「考え方」で病いを治す 医学では分けれない生命体
目次
はじめに=結論
自然治癒を活性化させる「考え方」治療法
医学の特徴 分けること 限界
命の性質 流動的、循環的、可逆的、自律的、自己組織的、全体的、統合的、そして必然的
体験談 命が危ない ワクチン 抗がん剤
「はじめに」と「結論」
この地球上では「いのち」はカタチとなって育ち、やがてカタチは枯れていきます。この流れの途中に「いのち」の働きを阻(はば)むものがいろいろとあります。それならば、これらを一つ一つ取り除くことができるのならば、本来の「いのち」の働きを取り戻せるのではないかと思われます。
また、手術や薬や鍼灸やマッサージで現状を改善しても、阻むものがある限り同じことがまた繰り返されてしまいます。
目に見えない電子の世界、意識の世界、そして、無意識の世界の障害物を取り除いて、「いのち」が最もくつろぎ、元々あった気の状況(元気)をつくりだすのが「考え方」の治療法です。
ヒトの一生と細胞数
ヒトは卵子と精子の二つの細胞から始まって、37兆個まで分裂し、体全部を作っています。
(ヒトを構成する約37兆個の細胞数のうち、約26兆個が赤血球 3.72±0.81 x 1013)
細胞分裂のスピードが早い幼児期、最高細胞数の頂点までの青年期、細胞数が減少する壮年期、そして最期には死に至る老年期があります。
37兆個
2個
1 2 3 4
この四つ時期には細胞分裂と共に意識の特徴との関連性があります
1 幼児期 分裂し続ける 一を二にし続ける
2 青年期 意識の発達 二の一つを選択
3 壮年期 智性の発達 選択しなかったもう一つの必要性も認識
4 老年期 分けることをやめる 二に分けることを中止する
そしてこのような人生期の特徴は「考え方」とも関係があります。
そしてこの「考え方」は治療法とも類比(アナロジー)関係があります。
どの療法も長所と短所があり、可能性と限界(できること・できないこと)もあるので、一つの方法に限定することなくTPO(時・場・状況)に合わせながら多層にわたって行います。
ヒトの一生と治療法
|
区分期 |
細胞分裂 |
1と2 |
美学 |
医学 |
考え方 |
弊害 |
体 |
治療対象 |
1 |
幼児期 |
激しい |
一から二 |
自然 |
自然治癒 |
天然 |
熱・水 |
全体 |
意識 |
2 |
青年期 |
頂点 |
二から一 |
善悪 |
西洋医学 |
解剖・薬 |
意識 |
脳 |
考え方のパターン |
3 |
壮年期 |
安定 |
二を一に |
叡智 |
東洋医学 |
血の循環 |
無意識 |
心肺 |
周期のパターン |
4 |
老年期 |
減少 |
一のまま |
静寂 |
伝統医学 |
気の流れ |
環境 |
丹田 |
内外の電子・周波 |
ヒトの一生の視点
|
区分期 |
細胞数 |
アーシュラマ |
生活 |
他との繋 |
哲学 |
大義 |
主要武器 |
観点 |
1 |
幼児期 日の出 |
2→ |
学生期 |
経験 |
感覚 |
カオス |
成長 |
感情・悟性 |
主観 |
2 |
青年期 昼 |
37兆 |
家住期 |
論理 |
言葉 |
二元論 |
正義 |
(合)理性 |
客観重視 |
3 |
壮年期 午後 |
37兆 |
林棲期 |
術・道 |
陰陽一致 |
相反一致 |
義 |
昔あった智性 |
主観=客観 |
4 |
老年期 日の入り |
37兆→ |
遊行期 |
ボケ |
非分化 |
一元論 |
往生 |
老人力 |
主観の禅定 |
5 |
生前死後 夜 |
0 |
生前・死去 |
|
|
空論 |
再生 |
|
大きなもの |
病気と向き合う順番
|
治療法 |
キーワード |
自他 |
内容 |
1 |
現代医学 |
手術、薬 |
他 |
物質レベルでの治療 |
2 |
東洋医学 |
血の循環 |
他 |
針、灸、マッサージなどの物質エネルギーレベル |
3 |
伝統医学 |
気の流れ |
他 |
他者と自己の関係向上を意識エネルギーのレベル |
4 |
自己決意 |
他者依存から脱却 |
自 |
病気を治療する自分の意識 |
5 |
整理整頓 |
余分な情報を排除 |
自 |
余分な5感覚器官からの信号を軽減する |
6 |
体からの視点 |
副交感神経 |
自 |
体の働きに寄り添う ヨガなどの体操を覚える |
7 |
表層意識 |
理性の限界 |
自 |
意識の可能性と限界を認知して整える |
8 |
潜在意識 |
自動反応回路の上書き |
自 |
自分の感覚や感情を安らかに認知して整える |
9 |
深層意識 |
思考回路の上書き |
自 |
トラウマや習慣性の癖の原因を安らかに認知する |
10 |
宇宙意識 |
「一」との一体化 |
自他 |
闇や空虚も光の一部であることを体感する |
対象と治療段階
エネルギーのレベル |
体、物質 |
意識 |
深層意識 |
積極性と受け身 |
受け身の患者 |
積極的な患者 |
積極的な治癒者 |
対象は物質 |
1 |
7 |
|
対象は分子 |
2 |
6 |
8 |
対象は量子 |
3 |
5 |
9 |
対象はより微細なモノ |
|
4 |
10 |
「考え方」の治療法とは幼児期の成長期を再現すること
ここで注目してほしいのは1の領域です。一般的には自然治癒力や自己治癒力や生命力や免疫力や抵抗力や生命力とよばれるものです。
2、3、4の各分野はそれぞれプロや専門家がいるので彼らの方法を参考にするのがいいでしょう。
