伝播という魔法

 

 

魔法と呼ばれるものには一般的な常識とは逆の因果関係が多いものです。

一般的には世界に伝播される言動に根拠となる原因があり、その原因の結果が伝播である、と考える傾向がありますが、

 

実際には、

1 魔法は発信者ではなく、受信者にその根拠があること、

2 その根拠となる回路を基準にして世界を解釈してしまう信仰のメカニズムが魔法の鍵であること、

3 その魔法のイメージ回路は環境の要因によって作成されたものだという具体例(福山とサザン)

を順に考察していきます。

 

ここでいう回路とは自動反応回路のことで、体のレベルでは条件反射、深層意識のレベルではトラウマのように、あるインプットに対して決まったアウトプットを出力するプログラムのことです。

 

 

発信者から受信者への伝播を3つのカテゴリーに分けてその因果関係を見ていきます。

 

どの段階でも魔法のプログラムは発信者ではなく、受信者の内側にあります。

つまり、発信者が受信者の求めるものの条件を満たしていれば、受信者は自分の中に回路(魔法)を作成します。しかし、発信者の言動と自分の想い(回路)との間にギャップを見つけた時には、発信者のメッセージに間違いがあると判断し、自分の回路を解体して、発信者から離れます。

 

次に、異なる時空のために教祖(発信者)と直接のコンタクトがない場合は、発信者のイメージと接触することで受信者は自分の回路を作成し、その回路を基準にすることが信仰というカタチ(パターン)になります。

 

そして、最後の段階ではこのカタチが同じ人々に次々とメッセージが伝わっていきます。

 

 

魔法の正体

 

関係性

キーポイント

効用

具体例

場所

1

教祖と弟子

受信者側にある魔法の回路

試行錯誤

弟子、修行

2

教祖のイメージとリーダー

魔法とは一方・一面的解釈

分派ができる根拠

啓示

信念

リーダー、共鳴

殉教

3

リーダーと一般社会

時代と地域が魔法の要素

癒やし

ファン、共感

都市

 

 

では、まるで魔法のように次々に伝播していくメカニズムはどのようになっているのでしょうか?

 

その伝播が魔法のように見えるのは、「受信者たちの潜在意識が求めているもの」が物理的に見えるものではないのに次々と易易と伝播していくからです。

たとえばトラウマは確固たる回路がありますが視聴覚で認識することはできません。

しかし、各自が自分の潜在意識を実感することで、論理的に推察することは可能です。

そこで魔法、すなわち受信者の潜在意識にある回路を段階別に見てみることにします。

 

 

1段階目の魔法は「教祖から弟子」への伝播です。釈迦とイエスを例にとります。

 

釈迦

まず釈迦のケースでは、教祖と弟子たちには共通の目的がありました。

それは「老・病・死の苦しみから脱する方法を知りたい」ということです。

ですから、それを見つけて体現したという釈迦の宣言や彼の体の色や姿勢などを視聴覚した者たちは、まだ体験していない方法を試すことになりました。

すなわち、発信者の変化と宣言を受信者は視聴覚で認識し、各自の論理的判断によって弟子入りという実践となったので、伝播の魔法は試してみようとする論理的判断です。

 

また、もともとは共通の目的を持っていないケースもあります。たとえば、スナーパランタ島の交易商人のプンナは仕事で祇園精舎の近くに来たときに、大勢の者たちが精舎に向かっていので、ふらふらついていくと、ブッダが説法をしていました。

そして、それを聞いたとたんに自分のすべてを義兄に譲って出家しました。

したがって、表層意識の言語化された目的を持たなくても、受信者の潜在意識が欲求するものを、その人の流儀(回路)に沿っての道(順序)を説くことでも魔法は発動します。

 

釈迦のはじめての弟子は2人の商人ですが、彼らもこの潜在意識の回路が発動したことで弟子になったのであって、はじめて論理的説明(初転法輪である四聖諦と中道)によって弟子になったのは同じ目的を持って一緒に出家した溝陳如たち五人です。

ブッダの弟子になった経緯をみると、受信者の特有の資質(潜在意識にある自動反応回路)が魔法の原因であることがわかります。

 

