運転の安全対策
はじめに
利便性 道具の利便性 これまでの稼ぎは機械のおかげ
心がすべてのはじまり
プライド 心がすべてのはじまり 自分が家族を支えてきた1つのシンボル
能力の低下 視力 反射速度
車を運転する狂気 質量とスピード 事故を起こす確率 悲惨な被害者
間違いに固執するメカニズム 経験と現状
自分の思い込みに気づき、運転を気をつけるようになるアプローチの手順
はじめに
20代のドライバーは事故発生率が高く、運転経験年数の長いベテランドライバーの方が、判断力や経験が優れているため事故を起こす確率は低いという統計があります。
しかし、人は誰しも身体能力が低下するので、それに適応して運転方法を修正をしないと、経験者の事故を起こす確率が増大します。
そして、いままでの運転技術を支えてきた各自の経験と判断力の軸が、ヒトの認識メカニズムです。
したがって、認識のメカニズムを理解することで事故に合う確率を低下させることができます。
その認識メカニズムの問題の1つは、「表層に現れる事象だけを判断の基準にする」ことに起因します。
それはある一面から全体像を捉えることで起きる過剰一般化のことです。
本人にとっては、自分が経験をしていることなので自分の「正しさ」が自信となり、自分自身では気付くことが難しい盲点となります。
群盲象を評す Blind
men and the elephant
利便性 道具の利便性 馬力 スピード×時間=距離 これまでの稼ぎは機械のおかげ
道具がヒトの生活を効率化して利便性を高めました。
木から石、石から金属へと道具は強化、操作性に長けたものに進化してきました。
そして動力を得ることができるようになると、短い時間で多くの仕事をすることができるようになり、
ますます物理的には効率の良い作業ができるようになりました。
心がすべてのはじまり
物理的効率の進化に対して、心の方は単純に進化するものではありません。
対象の変化を察知することで心は対象を「知る」ことができるようになります。
ですから心の機能は進化し続けるものではなく、対象の違い(ギャップ)に適応することです。
いくら効率の良い「知る」機能があっても、対象があってはじめて知ることができるので、
心だけでは何も知ることができません。
意識する生命体の中には、心が「判断する」ことを癖にしているモノが多くいます。
それは、心の一部に「パターン」をつくりあげて、それを基準にして、外側にある現象の変化に関わらず、
自分(作り上げたパターン)が知りたいように、現象を察知することになります。
これは、すべてが心からはじまっているからです。
プライド 自分が家族を支えてきた1つのシンボル 自分が他者にできること 他者に迷惑をかけない
心の主な機能は「知る」ことですが、心の一部である潜在意識に過去に作成したアプリが保管されるので、その回路によって、心は自動的に働きます。
たとえば、道具を操作することで生計を立てる人生を過ごした場合、その技術がその人への評価に繋がり、本人の誇りにもなります。
そこで、その回路を無自覚で作成して、次に潜在意識に保管をしています。
そして、その回路を使うことで本人は喜びを感覚します。
その誇りを基準にして世界と接することで、それはプライドとなり、自分の生きている意味や証しやシンボルの1つになります。
そのプライドによる言動は、社会や家族に対して価値のあることだと、本人は経験してきました。
それは他者に迷惑をかけるのではなく、他者のためにできる自分の役割であったからです。
しかし、どの言動にもメリットとデメリットがあります。
プライドを基軸にして言動すると、時には現状に適応するものではなく、過去のパターンを無理矢理に現状に当てはめてしまっているものになっている可能性もあります。
能力の低下 視力 反射速度 条件反射
身体の能力は成熟期に向けて上達し、後には低下するのが、モノの生滅のならわしです。
たとえば、人の体が固くなり首が回らず後ろを直視できなくなったり、視力が衰えたりします。
関節可動域が狭くなり柔軟性が失われる
40肩、50肩で首周りが固くなり、後進する際に上半身を腰から回すようにしていませんか?