ところが1の分野のプロはあなた自身しかいません。あなたの常に変化する体や心や考え方をちゃんと把握できるのは、この地球上でたった一人しかいないのです。
いかに2、3、4の領域で起きてしまう障害を取り除き、細胞が元来持っている力を引き出せるかがポイントです。細胞を元来の幼児期のような状態にして、活性化させることを目指します。
そのためには3や4で起きていることを体感して自分の状態を再認識するのが効果的です。
活性化とは生死が共に存(あ)ること
活性化させるとは細胞の数を増やすことばかりではなく、同数が死滅することが大切です。
人体の中では一秒間に500万個の細胞が誕生します。そして同じ一秒に500万個の細胞が消滅します。
この働きがしやすくなるような状況をつくるのがこの「考え方」治療法です。
多くの人は失うことを嫌がり、得ることを好むので、意識的に、消滅させることの意義や素晴らしさを理解して実践することが必要です。
これは吸う息だけではなく吐く息を意識的に大事にしてあげることにもつながります。
食べることだけではなく排出することに気を使うことにもつながります。
視覚や聴覚よりも、嗅覚や触覚にスポットライトを当てることにもつながります。
排他的で儀式的な公式のカタチだけではなく、共有的で祝祭的で解放する時空間も必要です。
「分けること」だけではなく「分けないこと」が細胞の活性化につながります。
細胞分裂に良い環境とは
では細胞が伸び伸びと元来どおりの分裂と消滅が出来る状況とはどのようなものでしょうか?
それが分かれば細胞への障害の数々を一つずつ除いてあげればいいわけです。
イメージで理解するには植物を育てることを思い浮かべれば良いと思います。
植物の成長に必要なのは、太陽(日陰)、水分、温度です。
動物にはこれらに自らの意識であるストレスが加わります。
細胞の新陳代謝はこれらに影響をうけるので、一つ一つを良い状態にする必要があります。
実際の「考え方」治療法
「考え方」の目標は「環境」と「体」と「心」をゆるめて、できるだけリラックスした状態にすることです。
ほんわりと暖かく優しく和やかに緩んで楽しくなることを目指します。
しかし、ただリラックスするだけではなく、その前や後には緊張も必要なので、弛緩と緊張の2つが波の山と谷になるように周期という波動でリラックスをとらえます。
脳機能学で言うと体を司る脳幹、心を司る大脳辺縁系、意識(頭)を司る大脳皮質の各所の問題に取り組みます。
実際の治療は4、3、2の順番で障害を取り除いていきます。
環境、心身、意識の順序です。
では順番が大切なので、まずは4番から説明します。
4の領域 環境整備
病気になった原因は体内だけではなく、体外の環境とも深く関係しています。
良い環境は体の抵抗力を強くするので、少しぐらいの病原菌ならば免疫作用が働いて大きな病とならないことがあります。しかし環境が体の抵抗力を増進させていないのならば、それを改善する必要があります。
体の調子が良いように、暑い時は涼しく、寒い時は暖かくし、湿気が多い時は爽やかに、乾燥している時には潤うようにすることが必要です。
温度調節もホカロンや暖房などの体外の熱に頼るだけではなく、体から出る熱を利用する保温や、体を動かしたり震わすことによる内から作られる発熱を大切にして、体の温度を上げておくことが免疫作用や生命力にとっては重要です。
次に、空気の流れとつながっている周波や電子が適性であることに気を使います。あらゆる物体は、その温度に応じて振動して電磁波を放出しています。電磁波とはマイクロウエーブや音波や可視光線や赤外線などのことです。物体の温度が高くなるにつれて、大きな振動数の電磁波が強く放射される傾向があります。体に直接の影響を及ぼすキネシオロジー kinesiology(身体運動学)や気功やシャーマニズムや音楽療法やアロマセラピーなどでもいいのですが、費用がかかったり、周囲に適切な人がいない場合は、一番身近で手っ取り早いのが、身の回りの片付けです。
部屋や台所やトイレの掃除や洗濯をして風呂やシャワーを浴びて、要らないものは除去して、必要と思われるものは整理整頓することです。
こんなことが周波や電子のレベルでは有効です。
わかりやすいレベルで言うと、身の回りに必要がないものがある場合には、そこに視線がいった時にその事を気にしたり考えたり心配したりして頭(表層意識)を使ってしまうので、散らかっていても大丈夫なように訓練するか、もしくは整理整頓して気が散らかっているモノに向かわないようにしましょう、ということです。
3の領域 血の循環 「体」と「心」
次に大事なのは、いかに体全体に血液が良く流れるようになるかです。
そのためには体内を緊張させないようにしなければなりません。
(だらけた姿勢は実は体をリラックスさせておらず、「骨が立つ」ような姿が体を緩ませます。
リンク 大地と繋がる体の重心について「コロン山 大地を歩く」
そのためには、姿勢、呼吸法、体の動かし方、条件反射の書き換えが有効です。
興奮や不安は血管を収縮させます。
自律神経で言うと、いかに交感神経をオフにして、副交感神経をオンにするかということです。
呼吸法によって、副交感神経が働き、脈拍は下がり、血管は緩み、血圧は下がります。
そしてこれができるようになったら波の周期を作る練習です。
交感神経と副交感神経を交互に大きくゆったりと繰り返す周波を大切にする生活習慣を身につけることです。
そのためには、体を適度に動かすことによって、先端の毛細血管に血が巡り、代謝を促します。
今までは無意識のうちに反応していた形、音、匂いを自分で意識することができるようになり、もしそれらが日常生活の中で必要のない反応ならば書き換えることも可能です。