釈迦がいくら素晴らしいメッセージを発信していたとしても、受信者が望まなければ発信者のメッセージがを受信することはなく、時にはそのメッセージを誤解する回路を使って、逆に発信者を陥れようとした例もあります。

たとえば、祇園精舎に滞在中にはチンチャーという若くて美しい女性が釈迦と夜を過ごして子を孕んだと宣言したり、スンダリーという若い女性が愛人のようにふるまいました。

また、従弟のデーヴァダッタは、ビンビサーラ王の王子アジャータサットゥ(阿闍世)と手を組んで、釈迦の殺害計画を3度にわたって試みましたが失敗しました。そこでデーヴァダッタは改革5項目をブッダに突き付け、出家と清貧と菜食主義についてのルールを厳格にするように要求して分離しました。これは純粋性のあるものでしたが、釈迦は戒律至上主義には疑問をもっており、「中道」を説いています。

どのケースも受信者は発信者の釈迦が意図していない回路に勝手に変換して行動を具体化しました。

伝播という魔法は受信者側の回路にある、という1例です。

 

イエス

イエスの場合は、発信者(イエス)の心境と受信者(弟子)の欲求との間のギャップが大きかったので、多くの弟子はイエスを裏切るような形を取ることになってしまいました。

 

たとえば、ペテロはイエスがパレスチナからローマ帝国の支配を追いだし、ユダヤ人のための王国を築いてくれるはずだと信じていましたが、イエスが捕まってしまうのを見ると、ペテロは「私はあの人を知りません」と3度にわたり否定します。(ルカ224762

このペトロは後に、ローマ・カトリック教会の礎となり、ペトロの継承者が現在まで続く教皇の系譜となります。

 

直接の弟子の中ではマグダレーナのマリアが一番イエスの言動を理解しており、それ以外の弟子はイエスを理解できていなかったことが新約聖書には記述されています。        アブラハム教

 

弟子になるという魔法にかかった者たちも、教祖の言動が自分の想いとギャップが生じた時には、弟子をやめているので、魔法は発信者の言動ではなく受信者の側にあることがわかります。

 

次に、この伝播する魔法が一番顕著になって発揮されるのは、教祖自身ではなく、教祖のイメージであることを見てみます。

 

 

 

2 教祖のイメージを受信する者

次に時空が異なることで教祖からの直接のコンタクトがなく、そのイメージがいかに教団のリーダーたちに伝達されたのか、が第2段階目の魔法です。

 

仏教の場合は、教祖のメッセージは技法として経典に残っているので魔法は修業によって次の世代に伝承されていました。

たとえば mahasatipatthana sutta  大念処経   

 

しかし、教祖の時代とは環境が異なり、「老・病・死の苦しみから脱する方法を知りたい」と強く想う必然性が低下している地域では、技法の訓練を続けるモチベーションと必然性が減少し、教祖の提案した心境を再現できなくなる傾向が増加したと推察できます。

釈迦の達した心境は4段階あるので、一番上の阿羅漢にはなることができなくても、一番下の段階の預流果に達することは後代にわたっても長く存続しました。

しかし、時代が経ると多くの仏教徒は回路を弱体化させる修行ではなく、信仰や概念という回路を作成するチベット仏教や中国大乗仏教や日本神道仏教に変化していきました。

後続のどの分派も教祖の教えであるトライ&エラーの実践から離れ、受信者が教祖のイメージを一方的に構築したもので、信仰によってしか成立しないものに変化していくのも必然でした。

 

 

キリスト教

イエスの死後、イエスからの直接の教えもなく、イエスの弟子たちを迫害していたパウロがキリスト教団の中心になり、後にはカトリック教会となって全世界に広がりました。

パウロはイエスと直接に対話したことはなく、パウロ(受信者)がイエスのイメージ(啓示)によってメッセージが伝播されたと信じていることに魔法のメカニズムを理解する鍵があります。

そしてこれはヨーロッパ思想史の限界、すなわち現代の「因果関係を逆に捉える常識」を示す良い例です。

シンプソンのパラドックス  分割して統合すると答えが変わる統計学

学問するとダメになるわけ  因果関係を逆にする考え方 

 

