしここに肺病とありますが、これが結核をも含むとすると、この解釈を訂正する必要があります。

 

ところで、呼吸法と言っても、ただ息をすることと、何が、どう違うのかが分からないと、せっかくの効果を導き出すことができません。『夜船閑話』の本文の中には、この呼吸法を行う際の要領や、コツのようなものが、過去の偉人たちの言葉として紹介されています。

「八百歳まで生きた有名なホウソはつぎのように説いている
『心をやわらげ、元気を全身に満たすようにみちびく方法は、はなれた密室に入り、床をのべて、その上にあおむけによこたわり、枕の高さ二寸五分のものをして正しく上をむいて身体をねかせ、しずかに目をつむり、心気を丹田におさめ、鼻孔の上にやわらかい鳥の羽毛をつけてあるものと想像し、この羽毛の動かぬようにしずかに息をすること三百回に至れば、耳にはなにも聞こえず、目はひらくともなにも見えないようになる。このようになったならば、いかなるはげしい寒暑をも身体を害することができず、熊蜂が刺してもいたみ毒することができず、 以下略 』と。

またソナイカンはいっている。
『まさに空腹をおぼえて食し、つかれるまえにやすむ。なるべく散歩逍遥して、腹をすかせるようにつとめ、腹のすこしすいたときに、しずかなる小部屋に入り、端座し、無念無想に入り、呼吸する息の数を数えるがよい。一よりしずかにかぞえ出し、・・・十・・百・・千までかぞえれば、この身のこの心は寂然こつ然として、天地宇宙一切のものと溶けあって一体となり心身の清浄なることを感ずるであろう。このような状態になることひさしくして、呼吸はいつしかやみ、<息出でず、入らず、しずかにしてやむ>の境地に入るものである。このとき、体中の息は、八万四千の毛孔より雲霞のように、自然に蒸発していくように感じられて、いかなる難病もたちまち全快するのをはっきり自覚するであろう。以下略』と。
同上  夜船閑話 本文(意訳) より

 

この技法は、呼吸法のコツを修得するまで時間がかかります。初めての場合はすぐに眠ってしまいます。

眠らないコツは左右のどちらの鼻腔から息が出るのか入るのか、またその箇所などに意識を集中させていると、関心が持続します。

しかし、一度コツさえつかめば、その効果が絶大であることは上のような弟子たちの事例からわかります。

以上が、「内観の秘法」という呼吸法です。

白隠禅師は、この時いっしょに「軟酥の法」という呼吸法も伝授されました。これは白幽仙人自身がかつて様々な病気に苦しめられ、ついには医者からも見離されて、最後の手段として天地の神々に祈ったところ授けられたというものです。そして、これを熱心に実行したところ、それほどの大病が、一ヶ月ほどで治ってしまったというのです。
こちらはどうやら胃腸、内臓の諸機関の働きを活発にし、内分泌機能を盛んにさせ、心身を壮健にする呼吸法のようです。
まず、頭の上に、丸い仙薬が乗っている状態をイメージします。その仙薬が少しずつ溶け出して、全身の隅々にまで行き渡るように想像します。それを何度も繰り返すだけです。

興味のある方は、ぜひ一度、原典をお読みになることをおすすめします。「内観の秘法」と「軟酥の法」を組み合わせて行うことで、より効果が高まることもあるはずです。それにより現代の難病に効果があることもあります。

 

白隠禅師の場合は、三年で完全に快復したということですし、弟子たちの場合は、もっと早く快復したように読み取れます。二、三週間で効果が現われるという禅師の言葉があります。

 

 

しかし、呼吸法を心が安定しない状態で自己流で行なったり過激に行ったりすると、「偏差」と呼ばれる一種の自律神経失調症や心身症のようなものが発生することがあります。禅も呼吸法の一種です。これらは「禅病」と呼ばれ、白隠禅師が罹った病気です。

きちんとした指導者についた場合と、そうでない場合とでは、何が違うのでしょうか。
きちんとした指導者がいる気功教室で気功を習うと、練習の最後に必ず「終功」というものを行います。それによって、一度上がった気を降ろすといわれています。そのために腹部の丹田という部位に、気を降ろす動作を行います。これは運動をした後の整理体操や、ストレッチ体操と同じ効果を持つと考えられます。
激しい運動をした後で翌日、筋肉痛を起こさないためには整理体操や、ストレッチ体操をやる必要があります。これは脳の興奮を、短時間で鎮める作用のあることが分かっています。脳波計で見ると、それまでは興奮状態であった脳が、急速に鎮まっていくのが分かります。つまり運動を止めてからも、脳の興奮状態はすぐには治まらないのです。その興奮状態が続くことで筋肉が休まらず、翌日の痛みの原因を創りだすのです。疲労が残る原因になります。