それによって自律神経の働きが自動的にオンになってしまうことを止めることができます。
無意識だった考え方の癖(パターン)を止めることによってニュートラルの状態に戻します。
この三つのやり方は別紙にあるので関心があれば参考にしてみてください。
参照エッセイ 「呼吸法」 「体の聲を聴く」 「考え方を進化させる」「五蘊について」
次に体内に入る食べ物や飲み物、そしてその摂取法が身体に大きな影響を与えるので「食べること」についてちゃんと向き合います。食べたものが体の一部になるのですから、当たり前のことです。
参照エッセイ
2の領域 ストレス 「意識」
合理的に考える方法や情報処理の方法や修正のヒントは後に書いてある「医学の限界」にあるので、ここではストレスについて見てみます。意識の「考え方」にもっと興味がある方は、別紙のエッセイを参照にしてください。
参照「新しいものを自分のものにする」「居間 5の話」「脳が忙しいと体が弱る」
ストレスには意識からくるものと無意識からくるものがありますが、無意識なものは血液の循環の時にやった「考え方を進化させる」(条件反射の書き換え)で減らせるので、ここでは意識からくるストレスについて見てみます。
ストレスは交感神経を通じて、直接に細胞に影響を与えます。
例えば嫌なことがあると胃が痛んだり、強度の不安が3日間続いただけで胃潰瘍になったりする人が身の回りにいたりします。
ストレスとは、狭隘、圧力、緊張のことです。硬くなってしまい柔軟性が減少してしまうことです。
ストレスの対義語は弛緩です。リラックスのことです。
ストレスは生命体には必要なものです。緊張は、虎から逃げたりウサギを捕まえたりする大切な機能でした。ところがエネルギーの集中した都市生活では、過ちをおかすと、集まったエネルギーの分だけ周囲に迷惑(影響)を与えてしまうので、行動する時にははじめから間違いをしないことを求められるので、どうしてもストレスの時間と量が増えてしまいます。
また不安、恐怖もストレスを高めます。あらゆる不安は体が慣れることや心が経験することや現状を理解することでストレスは軽減します。
ここで大切なのはストレスを全くなくすことではなく、メリハリです。ストレスのONとOFFです。そして生きている間は、毎日の生活の中で同じ刺激を受けてもそれがストレスにならないように、無意識の内に慣れるようにプログラミングされています。
また少しずつでいいので意識的に鍛えていくことで過度のストレスは抑えることもできます。ただ休んでいるだけでは逆にストレスに弱い体質になってしまいます。
自然の法則はシンプルで、「使えば鍛えられ、使わなければ退化します。」筋肉のように。
ですから交感神経と副交感神経が交互にゆったりと流れる波のような生活がストレスに強くなるコツです。
意識のストレスは頭の中で思っていることと現実で起きていることのギャップから生まれてきます。
頭の内で想定していることが努力目標だったり目指す理想であれば、ストレスはやる気となります。しかし、形になるのが難しい欲望を実際に実現化できると思いこんでしまうことは大きなストレスが生まれてしまいます。こうなると交感神経のスイッチはなかなかOFFになりません。
例えば練習もしていないのに町内マラソンで入賞しなければならないとか、やり方を教わっていないのに会社のノルマを達成しなければならないとか、毎日の生活の中でいろいろなストレスに遭遇します。
その時には、原因が自分であれば、出来ると思うこと自体に問題があるので、それを修正すればストレスは軽減します。
もし目標を期待したり暗示したり強制したりする人が家族や周囲や学校や会社などの他者であれば、彼らにその目標を達成するための方法を尋ねてみるのがいいでしょう。会社でノルマの目標数値をあげるのはそれによって得をする人がわざとストレスを与えようと企んでいるからです。ですから、その言葉を聞き流すのではなく、そのノルマを達成する方法をステップごとに伝授してもらうか、その数値に達することができることを目の前で実践してもらい参考にしましょう。といっても実際にはそんな上司はあまりいません。与えられるストレスとは、残念ながら、その場では相手の戦略に負けているからです。負けている間はストレス時空間は存続してしまいます。無理なノルマは別ですが、いくつかの場面ではストレスを感じてしまう本人が、トライアンドエラーで効率を高めていくことで、今までの自分の頭の中で作り上げた法則や決まりごとや因果関係が自然や社会では通用しないものであることが実際の経験を通じて分かる機会に巡り会えることもあります。そうなるとストレスは減少します。そしてまた実際に活動してみると目標数値が単なるブラフか努力目標かクリアできるワンステップなのかわかってきますから、それによってストレスも低減します。
すべてのストレスが悪いといっているのではありません。しかし身の回りにはストレスの量と時間を減らす必要なケースは多いです。
そのために、人間関係を学び、仕事のコツやルールや法則を掴んで、頭の中のイメージと現実とのギャップを減らすことが大事です。効率よく行動してストレスの量を減らし、そして意識的にストレスのない時空間をどんどん増やしていく工夫と技術と練習が大切です。
各自の環境に応じて色々なことを試すことができるので、思いつく身近なところから始めるのがいいかと思います。
また、私たちが思っている常識が、全体性ではなく部分的な一面性であったために誤解してしまっていることも多いのでそれらを修正するのも大切です。多層で成り立っているものを一層だと思ってしまっていることもしばしばあります。