新約聖書によれば、パウロは生まれながらのローマ市民権保持者であり(『使徒行伝』22:25-29)、ベニヤミン族のユダヤ人でファリサイ派に属し、ラビのガマリエル1世のもとで学んでいました。そこでキリスト教徒たちと出会い、熱心なユダヤ教徒の立場から、キリスト教徒を迫害し(ガラテヤ人への手紙1:13)、ステファノを殺すことにも賛成しました。(『使徒行伝8:1』)

しかし、ダマスコへの途上で、「サウロ(パウロはギリシャ語読み)、なぜ、わたしを迫害するのか」(『使徒行伝9:4』)と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた後に目が見えなくなります。伝統的な絵画表現では、イエスの幻を見て馬から落ちるパウロの姿が描かれています。

一方でパウロ自身はこのエピソードを自ら紹介しておらず、単に「召されて使徒となった」(ローマ1:1)(ガラテヤ人への手紙1:12)と記しています。

その後キリスト教徒のアナニアがパウロのために祈ると、目が見えるようになりました。(『使徒行伝9:15』自由主義神学はこのイベントを史実として扱っていない)。

この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされています。

イエスが処刑されたのは紀元30年の47日金曜日と推定されているので、死後4年経った後の出来事だとも言われています。

余談ですが、西暦の紀年法は525年にローマ修道院長ダイオニアス・エキシグスが提唱し、10世紀ごろにヨーロッパで普及しましたが、ルカ伝の2章によるとクレニオがシリヤの総督であった時とあり、ヘロデ王は紀元前4年に死去しているので、イエスの生誕は紀元前5年ごろだと、推察できます。

 

パウロの「イエスはキリストである」という信仰は、彼自身が第三天界の体験をした(コリント第二 2:12-2)こと、そして直接の内的啓示による体験(ガラテヤ人への手紙1:16)に依るものとされています。

 

これまでの人類史では、この2段階目の「イメージの啓示」に「信仰」という要素を加えたものが伝播の増幅となり、そうでないものは縮小しています。

つまり技術の訓練による伝播ではなく、信仰という安易な手段を一般社会は好むからだと推察できます。

 

 

ここで啓示のメカニズムを2つ推察してみます。

1つ目は、心が揺さぶられる体験をした者が自分の認識システムで回路を作り、そこにエネルギーが通過した時に回路が発動して、これを発信者からのメッセージであると想い、それをインスピレーションとして捉える、という仮説です。

例えば、一般人は自分の中にいろいろな感情や思考回路を持ち、それぞれが矛盾するときに「わたし」はどちらも選択できないことで悩むという状況になります。

また、多重人格者はいろいろな回路を「わたし」とは異なる人格として扱うため、頼りにならない「わたし」に統合されることはなく、回路を別人格として扱います。

そして、啓示の場合はこの回路を自分の外側にあるものだと判断し理解することで、その回路をインスピレーション、すなわち「カミの聲」として受諾する、という仮説です。

 

2つ目の仮説は、意識体が体験した回路は本人が死んでも宇宙に残存して蓄積するというものです。

たとえば聖典の記述という物理的データだけではなく、上座部仏教のnāmagottaという宇宙データや、ブラックホールの表面に張り付いていると宇宙物理学者が推察しているデータのように。

電気が走るような体感とは、そのデータ回路が自分の内側にある回路と共鳴しているからだ、と仮説してみます。

そしてその波動が霊的体験や作詞や作曲のインスピレーションにつながります。

 

たとえば、この地上には無数の電波がとんでいるので、同調できる受信機があればその波を視聴覚の信号に変換することができます。その受信機を設計し、構築するのが修行の目的の1つだと仮説してみます。

真空管や半導体を用いなくても、鉱石ラジオのようにコイルによって磁場が作られて受信が可能になります。

 

 

2段階目の「イメージ伝播」のメリットは魔法のように伝播され、その事実を見てアカデミーの世界でも因果関係があると現段階では信仰しているので、社会がそれを評価することです。

 

デメリットはこの回路は特定のTPOでしか通用しないものなのに、それを基準としてしまう過剰一般化をすることで、適応していないTPOにも強引に当てはめて理解してしまうことです。

教祖自体がすでに存在していないのでそのイメージを発信者に確認することはできなくなっているので、トライ&エラーで修正することはできず、受信者のイメージは一方的に固定化されます。