呼吸法でも、それと同じことが起きると考えられます。つまり呼吸法を行ったあとの興奮が、脳の中でいつまでも持続している状態が、気が上がった状態と言われるものです。放置すれば、その状態がいつまでも持続します。ストレッチ体操や整理体操のようなもので、興奮を鎮める必要があります。
運動終了後の整理体操やストレッチ体操は自己流で練習すると、最もおろそかになりやすい部分です。ですから偏差、禅病というのは、それをきちんとやらないための障害ではないかと考えられるわけです。

要するに終功によって、上書きされた回路を安定させるのです。しかし、これをやらないために偏差という精神障害が発生し、これをきちんとやることにより様々な精神障害を治すことが出来るというのは、この終功の効果の中に、回路の発生と消滅の因果関係があると推察できます。つまり、心の安定状態によって、精神神経回路の中に創られたプログラムの活動を停止させることが出来るのではないかということです。
禅の場合は、それが非常にゆっくりと進行するために、大抵の場合は禅病にならずに済むわけです。あまり過激に行うことがないように、危険防止のための機能が、座禅修行の行程の中に組み込まれているのです。つまり掃除や食事などの日常的な作業ともに、座禅修行が定期的に行われるようになっているのです。ここに古来よりの人々の知恵が取り入れられています。

この「呼吸法」を自律神経のレベルで見てみます。
気功も禅も呼吸法の一種です。呼吸というのは、意識的に自律神経系に働きかけることが出来る効果的な方法です。

自律神経系の機能は、消化作用や血糖値のように、意識的に操作することの出来ないものです。

 

交感神経と副交感神経の働き

心拍数

 

呼吸

消化作用

 

 

 

 

交感神経

促進

上昇

促進

抑制

増加

拡大

収縮

便秘

副交感神経

抑制

下降

抑制

促進

減少

縮小

拡張

下痢

 

しかし、呼吸だけは自分の意志によって、早くしたり遅くしたりすることが出来ます。その呼吸に他の臓器の機能が連動しているのならば、呼吸をコントロールすることは、自分の意志で自律神経系を操作することになります。
たとえばヨーガの達人は、呼吸数を減らし、心臓の鼓動を遅くして体温を低下させ、一種の冬眠状態を創り出すことができます。それを意識的に行っているのです。つまり自分の意志で、自律神経系を操作しているわけです。

従って、「呼吸法」は大脳辺縁系の自律神経系に、大脳皮質の表層意識が介入することの出来る技術・技法です。

精神疾患は、自動反応回路によって自律神経系を操作して様々な障害を発生させるプログラムであると仮説できます。

その自律神経系に意識的に働きかけることが出来るということは、その回路の発動をコントロールできるということになります。

きちんと終功を行うことで、交感神経の活性化を鎮める作用が生じれば、余分な回路の生成を止めることができ、その時に常に心が安穏とした状態を維持することができれば回路も弱体化し、結果的には病気が自然に治ることになります。原因を創り出す自動反応回路が弱体化すれば、病気は発生しないということです。

つまり呼吸法というのは、自分の意思で病気を治す技術・技法であるということです。
ですから白隠禅師が、もしこれで病気が治らなかったら、私の首を差し上げますとまで言い切ったのは、それなりの根拠があったということです。「呼吸法」には、現代科学が見逃している自動反応回路の生成と消滅のメカニズムがあることが、これからもっと注目を浴びることになるでしょう。

科学的な思考法の原点は、起きている現象を正確に捉えることです。そして事実を事実として捉えて、正しく分析することです。

 

 

瞑想の弊害と危険性  神経障害や筋肉痙攣

 

瞑想をして、自分の感覚に対する気づきがすすめば、瞑想以外の日常生活でも筋肉痙攣の動きにきづくようになるかと思います。そして、そこに気づきをいれれば、日常の状況でもそういった筋肉の痙攣がでてくることになるでしょう。気づきの対象には「固有な振動」というものがあるようです。

より微細な領域を感知できるようになると、それによる一時的な痛みや筋肉の痙攣や不整脈を体験することもあります。

 

 

瞑想熟練者の先達たちの本にも経験されたことについていろいろな表現で書かれています。元々そういう現象があることに気づいたに過ぎないわけですから、それらの現象に気づいている以外に何かできることがあるわけでもありません。瞑想中にしばしば起きる現象で何も不思議なことではないので、心配することはありません。