痛みがなくても、若い頃よりも関節可動域は狭くなるので、左右後方の目視確認が難しくなります。
視力 動体視力 視力が0.7でも動体視力は0.1 視覚野が狭まる 白内障
安全運転のために、特に注意すべきは視覚能力の低下です。
自動車の運転は、「認知・判断・操作」の繰り返しです。
その中でも、認知情報の約80%は視覚情報と言われます。
参照 「運転者の視覚認知機能の解明とモデル化の研究」デンソーテクニカルレビューvol.12
深視力の低下には眼球筋力の衰えも影響
「深視力」とは「立体視」と「遠近感」を測定する検査です。
深視力は先行車両や対向車の遠近感、障害物を避けたり、狭い道路を走行したりする場合の立体感覚に関係します。
深視力の低下の原因には、生まれつきの斜視の他、視力の低下や眼球運動の不良があります。
加齢により視力が低下するほか、眼球筋肉の衰えが加わると深視力が低下します。
70歳以上で動体視力は0.1まで低下
通常の視力表を用いて計測するのは静止視力と言い、動く物を見る時の視力を動体視力と言います。自動車運転で問題になるのは動体視力です。
若い人でも、動く物のスピードが早くなると、その傾向はさらに大きくなります。
加齢によって眼球を動かす筋肉の反応が衰えれば、動体視力は更に低下します。
動体視力は、一般的にピークとなる20歳前後に0.8前後あったものが徐々に衰え始め、平均的な70歳以上の人の動体視力は0.1前後まで低下しています。
動体視力が低下すると、距離感覚が不良になり、事故の原因になります。
視野角が20%狭くなる
視野角は、一般成人で約200度と言われますが、高齢者では約160度まで狭くなり、特に視野角の中でも見えていても意識が行き届かない「周辺視野」を脳が認識しづらくなります。
自動車を運転するときには、この「周辺視野」への意識が非常に大切です。
視野角が狭くなると、横道から出てくる自転車、飛び出してくる子どもなどへの無意識の注意力が低下します。
白内障の影響で眩しく感じ見え辛くなる
加齢により多くの人に発症する白内障は、見え方がぼんやりと濁ってしまうばかりでなく、視界が暗くなる、反対に眩しく感じて見え辛くなるという症状があります。
視界が暗くなるのは、水晶体の濁りのために光が眼の中に十分に入らなくなり物が薄暗く見える場合が多く、眩しく見えるのは、濁り方によって水晶体内で光が乱反射し、眩しく見える場合があります。特に夜間に強い光を見た後に眩しく見える傾向があり、夜間の運転には注意が必要になります。
老人性縮瞳が起きたら薄暗い時間は特に注意
加齢によって瞳孔の反応が遅くなり、暗いところでも瞳孔が開きにくくなるので薄暗い場所でものが見えにくくなる現象も起こります。
朝方や夕暮れ時などの運転では若い時よりも格段に見えにくくなります。
反射機能が鈍くなり「わかってはいるけれど身体が言うことを聞かない」
反射機能とは、例えば「目で見る→危険を察知する→ブレーキを踏む」という一連の認知判断とそれに即した適切な行動がすばやくできることを意味します。
加齢に伴い視覚能力が低下し、運動能力も低下すると、「危険察知」までに今までよりも時間がかかり、「危険察知してからブレーキを踏む」までの時間もかかります。
時速40kmでは1秒で約11mも進んでしまう自動車を安全に運転するには、経験とともに身体能力が大きく関係します。
車を運転する狂気 質量とスピード 事故を起こす確率 悲惨な被害者
現代人の一番の問題は、車を運転するのはギャンブルとも言える狂気であることに、気づこうとしないことです。
エネルギーは質量とスピードに比例(E=mc2)するので、車の質量とスピードを考えると、接触したものを破壊し、生物なら死に至らせるエネルギーがあります。
車社会では、利便性を優先するために、この殺傷能力にスポットライトを当てないようにしていますが、冷静に観察するとただの運転免許でこのような「殺傷マシーン」を操る許可を与えるのは無謀なことだとも言えます。
道具を使う利便性に依存してしまい、これまでに轢き殺した経験をしたり、関係者が被害にあったりしない場合は、目の前を1トンの物体が高速で通過するリスクを考えないようにすることで、日常の暮らしが成り立っています。
いくらスポットライトを脱炭素化に当てて太陽光エネルギーの優良性を謳っても、世界では毎年推定値8850万の人が車によって死傷することについてニュースで毎日取り扱うことはありません。
交通事故に合う確率は53%
日本で1年間に事故に合う人数をデータから118万人に仮定して、
(1-118万人/1億2692万人)で「1年間に事故にあわない確率」を出し、一生を80年と仮定し、「1年間に事故に遭わない確率」を1から引いて80乗した数字が、「一生を通して交通事故に合う確率」で53%になります。
「人生で交通事故に遭う人は2人に1人」ということになります。
半分の人が車による事故に関わるのですから、現在の車の使い方では、車は狂気(凶器)といってもおかしくはありません。
運転者の事故は本人だけではなく、被害者とその家族を悲惨な物理的そして心的苦しみに導きます。
そして失われた体や命の再現は不可能です。
私たちはこのようなリスクを背負って毎日を暮らしています。
ですから、できるだけ事故を起こさないようにして暮らすためには、
運転を完全に否定して拒絶するのではなく、
運転者の能力低下したことを前提にした運転に修正して、
物理的に運転時間を短縮し、
物理的に運転距離を短縮し、
運転の機会を減少させることです。
交通事故で長女を亡くした風見しんごさん「交通事故って=地獄」
間違いがあっても現状に固執するメカニズム 経験と現状 相手の変化ではなく自分の経験を基準にする
このままの運転習慣で大丈夫だという思い込みはどのようにして作られたのでしょうか?