すなわち、ある受信者にとってはそのイメージは絶対的、つまり「カミの聲」として捉えられます。

しかしそれは意識体の脳の中だけに存在するもので、理念や絶対や無やゼロと同じようにこの変化し続ける宇宙には存在しないものです。

つまり、この宇宙は常に変化することが特徴であるのに、一面だけを基準にすることで変化を固定化させて解釈することになりますが、信仰の対象とすることができます。

このような捉え方が信念となり、世俗的解釈によるジハードのテロリズムや殉教という言動に繋がる可能性となります。

 

信仰とは過去の体験によって作った回路を何度も反復する行為のことです。

そして、信仰という回路を自分自身で作成し、それに自分自身が操作されていることに自覚的ではない人もいます。

教祖は絶え間ない「いま・ここ」を実践することを提案し、信仰という回路の危険性を説いているのにもかかわらず、です。

 

 

 

3 時代と場所が要素になる伝播

3段階目の伝播の魔法とは、受信者の時代と場所と本人の成長段階による世界観とによって作られることを具体的に見てみます。

つまり、発信者のメッセージは条件、受信者の回路が主因、そしてその回路が作られる要素はその時代と場所という環境によるものである、ということです。

 

 

今回は例えにあがった福山雅治とサザンオールスターズから具体例を見てみます。

 

歌は歌詞だけではなくメロディー、リズム、転調、グルーヴなど多面的に回路を見ることが有効ですが、今回は言葉すなわち歌詞にスポットライトを当てて、受信者たちの回路の特徴を見てみます。

 

歌手のメッセージを強く受信する人たちの特徴と環境

 

時代

人生

長調

短調

人口密度

都市

福山

平成

青年期

爽やか

郷愁、想い出

増大

憧れ、充実

サザン

昭和

熟年期

円熟

皮肉、侘び

減少

哀愁、限界

 

 

たとえば福山が素晴らしいメッセージを発信しても受信者の性格、年齢、住居によって、それが伝わるかどうかが決定されます。

たとえば私は子供には福山の歌をすすめることはありますが、私自身には関心が湧かない歌詞が多いです。

逆にサザンの歌には小学生の子供にはすすめないものもありますが、私自身には沁みる歌詞が多いです。

 

両者の歌詞で驚くのは、歌詞の意味そのものではなく、如何に受信者の回路に寄り添って言葉を選び、曲を作り上げているかという彼らの努力と心意気です。

しかし、そしてそのような受信者に適応されたメッセージでさえも一部の受信者は関心を示さないこともあります。

それどころか、たとえば釈迦の従弟デーヴァダッタや、イエスの使徒ユダのように発信者を憎んで消滅させようとすることさえあります。

 

したがって、受信者が発信者のメッセージを解釈できるとは限りませんが、それでも表層よりも微細なものへ向かって理解する可能性を受信者自身が持っている、ということが魔法を超えた奇蹟と呼べるものがこの宇宙にはある、と想いました。

 

 

 

福山雅治の歌詞の例

 

日常の大切さと暖かさと守ることと疾走感と爽やかさにスポットライトを当てることで、都市文明に向かうことに安心できる聴手たち。

 

 

第1位「とりビー!」2014-04-02

 

まだ本気出してないけど 今日もビールはうまいし

「君は若いからきっと何にでもなれるよ!」

語る自分を斜め後ろから 冷やかしてる自分がいるんだよ

『何かを成すには人生は短い 何も成さぬなら人生は長い』

聞いたことがある 借りたことがある 誰かの言葉で また誰かにお節介

とりあえず ビール!

 

中島敦の『山月記』からの名言。

 

 

第2位「道標」2009-05-20

 

人に出逢い 人を信じ 人にやぶれて 人を憎み 人を赦し また人を知る

風に吹かれ 泣いて笑い 生きるこの道 あなたの笑顔 それは道標

風に吹かれて走っています あなたがくれた この生命の道を

わたしはこの手が好きです ほらあなたによく似ている

わたしたちを育て旅立っていった あなたのその手が好きです

 

NEWSZEROのエンディング曲  愛する祖母を思ってつくられた曲。

 

 

第3位「1461日」2016-08-05

 