例えば、殺菌、CO2、光合成、ダイオキシン、農薬、化学物質、DDT、環境ホルモンなどの功罪を勘違いするパターンが、他の考え方にも共通している場合は多いので、このあたりのことを調べてみるのもいいかもしれません。
そうなると、これまでの受けとめ方を修正するだけでこれから起こる勘違いを修正することができて便利です。
参照 限界を知ると道が開けるシリーズ 「常識」「専門家」「科学」「学問」「書かれた言葉」「理性」
その時には今までに使っていたパターンではなく、新しいメタファーを再確認することが大切なので、興味があれば別エッセイを参考にしてください。
1の領域 待つこと
ここまできたら後は待つだけです。
この「考え方」の治療法というのは、自力の考え方で治すかのように見えるかもしれませんが、実際は全く自力は使わないで、他力である自然や自分の体や体内にいる微生物や「いのち」そのものにおまかせするという治療法です。
自分の意識からこの世を見ると、それ以外のものは全て「他」であるので、自然も自分の体も「他」となります。
まさしく他力本願です。この他力にお願いするために、自力(理性知性の表層意識)を使って、他力(体や感覚パターンや感情パターンや思考パターン)のために準備を整え、その後は意識にはお休みをしてもらい、リラックス(全身全霊でありながら無意)して他力にお任せするだけです。
細胞の分裂は意識でしているのではなく、細胞自身がすることなので、あれこれ悩んだり考えたりすること自体が細胞の活動を邪魔してしまうので、任せることが大切です。
表層意識を使うのではなく、ぼんやりするのがいいんです。
草むしりや雲を眺めたりハンモックに揺られたりするのもいいですよ。
「マ」の四段活用
理性では勝てないものがあるという事実を知り、 まけて 負けて
それを自覚してこうべを垂れて行動に移し まいって 参って
意識の外側にあるものに主導権を渡し、 まかせて 任せて
自らが動いてしまうのではなく、時が来るのを まつ 待つ
参照
意識にはできないこと
意識にもできることと、できないことがあります。
できないこととは「身体と無意識と非意識の世界」を意識を使って把握することです。
意識にはどんなことができないか、まずは身の回りのことから見てみましょう。
普段の生活では、なんでも意識がないと生きていけないと思っている私たちですが、実際は一日の90%は意識を使わずに生きている、と突然に言われても、信用できますか?
計算の仕方はいろいろあるので、数値は上にも下にも変わりますが、多くのことは無意識のうちに行動されていますので、例を見てみましょう。
時間的に長いのはなんといっても睡眠。この間は夢は見ても、意識はお休みです。実験でラットの睡眠を邪魔して、ずっと意識状態にさせていると、体温が下がり、体重が減り3〜4週後には免疫機能が低下して感染症で死亡するというデータもあります。
また意識を使わな状態とは、私たちの日中でも昏睡状態のようにボーとしている時は、度々あります。また病気による昏睡状態もあります。私の親しい友人の二人が現在でも植物状態となっていますが、一人は22年間、もう一人は4年の間に意識が目覚めたことがありません。だからといっていつも寝ているわけではなく、アクビをしたり、体を伸ばしたり、食べ物を噛んだり、目を動かしたり、手足を硬直させたり動かしたりします。見たことがない人はこれは信じられないと思うので書きづらいのですが、器具を使うことで歩くこともできるケースもあります。
そして、生きていることに欠かせないのが、生命体の内臓運動です。これらのほとんどは意識で支配していませんが、まるで内臓自身が自分で自律しているかのように運動しています。その中でも呼吸系器官は意識の影響を強く受ける数少ない内臓ですが、もし意識が制御しなければ、無意識のうちに息を吐いたり吸ったりしています、寝ている時のように。
また、血液の循環運動も意識がコントロールしなくても、働いています。喜びや恐怖をイメージすることで心臓の収縮と弛緩のリズムに影響を与えて脈拍は変化しますが、これらも意識がない状態の時でも活動しています。
次に口から肛門までの消化活動ですが、意識ができるのは顎の咀嚼ぐらいで、胃や十二指腸や膵臓や胆嚢や小腸や大腸や意識を使わなくても収縮や蠕動運動をしています。一番の圧巻は小腸の消化運動で、消化をするために意識を使わないどころか、小腸にいる100兆個から1000兆個の腸内細菌に頼ってお任せしていることで、ヒトは生き続けています。
日本語では恒常性と訳されている、ホメオスタシスhomeo〈等しい〉stasis〈平衡状態〉も無意識です。
これは外界の変動にさらされても、内界の状態を一定に保つ機能のことです。
血液内の酸素,二酸化炭素,塩類,ブドウ糖,各種タンパク質などの濃度やpH,粘度,浸透圧,血圧や、体温などの変化を、電気(神経)と化学(ホルモン)によって調節し、定常状態に戻す方向の指令を発します。
そしてこの機能は個体だけではなく、グループや種の維持にも適用されるという実験結果が集まりはじめました。たとえば,生物群集における種の構成の安定性を生態的ホメオスタシス、同種の個体群における遺伝子分布の安定した平衡状態を遺伝子ホメオスタシス、発生過程で一定した表現型を発現する現象を発生的ホメオスタシスと呼ぶように。
どれもが意識が関わっていなくても自律的にバランスを保つように機能します。
無意識と自律神経
また、意識は自律神経との間にも密接な相関関係があります。
