瞑想の弊害 神経障害や筋肉痙攣や痛み
私の場合は、瞑想をしていると、胸部全体のしびれ、大胸筋の痙攣、背中に7箇所の激痛、心臓の不整脈、目を閉じていても残光、不眠状態、丹田の熱、がありました。
あまりの痛さやこれらの非日常性の原因を知りたいと思ったことから、瞑想を継続することになりました。
不思議な縁です。
瞑想をして、自分の感覚に対する気づきがすすめば、瞑想以外の日常生活でも筋肉痙攣の動きにきづかれるようになるかと思います。そして、そこに気づきをいれれば、日常の状況でもそういった筋肉のピクピクがでてくることになるでしょう。気づきの対象には「固有な振動」というものがあるようです。
より微細な領域を感知できるようになると、それによる一時的な痛みや筋肉の痙攣や不整脈を体験することもあります。
瞑想熟練者の先達たちの本にも経験されたことについていろいろな表現で書かれてはいます。ですから心配することはありませんし、また、それらの現象に気づいている以外に何かできることがあるわけでもありません。元々そういう現象があることに気づいたに過ぎないわけですから。
集中力が上がって対象に対して意識が集中できるようになれば、その「固有振動数」の影響は全体からみれば少ないものなので自然に痙攣は減ってくる傾向があります。
瞑想中にしばしば起きる現象で「何も不思議なことではありません。」
こういう意識しない運動は錘体路(すいたいろ)という意識運動の経路を抜きにして起きる「錘体外路系運動」です。
これは手や身体が自然に動き出すものでリラックスすることにより交感神経の抑圧が除かれて、副交感神経が活性化して、中枢に刺激を与えて身体を動かすわけです。
動き方は人それぞれですが、長年の間に積み重ねられてきた各自のメンタルと体の不自然な癖による歪みを修正して自然に戻そうという運動です。
私たちは眠っている間にも盛んに体を動かして寝返りをうちこの運動をしています。
その日の体の歪みを取っているわけです。
健康に非常に良く悪いものを摂取したりすると、すぐ吐き気や下痢を催すのも精巧な体の仕組みです。
自律性解放現象というのは、瞑想や自律訓練法などをある程度行っていると起こる好転反応です。
自律神経の歪みを正し、交感神経と副交感神経のバランスを整え、メンタルと肉体の回路を弱体化するプロセスの現象です。
習慣になっていた肉体とメンタルのクセ(回路)を変更することに対する反作用です。
自律性開放現象の症状
・不安感や不快感を感じる
・離人感を感じる
・今まで忘れていたような嫌な思い出やトラウマ、身体の痛みが出て来る
・身体の部分的な痙攣
・身体の痛み
したがって、重篤な精神疾患の場合、瞑想や自律訓練法などはしてはいけません。
このような場合は瞑想ではなく、目を開けて、自分の感覚や感情や思考の流れをただ観察するだけにします。
普通の精神状態であっても、日常生活に支障が出る場合は、瞑想や自律訓練法は中断します。
「瞑想が鬱病や精神疾患の引き金になる」ケースもあるようです。
原因は探求中ですが、感覚や浮かんでくる記憶や空想をただ観察するだけが必要な作業なのですが、気が付かないうちにこれらを評価したり、反応してしまっているせいなのかもしれません。
自律性解放現象というのは次の段階へ進むために必要なものでもあるので、時間をかけて向き合うことが必要です。
コツは自分の心を安らかな状態に維持しながら、自分の感覚や感情や想いに寄り添うことです。
心の安らかさを維持できない場合は、瞑想や内観は中止しなければなりません。
弊害・危険性
瞑想のもたらす心理学的作用が報告されるようになり、健康管理、心理治療、教育などの分野に応用されるようになったが、研究の増加につれて、その弊害も報告されるようになりました。
安藤治氏は、臨床場面で安易に瞑想を適用ないし「処方」することが孕む大きな危険性があると臨床的報告を主張しています。
弊害としては、時折起こるめまい、現実との疎外感、それまでになじみのなかった思考、イメージ、感情などが引き出され、それらに敏感になることによってもたらされる苦痛(妄想的な思考にとらわれる、不安に付きまとわれる頭痛、消化器系の不調など)、また、不安、退屈、憂鬱感、不快感、落ち着きのなさの増大などが報告されています。
それまで保たれてきた防衛のメカニズムが瞑想によって崩され、普段は意識にのぼってこない幼児期の体験や不快な体験の記憶、身体の痛みが浮上することがよくあります。またかつて精神病を体験した人の場合、症状が再発する可能性があり、心理学的な知識のない瞑想指導者がさらに集中的な瞑想をするようにすすめることで、症状が一層悪化する可能性もあります。心理学的知識のない指導者・熟練していない指導者の指導を受ける場合、大きな危険があります。