僕は君を見てると 涙が出ちゃうんだよ

戦う君が教えてくれた ただひとつ変えられることがある 「僕は僕を変えられる」

 

リオデジャネイロオリンピックのテーマソング。

『結果というのは誰のせいでもない。そのステージに立つ時は孤独なんだという決意。そこで描かれるのは「エンターテイメントを超えたエンターテイメント」それが僕の五輪の印象です。』

 

 

 

第4位「幸福論」:2009-6-30

 

僕らも変わってしまうけど 当たり前に歳をとるけど いつか心臓も止まってしまうけれど

君が 今日も笑ってくれたなら 君が 今日も喜ぶなら それが僕の幸福

 

 

 

第5位「Sandy」:2006-12-06

 

おはようとおやすみのキスをして ただ抱きしめる その喜びを勇気に

「痛みなら耐えられる 自分なら捨てられる」

この生命(いのち)で僕は 君を守るから 戦い続けて… 君眠る街へ 帰るべき場所へ

 

娘を思う父親の気持ち、実際はライブに同行するツアースタッフに感謝の気持ち

 

 

 

第6位「ひとりきり歩いてく帰り道で」:1995-06-09

 

楽しかった頃の思い出を 今になり掻き集め 気づくことばかり

どうして答えは いつだって遅れながら やってくるのか

 

 

 

第7位「かなしみは…」:1990-04-21

 

君の目に写る 俺は優しい人かい 顔にはりついた 仮面が見えないんだろう

君の目に写る 俺は優しい人かい 仮面の下の 悲しみを吹きとばせ 暗闇を駆け抜けろ

 

 

 

第8位「ミスキャスト」2014-04-02

 

あなたのためなら 何にでもなれる 自分らしさなんていらない

でもこのラブストーリー 本当の主役は あなたじゃない わたしなの

エンドロールが楽しみ あなたは まだ知らない

 

 

 

第9位「あの夏も海も空も」:2006-05-24

 

ふたりすべては許されない恋と知りながら走り出した

夢を話したね 時にはケンカしても 僕らひとつだった

あんなに笑って あんなに泣いていたね ふたりでいればなにも怖くなかった

苦しいくらいに本当の恋をしてたね いつも裸の心で抱き合ってた

 

「新ダイエット<生>」のCMテーマソング

 

 

第10位「1985 Factory Street 夏」:1994-06-09

 

明日など見えない恋をしていた そうさ 何ひとつ迷わず 駆け抜けた

きっと誰よりも激しい恋をしていた そうさ 誰よりも激しく 駆け抜けた夏さ

 

 

 

 

01. とりビー!YouTube 福山雅治 とりビー!

02. 道標YouTube 福山雅治 道標

03. 1461YouTube 福山雅治 1461日

04. 幸福論YouTube 福山雅治 幸福論

05. SandyYouTube 福山雅治 Sandy

06. ひとりきり歩いてく帰り道でYouTube 福山雅治 ひとりきり歩いてく帰り道で

07. かなしみは…YouTube 福山雅治 かなしみは…

08. ミスキャストYouTube 福山雅治 ミスキャスト

09. あの夏も海も空もYouTube 福山雅治 あの夏も海も空も

10. 1985 Factory Street YouTube 福山雅治 1985年 Factory Street 夏

 

 

 

福山雅治の生き方についての言葉

 

「しつこい人は何とかなります。これ本当です。」(155月の言葉)

 

「強い言葉ばかり言っていると弱く見える」(143月の言葉)

 

「人間ね、上を見ていれば怖いことは何もないんですよ。下を見るから落ちるような気がするんですよ」(133月の言葉)

 

「変化ですよね。変化している状態こそが、ドキドキするし、魅力的なんだと思うんですよね。」(ダンロップのCMより)

 

「(生きるとは?)人の役に立つこと。人に喜んでもらうこと。」(ダンロップのCMより)

 

「(弱さなどを)さらけ出した人っていうのは強いし、チャーミングですよね。」(132月の言葉)

 

「人間というのは忘れっぽい生き物で、でも忘れるからこそ生きていけるという側面も持っている」(131月の言葉)

 

「プレッシャーを感じることをあえてしていかないと人間成長しませんから。」(131月の言葉)

 

