永遠から分断へ
nibbāna、五蘊、satta生命流動体、bhava、gandhabba、人間
4つの永遠とは?
いのちとは?
転生するもの(satta)は31領域のbhavaに具体化
Nāmarūpaの特徴 nāmarūpa pariccheda ñana
コラム
sattaのブラフマー 輪廻転生するものがsatta
この世には存続するものが4つあります
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パーリ語 |
漢字、翻訳、別名、大乗仏教 |
英語 |
特徴 |
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nibbāna |
涅槃、寂滅 |
Extinction(nir +√vā) to cease blowing |
エネルギーが0 |
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nāmagotta |
調査中 |
name and clan |
メンタル界の過去のデータの永続 五蘊のデータ |
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satta |
有情、衆生、生きとし生けるもの 輪廻転生、生命流動体、霊 |
living being life-stream |
構成要素はcittaとcetasika、 すなわちnibbānaとdhammā(rūpaの根源) |
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dhammā Arūpa rūpaの元 |
変化し続ける、という永遠 Kalāpa元素の微細エネルギー 物質エネルギーの根源 |
bearer,constitution energy; material、form; figure |
限りないダーク・エネルギー 重力がまだない発散エネルギー 四大元素の構成物の変化継続は永遠 |
特にrūpaの意味、内容、定義、解釈には誤謬がおおいので注意が必要です。
三蔵は「心nāmaの領域(特にbhavaにとっての世界観)を基準にしたメッセージ」なので、三蔵のいうrūpaとは「イメージ」を意味します。
原子で構成されている物質だけではなく、記憶や空想や夢の中に出てくるイメージはすべてrūpaに分別されます。
長年、仏教に携わっていても、先入観のためにrūpaの解釈については誤謬がおおいので、三蔵に記述されているrūpaをすべて抽出して、その意味を何度も熟慮しなければならない重要なテーマです。
仏教の基準 世界観の前提
涅槃nibbānaと物質エネルギーdhammāが重なっている境界領域に「いのちsatta」があります。
この生命を分別すると以下のようなります。
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翻訳、内容、意味 |
英語訳 |
特徴 |
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Manussaloka tiracchāna-yoni |
ヒト界 動物界 |
Human‐world Animals‐world |
体が惑星物質によって構成されている |
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Gandhabba |
乾達婆、メンタル体 |
a being ready to take a new existence. |
Bhavaエネルギーによる、ヒトと動物だけがもつメンタル体 |
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bhava |
有,存在,生成 枠内にあるエネルギー |
becoming, process of existence |
31領域に分別された生命体 蓄積する量で転生先が決まる |
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Satta |
衆生、有情、生命体 |
living being |
永遠に輪廻する「知覚生命体」 |
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pañcaupādānakkhandha |
五取蘊 |
the 5 aggregates with clinging |
対象に執着するメカニズム |
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pañcakkhandha |
五蘊 |
the 5 aggregates |
対象を知覚するメカニズム |
以下の語句については誤謬がおおいので、これらのテーマについての熟慮をした後に、仏教の世界観を構築することが必要です。
gandhabba
bhava
pañcaupādānakkhandha
pañcakkhandha
31領域の宇宙観を説くパーリ経典
Sāleyyaka Sutta
(MN 41) サーレッヤカ経 経蔵中部41
Pathama Metta Sutta (AN 4.125) 経蔵増支部第4経125
Visākhā Sutta
(AN 8.43) 経蔵増支部第8経43
Dhammacappavattana
Sutta (SN 56.11) 転法輪経 経蔵相応部第56経11
Maha Samaya
Sutta (DN 20) 大会経 経蔵長部の第20経

人間の体はヒトのgandhabbaから生まれる
gandhabba メンタル体
肉体は、母親と父親の結合によって作られた最初の細胞(接合子)よりも小さいgandhabbaが子宮に「降りて」きて、子宮内でその接合子を「つかむ」ことから始まります。
Mahā Tanhāsankhaya Sutta (MN 38))子宮に降りてくるgandhabba
Mahā Nidāna Sutta (DN 15)) 子宮に降りてくるgandhabba paṭisandhi viññānaとして
Sāmaññaphala Sutta (DN 2) ブッダは肉体から出てくるgandhabbaを、鞘から引き抜かれる剣に例えた。
Sampasādanīya Sutta (DN 28)
“1.6. Gatikathā” Paṭisambhidāmagga
“Sāragandhādidānūpakārasuttanavutika (SN 31.23-112)”
五蘊についての解説
多層の解釈があるNāmarūpaとは?