長期のリトリート(集中合宿)の場合、瞑想体験が進化し内面への意識の集中が深まり、日常生活から意識が遠ざけられることになり、そこから日常生活に戻る際に障害がみられることがあります。その症状は精神医学で離人症と呼ばれる症状に酷似しており、長期瞑想者のほとんどがこの離人症を体験しているともいわれ、実際に精神科を受診せざるをえなくなったケースもあります。
臨床的見地から、瞑想は精神病や境界性人格障害、慢性のうつ病、片頭痛やレイノー病(毛細血管の収縮による血行不良)などには安易に適用すべきではないことを示す研究もあります。
これらの研究は、少なくとも瞑想には不向きな人がいること、瞑想を治療として処方することは安易にはできないこと、様々な瞑想伝統が示すように瞑想には十分な準備が必要である可能性などを研究者たちに示しています。
瞑想修行においては、生のすべてが意味を失い、深い苦痛や絶望、重苦しい抑うつ感にさいなまれる「魂の暗夜」という状態があります。
(通常のうつ病的状態とは異なり、決して自殺に追い込まれることはない、と言われています。)
スピリチュアリティへの強い欲求や志は、この世界には戻ってきたくないという輪廻転生を否定する願望ともつながり、また、本質的に「自己」の基準が希薄になることから、自己責任を放棄する傾向があります。
したがって、安易な善悪の判断基準や、外的対象に依存しがちになる傾向があり、スピリチュアル・アディクション(中毒)に陥る可能性が常に強くあります。
特に現実逃避の傾向のある人が瞑想などのスピリチュアルな実践を行う場合、安易に中毒が起きやすく、また抜け出しにくい傾向があります。
自己がしっかりと確立される過程の人が瞑想を行う場合も、現実逃避の温床になりやすく、スピリチュアル・アディクションを招きかねません。
瞑想修行がすすみ、集中的瞑想の段階に入ると、通常では体験しないさまざまな心的要素が次々現れます。
多くの瞑想伝統では、悟りに至る過程の一現象であり、「副作用」に過ぎないものとされますが、瞑想者に非常に大きな衝撃を与える体験であり、道を踏み外したり、病理的な事態に陥るといったことが知られています。欧米ではまだこの段階に達している瞑想者は少ないため、研究も進んでいませんが、感情的・身体的エネルギーの激発(体の一部が突然動く、急に脊髄が燃えるように感じられて体中が熱くなる、身体各部に強烈な痛みを感じる、身体各部の緊張が急に解き放たれる、様々な色の光に襲われる、強いエクスタシーを伴って身体全体が震える、複雑で劇的な身体の動きが数日〜数年続く、など)があり、ヒンドゥー教で「クンダリニーの覚醒」と言われる状態と思われます。また瞑想集中期には、身体が大きくなったように感じたり重く感じる、また体外離脱や幻聴などの知覚の変容、急に強い絶望感、喜び、深い悲しみ、恐怖に襲われるといったこともあります。感情が大きく揺れて制御できなくなる、過去世のようなヴィジョン、見たことのない情景が現れるなど、古代的・元型的イメージが浮かび上がり、これに伴う強烈な光や色に圧倒されて、精神のコントロールができなくなることさえあるという症例があります。瞑想熟練者によるきめ細やかな指導がない場合、病理的な状態に陥る可能性もあります。また、指導を無視したり、正しい瞑想法を行わずに、完全に精神病的状態になり、薬物治療が必要になったケースも知られています。
また、集中的瞑想が深まると、すばらしい喜び、至福の感情、魅惑的な恍惚感、強烈な解放感が湧き上がることがあり、これを瞑想の最終的ゴールと間違えることはよくあります。これらはシュード・ニルヴァーナ(偽涅槃)と呼ばれており、強烈な幸福感を呼び覚ますため、一度体験するとそれにしがみついて手放そうとしなくなったり、悟りの境地に達したと感じて有頂天になることがあります。多くの瞑想伝統には、こうした体験を評価する洗練されたシステムがあり、シュード・ニルヴァーナには距離を持って接するように強く何度も指導されます。
また日本の禅にも、修行の途中で様々な精神的・身体的不調をきたす状態が修行者たちに知られ、「禅病」と呼ばれてきましたが、詳細な記録はあまりありません。江戸時代の名僧白隠は、若い時に過酷な修行で禅病に悩まされ、経緯や症状、その克服法「内観の法」「軟酥の法」を『夜船閑話』に書き残しています。
瞑想は、日常の5感覚器官からの刺激に対する意識をいったん封鎖し、記憶や空想の刺激が一気に力を増して、その人の意識を占領してしまうことがあるので、とても危険なことです。
しかし、たとえば10日間の瞑想合宿では、誰とも話さず、本も読まずに瞑想だけに集中するので、誰でも4日目ぐらいから非日常的な意識に入って行くことができます。
それはすばらしい体験ですが、人によっては、自分が心の中に隠し持っていたものにいきなり直面して恐ろしい体験をしてしまう人もあります。
しかし、それらを安穏した心で体験することができれば、それらの自動反応回路が弱体化するので、確執の原因が弱まることになります。