経験と目の前の現状とのギャップ
若いころに運転を始め、現在まで運転を続けている高齢ドライバーは、数十年の運転歴に自信を持っています。本人はこれまで大きな事故もなく、人を轢き殺した経験や、家族が悲惨な目にあったことがなければ、自分の運転技術と未来の経験に自信を持つことができます。
しかし、約半世紀前に運転免許を取得した頃とは社会環境は目まぐるしく変化し、当時に経験したパターンが現状に適さないケースも数多く起こるようになります。
例えば、高齢ドライバーが高速道路を逆走するケースはなぜ起きるのでしょうか?
かつてはあまり存在しなかった中央分離帯がある、各方向が独立した自動車道(片道2車線の道路、バイパス・高速道路など)を、過去から経験してきた対面通行の自動車道として判断してしまった結果です。
人生を幸せに暮らす人は「ぼんやり」とした時間が増えると言われます。
しかし、そんな時には自分の慣れ親しんだ、過去に経験したパターン(ルール)が条件反射のように自動反応回路として作用してしまう確率が増加します。
これが、「わかってはいるけれど身体が言うことを聞かない」状況とともに、大きな事故に繋がります。
間違いがあっても現状に固執してしまう理由 一里塚での休息
自分のこれまでの間違えを発見して修正すると、今の自分が正しく、過去の自分が間違えであることを体験します。
こうして修正した後には、間違えを除去したので「今」の自分の考え方に自信を持つようになります。
たとえば、私たちは1000キロの旅に出て、1キロ進む中で1つの新たな発見をし、過去の間違えを修正していると仮定してみます。
はじめの1キロ地点で1つの修正をしたとしても、これから後には999の新しい発見と間違えの修正があることを忘れてしまうと、1キロ地点にいる自分は、0キロ地点の自分と比べて「自分が正しい」と自信を持って、自分の中にまだ多くある間違いを修正しようとしないばかりか、他者に「正しさ」を説き、時に「正しさ」で他者を攻撃します。
老いを受け入れる老性自覚
最近の高齢者は非常に元気で今の60代、70代には高齢者と言う言葉があてはまらないほど元気な方が多くいます。趣味やスポーツをアクティブに楽しんでいる方、定年後も仕事やボランティアで活躍している方もいます。
しかし、年齢とともに老いを感じながらも自分自身が許容できず、周囲に心配をかける問題があります。
老いを自覚して受け入れることを「老性自覚」と呼びます。
「老性自覚」を受け入れないことで起こる問題があります。
老いを受け入れられないとどうなる?
無理をして怪我や事故を起こしてしまうケースがあります。
身体機能の低下を感じながらも「自分は若いものに負けない」と「自分の若い頃の動きのイメージを基準にしている」と腰や膝の関節に負担がかかり病気や事故につながる可能性があります。
高齢になってからの病気や事故は日常生活能力を大きく低下させます。
一度低下した能力を高齢者が元に戻すことは簡単ではなく、こういった事故をきっかけに寝たきりになってしまうケースもあります。
当たり前のようにできていたことが出来なくなると、いらいらを感じることが増えていきます。
老いを受け入れられない原因
@若く元気であると思い続けることを習慣にして生活している。
老いを認めてしまうと、悩む傾向がある。
A日常生活の暮らしや金銭面に不安がある場合は、「自分のことは自分で行わなければならない」「人に迷惑をかけられない」と、老いを感じてはいられないという状況がある場合もあります。
老いを受け入れられない人の特徴
@プライドが高い
仕事で結果を残しある程度の地位や名誉を手に入れ自分に強い自信を持っている方や、美しさへのこだわりが強く美容や健康、体づくりなどに強いこだわりを持っているようなプライドが高い方は老いを受け入れにくい傾向があります。
「若いものには負けない」「自分の技術に自信がある」「自分が家族を支えている」「いつまでも若くいたい」という気持ちが他の方よりも強いからでしょうか?