「別にすべてを人生なんてゲームだからさ、と思う必要はないわけですよ。ゲームという言葉ではくくりきれないようなこともあるわけだから。

だけど、あまりにも真剣にそのことに入り込み過ぎると(目の前が見えなくなる)。そういうことですよ、僕が言いたいのは。人生というものをたまにはゲームに例えてみたらどうですか?と」(129月の言葉)

 

「(人生の中で大切にしていることを聞かれて)健康をすごく大切にしてます。心身ともに健康じゃないと何もできないので。」(オリスタ 12.10.8

 

「生きていれば、受け入れられないこと、許せないことは必ず生まれる。憎しみや悲しみを持っていない人の方が少ないでしょう。」(WHAT's IN? 1210月)

 

「仕事を生活にすればすべてうまくいく」(12719 モーニングバード)

 

「ぼくはある種、いい加減な人間です」(124月の言葉)

 

「本当に大切なのは間違った時にどうするかということ。」(TVガイド PERSON 1258日号)

 

「「実るほど頭をたれる稲穂かな」と言えるようになりたい」(Precious 0712月号)

 

「僕はいつも今が一番いいと思って生きている」(福山雅治「伝言」 木村克己 p114

 

「世界は間違っているのは当たり前。」(福山雅治「伝言」 木村克己 p28

 

「長寿日本一になりたいぐらい」(福山雅治「伝言」 木村克己 p28

 

 

 

 

サザンオールスターズの歌詞の例

 

サザンの魔法は消え去る詞を相反する(アンビバレンス)メロディーに融合する技と(山崎まさよしや玉置浩二にも共通する)桑田の声質のグルーヴ

 

 

『君が涙を止めない』

メロディ(Melody)の出だし。

 

モノクロの画面で明石家さんまが桑田の口パクで歌ったCM

 

 

 

@悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)

《やがて誰かと 恋におちても/胸に残る言葉は 消えないままに/泣くのはやめて 愛しい女性(ひと)よ/君のことを今も 忘れられない》

 

終わりゆく恋のヒリヒリとした余韻を、軽快なモータウンポップの曲調の中で弾けさせるように歌い込む。

 

 

 

A祭りのあと

底無しの海に 沈めた愛もある/酔い潰れて夜更けに独り/月明りのWindow/悲しみの果てに おぼえた歌もある/胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた》

 

オーガニックで豊穣なバンドサウンドに支えられ、哀愁を粋な筆致で綴られた、季節感漂う失恋ソング。

物語の抑揚、ブルージーに映える節回しが一致する。

TVドラマ『静かなるドン』のテーマ曲。

 

 

 

B波乗りジョニー

《君を守ってやるよと 神に誓った夜なのに/弱気な性(さが)と裏腹なままに 身体疼いてる

 

ピアノリフから賑々しく展開し、波に揺れる不安定な恋心と、その先にある高揚感の予兆を汲み取っている。

 

 

 

C東京

《東京は雨降り/何故 冷たく頬を濡らす/父よ母よ虚しい人生よ》

 

重厚なピアノブギーで鳴らされ、悲哀が立ち上る情緒的な作

 

 

 

D明日晴れるかな

《神より賜えし孤独やトラブル/泣きたい時は泣きなよ/これが運命(さだめ)でしょうか?/

あきらめようか?/季節は巡る魔法のように/

OhbabySmile baby./その生命(いのち)は永遠じゃない/誰もがひとりひとり胸の中で/そっと囁いているよ/「明日(あした)晴れるかな…」/遙か空の下》

 

 

さまざまな困難は「神からの贈り物である」、そして、人々が胸の内に秘めた、日々の生活に押し潰されてしまいそうな情熱に向けて語りかけ、「あした晴れるかな…」という聴手の想いを導き出す。

TVドラマ『プロポーズ大作戦』主題歌。

 

 

 

Eヨシ子さん

R&Bって何だよ、兄ちゃん(Dear Friend)?/HIPHOPっての教(おせ)えてよ もう一度(Refrain)/オッサンそういうの疎いのよ 妙に/なんやかんや言うても演歌は良いな》

 

時代に置き去りにされてしまう感覚を愚痴っぽく綴っているのだが、先鋭的な無国籍グルーヴを鳴らすことで、トップランナーであろうとする虚しさと意地の曲。同年に他界したデヴィッド・ボウイについても触れられている。

