パーリ語からの翻訳
英語からの翻訳とパーリ語からの翻訳について
言語は、特定の時代・地域・文化・宗教・思想・生活環境の中で使用されるものです。そのため、どの言語にも、その社会に固有の価値観や世界観がすでに含まれています。
翻訳とは単なる単語の置き換えではありません。異なる時代や文化の中で形成された思考体系同士を橋渡しする営みです。そのことを常に意識することが、翻訳における誤謬を減らすための重要な前提であると考えています。
本書の翻訳にあたっては、原文のパーリ語(上座部仏教)、ヒンディー語(インド伝統文化・ヒンドゥー教文化圏)、英語(キリスト教文化圏)、日本語(神道・仏教・儒教の影響を受けた文化圏)、さらに現代都市文明に生きる科学的世界観を持つ読者を念頭に置いています。
特に英語は、長い歴史の中でアブラハム系宗教の影響を強く受けながら発展してきました。そのため、英語そのものの中に、
神と人間の上下関係、一神教的世界観、天国・地獄という救済観、教会組織、信仰中心主義、理性主義、個人主義などを背景とする思考体系が少なからず含まれています。
そのため、仏教用語を英語に翻訳した場合、原語には存在しないニュアンスが付加されることがあります。
例えば、Namo tassa bhagavato arahato sammā-sambuddhassa (その世尊・阿羅漢・正自覚者に敬意を表します)
は英語でしばしばHomage to him, the Blessed One, the Worthy One, the Fully Self-Enlightened Buddha.と訳されます。
しかし、これらの訳語には英語文化圏特有の連想が伴う可能性があります。
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訳語 |
原語 |
英語話者が連想しやすい背景 |
備考 |
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Homage |
Namo |
封建的忠誠・臣従儀礼 |
騎士が領主の前にひざまずき、I am your manと誓うのが、homageなので、忠誠、服従、主従関係が混じる。 |
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blessed |
bhagavā |
神から祝福された者 |
英語圏では神から祝福されたという神学的上下関係が入り込む。 Blessed are the meek〔聖マタイ伝5:5〉 |
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worthy |
arahant |
道徳的に価値ある者 |
英語話者にはworthy citizen、worthy personなど道徳評価に聞こえる。つまり偉い人 |
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self-enlightened |
sammā-sambuddha |
自己による悟り |
英語圏ではデカルト以降、selfはego、identity、individualと思想の中心となり、英語話者は、自己が悟ったと感じやすい。 |
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enlightened |
buddha |
啓蒙思想的な知的覚醒 |
英語圏ではEnlightenmentというとまず18世紀の啓蒙主義、理性主義、科学革命による知性による悟りを連想する |
しかし、パーリ語の原義は必ずしもそのようなものではありません。
Namo の語根 √nam は「頭を下げる」「敬意を表する」という意味では真理への敬意であって、主人への服従ではない。
Bhagavāの語源√bhagaは、功徳、徳、幸運、卓越性 神から祝福された存在ではなく、自ら完成した存在
arahantの語源には諸説あるが、一般的には「煩悩を滅した聖者」倫理的な表彰対象ではなく煩悩根絶という心理状態を指している。
sammā-sambuddhaはsam + buddhaと自分で完全に覚った者。仏教ではatta を否定するので、本来は他者から教わらず自力で覚った
buddhaの bodhi は単なる知的理解ではなく、戒・定・慧による直接体験の完成による覚めた者という意味。
このような理由から、近年の上座部仏教学者の中には Bhagavā や Arahant を無理に翻訳せず、そのまま残す立場を採る人も少なくありません。したがって、例えば、Reverence to the Bhagavā, the Arahant, the Perfectly Awakened One.のような訳は、キリスト教的連想を比較的避けることができます。
翻訳においては英語訳を重要な参考資料として尊重しながらも、それに無批判に依存するのではなく、インド思想の文脈と、そこからの離脱の道を示した仏教本来の意図を踏まえつつ、日本文化および現代都市文明の中で生活する読者にどのように伝えるべきかを慎重に検討したいと考えています。
翻訳とは単なる語句の置換作業ではなく、「異なる文化圏が生み出した誤解との対話」であるとも言えるでしょう。
また、本書の翻訳に細心の注意を払う理由は、「誤りのない実践」に資することを目的としているためです。
一つの訳語や解釈の誤りが、初心者を本来の修行道から遠ざけてしまう可能性があります。
そのため、原典の意味を可能な限り忠実に伝えると同時に、現代の読者に誤解なく伝わる表現を模索し続けたいと考えています。
正しい理解は正しい実践を助け、正しい実践は正しい理解を深めます。この試みがその一助となれば幸いです。
パーリ語からの翻訳の前提
パーリ語の特徴 動詞、格、涅槃
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観点 |
特徴 |
解説 |
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文の中心 |
動詞中心 |
文の意味は動詞が核。主語は省略されやすく、動詞語尾に含まれる |
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動詞活用 |
語尾変化が豊富 |
人称・数・時制・法が語尾で表現される(例:-āmi = 私) |
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主語の扱い |
省略可能 |
動詞語尾で判別できるため、明示されないことが多い |
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格変化 |
格が文構造を決める |
主格・対格・具格・属格などで役割が明確 |
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語順 |
比較的自由 |
格で関係がわかるため語順の制約が弱い |
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名詞 |
語尾で機能が変わる |
同じ語しかし格変化で意味関係が変わる |
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分詞 |
非常に重要 |
過去分詞・現在分詞が形容詞的に多用される |
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複合語 |
多用される |
kāyagatā, manopubbaṅgamā のように圧縮される |
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否定 |
接頭辞で処理 |
a-, an- で否定(akampita = 揺れない) |
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抽象表現 |
動詞的 |
名詞よりも動作・過程として表現されやすい |
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時制 |
比較的シンプル |
文脈依存が強く、厳密な時制区別は弱め |
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意味の展開 |