 集中力が上がって対象に対して意識が集中できるようになれば、その「固有振動数」の影響は全体からみれば少ないものなので自然に痙攣は減る傾向があります。

  

こういう意識しない運動は随意運動を司る大脳皮質の運動野から発生する神経伝導経路、すなわち錘体路(すいたいろ)を介さずに起きる「錘体外路系運動」です。

リラックスすることにより、これまでの表層意識を司る交感神経から潜在意識を司る副交感神経に移行し、身体や臓器が自然に動き出すものです。

長年の間に積み重ねられてきた各自のメンタルと体の不自然な癖による歪みを修正して自然に戻そうという運動なので動き方は人それぞれです。 

たとえば、私たちは眠っている間にも寝返りをしますが、この中にはその日の体の歪みを取る運動も含まれています。 

 

 

自律性解放現象とは、瞑想や自律訓練法を行う過程で起こる好転反応です。

自律神経の歪みを正し、交感神経と副交感神経のバランスを整え、メンタルと肉体の回路を弱体化するプロセスの現象です。

習慣になっていた肉体とメンタルのクセ(回路)を変更することに対する反作用です。

 

 自律性開放現象の症状

・不安感や不快感を感じる

・離人感を感じる

・今まで忘れていたような嫌な思い出やトラウマ、身体の痛みが出て来る

・身体の部分的な痙攣

・身体の痛み

 

したがって、重篤な精神疾患の場合、瞑想や自律訓練法などはしてはいけません。

このような場合は瞑想ではなく、目を開けて、自分の感覚や感情や思考の流れをただ観察するだけにします。

普通の精神状態であっても、日常生活に支障が出る場合は、瞑想や自律訓練法は中断します。

 

「瞑想が鬱病や精神疾患の引き金になる」ケースもあるようです。

原因は探求中ですが、感覚や浮かんでくる記憶や空想をただ観察するだけが必要な作業なのですが、気が付かないうちにこれらを評価したり、反応してしまっているせいなのかもしれません。

 

自律性解放現象というのは次の段階へ進むために必要なものでもあるので、時間をかけて向き合うことが必要です。

コツは自分の心を安らかな状態に維持しながら、自分の感覚や感情や想いに寄り添うことです。

心の安らかさを維持できない場合は、瞑想や内観は中止しなければなりません。

 

 

 

弊害・危険性

瞑想のもたらす心理学的作用が報告されるようになり、健康管理、心理治療、教育などの分野に応用されるようになったが、研究の増加につれて、その弊害も報告されるようになりました。

精神科医師の安藤治氏は、臨床場面で安易に瞑想を適用ないし「処方」することが孕む大きな危険性があると臨床的報告をしています。

弊害としては、時折起こるめまい、現実との疎外感、それまでになじみのなかった思考、イメージ、感情などが引き出され、それらに敏感になることによってもたらされる苦痛(妄想的な思考にとらわれる、不安に付きまとわれる頭痛、消化器系の不調など)、また、不安、退屈、憂鬱感、不快感、落ち着きのなさの増大などが報告されています。

それまで保たれてきた防衛のメカニズムが瞑想によって崩され、普段は意識にのぼってこない幼児期の体験や不快な体験の記憶、身体の痛みが浮上することがよくあります。またかつて精神病を体験した人の場合、症状が再発する可能性があり、心理学的な知識のない瞑想指導者がさらに集中的な瞑想をするようにすすめることで、症状が一層悪化する可能性もあります。心理学的知識のない指導者・熟練していない指導者の指導を受ける場合、大きな危険があります。

 

長期のリトリート(集中合宿)の場合、瞑想体験が進化し内面への意識の集中が深まり、日常生活から意識が遠ざけられることになり、そこから日常生活に戻る際に障害がみられることがあります。その症状は精神医学で離人症と呼ばれる症状に酷似しており、長期瞑想者のほとんどがこの離人症を体験しているともいわれ、実際に精神科を受診せざるをえなくなったケースもあります。

 

臨床的見地から、瞑想は精神病や境界性人格障害、慢性のうつ病、片頭痛やレイノー病(毛細血管の収縮による血行不良)などには安易に適用すべきではないことを示す研究もあります。

これらの研究は、少なくとも瞑想には不向きな人がいること、瞑想を治療として処方することは安易にはできないこと、様々な瞑想伝統が示すように瞑想には十分な準備が必要である可能性などを研究者たちに示しています。