 

 

 

F大河の一滴

《逢わせて 咲かせて 夢よもう一度/渇いた心に命与えて/酔わせて イカせて ダメよもう二度と/野暮な躊躇(ためら)いも今はただ/ラケルの横道に埋めました

 

谷=渋谷を流れる雑踏を河に見立て、青春時代の情熱と官能に思いを馳せるダンスチューン。

オムライス専門店《ラケル》や《御岳神社》といったフレーズが記憶を掘り起こす鍵となっている。

最終フレーズの《黒の円熟が薫りました》は時の終焉の悲しき喜び。

 

 

 

G“SMILE〜晴れ渡る空のように〜”

《愛情に満ちた神の魔法も/気まぐれな運命(さだめ)にも/心折れないで/でなきゃモテないじゃん!!/素晴らしき哉 Your Smile(あなたの笑顔)/あなたがいて I'm So Proud(私の誇り)/愛しい友への歌》

 

東京2020オリンピック・パラリンピックの応援ソング。

《気まぐれな運命(さだめ)》=さまざまな災害に見舞われてきた人々へのエール。

コロナ禍のオリンピック・パラリンピック開催延期に伴い、この曲はむしろ人々の分断の時代に抗うようにその輝きを増していった。

 

 

 

H“時代遅れのRock'n'Roll Band feat. 佐野元春、世良公則、Char、野口五郎”

One Day Someday/いつの間にか/ドラマみたいに時代は変わったよ/目の前の出来事を/共に受け止めて/歌え Rock'n'Roll Band!!

 

第一線で活躍する同学年アーティストたちが結集し、時代遅れを自覚する意地と矜持の痛快な一曲。

 

 

 

I“なぎさホテル”

《いつの日にか この地球が/終わるとしても/あの日の海辺で 待ってるよ/沖合いの白いヨットが/ひとりで今日も風に揺れる

 

逗子市に実在したホテルをタイトルにし、メロウなサーフポップは時空を歪ませるように響き、色褪せない記憶と現実を生きる孤独な心が交差する歌

 

 

 

「誰かの風の跡」

 

ためらいがちな言葉で別れを告げて

歩きだす道はもう違うねと

風の季節に吐息集めて

お前とのたわむれ

波の音聴き 身体寄せ合う

忘れない情熱のしらべ

思い出のあの頃

少女のままいてくれ

抱き締めたら夏が

恋人まで連れ去る

 

夏の終りと共に恋人が自分のもとを去ってしまう切ない情景。

 

 

 

「漫画ドリーム」

 

週に十日はボケた日本

世は狂乱ホリデイ

悲しみのニュースが今

なぜジョークみたいになっちまうんだろう?

Ma Ma Ma 漫画ドリーム

なんかスクリーム

Oh I got a 漫画ドリーム

Oh いっさいがっさい あんじょう学びや!!

 

いつまで経っても改善されないおかしな世の中の現状に対して「まるで漫画のようだ」と。

 

 

 

「本当は怖い愛とロマンス」

 

今まで何をしたって

許してくれたじゃない

積もり積もった想いが

君の中で今、燃え上がる

本当は怖い愛とロマンス

突然キレて おさらば

こんなに弱い駄目な僕を

切り捨てる 魔女のように

 

曲調は明るく、歌詞は「本当は怖い」。

愛があればわがままも通用するが、別れを意識すると注がれるのは冷たい視線。

 

 

 

「オアシスと果樹園」

 

夏の太陽が眩し過ぎたのか

ロイド眼鏡が涙で曇った

辿り着けないオアシスは陽炎みたい

押され揉まれた満員電車を

降りる潮時やって来たんだな

今日の夕陽はどこに沈むのだろう?