語根ベース |
√gam(行く)など語根から意味が広がる |
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文の論理 |
因果関係重視 |
「〜なら→〜になる」の構造が多い |
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文体 |
簡潔・反復 |
韻律と対句を重視(法句経など) |
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主観性 |
低め(構造的) |
感情よりも構造・法則を表現する傾向 |
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涅槃 |
世間界の外側の視点 |
同じものをみても涅槃から見れば無常・苦・無我に感じる |
他言語の特徴との比較
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言語 |
特徴 |
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パーリ語 |
動詞・格中心、構造で意味が決まる |
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英語 |
語順・前置詞中心 |
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ドイツ語 |
格あり+語順も重要 |
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日本語 |
助詞+文脈依存 |
動詞で主語がわかるのはパーリ語だけではなく、印欧語族の特徴
例えば、パーリ語:gacchāmi(私は行く) 、ラテン語:amo(私は愛する) 、サンスクリット:gacchāmi
主語がいらない(省略できる)のは動詞活用によるため
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語尾 |
意味 |
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-āmi |
私 |
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-asi |
あなた |
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-ati |
彼 |
日本語: 主語がふわっと消えることが可能(文脈依存)なのは日本思想(アニムズム、物質と霊性の関係性)
パーリ語: 主語は消えるが動詞に埋まっている
「格」とは何か
名詞の役割を語尾で示す仕組み
日本語なら:私が、仏を、師に、というように助詞でやっていることを、パーリ語は名詞の語尾でやる
パーリ語の主な格一覧
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格 |
名前 |
役割 |
日本語イメージ |
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主格 |
Nominative |
主語 |
〜が |
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対格 |
Accusative |
目的語 |
〜を |
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具格 |
Instrumental |
手段・原因 |
〜で、〜によって |
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与格 |
Dative |
受け手 |
〜に |
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奪格 |
Ablative |
起点・分離 |
〜から |
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属格 |
Genitive |
所有 |
〜の |
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処格 |
Locative |
場所 |
〜において |
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呼格 |
Vocative |
呼びかけ |
〜よ |
実例で見ると 例@Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi 👉 「仏を拠り所として向かう」
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語 |
格 |
意味 |
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Buddhaṃ |
対格 |
仏を |
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saraṇaṃ |
対格 |
拠り所を |
|
gacchāmi |
動詞 |
私は行く |
例Amanasā karoti 👉 「心によって行う」
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語 |
格 |
意味 |
|
manasā |
具格 |
心によって |
|
karoti |
動詞 |
行う |
例Bmārassa bandhanā 👉 「魔の束縛から」
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語 |
格 |
意味 |
|
mārassa |
属格 |
魔の |
|
bandhanā |
奪格 |
束縛から |
格の本質は「意味の関係」を示す つまり、文章の骨組みを作っている
例えば:
主格 → 行為の主体
対格 → 行為の対象
具格 → 手段
奪格 → 離れる起点
パーリ語は語尾でニュアンスや意味が変わる。
なぜ語順が自由になるのか
英語: 語順で内容が決まる I love you ≠ You love I(意味が崩壊)
パーリ語: 語尾で役割がわかる Buddhaṃ gacchāmi = gacchāmi Buddhaṃ どちらでもOK
日本語との比較
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言語 |
方法 |
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日本語 |
助詞(が・を・に) |
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パーリ語 |
語尾(-o, -aṃ, -ena など) |
やっていることは同じだが、表現方法が「名詞の語尾」と「助詞」という違いだけ
よくあるパーリ語解釈の誤謬
混乱するポイントは、同じ単語の形が多種に変わることや、語順がヒントにならない
たとえば、「誰が何したか」が見えにくい
格=名詞の役割表示、語尾で意味関係が決まる、語順はあまり重要ではない
パーリ語の特徴
「誰が何をしたか」より「何が起きる構造か」
例えば:汚れた心 → 苦が来る
清らかな心 → 楽が来る
涅槃からみた真理の視点があるので、主語に関わらず、法則だけが残る
したがって、パーリ語は哲学というより心理法則の記述言語
英語だと“I think” “I feel” が中心になって思考が構成されるが、
パーリ語だと「条件 → 結果」という構造が言語される
まとめ
動詞と格で世界を切る言語
主語は重要ではない
行為と結果がすべて
人は「自分が主語」だと思いたがるが、パーリ語はそれを静かに無視してくる。
しかしその分、涅槃nibbānaからの視点としては透徹されるが、各自の視点に対しては関心が薄れる。
涅槃の捉え方 ダンマの基準は?
なぜsaṃが苦になるのか saṃsāraを解体する仏教的視点と言語学者的視点との立場の相違点
パーリ語入門
パーリ語初級講座 Vipassana Research Institute