脊椎動物の受精卵は内胚葉が消化器系器官に、中胚葉が循環器系器官に、外胚葉が神経管系器官として成長していきます。
TPOにより消化器系器官が活性化する必要性がある時には内臓に血液が多く送られ、神経管器官が活性化する必要性がある時には脳に血液が多く送られます。
この割り振りをしているのが無意識で働く自律神経です。
脳や筋肉が活性化する時には交感神経が働き、消化や血液循環が活性化する時には副交感神経が働きます。
血液はその時の意識の状態によって割り振りされ、脳と内臓を交互に補うことで効率の良い生命維持がなされす。
血液は表層意識を使う時には脳に、使わないときは内臓に多く流れます。
自律神経と内臓の関係は
|
自律神経 |
血圧 |
心拍 |
グリコゲン |
胃液分泌 |
インスリン |
小腸消化 |
意識(表層) |
交感神経 |
上昇 |
上昇 |
分解 |
減少 |
低下 |
便秘傾向 |
非意識(深層) |
副交感神経 |
下降 |
下降 |
合成 |
増加 |
上昇 |
下痢傾向 |
上の表からわかるように、副交感神経の役割は重要で、意識の活動していない睡眠時や休憩時に、成長ホルモンやエンザイムや免疫細胞が生成されます。
参照
ヒトはなぜ宇宙人に誘拐されるのか? 意識と無意識の並列システム Neurologic E.J.スタンバーグ
話をヒトの日常生活に戻してみると、多くの行動を意識せずにやっていることに気がつくと思います。
例えば、外出する時に意識せずに靴の紐を結んだり、歩く時に右足から始めていたり、このエッセイを読みながら意識せずにコップからコーヒーを飲んでいたり、気がつかずに頭を右手で触っていたりです。
また、行動だけではなく、頭の中で起こっている脳の活動も多くは意識にかかわらずに行われています。
なにかを思い出す時に意図せずに多くのことが浮かんできたり、条件反射では意識にのぼることもなく外からの刺激に反応して行動していたりしています。
実は新しいアイディアが浮かぶ時や創造力にも、非意識が大きく関与するメカニズムによって、生み出されています。
これらのことから、生命体がサバイバルするには意識を使わないことが必要で不可欠なことがわかります。
リンク 脳は可愛がってあげなくっちゃ
リンク 4つプラスαの自分
意識と本質 井筒俊彦
医学の限界
優秀さと誠意と一生懸命
前世紀から医学の問題が周囲にも溢れかえっている。医学は命を扱っているのでその判断や治療には直接に生死にかかわってくるのだから、俎上にあげられることがどうしても多くなる。そして医学の判断によってついに自分や家族の命まで危うくなってくると、誰もが黙っているわけにはいかなくなる。
人様といえど自分の命を無配慮に預けるわけにはいかない。それも受験、大学、国家試験、病院の世界で過ごしてきた人たちに対してはことさらである。何故ならば、はじめから正解がある中から答えを選んだり、二つの中から一つを選択することにかけては熟練者で、その技法と合理性と思考法とそれらのスピードにおいてはプロであるがゆえに、この思考法が体の隅々まで染み込んでしまったことが時と場合には逆に足枷になることがあるからである。
もし医学の矛盾と恐ろしさを知らないのならば、ますます人の命やこの世の生命体は医学によって危なくなる。彼らは総じて、優秀で誠意があり一生懸命だからである。
なぜこんなことになるのか?
答えはシンプルで明快だ。
一つ目は、命に関わる判断をしなくてはならないから。職業柄なのでこれは仕方がない。
問題は二つ目の医学そのものにある。正確に言うと命にかかわる学問そのもの、もっと大きく言うと「全体性」の中では言葉(学問)の限界があるので、意識そのものの扱い方が間違っていることからはじまる。
優秀さとは何が優れているのか? 主語は何? 劣のメリットを選択せずに排除してしまう。
誠実さとは何に対してなのか? 目的語は何? 体からのメッセージではなく意識に真摯で忠誠。
一所懸命とは何をやっているの? 動詞は何? 決まった目標に懸命で無常には耳を傾けない。
突然だが、名詞を扱うときには注意が必要だ。名詞にはTPOの条件が定かでなく、主語と目的語と動詞が抜けているので、流動化したものを固定化することで勘違いが始まってしまう。
これらのことがちゃんと認識されていない限り、これからもずっと医師によって、いや自分自身の意識によって、命は危険に冒される。
これからの医師には医学だけではなく、この意識の仕組みと無意識の仕組みと全体性についての理解をしてもらった上での判断と治療でないと、これまでと同じように引き続き医学治療が命の力を弱める行動を続ける可能性が出てきてしまう。
逆に言うと、医師と患者が命という全体性をどう認知するかということさえ習得すればいいのだから、それほど難しいことはない。
言葉の分割性
言葉は「囲む」ことによってはじめて成り立つ。例えで言うと、小腸は十二指腸の下からはじまり大腸の上まで続く器官だが、範囲を決めてその中のモノに名をつけることによってしか言葉にすることができない。
認知するとは、二つ以上のモノの共通点を見つけ、それを土俵としてその上にモノを並べて、二つ(それぞれ)の違いを第三者が見つけて、それぞれに記号(名前)をつけることだ。
消化器官という一つのモノを二つ以上に分けて一つずつに胃や小腸と名前をつけることだ。
そして学問ならば、それらの器官の間に因果関係を見つけようとする。
例えばそれぞれの器官の機能を特定していくことだ。そして科学はそれが間違いではないかと何度も検証を重ねて再現性を求める。
これらのどこが問題なのであろうか?