過度なプライドで日常生活に影響が出るようだと問題となります。
A人に頼ることが苦手な人
人に頼ることが苦手で何でも自分1人でやろうとする人は老いを受け入れられない傾向にあります。
今まで自分1人でやってきたという自信や「周囲に迷惑をかえけたくない」「人と関わりたくない」といった理由から、1人でがんばりすぎてしまう傾向があります。
核家族化で家族関係が希薄となったことや近所づきあいなども少なくなり、「頼れるのは自分だけだ」「周りは誰も助けてくれない」といった社会の風潮も関係しています。
生活に余裕がなく日常生活を送るのにいっぱいいっぱいの状況では将来への不安もあり、老いを許容しにくくなります。
加齢により身体能力が低下し、自動車の運転に影響があることはわかっていても、自動車なしでは生活に支障をきたす高齢ドライバーの方がほとんどです。
老いを受け入れるにはどうすればよいのでしょうか。
出来ないことを許容してくれる優しい人間関係があれば高齢者は老いを受け入れやすくなります。
すべての人が老いについて理解があるわけではないのでなかなか難しい問題です。
@老いに逆らわず老いを選択する
65歳を超えて高齢者になると誰しも老いを感じるようになります。このときに過去の自分を基準にして「がんばって昔の自分に戻そう」と思ってしまうと、うまくいかないことにいらいらするようになります。
「若いときみたいには出来ないことで深い経験をすることができることがある」
「がんばったってろくなことはない」
と考えてしまえば老いを受け入れやすくなります。
A老いは誰もが経験すること、普通のことだということを理解する
老いはどんなに凄い人だろうと避けることができない人間全員におとずれるものです。
老いは普通のことであるにも関わらず、老いを認めずあらがうことはおかしいように感じます。
老いて出来なくなったことも「老いたんだからしょうがない、誰もが経験する普通のことだ」と理解すれば老いを受け入れることが出来るでしょう。
老人性うつを予防するには常に変化しつづける現象に気づいていることです。
変化して老いた自分を受け入れることも大きなチャレンジの1つです。
B死を意識する。
老いを感じるようになると意識するようになるのが「死」です。
死を意識しすぎると老いに関しても大きな不安を感じるようになります。
ただどの生命体も誕生があるものは死もあるので、だんだんと受け入れることが、この世にいる意味の1つです。
思い込みができてしまう、ヒトの認識のメカニズム
5感覚器官からの信号が入ってきた時に、心拍・血圧・呼吸数が上昇している場合は、その信号にプラスもしくはマイナスのタグが付加されます。
プラスは近づく(好き)、マイナスは離れる(嫌い)の機能があります。
これにイメージ(概念)がセットされて回路になると、入力に対して自動的に出力が反応するアプリケーションが作成されます。
ヒトをはじめ意識があるモノは、このアプリケーションによって操作されているので、私たちは生活の殆どを自分の意志で言動していると本人は思っていますが、実態は、潜在意識に保管されているアプリケーションによってヒトは操作されている、ということもできます。
たとえば、毎日の生活習慣などです。
このアプリケーションのことを性格、性向、クセ、性質、個性、こだわり、習慣などと呼んでいます。
自分の思い込みに気づき、運転を気をつけるようになるアプローチの手順
地方では車がなければ買い物や通院が難しく生活がしづらくなりますが、事故を起こした場合には相手に迷惑がかかるため、自分の状況を客観的に認識し、危険を減らすことが必要となります。
眼が見えなくなったり、ハンドルやブレーキを操作する筋力がなくなったり、反射神経が極端に遅くなれば、運転をすることができなくなります。
私たちはだれでもそのような体の状態に向かって生きているので、いつの日かの時点でハンドルを握ることはしなくなります。
その途上のある地点までは危険性は増大しますが、運転することは可能なので、
運転免許書を返納するだけの選択ではなく、
運転者の能力低下したことを前提にした運転方法に修正する
物理的に運転時間を短縮する
物理的に運転距離を短縮する
運転する機会を減少させる
ことで対応します。
順序
思い込みができてしまう、ヒトの認識のメカニズムを理解し、
能力低下の事実を再認識し、
車のエネルギーの恐怖を再認識し、
被害者家族の実態を再認識し、
運転技術を修正します。
具体的運転技術の修正
発進
バック
右折
左折
車線変更
認識メカニズムのリンク