 

瞑想修行においては、生のすべてが意味を失い、深い苦痛や絶望、重苦しい抑うつ感にさいなまれる「魂の暗夜」という状態があります。

(通常のうつ病的状態とは異なり、決して自殺に追い込まれることはない、と言われています。)

スピリチュアリティへの強い欲求や志は、この世界には戻ってきたくないという輪廻転生を否定する願望ともつながり、また、本質的に「自己」の基準が希薄になることから、自己責任を放棄する傾向があります。

したがって、安易な善悪の判断基準や、外的対象に依存しがちになる傾向があり、スピリチュアル・アディクション(中毒)に陥る可能性が常に強くあります。

 

特に現実逃避の傾向のある人が瞑想などのスピリチュアルな実践を行う場合、安易に中毒が起きやすく、また抜け出しにくい傾向があります。

自己がしっかりと確立される過程の人が瞑想を行う場合も、現実逃避の温床になりやすく、スピリチュアル・アディクションを招きかねません。

 

 

瞑想修行がすすみ、集中的瞑想の段階に入ると、通常では体験しないさまざまな心的要素が次々現れます。

多くの瞑想伝統では、悟りに至る過程の一現象であり、「副作用」に過ぎないものとされますが、瞑想者に非常に大きな衝撃を与える体験であり、道を踏み外したり、病理的な事態に陥るといったことが知られています。欧米ではまだこの段階に達している瞑想者は少ないため、研究も進んでいませんが、感情的・身体的エネルギーの激発(体の一部が突然動く、急に脊髄が燃えるように感じられて体中が熱くなる、身体各部に強烈な痛みを感じる、身体各部の緊張が急に解き放たれる、様々な色の光に襲われる、強いエクスタシーを伴って身体全体が震える、複雑で劇的な身体の動きが数日〜数年続く、など)があり、ヒンドゥー教で「クンダリニーの覚醒」と言われる状態と思われます。また瞑想集中期には、身体が大きくなったように感じたり、重く感じたり、また体外離脱や幻聴などの知覚の変容、急に強い絶望感、喜び、深い悲しみ、恐怖に襲われるといったこともあります。感情が大きく揺れて制御できなくなる、過去世のようなヴィジョン、見たことのない情景が現れるなど、古代的・元型的イメージが浮かび上がり、これに伴う強烈な光や色に圧倒されて、精神のコントロールができなくなることさえあるという症例があります。瞑想熟練者によるきめ細やかな指導がない場合、病理的な状態に陥る可能性もあります。また、指導を無視して、正しい瞑想法を行わずに、完全に精神病的状態になり、薬物治療が必要になったケースもあります。

 

また、集中的瞑想が深まると、すばらしい喜び、至福の感情、魅惑的な恍惚感、強烈な解放感が湧き上がることがあり、これを瞑想の最終的ゴールと間違えることはよくあります。これらはシュード・ニルヴァーナ(偽涅槃)と呼ばれており、強烈な幸福感を呼び覚ますため、一度体験するとそれにしがみついて手放そうとしなくなったり、悟りの境地に達したと感じて有頂天になったりすることがあります。多くの瞑想伝統には、こうした体験を評価する洗練されたシステムがあり、シュード・ニルヴァーナには距離を持って接するように強く何度も指導されます。

 

また日本の禅にも、修行の途中で様々な精神的・身体的不調をきたす状態が修行者たちに知られ、「禅病」と呼ばれてきましたが、詳細な記録はあまりありません。江戸時代の名僧白隠は、若い時に過酷な修行で禅病に悩まされ、経緯や症状、その克服法「内観の法」「軟酥の法」を『夜船閑話』に書き残しています。

 

瞑想は、日常の5感覚器官からの刺激に対する意識をできるだけ遮断することで、記憶や空想の刺激が一気に力を増して、その人の意識を占領してしまうことがあるので、とても危険なことです。

しかし、たとえば10日間の瞑想合宿では、誰とも話さず、本も読まずに瞑想だけに集中するので、誰でも4日目ぐらいから非日常的な意識の状態になります。

それはすばらしい体験ですが、人によっては、自分が心の中に隠し持っていたものにいきなり直面して恐ろしい体験をしてしまうこともあります。

しかし、それらを安穏した心を維持し、自分の行っていることを自覚しながら体験することができるのであれば、潜在意識にある自動反応回路が弱体化するので、確執の原因が弱まることになります。

 

 

釈尊の風 五蘊篇    心のメカニズム  人類史の発見

認識システムと五蘊 そこからの離脱法