全ての言語はこの過程を踏まないと認識されないではないか?
確かに、この過程しか言葉にする方法はない。
だが、これが言葉や学問(現代医学)の限界なのだ。
囲ったり、線を引いたり、左右・上下・内外を区別することでしか言葉は成り立たない。
区別、すなわち分けることをしない限り、言葉にはならないのだからしょうがない。
しかし言葉の先には、他の把握方法がある。
機械と生命体
次に「分けたもの」と「分けられないもの」の対比を考察してみる。
たとえば、機械と生命体の違いだ。
たしかに機械はエンジンのようにパーツごとにピストン、シャフト、シリンダーと分解して、それらをまた組み立てると元の形と機能に戻る。機械ばかりではなく人間界にも同じような仕組みや構造は多い。マニュアル化されているものは誰でもその通りにすれば結果が出るようになっているので、これは交換可能なことを前提にしないと作ることができない。
こう考えるとこの世は仕事に勉学に生活とほとんどのことはパーツ化と再構築ができるものばかりになっている。できないものは個人では芸能、技術、存在感、人間関係では親子、家族、友人などがそうだろう。だから人はなんでもエンジニアのメタファーでこの世界を理解しようとしてしまうのだろう。
しかし、有機体は、車のようにダメになったパーツを交換できる機械とは違う。名称になった器官たちをバラバラにしてまた元のように繋げても元の有機体にはならない。
有機体は流動的、循環的、可逆的、自律的、自己組織的、全体的、統合的、なおかつ必然的だ。分けたり、一部を取り去ったりすると、内なる関係性が壊れてしまうか、もしくはお互いを補うために自律的に変化してしまう。
体の内外の変化に対して均衡状態を保とうとするホメオスタシスである。だから一部分を取り去った間に、相互関係が微妙に変化をするので、取り去った部分を元に戻しても、細胞は改めて適応するが、元と同じ状態にはならない。例えばプラナリア(Planaria)というウズムシを三つに切断するとそこからまた欠けた部分が補われて、三匹の成虫に成長する。
生命体を分解してもすぐ死ぬとは限らず、生きてはいる間は現状に適応するために、内部で変化が続けられる。生命体の全体を物理的にも名称的にも強引に分けることはできるが、それらを元のようにくっつけたからといって、原型と同じものにはならないのが「いのち」の特徴だ。
分割すると見えなくなるもの
分けられるものはいい、一般的な金属、数字、無機物は問題がない。(厳密に言うと変化はあるのだが)ところが生きているものは分けると死んでしまう。正確に言うと、各パーツはお互いに関係し合って、共依存しているので、一つだけを取り出してその機能を説明しているだけで、全体の中では他のパーツとの関係から複数の機能があることもまだ見つけられていない場合がある。
例えば呼吸と肺と心臓には「同化作用」と強い関係性がある。
また小腸と微生物と酵素には「瞑想と他者と悟り」と深い関係性がある。
しかし分割化されると関係性は見えてこず、相関関係があらわれない。分割できないものは、体験を通して実感し、多くの違った条件の下で統計的な事象を積み重ね、新たな法則を推定するしかない。
相関関係は示せるが、統計や確率以外の数値による因果関係は証明できない。
対して、相関関係があるだけで平気で薬を開発するほどにまったく科学的ではないのが医学界だ。それなのに、分割しないものに関心を払うことがあまりに少ない。いや敢えて分割しないことを見ないようにしているのが、医学という「分けること」を使命にする学問の宿命である。
分割するとで分かることは、数値に置き換えることができるメカニズムの世界観だ。分割して機能を調査しても因果関係が証明できるのは機械的なものしかない。
分けられないものを分けるとこのようなことしか分からない。
このような「分ける」というアプローチは必要だ。
しかし、盲人たちが象の一部を触って各自の見解に固執する話のように、全体性が見えなくなることもある。
分けることにより全体のバランスと相互関係が変化して新たな世界が作られ、分割しなかったからこそあった機能が消えてしまうこともあるからだ。
分けること意図的に控えた?医術
日本をはじめ各大陸の先住民たち、そして16世紀以前のヨーロッパにも体の中身や内蔵を指す言葉は極めて少ない。これを学校教育では「分割することを基本とする医学」をまだ知らない学問の遅れの問題としている。つまり文明、科学、歴史、理性、がまだ発展していなかったからという見解だ。しかし本当にそうなのだろうか?