 

昔懐かしい男女の恋愛模様と南国の雰囲気。

 

 

 

「今でも君を愛してる」

 

甘くせつなく 夜風は Heart Breaker

ひとり惨めな Hold the Line

愛しい気分 吐息に混ぜて 君のために

Ah ah Deep inside

I'll be caught into your door

夢のような恋に 魅せられたあの日々は

今も All Around Me

 

 

 

「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)

 

All day long long time to spend

泣くような Rainy Day

あの瞳はもう 二度と見れない

今でも逢いたい 気持ちでいっぱい

そんな惨めな 恋などしたくない

涙も渇いて 痛みに変わるよ

そんな乱れた思いは誰のため

I feel the echo

 

I feel the echo」は、直訳すれば「残響を感じる」となります。

終ってしまった恋を思い、その恋の残響の余韻を感じている。

 

 

「愛しい人へ捧ぐ歌」

 

見つめ合うたび永久の幸せを

夢見た頃

波音はいつも寄せて返すのに

胸の振り子はあの日で動かない

また生まれ変わって僕と踊ろうよ

ふたりで寄り添って風になろうよ

こんな駄目な 野暮な男のわがままだけど

No, I'll never cry.

もう一度そばにいて

 

 

東日本大震災の翌年の曲。

この幸せが永遠に続くことを夢見ていたが、流れていく季節とは裏腹に、いつまでも時が止まったまま。

最愛の人を失ない、もうあなたには会えないけれどまた生まれ変わって出会いたい。

 

 

「白い恋人達」

 

外はため息さえ凍りついて

冬枯れの街路樹に風が泣く

あの赤レンガの停車場で

二度と帰らない誰かを待ってる Woo

今宵 涙こらえて奏でる愛のSerenade

今も忘れない恋の歌

雪よもう一度だけこのときめきをCelebrate

ひとり泣き濡れた夜にWhite Love

 

リズムが歌詞に響いている。

 

 

 

「古の風吹く杜」:2011223

 

「古刹(おてら)の鐘鳴る谷戸から

海へと続く小路を

“人”は素通りで

“魔性”が跋扈(ばっこ)するのを君はみるだろうか?」

 

 

「路傍の家にて」:198879

 

「さもしい小屋の並ぶ 天下往来

あの道かの地をも乱売に

片方じゃ火に油の利ザヤ

是以て我が成りを憂い」

 

当時のバブル景気の社会や株投資家を痛烈に皮肉った曲。

 

 

 

「質量とエネルギーの等価性」:2002926

 

「物質を細分化して一番最後に

一番最後に来るのが素粒子

ラプラスの魔という知的存在が

桑田佳祐よりも凄い賢いらしい(悔しい)」

 

 

THE COMMON BLUES ~月並みなブルース~」:2007125

 

「ちょいと“Aマイナー”で俺ギターを弾いてみる

でも短三度は鳴らさないで弾いてみる

そいで“Dセブン”から“C”へ向かい“A”に戻る

ケツは“Fセブン”1小節、“E”だけれど

Ah!!月並みなブルース

お恥ずかしい」

 

 

「すべての歌に懺悔しな1994923

 

「儲かる話とクスリにゃ目が無い

バカヤロ様がいる

青春時代は帰らない

TVにゃ出ないと言ったのに

ドラマの主役にゃ燃えている」

 

長渕剛が激怒した

 

 

5.「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」:2011223

 

「二度とあの日の僕には

戻れはしないけど

瞳(め)を閉じりゃ煌めく季節に

みんなが微笑(わら)ってる」

 

THE BEATLESの音楽に出会ったことで人生が変わった桑田半生を振り返って歌う。

 

 

 

「しゃアない節」1994923

 

「金平糖食べ 障子を防り

北風に震え

建前さえ 捻じ曲げれば

彼の地へ赴くのか?」

 

ただ平和を甘受する現代を揶揄している反戦歌

 

 

「月」:1994923

 

「遠く遠く海へと下る 忍ぶ川のほとりを歩き

果ての街にたどり着くころ 空の色が悲しく見える

振り返る故郷は遥か遠くなり

柔らかな胸に抱かれてみたい

君を見ました 月見る花に 泣けてきました

嗚呼…」

 

古代の人は「月」と恋の歌を数多く残している。

 

 

「明日へのマーチ」:2012718

 

夢にも寄り添う 愛しい人の面影

もう一度逢えたら あるがままの姿で

涙の河 溢れる想い」

 

3.11の復興支援ソング。

 

 

 

「奇跡の地球(ほし)」20021123

 

「恋する日を待たずに消えてゆく子供達の歌は何を祈る」