不活性物体と知覚生命体のnāmarūpaの違い
不活性物体(物質)のnāmarūpaのnāmaとrūpaははじめから分離しています。 rūpaがパーツに分解されるときにnāmaに変化が起こるので、この2つがはじめから分離していることが顕著に理解できます。
たとえば、マグカップが割れてしまったら、それはマグカップとはもう言えなくなります。つまり不活性物体のnāmaはTPOや他者の意識によって名付けられたものなので、nāmaも変化します。
対蹠的に、感覚を持つ生命体のnāmarūpaは、Arahantが死んだときにのみ、2つは真に分離して、rūpaは不活性な物体となり、「本当の終わり」になります。
つまり、nāmaの枠組み(容れ物)になっているrūpa(物質エネルギー)が再生されないことで、nāma自体が生じることがなくなり、エネルギーをもつものがすべてなくなります。
それまでは、nāmaとrūpaは混合し、エネルギーを持つメンタル体はnāmarūpaとなっているので、来世でも体と心を取得してしまうので、2つは分離できません。
この2つの完全な分離とは「この31領域の世界からの完全な離脱」(つまり、苦しみの完全な停止)すなわち「完全な涅槃」すなわちParinibbānaのことです。
それに至るまでは、流動生命体lifestreamの物理エネルギーの形状はさまざまなカタチ(bhava)に変化しますが、nāmarūpaの核である五つの集合体(pañcakkhandha)のメンタル界のパーツは継続します。
さらに、色界には欲界の感覚器官はありませんが、メンタルから3つの微細感覚器官が、無色界では1つの微細感覚器官が生じます。
動物や人間の転生プロセスでは、連続する生涯の出生(jāti)の間に「時間ギャップ」があります。その間ではgandhabbaが次の出生を待ちます。
本人が予期できない事故などで生命が終了する場合は、人間bhavaのkammicエネルギーは使い果たされていない可能性が高く、その場合はgandhabbaが死体から出てきて、次の子宮に入るのを待ちます。
たとえば、犬も人間とは異なる経験 (viññāna)、感覚 (vedanā)、知覚 (saññā)、思考パターン (saṅkhāra) を持っています。lobha,
dosa, mohaの「曲がった行為」によって、kammaが「犬のbhava」に導きます。
人間はより高い「メンタル的特質」と反重力性のある肉体を持ちます。Brahmaはヒトの目では見えない微細物質エネルギーを「肉体」としての持ち、人間や犬とは異なるより純粋なメンタル性を持ちます。
Paṭicca Samuppāda (PS.) によれば、衆生lifestreamである生命体nāmarūpaは、この世の31領域のいずれかに分別されて、カタチになります。
自分の思考、発言、行動がどのようにして31領域での誕生につながる可能性があるのか、を理解できるようになると、nāmarūpa pariccheda ñanaを得て、Sotāpanna になると講話で聞いたことがあります。
nāmarūpa
pariccheda ñanaとはnāmarūpaをnāmaとrūpaに分別する知識のことです。
その理解により、Sotāpannaは転生プロセスを終了(切断)できることを知ります。
pariccheda:[m.] measure; limit;
boundary; 限界,限定,制限,部分.識別、区分、区別
動物(たとえば犬)、人間、またはBrahmaの生涯の間、それらには、そのbhavaに適した基本的な一連の(時にはāyatanaになる)indriya(感覚機能)があります。人間の感覚機能は動物やBrahmaのものとは異なります。
しかし、その生涯の間に、それらのāyatanaは、活動に応じて(paṭisandhiでの劇的な変化と比較して)小さな変化があります。
Idapaccayātā Paṭicca
Samuppādaサイクルではそのような変化のことを説明しています。
Paṭisandhi
(upapatti PS 内)
の Viññāna Paccayā Nāmarurupa
生命体のbhavaの終わりに、たとえば、BrahmaからDevaへの移行する場合を考えてみます。
nāmaの部分がBrahmaからDevaに変化し、rūpaの部分はBrahmaの2つのpasada rupaからDevaの5つのpasada rupaへと変化します。
その移行は、Brahmaの生涯の最後の心路citta vithiに起こります。 そのcuti-patisandhi(死と再生)の瞬間に、Brahma のnāmarupaは死に、kammaエネルギーによってdeva nāmarūpaが創造されます。
Patisandhi(Upapatti PS)における「Nāmarūpa Paccayā Salāyatana」
bhava存在の終わりで、その生命体は、あるbhavaから別の種のbhavaへと「大きなジャンプ」をします。その時、流動生命体のviññāṇaの基本レベル、すなわちnāmarūpaの「nāma」がジャンプします。
このnāmaには、新しいbhavaのrupā、すなわち新しい体の青写真(設計図)があります。
たとえば、Bhavaが人間から犬に移行する場合はviññānaの基本的なレベルが人間よりもはるかに低い、犬のレベルに変わります。この新しいレベルのviññāṇaと犬の体の青写真は、死んだ人間の体から出てくる新しいnāmarūpaである「犬のgandhabba」にあります。
そして、このgandhabbaが雌犬の子宮に降りると、それは犬の胎児に成長し始めます。犬にふさわしい六つの感覚器官(indriya)がその子宮の中で育ち、それを使って外界の信号を知りたいと想ってエネルギーと結びつくと、salāyatanaになります。
コラム
sattaのブラフマー 輪廻転生するものがsatta
このエッセイでは、生命体には段階があることを強調するためにbhavaとsattaを異なるものとして定義して話を進ました。
エッセイも最後になったので、sattaの他の定義も伝えておきます。
Sotapanna 段階以上でない人をすべての生命体を通称としてsattaと呼ぶ文脈があります。
したがって、動物、人間、deva、Brahma(magga phalaに達していない)はsattaです。
puthujjana(一般大衆)という用語は、人間界におけるsattaを指します。
sattaが特定の領域に生まれるのは、前世でその領域で価値あるものとされる「感覚的快楽」を人間として渇望していたからだと推察できます。