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命あるものを分ける不合理さとそこからくる矛盾と問題をわかっていたからだと、仮定してみる。
和語には体の内側を指す個別の語句は「ほね、しし、ち、うみ、ゆばり、くそ、ふくろ、きも、ふくふくし(肺・心臓)」ぐらいしかない。
腹わたも和語ではあるが、個別の臓器ではない。
それに比べて体の部位を使った表現はあまりに多い。自分をココロと体に分けるのではなく、体を自分の一部とする表現の仕方だ。「分けない」方法だ。
身体意識を強化され、身体で思考し、行動する「身ことば」をざっと上げると、
身にしみる
身をもって知る
身を入れて仕事をする
身を尽くす
身を任す
身の程知らず
身に付く
ほかにも腰、腹、肝、筋、骨、血など身体を自分の一部とし、体を自己から分けた対象物としては扱わない「身体言語」はいろいろ一杯ある。
参照エッセイ 内臓の言葉 身体言語
分ける快楽と同様に分けない、そして分からない悦楽もある。
分けないことや分からないことの大切さを体感しながら暮ら時間も大切だ。
医学の異常と「かたち」 療法の失調と「はたらき」
しかし、ついに江戸時代には西洋医学の病理解剖学が日本にも入ってきた。
医学では、病とは異常である。異常とは正常に対して使う対義語である。その異常の証明を形態学的、器質的な変化として医学はとらえてきた。
X線診断にしても、現在ではまだ形態学が主流であって、X線機能学は遅れている。機能異常だけの疾患は未だ熟慮されていないのが現状だ。
消化器系や循環器系のような自律神経の支配を受ける臓器は、臓器自体の異常の他にも、自律神経の異常が関与している。心因が発病や疾病の経過に大きな影響を与えている。情動が自律神経の中核に影響を及ばし、自律神経系や内分泌系に異常を起こし、ストレス潰瘍をはじめ、いろいろな機能的、またさらに器質的病変を生ずることは古代から認識されており、東洋医学においては「気」という概念が用いられてきた。
対して、西洋医学では病変を追求し、これを証明して「完全体」に向かって治療するように訓練されてきた。 東洋医学ではこれと並行して気と血、機能と物質、用と体としての生命体を理解し、この調和を健康、不和を失調とする。西洋医学では病いと判断されても東洋医学ではバランスが取れているのならば、波線グラフでいう「谷」状態である場合は健康と判断されることもある。民間医療では人の考え方や気持ちや情感や学習してしまった認識や無意識の条件反射や自律神経やホルモンや酵素や体内信号や末梢運動神経のパターンまでも治療の範囲として扱っている。今日の科学でいうと周波や電子のレベルまで含めての治療である。
そして自然治癒力の世界では、この瞬間にも新たな細胞が何百万という単位で滅び生み出し続けていることにスポットライトが当たっている。
新陳代謝という当たり前の奇跡
生命体には現状を保とうとする新陳代謝という秘密兵器がある。例えば食事をしたり甘いものを食べると歯は溶けるが、食べていない間に溶けた部分をカルシウムが自動的に補充している。
また使わない筋肉は衰えるが、使う筋肉は隆々になる。これらの力を活かす考え方が生命体と向かい合う時には必要となる。
有機体の更新とは新陳代謝のことで毎秒に何百万の細胞が消滅し同時に同じ数だけの細胞が新しく生まれている。
現代医学はフィルヒョウやメンデル・モルガンの理論のように分けることを前提とし、これらを基本として固定化させてしまっている。
ホリスティック医療やゲシュタルト心理学などあるが、基本的にはまだ古典的な考え方である分化することにスポットライトを当てる考え方で病院の現場は動いている。
治療者と患者はこの生命体の新陳代謝の柔らかさと弱さと緩やかさとはかなさと奇跡を体感する必要がある。
囲いの外にある「いのち」
情報量が増加し続ける中で、人間の能力には限りがあり、医学は次第に個々の臓器へと「分化の道」を進むことになった。
全体の中から部分だけを切り出して、その範囲内での法則を作って実用化をしてきている。しかし全体は部分のよせあつめではない。
二つの細胞に込められたDNAの2万以上の要因が常に変化する環境に反応することで分化していったものである。しかしその分化とは常に全体との関係の中である。
生命現象は流動的、循環的、可逆的、全体的、統合的、そして必然的だ。だから分割しても、全体性との繋がりを常に優先させて部分を語らねばならない。
医師と患者はいつも忘れてはいけないものがある。
厳密に言うと生命体を言葉で捉えることができない。ただ便宜上、対象にスポットライトを当てることで、光の当たった部分だけを囲んで言葉にしているだけに過ぎない。
命に関わる全ての言葉は、論理学ではとらえることができないモノたちの集合体なのだ。
医学用語も「実」ではなく「虚」の言葉でしかない。
比喩でいうならば、囲うことによってできた言葉を締め付けるだけではなく、逆に囲いを柔らかくして囲いそのものに呼吸させてやらねばならない。
瀕死の命がちゃんと働くためにはちゃんと寄り添って、一緒に交感するしかない。
意識にできること
西洋医学では現状を分析して知ることも大切である。この分析する意識はリスクと時間がつきものの遺伝子操作に向かっている。
東洋医学では生命体を全体として捉え、血流や経絡に注意を向けている。
民間医療では考え方と気の持ちようと学習してしまった条件反射の修正と周波と電子までもを考慮に入れている。
自然治癒力を中心に据える治療では、少しでも命の力が活性化できるように、意識が喜ぶものだけではなく、体や深層意識が喜ぶ状況や生活習慣を意図的に創り出そうとする。
そして、その後は遺伝子の自己組織化にお願いしてただ任せることでしかない。
意識のできることはそのための体の内外の環境づくりをするまででしかない。
死に片足を突っ込んだ難病から生還した人たちの共通点は、「すべてが鮮やかに感じている」こと。
病の不安の中にも充実感があったこと、
逃げようという気持ちがなかったこと、
心に遊びがあったこと、
本人がいままでのどの時期よりも自分自身を確実に体感していたことだ。
「自然医学の基礎」森下敬一 抜粋
「(西洋思想の土台となっている)二元論というものは、物理の世界では大変重宝な考え方である。車やロケットなど機械を扱う分野で役に立つ。そういう世界では、この分析的、直線的、不可逆的、排中律的な考え方で十分通用する。
しかし生命の世界はこの考え方ではダメだ。生命の世界は、機械のそれとはまるっきり反対のものだからだ。
生命現象の本質は一言でいうと波動であり、ラセンである。生命の世界には直線も直角も存在しない。また生命の世界においては、すべては可逆的である。たとえば病気になっても、しかるべき処置を施せば必ず『治る』という現象が生じる。
『治る』ということは『元へ戻る』ということで、すなわち『可逆』ということである。よく今の医学は特定の慢性病に対して"不治の病"とか、"絶対に治らない"などというが、それこそまさに西洋思想なのだ。アタマが痛いとか下痢をしたというような症状に対しては、たいてい一過性で終わることから、さすがの現代医学も『治る』と考えているが、膠原病とかがんなどの難病に対しては、彼らは『治らない』と考えている。
いろいろと理屈はつけるが、基本線としては『治らない』という考え方をすえている。一度病気になったら治らない・・・この直線的思考こそ西洋思想の真骨頂だ。
けれども実際には決してそんなことはない。生きている限り、いい替えれば生命現象が存在する限り、必ず元に戻りうる。条件さえ整えば、病気は必ず治るものだ。がんも例外ではない。この元へ戻るということが生命現象の最大の特徴である。
にもかかわらず、現代の医学者自身が西洋思想にかぶれてしまっていて、直線的で不可逆的な考え方をしているから、『この病気はもうダメですよ』などということを平気でいうのである。これは実に重大な間違いである。『どんな重症ながんの場合でも、生きている限り必ず治るチャンスがある』ということを、私は口がすっぱくなるほど患者さんに話している」
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日本2013年 身の回りの状況
家族や親戚の者たちが医者から抗がん剤を勧められ服用したり試してみようとしている。それも治癒例が多いものではなく実践のデータがまだない新薬なのに。
親父が心臓の医者にかかり、血圧を薬で下げたのだが、同時に足先が冷たくなって痛みが伴い、夜も眠れなくなった。医者に言っても改善なし。薬の服用を自分で調節して血圧を130まであげたら足の痛みが消えた。
血圧が低すぎて末梢血管まで血液が回らなかったからだと推察する。今の病院は専門家医の集団なので、自分の専門の部位がよくなることを第一優先にするので、このようなことが起きてしまう典型である。
友人が二回も精神病院に入れられた。今でも22種類の薬を飲まされて医療システムから完全に商売のカモにされている。こんな状態が20年も続き、治ると補助金がもらえなくなるという考えを持つ体質にされてしまっている。
10代後半のプロ棋士の友人も精神病院に入れられた。人が見えないものを見るのがいけないという。
娘の同級生の6%が中学校の教頭先生の勧めで心療クリニックに行かされて薬を服用させられた。
近所の22歳の青年が自殺した。
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人がどのように生きようが、その人のスタイルがある。私から見て美しくなくてもその先が崖底があると私が思っても、誰も私にあれこれ言われる筋合いはない。ただ自分の命に関わってきたら、口を開かざるを得なくなる。そして家族や友人を守るためには(これは「自分のため」の言い訳だけど)、その原因を探して修正しなければ、こちらの命にも関わってくる。
そこでこれらの命を危うくする行動をよく見てみると共通のパターンが見えてくる。
情報源、その検証方法、理解の仕方、メタファー、考え方、意識の使い方、価値観、判断基準、がどれも同じ共通点がある。
医師も患者も同じ方法で命についても考えているのだ。これらが修正されないと、命はいつまでも安心できない。
そんな訳で私が言う筋合いのない医学について、言うことになってしまうが、少しは勘弁していただきたい。ウザイ時は面と向かってそう言ってくれればそれ以上は話さないことをお約束する。
各自の意識がそうしたがるには理由があるから。
そうじゃなければ、向き合って話を私はしたい。
リンク先
病気について
精神病について
対治法
現代病の背景
時代が求めた二元論 脳が忙しいと体は弱る 人間も自然の一部である
捏造されたロゴス 弱者と囲いと言語と理想と知識人と保身が「いのち」を蔑ろにする
脳機能のクセ
ヒトはなぜ宇宙人に誘拐されるのか? 意識と無意識の並列システム Neurologic E.J.スタンバーグ
脳は可愛がってあげなくっちゃ
教育
新しいものを自分のものにするプロセスとメカニズム 認識とは何か?
ガンについて
ガンにならない生き方 丁宗鐵 薬に頼らない生き方 医者を信じるのではなく参考にする
痛みの原因と対処法
頭部から踵まで
消化管間質腫瘍 GIST Gastrointestinal
Stromal Tumor
キネシオロジー kinesis運動logos学問 O−リング・テストのメカニズム muscle test